All Chapters of 幼なじみに裏切られた私、離婚したら大物に猛アタックされた!: Chapter 71 - Chapter 80

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第71話

「私は一生、あなたたち篠原家のまわりをぐるぐる回って、自分の友達も作れないってわけ?」ことはは冷たく言い放った。「『あなたたち篠原家』じゃない。『僕たちの家』だ」涼介は険しい声で訂正する。「商売なんてやめて、マルチの講師でもやったらどう?」「……」涼介は無言でため息をつき、穏やかな声に戻して言った。「ことは、変な意味じゃない。ただ、君が変な人間に騙されて傷つくのが心配なんだ。あいつらとは階層が違うし、遊び方も派手すぎる。翔真のことだって、22年も知っていて簡単に騙されたろ?むしろ毎日酒と女にまみれてる二世連中だ」ことはは、ゆきが言っていた涼介への評価を思い出した。本当にあいつは、口が上手くて、いつも自分が正しいと思い込んでて、しかも変態だ。昔は、そんなことに少しも気づかなかった。思考を切り替え、ことはは冷たく笑った。「篠原家以外は全員悪人だとでも思ってるの?翔真がこんなことになったのも、そもそもあなたたちの仕込みじゃなかった?」ことはがまだ翔真をかばう様子に、涼介の表情がさっと陰った。「じゃあ聞くが、もし彼に何の問題もなかったら、あんな簡単に引っかかるか?翔真が完全に無実だとでも思ってるのか?ことは、物事は一面だけ見ちゃダメだ」「もちろん翔真にも非はある。でも、あなたたちもあまり変わらないよ」ことはは涼介を睨みつけた。「その上から目線の説教にはうんざり」彼女の目には、はっきりとした嫌悪と冷たさが宿っていた。涼介は、その視線がとにかく気に食わなかった。彼はただ、ことはが昔のようにいつも楽しそうに自分の後をついてきて、「お兄ちゃん」という甘える声を聞きたいだけだった。だが、ことはが実の妹じゃないと知ってから、二人の間にはどうしても越えられない溝ができた。彼女は変わらず兄として尊敬はしてくれていた。けれど、子供の頃のあの無垢な気持ちはもうなかった。重い沈黙を破るように、前席のボディーガードが声を上げた。「篠原専務、神谷隼人の車が後ろについてきてます」ことはと涼介は、同時にバックミラーを覗き込む。ことはは落ち着いていたが、涼介の顔には不快感が露わだった。隼人に対して、涼介は翔真以上に殺意を覚え、顔を背けながら不満そうに聞いた。「ことは、君は本当に神谷隼人の女になったのか?」「どっちの意味で言ってるの?」ことはの
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第72話

ことはは白い目を向けた。「要らない」「でも僕は君にすべてを捧げたい」もう一言返したら、正気を疑われる。車を降りると、涼介に触れられるのが嫌で、ことはは自分から先に家の中へ入っていった。涼介は口元を緩め、機嫌が少しよくなった。ドアは指紋認証とパスワードの併用だったが、彼は指紋ではなくパスワードを入力した。「ことは、君の誕生日だよ」ことはは黙って彼の言葉を無視した。中に入って室内のデザインを見たとたん、彼女の動きが止まった。涼介は彼女のそばに立ち、愛しげな視線を注いだ。「何か思い出した?これは君が18歳の成人式の日に語ってくれた夢の家、そのままのデザインなんだ。気に入った?」ことはの表情は複雑だった。記憶が自然とあの日に引き戻される。成人式の日、両親は来なかった。だが涼介だけは、ことはの好きな紫陽花の花束を手に時間ぴったりに現れた。寂しさはあったが、それでも嬉しかった。兄はまだ自分を妹だと思ってくれていたから。その日、泣いたことをきっかけに自分だけの大きな家が欲しいという夢があった。彼女は何気なく涼介に話したが、今になって彼がそれを実現させた。もしこの数年の出来事がなければ、ことはは感動のあまり泣いて、彼を「最高の兄」と言ったかもしれない。でも、もう全てが違う。彼女は淡々とした表情で彼を見上げた。「兄さん、私は感動しないよ」涼介の期待に満ちた表情が一瞬で消える。「これは君が夢見た大きな家じゃないのか?」「18歳の時の夢は、25歳の私にとっては、つつけばすぐに弾ける泡のようなものよ」「泡なんかじゃない、僕はもう君のために実現させたんだ!」涼介は彼女の両腕を強く掴んだ。「君がかつて夢見たものは全部、僕が叶えてやる。海外に行きたくないなら、ここが僕たち二人だけの家だ」その言葉に、ことはは恐怖を感じた。彼の手を力いっぱい振りほどき、思わず二歩後ずさる。全身が針を立てたハリネズミのように、涼介に対して敵意と警戒心で満ちていた。「ことは、僕を怖がらないで」懇願するような声だったが、ことはには彼の瞳に潜む狂気と独占欲がはっきり見えた。彼女は嫌悪の視線を向けながら、じりじりと後退し、ついには壁に背中を押し付ける形になった。手のひらには冷たい汗。彼がいつ突発的に何かをしでかすか、分からなかった。平静を装い
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第73話

