All Chapters of 隣の彼 じれったい近距離両片思いは最愛になる、はず。: Chapter 41 - Chapter 50

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定例議会お疲れ様の会②

 近江隆之介は間口の狭い古民家風居酒屋の引き戸を開けた。「ヘィ、らっしゃ〜ぁい!」 ジャラジャラした暖簾を潜ると、威勢の良い掛け声。そうだ、この店だ。遅刻して汗だくでこの黒い木の階段を上った。靴下の裏が気持ち悪かった。 今夜の宴席に遅れてはならない。近江隆之介は久我議員の制止を振り切って走った。(クッソ!) 何故なら昼休憩の職員食堂で男性職員たちが高梨小鳥について囁き合っているのを聞いてしまったからだ。「高梨って可愛いよな」「俺、狙っちゃおうかな」「マジで?」「隣の席に座れねぇかなぁ」「飲ませちゃう?」「お持ち帰りってか、それ犯罪だろ」「そんな事するかよ」「直球で告っちゃおうかな」「マジで?」 議会事務局のジジィの次は、秘書かよ。何でこう、あいつの周りにはウジャウジャ訳の分からない奴が集まるんだよ!(今更、他の男に掻っ攫われてたまるかよ!) ところが、だ。「あ、近江くん、こっちこっち。この箱から一枚引いて」(席順がくじ引きとか、小学校の学級委員会か!) 事もあろうか高梨小鳥の席は1番、近江隆之介の席は19番と対角線上、長テーブルの端と端だった。 恨めしい、いや、羨ましいのは狐の秘書、大宮。ついつい視線が高梨小鳥に着いて回り、どうやら小鳥がその視線に気が付いてしまったようだ。気不味くてつい後ろを向いてしまったが、いよいよ挙動不審だ。でも、気になる。「ほら、近江くんも飲んで、飲んで」「は、はい」「近江くんが参加するなんて珍しいなぁ、飲も、飲も♡」「お、おう」 普段から宴席に参加しない近江隆之介の周りには議会事務局長をはじめ、彼狙いの女性秘書がビール瓶や日本酒の徳利を手に、人垣が出来始めた。(・・・・み、見えねぇ) これでは高梨小鳥の現在の状況が把握出来ない。「まぁ、飲んで、飲んで」「頂きます」「ぐいっと。良いねぇ、近江くんイケる口だね」「はぁ」 上戸の議会事務局長が次々と近江隆之介の持つお猪口に熱燗の日本酒を注ぐ。周囲に勧められるままにグイグイと酒を飲んでいた近江隆之介の二の腕に、如何にもボディラインに自慢があります的な秘書が形の良い胸を押し付けて来る。そんな事はどうでも良かった。高梨小鳥の動向が知りたい。(あ、あいつ等) そう、昼休憩の職員食堂で下世話な会話に花を咲かせ
last updateLast Updated : 2025-07-03
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定例議会お疲れ様の会③

 近江隆之介はおしぼりで顔を拭くと目の前にあった水をぐいっと飲み干した。カランと氷が音を立て、グラスを少しばかり力を入れてテーブルの上に置いた。「すんません、ちょっとお手洗い」 手洗いのボウルに弾く冷たい水、それを両手ですくいバシャバシャと顔を洗う。ハンドペーパーが切れていた。頬の水気を手のひらで払い、残りの湿り気はジャケットの袖で拭った。(今、今しかねぇ) 頬をパンパンと叩いた近江隆之介は、胡座をかき大笑いしている男性事務職員や、おでんの蟹面の上で携帯電話を縦や横に構えている女性秘書の背後をやや覚束ない足取りで歩き、長テーブルの一番端、高梨小鳥が座る1番の席を目指した。高梨小鳥の両橋には邪な面持ちの四人組が陣取り、予想通りに次はお猪口を持たせて徳利で日本酒を注いでいた。「おい」 四人組の一人が降り仰ぐと逆光の中に、やや目の座った近江隆之介が険しい顔で見下ろしていた。席の中央にはほろ酔い気分の高梨小鳥がお猪口に口を付けている。「何だよ、近江じゃねぇか。何、何こえぇ顔してんだよ」「替われよ」「は?」「場所、替われよ」「はぁ?まぁまぁ、お前も高梨と飲みたいんだろ?」「退けよ」「後から来て何言ってんだよ。俺の隣に座れよ」 座布団に膝を下ろした近江隆之介がその男性職員の手首を持つとグイッと捻り上げた。完全に目が座っている。「いててて、痛ぇよ」「替われよ」「分かったよ、だから放せよ」「早く、替われ」「お前、何なんだよ」「こいつは俺んのだよ、手ェ出すな」 その様子を見ていた小鳥の酔いは一気に覚めてしまった。(お。俺のだ!?) 小鳥の頭の中で繰り返される『俺のだ』発言。「マジか、先に言えよ」「替れって」「はいはいはいはい、替わる替わる」 四人組は酔っ払いに絡まれちゃたまったものではないと席を立ち、次に可愛いと評判の新人事務職員の隣に座りワイワイとグラスにビールを注ぎ始めた。 周囲は日頃の鬱憤を晴らすかの様に声量も大きく皆それぞれが話に花を咲かせていたが、小鳥と近江隆之介が座る長テーブル一番端の席はペンダントライトの温かな光も届かず、静かだった。(お、俺のだとは如何な。ええと。俺、のだ) ふわりと広がったスカートの中で座る小鳥、その隣には壁に寄りかかって胡座を掻く近江隆之介の左手。その中指が小鳥の
last updateLast Updated : 2025-07-03
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定例議会お疲れ様の会④

