All Chapters of 隣の彼 じれったい近距離両片思いは最愛になる、はず。: Chapter 11 - Chapter 20

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甘い夜②

 すると”たかなしことり”はずるずるとホラー映画の主人公の様に床に爪を立て、膝をうねらせてカーペットの上を這い、肘をベッドに掛けると器用にその上に身体を横たえた。こうなると裸体がどうとか、彼女の腰付きに欲情するといった感覚も半減した。「こえぇよ」 近江隆之介は後頭部をポリポリと掻きながら部屋の電気を消すと、羽毛の掛け布団を引き摺って頭から被り、”たかなしことり”の隣に横になった。自分から手を出す気はなかった。”たかなしことり”が手を出してきたらそれはまた全く別の話だ。グレーのカーテンの隙間から駐車場の街灯の光が白々と差し込む。同じベッドの中で目を瞑る”たかなしことり”の面差しはやはり綺麗だった。(これが泥酔状態でなけりゃ最高なんだがな) キュポンと耳の中を掻き、”たかなしことり”に背中を向けて目を閉じると肩甲骨辺りに吐息にも似た息遣いを感じ、背中の窪み辺りにその胸の柔らかい感触、乳首の硬さ、心臓の鼓動を感じた。(ま、これでも十分。が、明日の朝、どうすっかなぁ) 時計の針の音が、ちっちっちっといつもより耳に大きく、しばらくすると近江隆之介の期待通りに”たかなしことり”の腕が彼のみぞおちに回され、その細い指先がぬいぐるみを触るかのように上下し出した。(こいつ、俺のこと毛布かなんかと勘違いしてんじゃねぇか?) 「おい、たかなし」 「ん」 「それ以上触んな」 「んん」 その制止も”たかなしことり”の耳には届かず、背中から羽交締めにした。「なぁ、たかなし」 「んん」 「お前、実は起きてる、とか、そんな感じじゃねぇの?」 「ん〜そうかなぁ」 「喋ってんだろ」 「ん」 近江隆之介は”たかなしことり”に向き直ると左肘を突いてその横顔を見た。 右手の指先は彼女の短い髪の毛をサラサラと弄っては放してを繰り返す。こうして顔だけ見ていると、綺麗だがやはり男だ。ボーイズラブ系の濡れ場の様で微妙な気分になる。「なぁ、俺さ」 「うん」 「返事してんじゃねぇかよ」 「ん」 寺町の大通りを救急車のサイレンが遠くから近く、そして通り過ぎた。「俺さ、お前の事が・・・好きなんだよ」 「ん?」 「好きなんだ」 「うん?」 「こんなん、酔ってねぇと、言えねぇし」 すると”たかなしことり”はふぅスゥと軽く寝息を立て始めた。慌てた近江隆之介は彼女の頬
last updateLast Updated : 2025-07-03
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甘い夜③

