All Chapters of 隣の彼 じれったい近距離両片思いは最愛になる、はず。: Chapter 51 - Chapter 60

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二人でお仕事行ってきます③

 なるほど、近江隆之介が言ったように、議員控室のホワイトボードには自主党議員二人のスケジュールが書き込まれていた。田辺五郎 市議団 長野視察 二泊三日藤野建  外回り 小鳥は急な来客に備えてポットの湯だけは準備したが、今日一日は気楽に業務に励む事が出来る。取り敢えず、facebookの更新と郵便物の仕分け。そして分厚いバインダーに挟まれた重要書類のコピー。(でも、なんで三部なんだろう?) 藤野議員に依頼された業務は資料一枚につき、三部コピーして毎日14:00にクリアファイルに挟んで手渡し。議員不在の時はスチール棚に施錠して管理。他言無用、口外すれば解雇だと釘を刺された。『田辺さんには一部、僕には二部、クリアファイルに入れて渡して』 保存用なのかなぁ、と思いつつ今日も小鳥は延々とコピー作業に励んだ。そして議員不在の折、あの件に関して考える余裕に恵まれた。「近江さん、何だかこれまでと違う、ような気がする」 さて、どうしたものか。301号室の彼が近江隆之介だと判明し、裸体を晒した相手を探す必要も無くなった。酔いに任せてセックスに至った事も、その行為は他言無用だと互いに約束を交わした。醜態が職場に広まる事は無い、その点は安全が確保された。そして良好な隣人として接する事も確約された。その点は何ら問題は無い。(で、でもこの感情はどうしたら良いの!?) 初出社日、小鳥はエレベーターホールで振り返った近江隆之介に一目惚れをした。以来、四ヶ月間、恋焦がれてその背中を追い、近江隆之介に女性として認識して貰いたいが為に眼鏡からコンタクトレンズに変えた。それが既に、セックスしていたなんて。しかもこれまで色々と接点があったにも関わらず、近江隆之介は301号室での夜の出来事はひた隠しに小鳥から逃げ回っていた。(やり逃げとまでは言わないけれど、一夜の過ち的な?) それに近江隆之介には久我今日子議員という不倫関係の恋人が居る。なのに、私に付き合おうとか、親睦を深めようとか意味が分からない。あまり会えない久我議員の代わりに、隣室の女とバンバンやりたい放題の二股関係だとしたら余りにも虚しすぎる。「どうしたら良いの〜」 そんな酷い男であっても、あの瞬間に芽生えた恋心は枯れる事がない。好きで好きで忘れる事など出来ないのだ。もういっその事、二番目の女でも良いか
last updateLast Updated : 2025-07-03
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ラブラブ職員食堂

 いつもの昼食の時間より出遅れた小鳥は食券販売機の長い行列に並んでいた。(あぁ、売り切れたらどうしよう) 今日のお昼ご飯はランチA定食、メインはチーズハンバーグ、食堂内はこっくりしたデミグラスソースの香りが充満している。ランチB定食は既に完売の赤い文字が表示されていたが小鳥の日頃の行いが良かったのか、480円、ランチA定食の発券ボタンを押す事が出来た。(あぁ、ごはん食べている時が至福の時間) 一人暮らしの小鳥としては、栄養を考えた野菜の煮物などが頼みの綱、これがワンコイン以下で食べられるなんて、職員食堂万歳!ウキウキと窓際の奥まった隅のテーブルに座る。夏の日差しは熱いがこの席ならば落ち着いて食べられる。「いただきます」 箸を手に、丁寧に挨拶をして味噌汁に口を付ける。具材はワカメと玉ねぎだ。(あぁ。美味しい) するとテーブルの向かいの赤い背もたれの椅子に手が添えられた。「相席、良いですか?」「はい」 見上げた瞬間、味噌汁を吹き出しそうになり慌てて飲み込んだ。玉ねぎが喉に引っ掛かって気道に詰まるかと思った。近江隆之介が同じランチA定食のトレーをテーブルの上に置いた。「お、近江さん」「おう」「な、何で」「約束したじゃん、昼飯、一緒に食おうって」「し、した覚えは」「あぁ、したした」 そう言い、近江隆之介は椅子に座るといきなり自分の皿のハンバーグに箸を入れ、半分に切り分けた。 天然記念物はなかなか強引だ。(近江隆之介って、こんなキャラクターだったの!?)「何だよ」「い、いえ」「ちゃんと守ってるだろ、ボーダーライン。」「は?」「机の半分」「そ、それは」「細かい事気にすんなよ。おまえと俺の仲だろ」「や、やめて下さい!」「誰も聞いちゃいねえよ」 ところがどっこい、議会事務局きっての元イケメンと、イケメンの議員秘書が真向かいに座ってランチA定食を食べている光景はなかなか圧巻であり、注目の的となっていた。当然、耳も側立てる。「なぁ」「何ですか」「刺々しいな」「そんな事、ありません」「なぁ」「はい」「今夜、一緒に飲まねぇ?」 ハンバーグが喉に詰まり、慌てて水を飲む。「落ちつけよ」「な、だって近江さんが」 昼食の次は、酒。この矢継ぎ早の展開に小鳥は追い付いて行くのに精一杯だ。「隆之
last updateLast Updated : 2025-07-03
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恋敵現れました

