All Chapters of あなたへの愛は銀河のように: Chapter 1 - Chapter 10

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第1話

「周藤(すとう)おばさん」と呼ばれたその女囚は詩央を庇護し、身に付けた全てのスキルを教えてくれた。ただ一つの条件は――出所した後、自分の息子を一生守ること。詩央はその選択を後悔していなかった。だが、背の高い男に強く抱きしめられた瞬間、彼女は声もなく泣き崩れた。「詩央、やっと出てきてくれた。ずっと会いたかった」佐伯竜志(さえき りゅうじ)は彼女を抱きしめ、五年分の想いを込めたように、何度も何度も唇を重ねた。詩央の頬を涙が伝い、彼女もまた、強く彼の唇を求めた。長い口づけの後、ようやく名残惜しげに離れる二人。竜志は彼女の涙をぬぐいながら、自分の顔にも涙が流れていることに気づかなかった。二人は深く見つめ合った。まるで相互の存在を魂に刻みつけるかのように。「行こう、家に帰ろう」竜志は詩央の唇の端にキスを落とし言った。「もう二度と離さない」その言葉で、詩央の涙はまたあふれ出した。だが、彼らに残された時間は、たった一か月だった。帰路の車中、詩央は彼の横顔を貪るように見つめた。五年の歳月が、彼から若さゆえの荒々しさを取り去り、代わりに成熟と落ち着きを与えていた。竜志は前を見据えたまま、彼女の手を取り唇に押し当てるようにキスし、微笑んだ。「そんなに見つめて……来月六日に結婚式を挙げたら、俺は全部君のものになる。好きなだけ見てくれていいから、な?」詩央の手が一瞬、火傷したかのように跳ねた。口を開きかけたが、胸の奥にある別れの気配が、彼女の声を奪った。たった一度でいい、わがままになりたい。この世界から「去る前」に、小さな頃からの夢を叶えたい。「うん……」実は、詩央は須永家の「取り違えられた」偽りの娘だった。六歳のときに真相が判明し、須永家は世間体を気にして彼女を捨てなかったが、それ以降は放置していた。彼女は家政婦たちに虐げられていた。飢え死にしかけたそのとき、二歳年上の竜志が彼女を家に連れて帰ってくれた。「なんでご飯食べさせてもらえないの?」「私、本当の子じゃないの。だから、もういらないって」「じゃあ、うちにおいでよ。これからは、俺のお嫁さんになって」六歳から十八歳まで、竜志は彼女を守り、慈しみ、何よりも大切にしてくれた。彼女の身分が何であれ、彼にとっての詩央は「お嫁さん」だった。
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第2話

夜、詩央は身体に合わないパジャマ姿で浴室から出てきた。ベッドに腰を下ろすと、竜志の目に真っ先に飛び込んできたのは、彼女の赤く腫れ上がった膝と、深く刻まれた二本の傷痕だった。彼は突然立ち上がり、詩央を抱きかかえてベッドの上に乗せ、昼間に妙実を扱った時と同じように、地に片膝をついて彼女の傷を見つめた。彼の手は無意識のうちに震えていた。「……これは、どうして?」「囚人に、ナイフで切られたの」詩央は落ち着いた口調で髪を拭きながら答えた。他人事のように淡々としていた。竜志が目を上げると、涙が静かに目尻からこぼれ落ちた。そこには痛みとともに、深い悔恨の色が宿っていた。「痛かったか……?」詩央はタオルを下ろし、平然と嘘をついた。「もう痛くないわ」本当は、まだ痛んでいた。たとえどれだけ時間が経っても、その痛みは消えないようだ。その時、あと一歩遅ければ、この両脚は残っていなかった。妙実は大金を払い、彼女の両脚を潰すよう命じた。実行犯は命知らずの男で、報酬を得て手を抜くはずもなかった。竜志は身を屈め、彼女の膝にそっと口づけた。涙が落ち、すべるように彼女の脛を伝った。火傷のような熱さに詩央は思わず脚を縮めた。彼の涙は、凍てついていた詩央の心を、わずかに溶かした。たとえ愛が消えてしまっても、二人の間には十年以上の歳月があった。詩央は彼を引き起こした。「もういいのよ。随分前のことだし」竜志は部屋を出て、鎮痛消炎薬を持って戻ってきた。彼は長い時間をかけて、優しい手つきで薬を塗ってくれた。やがて二人は横になり、竜志は背後から彼女を抱きしめ、肩に優しく口づけた。「形成外科の名医を探すよ。絶対、昔の姿に戻してみせる」詩央は笑みを浮かべながら、目尻から涙をこぼした。身体の傷は癒えても、心の傷は消えない。深夜、竜志の携帯がわずかに震えた。その音に、詩央は即座に目を覚ました。それは、刑務所で幾度となく夜中に襲われた記憶の名残だった。ほんのわずかな物音でも、神経が尖りきっていた。だが、隣に眠るのが竜志だと気づいた彼女は、目を閉じて動かなかった。竜志は携帯を一瞥し、彼女の頭に軽くキスを落としてから、静かにベッドを離れた。彼が寝室を出ていったのを確認し、詩央もそっと後を追った。妙実の部屋は
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第3話