 だんだんと汗ばむ手のひら、互いの脈が触れ熱い。小鳥は長テーブルの下の恋人繋ぎを一本、二本、ほどいて帰り支度をしていると、議会事務局長が声を掛けて来た。「高梨くん、近江くん階下まで僕らで連れて行くから、悪いんだけどタクシーで送ってくれない?」「た、タクシーです、か?」「春の時は高梨くんが酔い潰れちゃってねぇ。近江くんが送ってくれたんだよ」「は、はぁ」「同じ方向だから」「て、寺町ですか?」「そうだよ、知らなかった?」「は、はい」 小鳥が狐に摘まれた様な顔をしていると、男性職員が近江隆之介の肩に手を回して階下まで降りて行った。近江隆之介は靴べらを持つ頃には幾分か酔いが覚めたのか口調は明るくなり、足取りも確かになった。「近江くん、大丈夫かね」「はい!」「いやに元気だねぇ、起きてる?」「はい!」「じゃぁ、高梨くん、頼んだよ」「は、はい」「これタクシーチケット、北陸交通使ってね」「分かりました」 近江隆之介はご機嫌でポケットに手を突っ込み、軽やかに飛び跳ねながら片町のアーケードを進んでゆく。街灯を一本越える毎に通行人にその肩がぶつかりそうになり、小鳥は平謝りをして後に着いて歩いた。「近江さん、大丈夫ですか?」「ん?大丈夫」「それなら良いですけど」「手、繋いじゃう?」「え、いえいえいえ、それは結構です」 片町スクランブル交差点を渡り金劇パシオンビルのタクシー乗り場に着いた小鳥は北陸交通の行灯を探して助手席の窓をノックした。 何故だろう、そのドライバーは後部座席のドアを開ける前から不機嫌そうな顔をした。近江隆之介を座席の奥に押し込み小鳥が乗り込むと、行き先を告げる前にドライバーがため息を吐いた。「やっぱりお客さん達ですかぁ」「はい?」「前にも乗りましたよねぇ」(え?知り合い?) タクシー乗務員証には『北 重忠』とあった。やや年配のドライバーだが近江隆之介の知人なのだろうか。乗車料金メーターのボタンを押すとまたため息を吐く。「寺町までってワンメーターですよ。稼ぎにもならないですわ」「あ、はぁ。ごめんなさい」 ハンドルを握り直すとウィンカーを右に出す。カチカチカチカチ「いや、イケメン二人でくっついているもんだから、ボーイズ何ちゃらかと思って見てたんですよ」「はぁ」「お客さん女の人で驚きました
last updateLast Updated : 2025-07-03
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天然記念物確保しました