 昼食のAランチがすっかり背中に行ってしまった小鳥は、職員食堂から程近いこぢんまりとした売店に足を踏み入れてクラッカーとチョコレートを手に取った。(そうだ。議員控室のお茶菓子も少なくなっていた、かな) 更に和洋菓子の大袋を抱えてレジの列に並ぶと、顔見知りになった女性店員が小鳥にお釣りを手渡しながら真顔で話し掛けて来た。「はい、20円のお釣り。あ、そうだ高梨さん」「はい」「久我議員の秘書さんと付き合っているって本当?」「だ、誰が、そんな」「庁舎内では有名よ」(先週末の今日なんですけどーーーーーーー!) そう言われると誰も彼もが自分の一挙一動を見ている様な気がして落ち着かない。エレベーターの順番を待っている時も、その中に立っている時も視線を感じる。特に6階で降りる女性秘書の目は怖かった。(そ、そんな、誤解です。まだ付き合ってもいないのに) 理不尽な殺意に背中を押された7階、エレベーターの扉が開く。(・・・っ!) そこに立っていたのは久我今日子だった。豊満な胸を隠す事の無い白いカッターシャツ、くびれたウェストを強調するマーメイドラインの臙脂色の膝丈スカート、深い紫色のパンプス。栗色のゴージャスな巻き毛にチラチラと輝くゴールドの雫のピアス。しっとりと濡れた赤い唇。赤いネイル。大輪の真紅の薔薇。「お、お疲れさまです」 大人の魅惑に気圧される。この魅力的な恋人が居るにも関わらず、近江隆之介が本気で自分に声を掛けてくるとは到底思えなかった。やはり遊び。「ご苦労さま」「な、何階でしょうか」「良いわ、自分で押せるから」「あ、はい」 入れ違いに匂う、近江隆之介と同じグリーンウッドの香り。「ことりちゃん」「え、あ。はい」「隆之介の事、宜しくね」 余裕の微笑み、小鳥は胸に抱えた菓子が恥ずかしく思えた。スーっと閉まるエレベーターの扉。 踵を返した小鳥はスカートのポケットから議員控室の鍵を取り出した。チリンと鈴が鳴る。けれど表現し難い感情に指先が震え、鍵穴に鍵が入らない。「もう、もう!」ガチャ 部屋に入った小鳥は後ろ手に扉を閉め、クラッカーにチョコレート、和洋菓子の大袋をぞんざいに応接テーブルの上に置いた。「もう、もう!もう!」 あの存在には到底敵わない。近江隆之介の言葉も嘘か本当か理解出来ない。袋の中の餅入り最中はグズグズ
last updateLast Updated : 2025-07-03
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ベランダ飲みのお誘い