詩央は竜志の顔に懇願の色を見た。彼が彼女に謝罪させようとするのは、果たして結婚のためなのか、それとも妙実の憂さ晴らしのためなのか――彼自身、わかっているのだろうか?「まあ、いいわ。お姉さん、プライドが高いから謝りたくないんでしょ?じゃあ代わりにこのお酒を飲んでよ。お姉さん、昔はどれだけ飲んでも酔わなかったし、一本くらい平気でしょ?」妙実は一本の酒を詩央の前に差し出した。その目には隠しきれない悪意が浮かんでいた。確かに刑務所に入る前の詩央は酒に強かった。しかし刑務所で妙実が仕組んだ罠によって、彼女はお酒を十本も無理やり飲まされ、三日間も命の危機にさらされた。胃を壊し、体を痛め、それ以来、一滴の酒すら口にできなくなっていた。「私は……」「飲むよ」竜志が詩央の拒否の言葉を遮り、酒瓶の蓋を開けて彼女の前に押し付けるように差し出した。声は優しかったが、どこか強引だった。「飲んでくれ、俺たちの未来のために」詩央は彼を見つめ、低い声で言った。「竜志……私、刑務所で体を壊して、お酒は……」竜志は眉をひそめ、苛立ったように言った。「君が刑務所で傷ついたことは知ってるよ。でも酒と何の関係がある?俺は五年も待ったんだ。これだけ尽くしてきたのに、酒の一瓶も飲めないのか?」詩央は目の前の男をじっと見つめ、かすかに笑みを浮かべた。「……そうね。私たちの未来のために」彼女は酒瓶を持ち上げた。辛口な酒の味が涙のしょっぱさと混ざり合い、喉を焼き、胃に流れ込んでいった。酒を飲み干したその瞬間、彼女は鮮血を吐き出した。「詩央!」竜志は驚愕し、彼女を抱きしめた。表情には信じられないような恐怖が浮かんでいた。詩央は淡々と口元の血を拭い、静かに言った。「これでいい?」妙実は、竜志が抱き寄せる腕をじっと見つめ、皮肉げに笑った。「お姉さん、無理して飲まなくてもよかったのに。誰も強制してないわよ。わざわざ血を吐いて私の評判を落とすことないじゃない?まさか、五年間で胃がんになったとでも言う気?」「詩央……」竜志の顔にも、疑いの色が浮かんだ。詩央の心は冷え切っていた。いつからだろう。彼女がほんの少し擦りむいただけで病院へ連れて行き、全身検査までしてくれた彼が、今は彼女の吐血すら疑うようになった
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第4話