 タクシーのテールランプが右折して寺町大通りに消えた。 やや半分、小鳥の肩に寄り掛かった近江隆之介は起きているのか居ないのか定かでは無かった。エントランスのガラス扉を開け、引き摺る様にエレベーターホールへと向かう。(あ、郵便、何か来てる) 302号室の郵便受けに段ボールの封筒が突っ込まれている。多分、メルカリで落札したハンドメイドの小鳥のモビールだろう。(あれは、後でいいや)「近江さん、近江さん起きて下さい」「ん、あ?」「着きましたよ」「あ、着いた?何処に?」「マンションですよ、マンション、何階ですか?」「さん」「はい、分かりました。三階ですね。間違い無いですか?」「・・・ん」「ちょ、起きて下さいよぉ、もう」 小鳥はあぁ、同じ階に住んでいたのか、と思いつつエレベーターのボタンを押した。五、四、三、と降りてくる黄色い丸いランプ。(あぁ、だからか!) 成る程、だからデモ行進のソイラテ頭からびしょ濡れ事件の折、近江隆之介が迷い無くこのマンションまで辿り着けた訳だ。ようやく合点がいった。 同じマンション。しかも同じ三階に住んでいたなんて嬉しい偶然!部屋数は10部屋、この何処かに近江隆之介の部屋が有る。(最高じゃん。何号室なんだろう) これを機に、もしかしたらもしかして急接近出来るかもしれないと小鳥が妄想している間にエレベーターの扉が開いた。開閉ボタンを長押ししてズルズルと四角い箱の中に近江隆之介を引き摺り込んだ。三階のボタンを押す、上昇するエレベーター。チーン ガーっと扉が開く。開閉ボタンを長押ししてズルズルと外廊下まで運び出す。180cm越えの荷物を抱え、汗だくの大仕事だ。「近江さん、近江さん、起きて下さい」 時刻は22:00を回っている筈だ。大きな声で尋ねるのも憚られ、肩に寄り掛かる近江隆之介の耳元で部屋番号を尋ねるが反応は無い。揺さぶってみるが何やら小声で言うだけで聞き取れない。もしかしたら違う部屋の番号を告げられて、ピンポンダッシュする羽目になる事だけは避けたい。(ん〜ん) 肩に掛けた焦茶のショルダーバッグの外ポケットから鍵を取り出した小鳥は苦渋の決断を下し、近江隆之介をお持ち帰りする事にした。(気がついた時点でお帰り頂こう)ガチャリ 小鳥は右足で扉を支え、その隙間から近江隆之介を部屋に引っ張り上げ
last updateLast Updated : 2025-07-03
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天然記念物確保しました②

カチャン 音を立てぬようにそっとドアノブを下ろし中を窺う。(居る) 近江隆之介は巣に帰る事なく、302号室のリビングで大の字になったまま寝息を立てている。静かにパンプスを脱ぎ、リビングテーブルの上にメルカリの荷物とカタログのビニール袋を置いた。 それにしても居酒屋の油臭さと汗が混ざり合って気持ちが悪い。バスタオルと水色のパンティ、水色ストライプの半袖パジャマを手にシャワールームに向かった。中から鍵を掛ける。カチャリ 洗面所にそれらを置き、鏡を見て大きなため息が一つ。(まさか、近江隆之介が301号室の彼だったなんて) いつもより熱いお湯が激しい雨の様に打ち付け、排水溝へと流れて消える。クレンジングバウムで仮の顔を落とし、モシャモシャとシャンプーを泡立てツルツルのトリートメントで整髪料で疲れた髪の毛を癒す。モコモコのボディソープでこれまでの四ヶ月間を洗い落とそうと試みた。(いや、あの夜、寝泊まりした彼が近江さんとは違う別人とか) バスタオルで有り得ない回答を拭き取り、新しい疑問をバサバサと身に付ける。何故、近江隆之介はあの夜の事を、ここまでひた隠しにしたのだろう。いつでも告白して弁明する機会は有った筈なのに、何か理由が有ったのだろうか。コンタクトレンズを外し、歯を磨くがどうにもスッキリとしない。カチャリ 鍵を開けてリビングを覗き見ると近江隆之介は体勢を変えて海老の様に背中を丸めて寝ていた。(寒いのかな) 小鳥はクローゼットから水色のタオルケットを取り出し、フローリングの床の上のその背中にふわりと掛けた。「すみません、今夜はそこで寝て下さい」 小鳥はぺこりと頭を下げ、もそもそとベージュ色の掛け布団の中に潜り込んでリモコンでシーリングライトの電源をOFFにした。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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天然記念物確保しました③