 閉庁後の薄暗がりの廊下。照らすダウンライトの近江隆之介はいつもより大人びて見えた。薄い形の良い唇がニヤリと笑みを浮かべている。「チャイムなったら出て来いよ、待たせやがって」「ま」 小鳥は思わず肩に掛けた焦茶の革のショルバーバッグの紐をぎゅっと握った。 あんなに近江隆之介と久我今日子の事をグズグズ考えていたのに、こうして近江隆之介の顔を見ただけでそんな事が如何でも良くなる。(やっぱり、近江さんの事は好きなんだよなぁ) 言い寄られる事は嬉しいけれど、その真意が分からず素直になれない。「待たせやがってって、何なんですか」「なんですかって、今夜飲もうぜって言ったろ?」「私、お返事していません」「じゃ、今、しろよ」「飲みません!」「何で、用事でもあんの?」「ありません!」 ダウンライトが一個、二個、三個と続く紺色のふかふかしたカーペットを踏みしめながらエレベーターホールへと向かい、議会事務局の事務員に『おつかれさまです。』と挨拶をした。 小鳥は近江隆之介の顔を振り向く事無くエレベーターのボタンを押した。三、四、五、六、七階。ポーン 黄色いランプが付き扉が開く。小鳥はエレベーターに乗り込むと、咄嗟に(閉)のボタンを力強く押した。「ちょ、待てって!」 慌てた近江隆之介は閉まり掛けた扉に飛び込み、左の革靴がぎゅっと挟まった。「い、いってぇ。おま、何すんだよ」「すみません」「おまえ、わざとやったろ」「いいえ」 二人きりのエレベーターは下降し、小鳥の気持ちも下り坂だった。「なぁ。おまえ、なんか怒ってね?」「いいえ」「いいえじゃねぇだろ。俺、何かしたか?」「いいえ」ポーン エレベーターの扉が開くと小鳥は脇目も振らずに背筋を伸ばし、市民課のカウンターの前をパンプスの音も速く、裏手出入り口に向かって歩いた。その後ろを近江隆之介が追う。「なぁ、おまえ、どしたん」 階段を駆け降りた小鳥は少し萎れかけた紫陽花を過ぎ、石畳のカーブに差し掛かった。「なぁ」「自転車は良いんですか」 小鳥はくるりと振り向き、くるりと背を向けた。「アレ持ってると地下道でお前に逃げられるからな、置いてく」「そうですか」「俺、何かした?」(したも何も、不倫してるじゃないっ) 夕日は木立の向こう側に落ちて薄暗い。全体的に淡い青紫のフィルター
last updateLast Updated : 2025-07-03
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ベランダ飲みのお誘い②

 暗い階段を十二段上ると、交差点を行き交う自動車の排気ガスの臭いがした。通勤路でこの場所だけはどうしても馴染めない。早くここから離れて澄んだ空気の犀川、桜橋へと向かいたい。その途中、菊川町に差し掛かるともう一軒、緑と白の看板のコンビニエンスストアが有る。駐車場でバックする自動車を待っていると、近江隆之介が此処に寄らないかと提案して来た。「夕飯、買いてぇんだわ。寄って良い?」「あ、はい」ピンポーン「いらっしゃいませぇ」 近江隆之介はあらかじめ決めていたのか焼肉弁当ととろろ蕎麦、和風サラダをオレンジ色のカゴに入れ、アルコール類の冷蔵コーナーで迷う事なく、ハイボールの缶を四本手に取った。「おまえ、なんか買わねぇの?」「今日は、良いです」(四本、お酒、結構飲むんだな。) 近江隆之介が会計を済ませている間、小鳥はコンビニエンスストアの入り口で、小学校の黒い建物の上空をカラスの群れが金沢城のねぐらへと帰って行く景色をぼんやりと眺めていた。「すごい数」 いつもは一人でただただ前だけを向いて歩く帰り道。こうして立ち止まって景色を楽しむのもたまには良いかもしれない。「ほい、お待たせ」「はい」「何?」「近江さん、ご飯って作らないんですか?」「あぁ、やっぱり面倒臭いな。コンビニ弁当が多いかな」 白い袋をガサガサと持ち上げてニコリと微笑んだ。(ほ、微笑む近江隆之介、最高なんですけどーーー!)「そうなんですか」「小鳥ちゃんは作るっぽいね」「冷凍の物も多いですけど」「まぁ、そうなるわなぁ」 夕暮れ時の川面を滑る夜風は心地良く、小鳥はその風で火照る頬を鎮めた。「あ」「何」「いいえ」 ふと気が付くと近江隆之介はさり気無く車道側を歩いている。気遣ってくれたのだろう。優しい。「土曜日、作ってくれた目玉焼きな」「は、はい」「あれ、緊張で何食べてるか分からなかったわ」「は、い?」 そう話しつつ近江隆之介が顔を覗き込んで来る。距離が近い。(や、近い近い近い近い!) 覗き込む。少し驚いた顔が可愛い。もう少し顔を近付けてみる。(よし!ドキドキ吊り橋効果で小鳥を落とす!)「小鳥、怖ぇ顔してるし」(何気に名前呼びで親近感アップ!)「すみません」「今度また作って」(こ、今度おぉぉぉぉ!?)「作って?」「は、はい」(おっしゃああああ
last updateLast Updated : 2025-07-03
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ベランダ飲みのお誘い③