「放して!放してよ!」ことはの顔は真っ青になり、全身で涼介の腕の中から逃れようともがいた。「ことは、僕を拒まないで」涼介はかすれた声で懇願したが、その手は彼女の体をさらに強く締めつけていた。ことはの思考は混乱しきっていた。ただこの男から逃げなければ、それしかなかった。本能的に、彼女は彼の肩に頭を下げ、思い切り噛みついた。スーツの上着越しでも、彼女は全力を尽くした。両手で狂ったように彼の背中を叩く。涼介は手を離すつもりなどなかったが、彼女の喉から漏れるしゃくり上げるような声に、思わず手を緩めてしまった。「ことは……」ことはは全身を震わせていた。目に浮かぶのは恐怖、怒り、そして深い嫌悪。「ごめん、ことは。怖がらせるつもりはなかった」涼介は優しく謝る。「私たちは絶対に無理よ!あきらめて!」ことはは吐き捨てるように叫ぶと、唇を袖で強くこすりながら勢いよくドアを開けて飛び出した。たとえ触れられていなくても、そこに残る涼介の気配が、どうしようもなく不快だった。「ことは」涼介は重い息をついて、ゆっくりと後を追う。彼は冷静に目を上げた。外に駆け出したことはは、すでに外のボディーガードに阻まれていた。ことはは振り返り、怒りに満ちた目で睨みつけた。「無駄なことをしないで!私を一生ここに閉じ込めておくなんて、できるわけない!」涼介はゆっくりと階段を下りながら答えた。「大丈夫。見つかったら場所を変えるだけ。帝都は広い、君を隠す場所なんていくらでもある」「これで私たちの間に残ってた、ほんのわずかな兄妹の絆まで壊すつもり?」「壊れてもいい。そうすれば君は、僕を兄として見なくてすむ」「篠原涼介、あなたは本当に怖い」ことはの背筋に寒気が走り、凍てつくような恐怖が骨の芯まで染み渡った。「君はただ僕の気持ちをすぐには受け入れられないだけだよ、ことは。僕をお兄さんだと思わなければ、大丈夫なんだ」涼介は彼女に辛抱強く説いた。「近づくな……」ことはは力強く言い放った。「中に入ろう。外は寒い」またもや彼女の言葉を無視し、無理にでも中へ連れ戻そうとする。ことはが涼介を蹴ろうと足を上げる時、眩い車のヘッドライトが一閃し、次の瞬間、轟音が響いた。すぐさま、車の警報音が響き渡る。全てが突然で、容赦なかった。涼介は異変を察知
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第74話