竜志の動きは素早く、婚約式は盛大ではなかったが、とても温かいものだった。須永家と佐伯家の親戚や友人を全員招待し、会場中にアジサイが飾られていた。彼は詩央の前に片膝をつき、赤いベルベットの指輪ケースを掲げ、皆の注目の中で――取り出したのは……草で編んだ指輪だった。会場が一瞬静まり返った。竜志自身も一瞬戸惑ったようだった。彼が用意したはずの婚約指輪は、「一生に一度しか購入できない至愛のリング」だった。それを詩央に事前に話していた。どこかで手違いがあったようだ。しかし彼はすぐに対応し、言った。「詩央、初めて君にプロポーズしたのは、君が六歳のときだった。草で作った指輪をはめて、その日から君が俺の嫁さんになると決めていたんだ。十七年経った今――俺と結婚してくれるか?」涙が静かに彼女の目尻を伝った。十八歳のとき、竜志も同じように彼女の前で膝をついてプロポーズした。あれが幸せの始まりだと思っていたが――実は、幸せの終わりだった。「……はい」詩央は手を差し出した。これが偽りと知りながらも、もう一度、自分を騙したかった。竜志は彼女の指に草の指輪をはめ、そっと抱きしめ、耳元で申し訳なさそうに囁いた。「ごめん、詩央。指輪、必ず取り戻すよ」詩央は彼を強く抱きしめたが、何も答えなかった。式が終わって間もなく、竜志は姿を消した。彼がいなくなると、みんなの態度はすぐに一変した。「草の指輪でプロポーズ?五年前の婚約指輪は、佐伯さんが自らデザインしたダイヤモンドのリングだったのに。ダイヤだけで六億円だったっけ?五年も服役した女なんて、草一本で済ませられる存在ってわけね、ハハハ……」「佐伯さんは情に厚いから結婚するけど、普通なら前科持ちの女なんて嫁にできないよ、恥だよね」詩央は俯き、指輪を回しながら、周囲の嘲笑を無視した。まもなく、この世界に須永詩央という存在はいなくなる。誰の嘲りも、彼女の心をかき乱すことはなかった。婚約式の間、竜志は二度と現れなかった。その夜、詩央が風呂から出ると、携帯に妙実からのメッセージが届いていた。それは一枚の写真だった。竜志と妙実が手を繋ぎ、彼女の指には「一生に一度しか購入できない至愛のリング」が光っていた。次の瞬間、もう一通のメッセージが届く。【詩央、竜志の至愛は私。あ
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第5話

竜志の心はざわついた。詩央はなぜ、二人の写真を燃やそうとしたのだろう?詩央は落ち着いた様子で手を払って立ち上がる。「写真が黄ばんできたから、新しくプリントし直すの」その言葉を聞いて、竜志はまるで水に戻った魚のように、安堵のため息をついた。「それならいい」彼は詩央の手を取り、片膝をついて指輪のケースを取り出した。ケースを開けると、中には精緻な細工の指輪が収められていた。「この指輪の名は『変わらぬ愛』。宝石職人川上の作品で、港市のオークションで一目見たとき、君がきっと気に入ると思ったんだ」詩央は指輪を受け取ったが、自分の指にははめなかった。そのとき、竜志は初めて彼女の指にまだ草の指輪があることに気がついた。その草はすでに枯れているが、形は完璧なまま。どれだけ大切にされてきたかが分かる。「詩央、俺がはめてあげるよ」喜びに満ちた竜志は彼女の手を取って、草の指輪を外そうとした。だが、詩央は手を振りほどいた。「いいのよ。草の指輪は私たちの過去。大事な思い出なの」竜志は立ち上がり、指輪のケースを彼女の手に押し付ける。「じゃあ、その草の指輪が壊れたときに、これをつけて」彼は詩央を抱き寄せ、部屋の中へ戻ろうとした。しかし詩央は足を止めた。薄暗い光の下、彼女の表情ははっきりと見えなかった。「竜志、覚えてる?あなたが私に告白したとき、私が何を言ったか」竜志は少し戸惑ったあと、笑顔で答える。「もちろん覚えてる。君は『一生のうちに受け取る愛は少ないけれど、それで妥協する気はない』って……」そこで彼の言葉は止まった。次の瞬間、彼の胸に不安が一気に押し寄せ、彼は強く詩央を抱きしめた。「詩央、俺は誓ったんだ。君に妥協なんてさせないって」詩央は彼の背中を優しく叩いてあやすようにしたが、その瞳には冷たい光が宿っていた。でも、あなたはすでに妥協の象徴になってしまった。夕食を終えると、詩央の携帯に通知が届いた。【偽装死体の準備完了。十日後、「須永詩央」は交通事故による爆発で死亡予定。未完了の事柄は早めに処理を】【了解】詩央は携帯をしまい、心がざわついていた。彼女は着替えて夜のランニングに出ようとしたが、別荘の角を曲がったところで、立っている妙実と美恵子を見つけた。妙実は車椅子を蹴飛ばし、声を
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第6話