 薄暗く狭い道、マンション突き当たりのT字路。駐車場のLED白い光が眩しい。(藤野が何だよ。おっぺけぺーだよ)「あれ?」(こうなりゃお隣さんで親密になる作戦、これ、最強だろ)「近江さん、何処行くんですか?」「お、おう」 気が付けばマンションのエントランスを素通りし、小鳥がガラスのドアを開いて不思議そうな顔をしている。(やばいやばい、冷静な大人の余裕、忘れるとこだったわ) ずらりと並んだ銀色のポストを二人並んで、301号室近江隆之介、302号室高梨小鳥の中を確認する。覗き込むタイミング、姿勢、動き。(隣人の特権!ミラーリング効果で落とす!) 近江隆之介は動作するタイミングを同時に行うミラーリング、心理効果で小鳥の興味関心を惹く作戦に出た。天然記念物は賢かった。 次に天然記念物は、紳士的振る舞い作戦に出た。エレベーターのボタンを押す、三、二、一階で開く扉。さり気無く、扉が閉まらない様に片手を添える。 先程の近江隆之介の革靴をエレベーターの扉で挟んだ小鳥とは大違いだ。(な、何、何、これって何!?)ポーン 外廊下の手摺りの奥にはライトアップされた21世紀美術館がこちらを見ている。夜空は濃く、オレンジ色の帯が綺麗だ。チラチラと星も瞬き始めた。「あ、おや・・す・・みな?」 部屋の玄関ドアの前まで来ると近江隆之介はコンビニエンスストアの白い袋の中からガサガサと缶のハイボールを二缶取り出した。暑さで少し水滴が付いた、やや温いハイボール。「ほれ」「はい?」「おまえ、ウィスキー好きだろ?」「え、な、何で!?」「だから色々知ってるって」「ストーカー」「じゃねぇよ」 小鳥の鼻先にそれをグイグイと押し付ける。「ほれ」「はぁ」「家飲みが駄目なんだろ、ベランダ飲みなら良いだろ」「は?」「風呂入って、メシ食って」 近江隆之介は顎に握る拳を付けてしばらく考えると、親指、人差し指、中指を折り曲げた。「おまえ21:00には寝るだろ」「す、ストーカー」「じゃねぇよ。それくらい隣なら分かるだろ」「20:15にベランダ集合な」「はぁ」「出て来ねえとピンポン連打するからな」「え」「じゃあな、出て来いよ。」(で、出て来いよって) 強引な近江隆之介に振り回された一日。小鳥にすれば目が回る一日だった。パンプスを脱ぎシーリングライトのス
last updateLast Updated : 2025-07-04
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ベランダ飲みのお誘い④

 小鳥は落ち着かなかった。何故ならこのマンションの部屋の間取りは線対称、ソファに座って居ても一枚壁を隔てて背中同士が寄り掛かっている様な気がしてむず痒い。「な、なんだか緊張する」 近江隆之介は落ち着かなかった。何故ならこのマンションの構造は線対象、風呂の壁の向こう側が小鳥の部屋の風呂。シャワーを浴びていても気になって仕方が無い。ちょっと指先で壁にキュッキュッと触れて、手のひらを置いて、思わず耳をピトッと付けてしまった。当たり前だが何も聞こえない。「俺は変態か」 壁に掛かった木製の丸い時計の針、長針と短針がこちっと動く。胸がドキドキする。 ベッドの置き時計の秒針がコチコチコチと時間を刻む。胸がドキドキする。(べ、ベランダで飲むだけじゃない)(ベランダ飲みだろ、何緊張してんだよ)20:13  冷蔵庫から、一缶目のハイボールを取り出した。カラカラカラ 隆之介のミラーリング効果発動、同時にカーテンを開け網戸を引く。ベランダにスリッポン、クロックスを置いた音。「よぉ」「はい」プシュ! ハイボールの少し柔らかい缶がべこっと鳴る。ケロケロケロ蛙の鳴き声に、キリギリスがスイーッチョンと続く。黒く塗り潰された犀川に菊川町の住宅の明かりが点々とし、桜橋に白いヘッドライトと赤いテールランプが二台、三台と行き交う。「なんか蒸すな」「そうですね」「何か食ってんの?」「いえ」「マジか、つまみ無しで飲めんの?さすがだねぇ」 301号室のベランダからはパリパリと何かを頬張る音。「どういう意味ですか」「おまえ、飲み会でガンガン飲んでるじゃん」「そ、それは皆さんが注いでくれるから」「飲めねぇ女子は飲まねぇよ」「そ、そうなんですか」 ガサガサとビニール袋の音がして静かになったかと思うと非常用間仕切りの下からぬっと小皿に入った”アーモンドチーズおかき”が差し出された。「ほれ、食え。アーモンド食えるか?」「あ、大丈夫です、ありがとうございます」ガサガサ ポリポリ ふた部屋並んで同じハイボールを飲み、同じおかきをポリポリと口に運ぶ。これも近江隆之介のミラーリングテクニック、なかなか姑息である。「なぁ」「はい」「おまえン家、津幡町だろ」「え、あ、はい」「桜丘高校卒、陸上部でインターハイ優勝、なんの種目かは知らんけど」「え、な、
last updateLast Updated : 2025-07-04
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好きです!