隼人が振り返って彼女を一瞥して問う。「声が震えてるのに気づいてないか?」その瞬間、ことはの張りつめていた身体は、まるで堤防が崩れ落ちるように一気に力を失い、涙が次々と溢れ出した。もう、こらえることなどできなかった。歯を食いしばって声を抑えていたが、やがて嗚咽が漏れ始め、ついには堰を切ったように泣き声を上げる。静まり返った車内には、彼女の涙声だけが響いていた。その泣き声を聞きながら、隼人の胸の奥には苛立ちが募っていた。さっきの一撃が甘かったと感じ、自ら涼介の腕を折るべきだった。彼は車を路肩に停めると、ティッシュの箱を丸ごとことはの前に差し出した。た。泣きやむよう慰めることはせず、泣き出す方が我慢するより楽になれる。ことははティッシュを一枚取って顔をぬぐい、ゆっくりと顔を上げ、涙で潤んだ目で彼を見つめた。「あの時、見てましたよ」声にはまだ嗚咽が混じっている。そのか細い声は、聞く者の心を締めつけるようだった。「ん?」と隼人は不審そうに声を上げた。突然の言葉の意図が掴めない。「兄さんの手下が、あなたのロールスロイスにぶつけたんです」ことはは彼の全身を目で追いながら、怪我がないか確かめていた。隼人は口元を少し緩めた。三年前、初めて彼女を見た時と変わらず、なんて可愛い女だと思う。「自分のことで手一杯なのに、まだ俺が無事かどうか気にする余裕があるのか?」「ごめんなさい」もし本当に怪我をしていたら、申し訳なく思う。今の彼女は、隼人の力を借りて帝都に足場を築こうとしている。そしていつか、篠原家に立ち向かい、彼らのコントロールから逃げる。隼人ほどの地位と力があれば、誰もが恐れる。篠原家だって例外じゃない。彼女はそう信じていた。けれど、涼介の狂気は想像を超えていた。あのとき、彼が電話で「どんな手を使っても構わない」と命じた声を聞いた瞬間、彼女の頭は真っ白になった。そして、隼人はその巻き添えを食った。彼女の謝罪を聞き、隼人は眉をひそめる。「何を謝ってる」ことはは呟くように言った。「私のせいで、あなたはぶつかられたのですよ」隼人は顔を曇らせ、ティッシュを手に取り、感情を込めて彼女の涙を拭った。「黙って泣いてろ」「……」ことはは大粒の涙を浮かべ、美しい顔に複雑な色を宿したまま、しばらくの沈黙の後、ぽ
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第75話

ことはは電話をかけそびれ、そのまま固まっていた。隼人が近づいて、彼女のスマホの画面を覗き込み、眉をひそめた。「俺に泣きつくだけじゃ足りなくて、今度は森田さんにも泣きつくつもりか?」「私がうるさいだと思ったのに……」隼人の眉はさらに深く寄せられた。「いつ俺が、君をうるさいなんて言った?」「じゃあ……」彼女の情緒不安定を察して、隼人は突っかかることなく、代わりに炭酸水のボトルを差し出した。「泣きすぎて喉が渇いたら飲め」「……」水を買いに行っていたのか。彼女は炭酸水を受け取り、思わず「ありがとう」と言いかけたが、以前に彼から「礼なんて言うな」と釘を刺されていたのを思い出し、その言葉を喉の奥に引っ込めた。その時、隼人の手にもう一つ袋があることに気づいた。「ケーキ、いるか?」彼が尋ねる。「ケーキも買ってきたのですか?」ことはは軽く驚き、いつの間にか気持ちが落ち着いていた。「まず車に乗れ」ことはは何も言わず、振り返って再び車に乗り込んだ。隼人も車に戻り、袋を開けて中を見せながら聞く。「イチゴ、ブルーベリー、それともマンゴー?」ことはがよく見ると、中には数種類のケーキが入っていた。どれもコンビニで売っている個包装のケーキだけど。「ブルーベリー」隼人はすぐにそのケーキの包装を開けて、彼女に差し出した。コンビニのケーキは、もちろんパティスリーのような本格的な味ではなかったが、それでも美味しかった。ことはは普段から食べ物にうるさくない上、今のような精神状態では、こうした甘味が心を少しずつ和らげてくれる。二口ほど食べたところで、彼女はふと口を開いた。「さっきの言葉、撤回します。人を慰めるの、上手いですね。経験……豊富そう」隼人の眉がぴくりと動き、静かに返す。「君だけだ。今、初めてやってる」ことはは黙り込んで、視線を落とし、静かにケーキを食べ続けた。「泣き止んだか?」隼人は体を寄せ、腕を組みながら、彼女の様子から目を離さなかった。「だいぶ落ち着いた」もう泣こうとしても、涙が出てこなかった。感情のピークは、とうに過ぎていた。彼女の気持ちがようやく落ち着いたのを確認して、隼人はようやく今夜の件に口を開いた。「今夜のことは、一度きりじゃ済まない」「はい」彼女は反論しなかった。「で、どうするつもりだ
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第76話