 カーテンの柔らかな陽の光。近江隆之介の部屋のカーテンはどちらかといえば遮光タイプ。ついうっかりのカーテンの閉め忘れ、またはほんの僅かな隙間があれば、思わず目を細めたくなる鋭い光が差し込む。今朝は、温かさに包み込まれる優しい日差し。「・・ん」 身体中が痛い、ギシギシと節々が軋む。腹の上には見覚えのない水色のタオルケット、スーツを着たまま、ネクタイが首を締め付けて苦しい。近江隆之介は朦朧とした意識の中、肘を突いて半身起き上がると周囲を見回した。木製の家具、生成色のリネン生地で揃えられたファブリック。木枠の鏡にはパイン木材のベッドが写り、そこにはこんもりとした膨らみ。「・・・!?」 一気に目が覚めた。(こ、ここは、何処だ) 昨夜の宴席での記憶を手繰り寄せる。着座は19番、高梨小鳥の席は遥か彼方、上戸の議会事務局長のお酌を受けて、議員秘書の女性に囲まれ、手洗いで顔を叩き、それから。それからどうした。そして此処は。考えたくはないが、背後を振り向く。見覚えのある間取り。トイレは多分此処だ。ドアを開ける。ある。生理現象、便器を見た途端に尿意を催す、お借りします。ざーーーーー 手を拭きながら出て来た所で心臓が飛び上がった。「う、うおっ」 ノーフレームの眼鏡を掛けた高梨小鳥が、ベッドのマットレスの上に腰掛けていた。え、えっと。俺、詰んだ?「近江さん」「は、はい」 思わず敬語になる。「シャワーを浴びて着替えたらもう一度来て下さい」「は、はい」「お待ちしています」 近江隆之介はスーツの内ポケットを弄ると革のストラップが付いたディンプルキーを取り出し革靴を履いてドアノブに手を掛けた。「近江さん。じゃ、また後で」「は、はい」 外廊下をジャリジャリと歩く革靴、カチャカチャと鍵を回す音、カチャンと鍵が開き、ドアノブがギィと音を立て、バタンと扉が閉まった。カチャン 鍵の閉まる音。これはもう確定、真っ黒の黒。「えぇぇ、本当に?近江隆之介なのぉ。マジかぁ」 301号室、隣の彼は近江隆之介。小鳥は彼を迎えるべく、顔を洗い、歯を磨き、コンタクトを入れ、髪を梳かし、黒いTシャツと紺色の短パンを履き、紅茶を淹れる準備を始めた。
last updateLast Updated : 2025-07-03
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天然記念物確保しました④

 生成色のカーテンが風に揺らめく。ベランダの窓から犀川を見下ろし、少しばかり先に兼六園のこんもりした緑のブロッコリーが見える。斜面を駆け上る風が心地良い。窓辺には木製の鳥がゆらゆらと回っていた。 濡れたパーマヘア、黒いパーカーに黒いハーフパンツを履いた近江隆之介は、302号室のリビングでお行儀良く正座していた。(いやぁ、見晴らしいいっすね、て、まんま自分んとこから見る景色じゃん) パイン素材の丸いリビングテーブルの上には、『金沢市寺町 プラザ寺町 301号室 近江隆之介 様』宛のシールが貼られたカタログ雑誌、小鳥はそれをベージュのカーペットの上に置くと、白いマグカップを二個置き、白いティーポットからアールグレイの紅茶をトポトポと注いだ。「お腹、減ってませんか?」「あ」 小鳥はスックと立つとキッチンに向かい、冷凍庫からクロワッサンを取り出しトースターに放り込んだ。棚から小さなフライパンを取り出すと、ガスコンロに火をつけオリーブオイルを引いた。パチパチと弾ける音、そして卵を二つ割り入れる。思わず近江隆之介の腹の虫がグゥと鳴った。しかし、高梨小鳥の表情は 無の境地 、始終無言だ。 白い皿に黄色いぷりぷりした目玉焼きとクロワッサンが並んでいる。何ならプチトマトと茹でブロッコリー、見た目にも美味そうだ。「どうぞ」「あ」「あ、ごめんなさい。フォーク、箸、どちらが良いですか?」「じゃ、箸で」「はい」コトン 朱色に白い小鳥が描かれた箸が目の前に置かれた。「い、いただきます」「はい、どうぞ」 近江隆之介は皿の目玉焼きと小鳥の顔を交互に見上げながら小腹を満たす。リビングテーブルの真向かいに座る当の小鳥は、何事も無かったかの様に紅茶をふぅふぅと冷ましながらマグカップに口を付けている。「あ、あの」「まずは食べて下さい。正座も崩して下さっても結構です」「あ、いえ。このままで」 まさか、好きな女の手料理をこんな気不味い思いで口にするとは夢にも思わなかった。しかも緊張で何を食べているか分からない。砂を噛んでいる様だ。「ごちそうさまでした」「お粗末さまでした」 近江隆之介は少し温くなった紅茶を飲み干した。小鳥はキッチンのシンクで皿を洗うと、紅茶を淹れ直した。アールグレイの爽やかな香りが漂う。「おかわり、どうですか」「あ」 小鳥は
last updateLast Updated : 2025-07-03
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天然記念物確保しました⑤