 近江隆之介は久我議員の県外視察に同行してしばらく部屋を留守にしていた。昨夜は外回りと会合の送迎で帰宅は22:00頃。 高梨小鳥とはあのベランダ飲みの夜から、月、火、水、木、としばらく顔を合わせていない。(小鳥、どうしてるかなぁ。隣、なんだけどなぁ。なんだかなぁ) レースのカーテンを開けると空は灰色で雨粒が窓に貼り付いていた。雨の日は眠い。昨夜はウィスキーをストレートで飲み、何となく気怠い。 今日のスーツは空と同じグレー、ネクタイは適当に掴んだ紺色に細い深緑のストライプ。靴下は何でも構わない。ポケットに黒い革の財布、ICカード、胸の内ポケットに市役所のネームタグを入れて準備完了。姿見でパーマの流れを整える。(ま、これで良いか)襟足が長い。明日にでも刈って来よう。はぁ。頑張れ。この金曜日を乗り切れば二連休。それでも何やらため息が出る。(あいつ、もう出たかな) 傘立てから黒い傘を持ち、革のストラップが揺れるディンプルキーを掴む。鍵を開け、黒い革靴で踏み出す。「う、うおっ!」 そこには高梨小鳥が不機嫌そうな顔で立っていた。今日は淡いグリーンの開襟、半袖、ストンとしたAラインの膝丈までのシンプルなワンピースだった。そしていつもの肩掛けショルダーバッグ。手には赤い傘を持っている。「ど、どうした」「待っていました」「何しに」「一緒に行きませんか?」 どうした、心境の変化の過程を述べよ。何があった。「お、おう」「バスで良いですか?」「バス、あぁ、バスね、バス」 いつもは斜め横断する寺町大通りだが、生真面目な小鳥は手押しボタン式の横断歩道、そう言えばこの前も小鳥の背中を見ながら横断歩道を渡った。 俺がグイグイ引っ張っている様で、何やら小鳥のペースに巻き込まれている。 バス停で次のバスが来るのを待っている間、小鳥は真っ直ぐ前だけを見て始終無言だ。俺はそんな小鳥の横顔と飛沫を上げながら走る乗用車を交互に見送っていた。プシューピッ 寺町から片町、香林坊方面に向かうバスはいつも混んでいる。雨が降れば尚の事、小鳥は乗客の隙間をぬって一番前まで進んだ。「あ、すんません」 俺もそれに続く。相変わらず広小路の交差点での右折は乱暴だ。前後左右に身体を持って行かれる。ふと見れば小鳥は吊り革に掴まっていなかった。ところが仁王立ちしたその脚でび
last updateLast Updated : 2025-07-04
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好きです!②