 ”たかなしことり”の腕が近江隆之介の背中で絡まり、近江隆之介の手のひらが”たかなしことり”の肩甲骨の窪みを撫でた。ふとベッドボードの上の時計を見遣る。(・・・・まだ、こんな時間か) 歓送迎会を早々に中座した二人は、金曜夜の序盤にベッドで抱き合っていた。22:40、時計の秒針までクッキリと見える。「うおっ、と」 近江隆之介はコンタクトレンズを外していない事に気が付いた。(ヤッベェ、明日地獄を見るところだったわ) 洗面所でコンタクトレンズを外し、一日の汚れを洗い流す。パチン ついでに歯も磨く。数時間前は、初めて会話出来るといった程度の期待を抱き庁舎内のトイレで歯を磨いていた。今、これはこれで悪くは無いが、肝心の”たかなしことり”は意識不鮮明。近江隆之介的には、一夜の相手を探しに出掛けたつもりでは無い。(この状況じゃ、なぁ) 洗面所の電気を消し、トイレのドアを開けた所で心臓が止まるかと思った。”たかなしことり”が暗がりのベッドの上で上半身を起こしてこちらを見ていた。お互い全裸である。「ここ、何処」 「俺の部屋」 「誰の部屋」 「市役所の近江だよ」 すると彼女はパン!パン!と手を叩き、ニヤニヤと笑う。「近江隆之介」 「お前、何で俺の名前知ってんだよ」 「秘書の長野さんに教えてもらったぁ」 (あ、なるほどね) 意識が戻ったのならこの馬鹿げた状況を正そう。近江隆之介は脱ぎ捨てた黒いボクサーパンツを履き、ベッドの上の”たかなしことり”の頭に黒いビッグTシャツをズボッ!と被せた。「ほれ、着ろ」 ”たかなしことり”はズルズルとベッドから降り、カーペットの上にアヒルのような座り方で寛ぎ始めた。「飲もう!」 「水か、ちょっと待て」 「違う!」 「何だよ、テンション高ぇな」 「私、ビールより、日本酒より、焼酎より」 「あぁ、飲まされてたな」 「ウィスキーが好きなの!」 彼女の指は、飾り戸棚に並ぶウィスキーの瓶を指差した。「まだ飲むのかよ」 「近江隆之介と飲みたかったの」 「ホイホイ」 「どんな声か聞きたかったの」 「こんな声だよ」 「好きなの」 時間が止まった。「ウィスキーが」 「近江隆之介が好きなの」 いやいやいやいや、待て、待て、待て。こんな酔いどれ鳥の言う事なんざ、明日には吹っ飛んでる。それでもこの意
last updateLast Updated : 2025-07-03
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甘い夜④

 二人はベッドに背中を預けて隣同士に座った。触れ合う肩の感触。グラスで乾杯、氷がカランと音を立てウィスキーへと崩れた。「へへぇ」「何、笑ってるんだよ」「なんだかさぁ」「おう」「おじさんたちに囲まれた時、終わったぁって思った」「あぁ、すまんな。ストレス溜まってんだよ」 両手でグラスを持った”たかなしことり”がヘラヘラと笑いながら琥珀色のウィスキーを口に含む。「あんま、飛ばすなよ」(折角、まともになり掛けてんのに、酔いどれ鳥は勘弁)「会いたかったんだぁ・・・・・・」「俺にか?」「うん。だから挨拶した時に居なくてさぁ、がっかりしちゃったよ」「仕事が長引いて、遅刻したんだよ」「・・・・・・・へへぇ、会えてよかった」 高梨小鳥に会いたい、好きだと言われて、それが酔った上での戯言であっても近江隆之介は首筋がこそばゆく、嬉しかった。思わず口元がニヤけてしまう。急に”たかなしことり”は真顔になって、近江隆之介の顔をじっと見た。「なに」「・・・・・・・・」 少しばかり目が座っていたが、黒目がちな目は潤んでまつ毛が影を作りゴクリと喉仏が上下する程に魅惑的だった。ゆっくりと唇が甘く呟く。「近江隆之介が好きなの」 ゆっくりと近付く閉じた瞼。自然に唇が重なり合った。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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甘い夜⑤