隼人はことはが口を開いて助けを求めるのを待っていた。しかし夜の出来事を思い出すたび、彼女の心は揺れていた。涼介が赤い目をして「翔真を殺したい」と言ったとき、本当に怖かった。彼なら本当に隼人を殺しに行きかねないと確信したからだ。マンションに戻ると、ことはは力が抜けたようにソファに倒れ込み、虚ろな目で天井を見つめた。どうすればいい?翔真と離婚してから、帝都を脱出するまで耐えるしかない?その考えが一度芽生えると、じわじわと胸の奥で根を張っていった。今のところ、ほかに方法はなさそうだった。でもまずはこの十数日をどうにか乗り切らなければならない。ちょうどそのとき、インターホンが鳴った。隼人が戻ってきたのかと思った。ここを知っているのは彼と芳川ぐらいだから。ここに来られるのは、おそらく隼人だけだろう。だがドアを開けると、外にゆきが立っているのを見ると、ことはは呆然とした。「ゆき、どうしてここに?!」目の前のゆきは、パジャマ姿にロングコートを羽織り、足元はふわふわのスリッパのまま。その本人も、まだ状況を飲み込めていない顔をしていた。「30分くらい前に、非通知で電話があって、相手は自分を神谷隼人って名乗ったの。それであんたの機嫌が優れないから、迎えを向かわせた。今夜は一緒にいてやってほしいって」ことはは、凍りついたように固まった。ゆきは目を丸くして、感嘆した。「電話に出た時は本当にびっくりしたよ」それを聞いたことはも同じく驚いた。「あ、そうそう。電話が来た時、これは彼の私用番号で、緊急時には直接連絡が取れるようにって」そう言いながら、ゆきは突然ことはの腕を掴んだ。そして部屋の中に目を向けるなり、話題が急転する。「ことは、ここは彼らがあんたのために用意した部屋じゃない?」「……錦ノ台レジデンス全体が彼の名義なのよ」飛びすぎな思考にことはは呆れつつも、そう答えてドアを閉めた。「でもさあ、この部屋のテイストって、あんたの好みじゃない?」ゆきは目を細め、何かを見抜いたように言った。「水、持ってくるね」一旦逃げるように、ことははキッチンへ向かった。「じゃあ、焼き肉でも頼まない?」話題を変えるようにゆきが提案した。ミネラルウォーターを持って戻ったことはが頷く。「いいよ」二人はソファに座り、ア
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第77話

涼介は、ことはが18歳のときに語った夢を叶え、彼女がかつてマンゴーミルクレープを好きだったことも、今なお覚えていた。だが、人の好みは永遠に同じではない。今のことはは、欧風スタイルはもう好まず、代わりに軽やかなフレンチスタイルを愛するようになった。マンゴーミルクレープも、今ではブルーベリーの方が好きになった。涼介は、かつてのことはが憧れていたものを差し出すことで、彼女の心を掴もうとしている。けれど実際には、彼の中の「ことは」は昔のまま止まっていて、それが今も通用すると、当然のように思い込んでいるだけだった。ことははぼそりと、抑えた声で言った。「ただ理解できないのは、どうして彼が私を妹から女に変えようとするのか」たとえ血のつながりがなくても、長年築いてきた兄妹という関係は深く根を下ろしていた。ゆきが即座に言い切る。「彼の頭がどうかしてると思えばいいのよ」確かに……そう解釈するしかないようだ。「それで、どうするつもり?」ゆきは最初の質問に戻る。「まだ決めてない」ことはは、帝都を離れるつもりでいることをまだ話したくなかった。この先、何がどうなるか、まだ見えないのだから。「なぜ神谷隼人に助けを求めないの?」ゆきは言った。「彼の力なら、涼介を抑えて、あんたに手出しできないようにできるはずよ」ことはは手にしていた竹串を置き、表情を沈ませて言った。「今夜、涼介は部下に命じて、神谷隼人の車にどんな手段を使ってもぶつかれって指示したの」その言葉を聞いた瞬間、ゆきの瞳が揺れた。ことはは苦笑いを浮かべながら、かすかに口元を歪めた。「あなたも、彼はもう狂ってるように思えるよね?」「彼は……そんなに狂ってるの?」肩をすくめ、ことはは気楽なふりをして酒を一口飲んだ。「だから本当に、まだどうしたらいいかわからないの」彼女は少し疲れた声で言った。「数日、考える時間が欲しい」ここまで話すと、ゆきはそれ以上は何も聞かなかった。夜食が終わり、ことはがシャワーを浴びている間に、ゆきはバルコニーへ出て、一本の電話をかけた。「柳さん、明日お時間をいただいてお会いできますか?」翌朝、ゆきは早起きして朝食を作り、ことはと一緒に食べた。ことははゆきを送ろうとしたが、ゆきはすでに車を手配済みだと言い、「仕事に遅れるよ、気にしないで」と促
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第78話