 赤い傘から滴る雨の雫。鳩が豆鉄砲を食ったような顔付き、あんぐりと口元の緩んだ近江隆之介は残念なイケメンだった。(近江さん、よだれが出そうだな) 黒い傘が大きく左右に揺れ、溜まった雨がびしゃびしゃと流れた。「ど、どういう事かなぁ」「はい?」「俺、何か聞き間違えた?」「何を、ですか」「好きって言った?」「はい。じゃ、そういう事で、失礼します!」 そこまで言うと高梨小鳥は踵を返してまたスタスタと歩き出した。ものすごいスピードで中央広場を通り抜け、正面入り口で赤い傘の雨をバサバサとふるってビニールに入れた。そして仁王立ちする警備員にぺこりと挨拶をすると庁舎内に入って行った。「ちょ、待てって!」 我に帰った近江隆之介も同じく、正面入り口で黒い傘の雨をふるいビニール袋に入れ、警備員に軽く会釈をしエレベーターホールに向かった。 そこには既に小鳥の姿は無く、エレベーターの黄色い丸いランプは7階で停止していた。近江隆之介は上階へ向かうボタンを連打し、いつもの癖で左上の電光掲示板を仰ぎ見た。 久我今日子出勤。(姉ちゃん、最近えらい早いな)ポーン エレベーターの扉が開き、近江隆之介は迷わず7階のボタンを押した。(好きって、好き?これって、告白、だよ、な?) 小鳥が自主党議員控え室に入るまでに引き止めなければ、この疑問は昼休憩、タイミングが合わなければ最悪今夜まで解決出来ない。それこそ耐えられない。気が逸る。4階、5階と上昇するエレベーターがいつもよりもノロノロと遅く感じた。(くっそ、遅ぇんだよ!)ポーン 議会事務局のカウンターに小鳥の姿は無かった。キョロキョロと見回して紺色のカーペットを辿ると、小鳥が丁度議員控え室の扉の取手に手を掛けたところだった。けれど何やら手間取っている。鍵が掛かって扉が開かないのか、片手でノックしている様だ。胸に抱えた新聞や郵便物がものの見事にバサバサとカーペットの上に散乱した。(あぁ、意外な所でこいつ、鈍くさいんだよなぁ) 足早に駆け寄って新聞を手に取る。「ほらよ」「あ、ごめんなさい。ありがとう」「で、さっきの」 そう言って郵便物を拾い上げたタイミングで、ガチャ 議員控え室の扉が開いた。「あ、小鳥ちゃん、鍵、掛かっていたね、ごめんね」「おはようございます」「おや、またまた面白い取り合わせ
last updateLast Updated : 2025-07-04
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好きです!③

 金沢市役所7階、議会事務局から少し廊下を進んだ一番端の自主党議員控え室に国主党議員、久我今日子が、栗色の巻き毛を掻き上げながら小鳥のスチールデスクに寄り掛かって微笑んでいる。違和感。 高梨小鳥は思わず廊下に戻って見上げたが、確かに黒地に白、自主党の三文字。また、驚いたのは小鳥だけでは無い。 近江隆之介もあり得ない光景に驚き、思わず口走ってしまった。「ね、姉ちゃん」(ねぇちゃん!?) 小鳥は背後を振り返り我が耳を疑った。近江隆之介は久我今日子を見て『姉ちゃん』と呼んだ。ええと。ねえちゃん、姉ちゃん。あ、そうか、親しみを込めて姉ちゃんとか。(いやいやいや、いや、議員を姉ちゃんとか無いわーー!) 小鳥も近江隆之介も色々と驚きの余り、その場所で身動きが取れずにいた。すると応接ソファに座っていた狸の田辺議員が手招きをした。「小鳥くん、近江くんも中に入って。藤野くん、鍵」「はい」「お、お邪魔、します」ギィ カチャン 議員控え室の重厚な扉が閉まり、鍵の音が続いた。立ち尽くす二人を尻目に、藤野議員も久我議員も応接ソファに腰を掛けた。「あ、あの。お茶」「いや、良いよ。ちょっとこっちに来なさい」 田辺議員が二人に手元にあったコピー用紙を手渡した。これには、見覚えがある。「これ」「そうだよ」 それは小鳥が、門外不出の重要なバインダーから付箋が付いた資料を抜き出して連日三部コピーしていた物だ。 近江隆之介とってもこれは見覚えがある。見覚えがあるどころか、蛍光ピンクと蛍光黄色の付箋、黄色の付箋には近江隆之介の癖字で数が書き込まれている。「姉ちゃん、これ」「議員でしょ」アッ! 時既に遅し。小鳥があんぐりと口を開けて近江隆之介の顔と久我今日子の顔を交互に見ていた。そう言われれば、何処となく目元が似ているかも知れない。(ま、まじかよ)(あ、姉!姉と弟!きょうだい!) いや、今はそんな事よりも重大な事が目の前で展開されている。政党が異なる議員三人が、一つのテーブルで同じ資料を囲んでいる、この事実。藤野議員が唇の前で右の人差し指を立てしーっと身振りをして見せた。「近江くん、小鳥ちゃん。これは誰にも内緒だよね?」「はい」「誰かに話したら小鳥くんは解雇」「は、はい」「情報を漏らしたら坊やの冬のボーナスは無しよ」「はい」「
last updateLast Updated : 2025-07-04
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