チリーーーーーーーン 如何にも初夏らしい風鈴の音色。遠くからミンミンゼミの鳴き声が聞こえて来る。ただ、この302号室だけは水を打ったように静かだった。「あ、の」「はい」「俺、昨夜も何かした?」「はい」 ノォぉぉぉぉと上擦った声を発した近江隆之介は、緩いパーマヘアを抱えながらベージュのカーペットに突っ伏した。「高梨さん、俺、今度は何をしたんでしょうか」「いえ、特に」「何かしたんです、よね」「恋人繋ぎ、です」 むっくりと起き上がった近江隆之介は両の手のひらをグーパーグーパーして見せた。小鳥は真剣な顔でコクリと頷いて見せた。「な、なぁんだ。そんな、そんな事」 安堵のため息を吐いたのも束の間。「俺たち、付き合わないか、と言われました」(俺、詰んだ)「ち、違うんだ」(酔いに任せて告白とか)「違うんですか」「や、違わないけど」(最悪じゃねぇか)「どっちなんですか」「・・・お、覚えていません」チリーーーーーーーン「分かりました。では、この話題は無視しましょう」「や、無視はちょっと」「ちょっと、何ですか」「困るなぁって」 今、小鳥の前に居るのは天然記念物ではなく、石で出来た地蔵、微動だにしない地蔵、そして何処を見ているか分からない表情をしている。キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン 十一屋小学校のチャイムが響く、授業参観日だろうか。「では、話題を変えます」「お、おう」「それで、何故、今まで隠していたんですか」「隠して、とは」「301号室に住んでいる事です」「ば、ばっか、そんな事言えるかよ!」「なぜ」「・・・お、覚えていません」チリーーーーーーーン「覚えていませんって、犯人がよく言いますよね」「す、すんません」「分かりました」 どうやら小鳥の事情聴取は終わりを迎えたらしく、視線を逸らす近江隆之介の目の前に一枚の便箋を取り出し、ボールペンで何やら書き出すとそれを読み上げた。「な、何だよ、それ」「協定を結びましょう」「ど、どう言う事だよ」「これからは良き隣人として宜しくお願いします」「お、おう」「セックスした事は誰にも話さない事」「当たり前だろ」「必要以上にプライベートに踏み込まない事」「え、それ・・・は」チリーーーーーーーン「それは?」「それは、ちょ
last updateLast Updated : 2025-07-03
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二人でお仕事行ってきます