 薄暗い部屋に、ウィスキーの琥珀色の香りが漂い、まるで二人の熱を閉じ込めるように空気を満たしていた。近江隆之介とたかなしことりは、互いを強く抱き合い、唇を重ねた。何度も、何度も、まるで時間が溶けるように。 舌が絡み合い、ウィスキーの甘くほろ苦い余韻が口腔に広がり、吐息となって鼻腔からこぼれ落ちる。「ん、ん・・・」ことりの小さな呻きが、夜の静寂に溶けた。隆之介は彼女の黒いビッグTシャツを、荒々しくもどこか愛おしげに脱がせ、ベッドへと身を傾けた。二人の息は荒く、ウィスキーの酩酊が彼らをさらに大胆にしていた。「たかなし、覚えとけ」 隆之介の声は低く、熱を帯びていた。「俺、お前のことが好きなんだ」 「ん・・・ん・・」 ことりの返事は、言葉にならない吐息のようなものだった。彼女の華奢な足の指先が、隆之介の爪先をそっと這うように動き、まるで遊び心を隠すように指の間を滑り込む。絡み合い、解け、また絡まる。「ちょ、お前、エロいな」 隆之介の声に、からかうような笑みが混じる。「へへへ」 ことりは悪戯っぽく笑い、目を細めた。「へへへじゃねえよ」 隆之介は苦笑しながら、彼女の両頬を両手でぎゅっと包み込む。閉じかけの彼女の瞳を見つめ、まるで心の底から言葉を絞り出すように囁いた。「お前が好きなんだよ。忘れるな」 「うん・・・」 「もう二度と言わねえ。好きなんだ」 「うん・・・」 「覚えておけよ」   二人の指先は、互いの身体を愛おしく撫で、肌の温もりを確かめ合った。ことりの指が隆之介の髪に絡まり、彼の首筋に触れるたび、彼女の吐息はさらに熱を帯びた。「好きなんだよ。一目惚れだったんだ」 「うん・・・」 「絶対、覚えておけ」 「うん・・・」 ことりの手が隆之介の頭に回り、柔らかな髪を掻き上げる。その瞬間、隆之介は彼女の独特の匂いウィスキーと彼女自身の甘い香りが混ざり合ったものに溺れた。無我夢中で、彼女の存在を全身で感じ取ろうとした。だが、その熱の只中で、ことりの意識は次第に朦朧とし始めた。彼女の瞼が重くなり、軽い寝息が漏れ出す。「んー・・・」 「マジかよ、たかなし」隆之介は目を丸くし、信じられないといった様子で彼女を見つめた。「んぅー・・・・・・・」 「おい、寝るなよ!」  彼はことりの頬をそっと摩り、肩を軽く揺さぶったが、彼女の反応
last updateLast Updated : 2025-07-03
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4月8日 土曜日 慌てる小鳥

 気怠い、頭が朦朧としている、これは頭痛、二日酔い。昨日は議会事務局の歓送迎会。『まぁまぁ、小鳥ちゃん飲みなさい飲みなさい』 次々とお酌が回って来て飲み過ぎた。そして、誰かに腕を掴まれ、て。このマンションまでどうやって帰って来たのか記憶が定かではない。けれどエレベーターのボタンは3階を押し、そして扉が閉まった。それは間違いない。「携帯、携帯」 いつもの場所に携帯電話が、無い。フレームレスの眼鏡を手探りで求めるがその感触が、無い。その代わりに柔らかくて生暖かい膨らみ。そしてパジャマを着ていない。下着も着けていない。素裸という事ね。そうね。そう。あぁ、そうか。そういう事ね、で、誰か、ここに。(はい〜、いますね〜) 誰、誰なんだ。議会事務局の男性職員。まさか、対立政党の市議会議員とか、いやいやいやいや。(それ、最悪じゃない?市議会議員と寝たとか) もっこりと膨らんだ羽毛布団をめくる勇気も無く、そろりとベッドから降りるとフローリングの冷たさが脚を伝ってスッキリと目が覚めた。ぼんやりと見えるリビングテーブルの上に眼鏡を発見、どれどれ。 何たる惨状。点々と脱ぎ散らかされた白いカッターシャツ、黒に濃灰極細ストライプのタイトスカート、そして水色の下着。この際ストッキングは無しの方向で。物音を立てぬ様に中腰になり、ブラジャーを着けてパンティを履きながら周囲を見回す。 家具はインダストリアル、無機質なソファにダイニングテーブル、吊り下げたペンダントライトには観葉植物が青々と茂っている。何処かで見た間取り。(え〜と、うちと似てない?) 自分の部屋とは真逆の間取りで雰囲気も全くの別物だが、如何にも同じマンション。ショルダーバッグを拾い上げ、足音を立てない様に爪先立ちでリビングから玄関へと移動する。(お、お邪魔しました〜) 黒いパンプスを手に持って、ゆっくりゆっくりと鍵を回す。ドアの向こうからスッと4月の風が部屋へと抜ける。桜の息づく匂い。(ご、ごめんなさい。鍵は開けたままで、すみません) そっとグレーのドアを閉めた。そしてここはその部屋から一歩出た外廊下。花冷えに脚が冷たい。遠くに金沢城が見える。その手前には金沢市役所の屋上がチラリと見える。「あぁ、金沢21世紀美術館が、ある」 まさに此処はうちのマンション。振り返れば301号室、表札に名前は無い。ドア
last updateLast Updated : 2025-07-03
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慌てる小鳥②