夜のランニングを終えた詩央が家に戻ると、ちょうど竜志が妙実を横抱きにして階段を上がろうとしていた。詩央の姿を目にした彼は一瞬ぎこちなく動きを止め、慌てて言い訳するように口を開いた。「詩央、妙実は階段をうまく登れないんだ。ちょっと手を貸してるだけだから、誤解しないでくれ」「別に、誤解なんてしてないわ。ただの手伝いでしょ」詩央はそう言って、彼と一緒に車椅子を階上へ運んだ。二階に着くと、竜志はすぐさま妙実を床に降ろし、詩央の手を取って言った。「妙実、自分の部屋に戻って。俺たちもそろそろ休むから」その言葉の後、まるで後ろから犬に追われているかのような勢いで、竜志は詩央を連れて部屋に引き返した。竜志がシャワーを浴びに行った後、詩央の携帯に妙実からのメッセージが届いた。妊娠検査の診断書だった。【私、妊娠したの。女の子よ。竜志が満(みつる)って名前を付けてくれたの】【あんたのあの胎児が堕ろされた時は、ちょうど三ヶ月だったわね。まだ肉の塊だったでしょう?味はどうだった?あの子をあんたの口に突っ込ませたのよ。きっと美味しかったでしょ?栄養たっぷりだったはずよ】満……詩央は声もなく絶叫した。彼女の「満」……彼女の意識はあの日に引き戻された。必死でお腹を抱え、何度も地に頭を下げて懇願したあの日。あの子だけは助けてと、何もいらないから、満だけは奪わないでと。それでも、満は失われた。激痛が詩央の内側を貫いた。思わず身体を縮めるしかなかった。かつて、詩央は竜志とよく未来を語り合っていた。二人で猫と犬を飼って、可愛い女の子を育てようと。竜志は微笑んで言った。「女の子は君に似るといいな。君は子供の頃あまりにも多くを我慢してきた。俺がもう一度、君を育て直したいんだ。俺にできるすべてを、君に与えるために。だから娘の愛称は『満』にしよう。彼女の人生がいつも満ち足りたものでありますように」だが、竜志は、「満」の存在すら知らない。今の彼には別の「満」がいる。シャワーを終えた竜志が部屋に戻ると、詩央はベッドの上で身を縮め、無言で泣いていた。肩が激しく震え、全身が絶望の中に沈み込んでいるようで、それでも一言も発しなかった。「詩央、どうしたんだ?」竜志は彼女を抱きしめ、焦りながら尋ねた。「何があった?教えて
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第7話

竜志は言ったとおり、翌日には詩央を連れて須永家を出て行った。彼は市内に一つのマンションを新婚用の住居として改装しただけでなく、郊外には広大な屋敷を購入し、その庭には青と白のアジサイが一面に咲き誇っていた。アジサイの花言葉は「和気あいあい」。詩央はこの花が好きだった。大ぶりで生命力に満ちた姿もそうだが、それ以上にこの花言葉が好きだった。彼女は、未来が幸せで満ち足りたものであることを願っていた。だが今や、彼女に未来など存在しない。アジサイの海のような花畑に立ちながらも、微塵の幸福すら感じることはできなかった。「俺たちの結婚式はここでやろう。親戚も友人もみんな招待して、皆の祝福の中で夫婦になるんだ」竜志は未来に対する希望に満ちた表情を浮かべていた。詩央を抱きしめながら、顎を彼女の髪にそっと乗せ、慎重に語りかける。「詩央、俺の奥さんよ、君は知らないだろうけど、あの日が来るのを俺がどれだけ楽しみにしてるか」詩央の瞳には、皮肉の光が一瞬よぎった。楽しみにしている?彼女もまた、心から楽しみにしていたのに。その後の数日間、竜志は結婚式の準備に忙しく、毎日早朝から夜遅くまで働いていた。それでも、彼は必ず時間を作り、詩央と一緒に食事をするようにしていた。詩央は一度、彼に言ったことがある。「そんなに忙しいなら、わざわざ戻ってきて一緒に食事しなくていいわ」「俺が結婚式を準備してるのは、君を幸せにするためだ。そのせいで君の気持ちをないがしろにするなら、本末転倒だよ」竜志がそう言ったとき、彼の顔は期待と喜びに満ちていた。その様子に、詩央は内心が満足した。期待すればするほど、自分が「死ぬ」その瞬間、彼はより深く傷つくだろうと。そして結婚式の前日、竜志はついに詩央と夕食を共にしなかった。「結婚式の前に新郎新婦が顔を合わせちゃダメなんだ。家で大人しく休んでて。明日は新婦なんだから、きっと疲れるよ」竜志はそう言って、彼女の頭を撫でると、一度も振り返ることなく家を出て行った。詩央は携帯を見下ろした。【竜志が今日何をするか知りたい?彼の車を追ってみなさい。自分がどれだけ滑稽か、よく分かるわ】妙実からのメッセージは、詩央の静かな心に波紋を広がった。十七年にわたる朝夕の付き合いの中で、この世で彼女を愛してくれたのは竜志
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第8話