 ベランダの窓を閉め、施錠、生成色のカーテンをシャッと引いた。「電気、OK、ガスの元栓、OK」 小鳥は携帯電話、財布、メガネケースを焦茶の革のショルダーバッグに詰め込むと鏡で襟元とスカートの裾を整え、焦茶のパンプスを履いた。木製の小鳥モチーフのキーホルダーが揺れる、鍵を開ける、ドアノブを下げ、外廊下で鍵をカチャンと締めた。「う、うわっ!」 振り向くとそこには濃いグレーのスーツに紺色のネクタイを締めた近江隆之介が自転車とヘルメットを担いで立っていた。「よ、おはようさん」 天然記念物の爽やかな笑顔。何かが吹っ切れた様だ。「オ、オハヨウゴザイマス」「一緒に行こうぜ」「は、はぁ!?」「待ってたんだよ」 近江隆之介はスタスタとエレベーターホールまで歩き、ボタンを押して振り向いた。五、四、三階で開く四角い箱の扉。「何、乗らねぇの?」「の、乗りますけど!」「けど、何」「必要以上に、プライベートに踏み込まないって」「ボーダーライン、テーブルの上くらいだろ?」「はぁ?」 確かに一昨日、小鳥はプライベートに必要以上に踏み込まない事を提案したが、近江隆之介にそのボーダーラインはどれくらいかと問われても明確な距離を示す事が出来なかった。「お前の言うボーダーラインってテーブルの半分くらいだろ?」「そ、それは例えばの話であって!」「これくらいの距離じゃね?」 腰を前屈みにして小鳥のほんの20㎝の距離で覗き込む。「そ、それは例えばの話であって!精神的な、ち、近いです!」「あ、そ」「それに近江さん、自転車じゃないですか。」「引っ張ってくよ」「意味ないじゃないですか!」「え、小鳥ちゃんと一緒に歩けるって意味、あるじゃん」(こ、ことりちゃん!?) 二人は車一台通れるか通れないかのコンクリートの塀添いに竹林に向かって歩いた。無言で右に曲がる、桜坂、早速アブラゼミの大合唱で今日も暑くなりそうだ。それより何より右半身がカッカと熱い。近江隆之介の体温が至近距離で伝わって来るようで、思わず頬が赤らむ。右、左、右、と坂道をいつもより力強く踏み締めながら下る。(ど、どういう事!?久我議員と不倫、付き合ってるんだよね!?)「何、変な顔すんなよ」(こ、これって。ふ、二股って事!?)「何だよ」 どうやら小鳥のモヤモヤとした下世話な妄想はダダ
last updateLast Updated : 2025-07-03
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二人でお仕事行ってきます②

 ポプラ並木を全速力で駆け上った小鳥は金沢中警察署、金沢歌劇座、21世紀美術館の芝生を横断し、汗だくになりながらその背後を振り返った。「ヒッ」 ポプラ並木を自転車に跨った近江隆之介が真剣な表情で追い掛けて来る。いや、追いかけるも何も同じ職場、同じ方角に向かっているから致し方無い。(な、何で。朝からこんな、走らなきゃ) これまで近江隆之介への淡い恋心で胸を昂らせ、目で追っていた人物が事もあろうか301号室の彼だった。あの夜、酔い潰れて素裸で添い寝した程度ならかろうじて耐えられるが、同意の上であの部分に指を挿れられた仲だと知ってしまってはもう気不味さしかない。「こ、これからどんな顔をして、仕事」 自転車を降りた近江隆之介はエレベーターを使うに違いない。小鳥は職員玄関口から入り、エレベーター脇の階段を使う事にした。「お、おはよう・・・ござ・・います」 途中、市役所職員に挨拶をし、階段の踊り場で一休みし、息も絶え絶えに7階を目指して上った。「・・・・・つ、疲れ、た」 顎に伝う汗を拭って議会事務局の7階フロアに到着。空調の涼しさに一呼吸、目の前には黒い革靴、目線を上げると近江隆之介が右手をひらひらとしながらにこやかに微笑んでいた。「よう、お疲れさん」「なっ。何で此処にいるんですか」「何って、郵便物取りに来ただけだけど」「対立政党の事務職員と話していても良いんですか」「そんなん、議員だけで俺ら関係ねぇじゃん」「じゃんって。」キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン「おはようございます」「おはようございます」 小鳥は事務局のカウンターの出勤簿に印鑑を押し、自主党の郵便物を確認した。新聞紙に会派広報誌、郵便物が5通。それらを胸に抱えてふかふかの紺色のカーペットを進むと、近江隆之介もその後に着いて来た。「何で着いて来るんですか」「階段からも下、行けるし」「久我議員がお待ちじゃないんですか?」 恋敵、近江隆之介の不倫相手、久我今日子。思わず語尾が強くなる。「何、怖え顔してるんだよ」「そうですか」「なぁ、昼、一緒に食おうぜ」「駄目です、藤野議員のお昼」「あいつ来てねぇじゃん」「は?」「電光掲示板、点いてねぇし」「うっ」「田辺議員」「今日から二泊三日、市議団で長野に出張だろ」(な、何も
last updateLast Updated : 2025-07-03
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