 はっと思いつき、失礼とは思ったがショルダーバッグの中を確認する。財布の中のお札、小銭、抜かれた形跡はない。キャッシュカードクレジットカード健康保険証マイナンバーカード歯医者の診察券、これは大した事はない。(あ、ない) 小鳥の買い換えたばかりの白い携帯電話が見当たらない。ショルダーバッグのサイドポケット、廊下、玄関先を見回してみたが、無い。「わ、忘れて来たんだ」 いや、正確には落として来た。(ど、如何しよう)あ、こんにちはぁ。昨夜はどうもお世話をお掛けしまして、携帯電話落ちていませんでしたか。ところで、私たちどこら辺まで致したんでしょう。「聞けるか〜い」 月曜日、議会事務局に白い携帯電話が届いている事を祈るばかり。歓送迎会の一晩については追々、考えるとして。それにしても同じ職場、もしくは市議会議員とのワンナイトラブなんてなんという痴態!もし、相手が妻帯者であったとしたら泥沼化は必至、由々しき問題だ。「でも、顔合わせるとか気不味すぎるでしょ!?」 出来れば無かった事にしたい。出勤時にバッタリ鉢合わせするなんて最悪過ぎる。いやいやいやいや無理無理。絶対会うでしょ。会う、会う。  小鳥はクッションを抱えて悶えた。そんな明後日は月曜日。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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4月8日 土曜日 絶望的な近江隆之介

 目が覚めるとそこに”たかなしことり”の姿はなかった。 寝不足気味、思考回路が働かない。大きく伸びをする。シーツの波間にスルスルと左手を伸ばしてみる。生暖かい温もり。けれど羽毛の掛け布団を捲ってみるがそこはも抜けの空だった。(起きたのか。そりゃそうだわなぁ) ふと横を見遣る。リビングテーブルの上に置いた筈の《あいつ》のフレームレスの眼鏡が無くなっている。埃がキラキラと宙を舞う。(おお、何もねぇ) 昨夜、脱がせた水色のブラジャー。それと揃いのパンティ、ブラウス、タイトスカート、ストッキング、ショルダーバッグも無い。(・・・・・・・)  黒のボクサーパンツを履き、ソファに無造作に置いてあったグレーのスエットのパンツとフードパーカーを着て玄関先の黒いクロックスを履き鍵を開けようとする。感触が軽い、施錠されていなかった。「ま、開いてるわなぁ」 302号室の高梨小鳥の部屋を確認した近江隆之介は301号室の鍵を掛けた。(”たかなし”昨夜の事、覚えてっかなぁ) ため息を吐いて黒いクロックスをポンポンと無造作に脱ぎ捨てるとリビング向かう。リビングテーブルの上で水浸しになった二個のグラス。緩んだキャップのウィスキーの瓶が寂しげに、すっかり日の高くなった太陽の光に艶めいている。 冷たい、何かが爪先に触れた。足元に見慣れない白い携帯電話が落ちている。あぁ、《あいつ》の忘れ物だ。 「マジかぁ」  どうしたものかと考えあぐねても答えは出ない。そのままボフッ!と羽毛布団のベッドに飛び込むと、微かに高梨小鳥の首筋の匂い。スーハーと大きく深呼吸をしてその匂いを嗅ぐ。(どうするよ、おい) 朝、起きたら全裸。隣には明らかに、見知らぬ男の気配。(今頃、思考回路爆発、パニック状態なんじゃね?) お互い「好きだ。」と告白しあったにも関わらず、覚えていないんじゃ如何しようも無い。自分も今更、何て言葉を掛けて良いのかさっぱり分からない。いやぁ。 お前の事好きなんだけど、 昨夜セックスしました。 でも挿れてないんですよ、大丈夫。「そんな事、言えるかよ、おい」 (もう、俺、絶望的じゃね?)《あいつ》の白い携帯電話。あ、これ落ちてましたよ。 奇遇ですね、同じ職場の人だとは思わなかったなぁ。 でも昨夜セックスしました。 挿入してませんから。 付き合ってくださ
last updateLast Updated : 2025-07-03
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絶望的な近江隆之介②