「父さん、何か御用か?」ことはは何の説明もせず、単刀直入に尋ねた。「長い間外でわがままを言ってたんだから、そろそろ終わらせて家に帰るべきだろう」状況を知らない人がこの会話を聞いたら、きっと娘が家出をして父親が電話で叱りつけ、早く帰れと言っていると誤解するだろう。ことはは篠原家に非常に一貫した特徴があることに気づいた。厚かましいところだ。こんなことが起こった後でも、典明は平然とした顔で父親として彼女を家に呼びつけ、事実をねじ曲げて彼女が感情的になりすぎたと責めるんだ。彼女は冷静に靴を履きながら言った。「今、母さんと寧々は私に会いたくないでしょう。私が帰ればみんな不愉快になるだけだから、帰らない。せっかく電話をくれたのでついでに伝えましょう。お正月も帰らない」最後の一言が典明の怒りに火をつけた。「ここは君の家だ!正月に帰らないでどこに行くつもりだ!君の母はただ一時的に怒っているだけだ。君を手塩にかけて育てたんだ、嫌いなわけがないだろう?」「寧々に嫉妬しているんだろうが、君は実の子じゃないことを考えてみろ。それでも俺たちはずっと実の子のように扱ってきたじゃないか。俺が自ら迎えに行かなきゃ戻ってこないつもりか?」ことはは一言で彼を形容したい。厚かましい。「今夜中に帰ってこい。さもないと君のアパートは即刻取り上げる」典明は最後通告を突きつけた。ことはは無表情だった。あのアパートの話が出たことで、彼女は逆にひとつのことに気づかされた。すぐにゆきにメッセージを送った。【ゆき、前にあのアパートに興味がある人がいるって言ってたよね。全額現金払いで、今日すぐ契約できるか聞いてもらえる?】昼近くになって、涼介はようやく篠原家に戻った。入るとすぐ、篠原の母はあたりを見回し、ことはの姿がないことに気づくと眉をひそめて責めた。「どうしてあの小娘を連れてこなかったの?」涼介は険しい表情で言った。「母さん、そんなひどい言い方を止めて。ことはには名前がないとでも?」息子が小娘の肩を持つことに、篠原の母はますます機嫌を損ねた。「まだことはと呼んで!あの子は寧々をどんなにいじめたと思ってるの?寧々こそがあなたの実の妹なのよ!」寧々は篠原の母の腕をそっと支え、今ばかりは素直に言った。「ママ、そんな呼び方をしたら、お兄ちゃんが本当に怒っ
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第79話