8:45  開庁前のチャイムが鳴る。 近江隆之介は議会事務局のカウンターの中に居た。これも議員秘書の特権だ。「会派職員の名簿見せてくれる?」 「あ、はい。何かありましたか?」 「ちょっと確認したい事があってね」 事務職員がスチール棚の中から令和5年度と書かれたA4版の分厚いバインダーを取り出した。けれど採用された事務職員の数は少なく、《あいつ》のペラペラした書類はあっという間に見つかった。高梨小鳥25歳 1998年6月1日生まれ 住所は寺町、自分と同じ番地、プラザ寺町、302号室、本籍はかほく郡津幡町。(よし、間違いない) 「ありがとう、助かったよ」 そんな近江隆之介の後ろ姿を見掛けたヅラ疑惑の議会事務局長が、おはようと声を掛けて来た。「近江くん、この前は助かったよ」 「はい?」 「高梨くんタクシーに乗せてくれたんでしょ」 「あ、はい」 「ありがとう、ありがとう助かったよ」 そう言いながらヅラ疑惑は自分のデスクに座った。「いえ、如何致しまして。失礼致します」 冷静な表情を保ちつつも近江隆之介は心の中でガッツポーズをした。そしてその彼の足は人目に付かない奥まった廊下へ急いだ。黒いジャケットの胸ポケットから取り出したのは白い携帯電話。宜しくないと頭では分かりつつもその画面をタップしてスライドさせ暗証番号の○を眺める。(見たい) 何を見たいのかは自分でも謎だがとにかく《あいつ》の事が知りたかった。この携帯電話は「拾いました。」と警備室に届け出るか、議会事務局に預けても良い。もしくは紙袋に菓子の一袋も入れて、302号室の玄関ドアノブに掛ければ良い。ただ、その前に覗き見してみたかった。(見たい) ストーカー紛いである。(携帯なんか見てどうするんだ。意味ねぇだろ) それでも指が携帯電話の画面へと近付く。(いや、今時、誕生日がパスワードなんて) 0 6 0 1  何という事だろう、簡単にパスワードが解除され画面がパッと明るくなってしまった。馬鹿な事をした。そしてそれを見てしまった自分を悔いた。「藤野健」 壁紙として表示されたのは高梨小鳥の所属する会派、自主党の藤野市議会議員の笑顔の画像だった。(何だよ、《あいつ》こんな奴が好みなのかよ) 隆之介とは真逆のタイプである。(まじか。俺の事、好きだって言っただろ?なん
last updateLast Updated : 2025-07-03
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4月10日 月曜日 職員食堂での遭遇

(携帯電話、隣人、携帯電話、ううーん) 小鳥はいくら考えても答えの出ない全ての出来事を抹殺し、会派のインスタグラムとFacebookを更新していた。すると狸、いや田辺先生が一本のUSBメモリースティックを持ってニコニコと微笑んだ。「小鳥くん、これアップしておいてくれない?」「はい、これは」「あ、今朝の街頭挨拶の様子。場所は兼六元町交差点で、僕の一番かっこいい画像を選んでね。あと、のぼり旗もフレームインね」「はい!」 第三の仕事を意気揚々と、パソコンのUSBポートにスティックを差し込んだ所で狸が踵を返し、振り向いた。「あ、小鳥くん」「は。」「お昼は下の食堂で食べても良いからね」「はい!」 下の食堂とは金沢市役所の食堂で地下一階にある職員食堂の事だ。ここは職員だけでなく一般市民も利用出来、低価格で美味しいと評判だ。小鳥は本館のエレベーターのボタンを押したエレベーターは6階で停止した。ワイワイと国主党の事務員や議員秘書が押し寄せて来た。(ちょ、狭っ) 小鳥がぎゅうぎゅうと後ろに押し潰されていると、前方からチラチラと背後を見遣る視線とボソボソと潜んだ声が耳に届いた。「あれが自主党の、見てみろよ」「へぇ。狸んところの、イケメンか」「確かに綺麗な顔だな」「でもなぁ、男みたいだし俺はゴメンだな」「俺より脚が長いのは勘弁」 丸聞こえである。しかし、やはり田辺議員は狸。その見立は合っていたのだと小鳥は納得した。ただひとつ気になるのは、イケメン発言。 小鳥には苦々しい思い出がある。高等学校の卒業式に初めてキスを交わし、クリスマスイブに生まれて初めての夜を共にした恋人に20歳の誕生日を目前にして別れ話を切り出された。「俺、お前と顔を比べられているみたいで辛いんだ」 恋人に振られる理由が”顔の優劣”とは、理不尽極まりない。(就職して尚、同じ評価とは、残念すぎる) あぁ、これでまた恋人が居ない歴を更新するのか。(いや、ちょっと待って。5年ぶりに致したアレは一夜の恋に値するのでは!?) 小鳥は気付いた。(このエレベーターの中にもその《彼》が居るのかもしれない!) 金曜日の甘い時間を過ごした相手がこの金沢市役所庁舎内に居る。GPS検索では、確かにこの広坂一丁目に小鳥の携帯電話は存在していた。(やはり携帯電話、《彼》は探さねば)
last updateLast Updated : 2025-07-03
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職員食堂での遭遇②

金沢市役所新館6階 国主党(与党)の38名の議員控室がずらりと廊下の両脇に並んでいる。議員の中にはスパスパと煙草を吸う喫煙者も居る為、このフロアは何処となく煙たい。その中に、近江隆之介の実姉、久我今日子議員の控室がある。 豪奢なマホガニーの机の上で、住民から寄せられた陳情書の山に埋もれた久我今日子が(もう飽きた)と言わんばかりに、座り心地の良い立派な椅子からガタッ!と立ち上がった。椅子がくるくると回り、数枚のA4版の書類がひらひらとフローリングの床に舞い落ちる。「ねぇ、近江くん」 「何ですか、先生」 近江隆之介が床の書類を拾い上げ、端をトントンと揃えて机の上に戻した。「お昼ご飯、食べに行きたいなぁ」 「何処にですか?」 「小立野の狸でブラック炒飯とかぁ」 「遠いから駄目です。」 近江隆之介は久我議員の要求を跳ね除けた。「何よ、ご機嫌斜めじゃない」 「いいえ」 「眉間に皺、寄ってるわよ」 「いいえ」 流石、血の繋がった姉。勘が鋭い。 それもその筈、相思相愛かと思った思い人の携帯電話を盗み見たが為に、彼女が本当に好きな相手が自らが所属する自主党(野党)の藤野議員だったと知って愕然、気分は最低最悪だからだ。  あの清廉潔白そうなポスターの鼻に、鼻毛を3本づつ極太の油性ペンで書いてやりたい衝動に駆られる。「地下の職員食堂に行きましょう」 「え、やだ」 「やだじゃありません」 近江隆之介は無言でブラインドをザッと閉め、議員控室の電気のスイッチをパチパチと消してしまった。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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