昼休みの時間、ことははゆきからそっちがアパートを買うとの連絡を受け取ると、すぐに全ての関連書類を持って現地に向かった。購入者の馬場は部屋を見学した後、大変満足した様子だった。そのまま二人は銀行と不動産管理局に向かい、振込と名義変更の手続きをスムーズに済ませた。不動産管理局を出た後、ことはは馬場と別れる際にこう念を押した。「馬場さん、もしできるなら、早めにドアの鍵を交換された方がいいですよ。誰かが勝手に出入りするかもしれませんので」馬場は微笑みながら答えた。「わかりました。帰ったらすぐ業者に頼みます。それでは失礼します」「ありがとうございました」ことはは馬場の車が遠ざかっていくのを見送った。そして自分の車に向かうと、そこにはまたしても涼介が、まるで亡霊のように立っていた。昨夜、隼人に蹴られたはずなのに、彼には大した怪我はなかった。でなければ今日またこれほど堂々と彼女の前に現れるはずがない。ことはは彼をまるで空気のように無視し、車に乗ろうとした。だが涼介は険しい顔をして、彼女の前に立ちふさがった。「金に困ってるなら、どうして僕に言わないんだ?あんなに急いでアパートを売るなんて?!」「私から離れて」彼女がドアを開けようとした瞬間、涼介はそれを乱暴に閉めた。「いくら必要でも、僕が出す。あの部屋を売る必要なんてなかった」ことはは無表情で言った。「所有者は私。売るかどうか決めるのも私」彼女の怒りが収まらないのを見て、涼介は少しトーンを落とした。「君の家だから、どうしようと君の勝手だ。後でまた新しい家を用意する。だが、なぜ急に金が必要なのかくらいは教えて。あとどれだけ足りない?今すぐ振り込むから」ことはは嫌悪感をあらわにした。「私をこっそり監視するのはやめて。警察に通報するなんてこと、させないでよね?」警察という言葉が出た瞬間、涼介の目にわずかな苦しさが浮かんだが、それを押し隠して口を開いた。「今夜、午前1時45分。翔真が帝都に着く」その知らせを聞いて、ことはは一瞬動揺した。次の瞬間、彼女は歯ぎしりしながら彼を睨みつけた。「あなたは恥知らずなの?」涼介はため息をついた。「ことは、僕には他に方法がなかったんだ。神谷隼人に振り回される君を、黙って見ていられるわけがない」言いたくはなかったが、ついに彼は
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第80話

ことはは一瞬ためらい、奥の部屋へ……これはまずいんじゃないか。婉曲に断ろうとした時には、芳川がすでに自分の仕事に戻ってしまっていた。仕方なく、ことはは覚悟を決めて中へ入り、隼人が奥にいないことを願った。中は無人だった。それを見た瞬間、ことはの表情がしばらく固まった。嫌な予感ほどよく当たる。隠し扉を見つけ、その前に立つと、扉が半開きになっていることに気づく。なぜか、彼女はある錯覚に陥った。隼人は彼女が自分を探しに来るのを待っているようだ。直接入らず、慎重に礼をもってノックする。「神谷社長?」返事はない。もう一度少し大きな声で呼んでも、やはり返事はなかった。芳川が中にいると言っていなければ、とっくに引き返していたはず。やむを得ず、ことはは隠し扉を押し開けて中へ足を踏み入れる。中は簡素な造りで、ベッド、ソファ、冷蔵庫といった最低限の設備のみ。視線を一巡させても、隼人の姿は見当たらない。ふと洗面所の明かりが点いているのに気づき、ああ、そこにいたのかと理解する。ことはは一度奥の部屋を出て、外で待つことにした。ちょうどその時、洗面所のドアが開いた。ことはは言葉を失った。タイミングが完璧すぎる。そして次の瞬間、隼人が下半身にバスタオル一枚だけを巻いた姿で現れた。ことはの瞳孔が一気に開き、慌てて背を向ける。「か、神谷社長」鍛え抜かれた腹筋とビギニラインが、彼女の脳裏に焼きついて離れない。なんで入浴中だったんだ!ことはは努めて平静を装った。「お先にどうぞ、私は外で——」「話があるならここでしろ」隼人はすでにバスローブを羽織り、ゆったりとソファに腰掛けていた。「向き直れ。服は着た」唇を真一文字に引き結びながら、ことははぎこちなく向き直る。確かにローブは着ているが、はだけた前からはまだ色々と見えている。彼女は目を閉じた。別に大したことではない、ちょうど泳ぎに行ったばかりだと思えばいい。そう自分に言い聞かせ、どうにか平常心を取り戻すと、話を切り出した。「神谷社長、ネットで見ました。東凌ホールディングスの輸入資材が、神谷家名義の港で検査に引っかかったそうですね」「ああ、俺がやった」あっさり認められて、ことはは一瞬言葉に詰まった。だがすぐに何かに気づき、慌てて言い添えた。「神谷
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