【見たでしょう?どれだけ昔の感情にしがみついて竜志を無理やり結婚に引きずり込んでも、彼の心の中にいるのは私なの】【結婚式の会場まで、私が捨てた場所を使ってるなんて……詩央、あなたって本当に惨めじゃない?】妙実はまた多くのメッセージを送りつけてきたが、詩央は一切返信しなかった。この携帯は家に置いておくつもりだった――いつか竜志がそれを見る日まで。翌朝早く、詩央はスタイリストの手を拒み、満面の笑みを浮かべる竜志の手を引いて、市立中学校の隣にある公園へと車を走らせた。彼女と竜志が少年時代を過ごした場所だ。「詩央、もうすぐ式場に行かなきゃいけないのに、なんでこんな所に?」詩央は彼を木の下まで連れて行き、スコップを取り出して土を掘り始めた。竜志はすぐに思い出した。詩央が中学校卒業のとき、この木の下にタイムカプセルを埋めたのだった。「十年後に開けるって約束しただろ?まだ早いよ」「結婚前に開ける方が、もっと意味があると思って」なるほど、と竜志も納得し、一緒に掘り始めた。ほどなくして、二つのタイムカプセルが掘り出された。彼は自分のタイムカプセルを開いた。【二十七歳の竜志へ。俺は十七歳の竜志だ。君は詩央と結婚したか?俺の一番の夢は詩央と結婚して、子供を生んで、その子の成長を見守りながら、詩央と一緒に年を重ねることだ。この夢が叶わなかったとしたら、今の君はどれほど悲しいだろう?そう考えただけで胸が苦しくなる。この十年、君は詩央にたくさんの愛を注いだか?八歳の俺が詩央と出会って、彼女に約束したんだ。『必ず詩央を幸せにする』って。忘れるなよ。忘れたら――呪ってやる。決して幸せにはなれないように】竜志は手を震わせながら、その手紙をぎゅっと握りしめ、そっと詩央の方を見つめた。詩央も自分の手紙を彼に手渡した。【二十五歳の詩央へ、あなたは幸せか?笑顔で過ごせているの?竜志と結婚たか?あなたたちには子供がいますか?十五歳の詩央は、竜志の存在があったからこそ、二十五歳を心から楽しみにしていた。私は幸せな家庭を持ちたい。それが私の夢。どうかそれを叶えてあげてください。それに、竜志以外の人と結婚しないで。だって、幸せをくれるのは竜志だけなんだから。絶対に忘れないでね】竜志は強く詩央を抱きしめた。「十七歳
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第9話

「詩央!!離せ、俺を離せ!詩央はまだ車の中なんだ!邪魔だ、どけぇぇぇ!!!」竜志は狂ったようにボディーガードたちを突き飛ばし、炎上する車に向かって駆け出した。彼には見えたのだ、詩央が、あの中で彼を待っている姿が――「佐伯様、危険すぎます!車はまだ爆発の可能性が!」一人のボディーガードが必死に彼を押さえつけ、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、車は二度目の爆発を起こした。あの中にいた者が生きている可能性は、もはや皆無だった。詩央……竜志は抵抗するのをやめた。ボディーガードが手を放した瞬間、彼はその場に崩れ落ち、膝をついた。その瞬間、彼の中で何かが音を立てて壊れた。激情の果て、訪れたのは異様なほどの静寂だった。五年前、彼は自分を責めた。詩央を守れなかったこと、詩央を刑務所で苦しませたこと……だからこそ、あの日彼は誓ったのだ。今度こそ彼女を幸せにする、もう二度と傷つけさせないと。あと少しで結婚するはずだった。彼女との家庭を築き、満ち足りた未来が待っていた――はずだった。十七年間の思い出が、走馬灯のように頭を駆け巡る。彼女と初めて出会った日、大雨の中、迷子になった自分の犬を探していた彼は、屋根の下で体を丸めて震えている小さな女の子を見つけた。手足は細く、痩せこけた体で必死に自分を抱きしめるように縮こまっていた。大きな瞳で、まるで子犬のように彼を見つめていた。彼はその子を家に連れて帰り、大切に育てた。彼女はだんだんと可愛らしくなり、やがては凛とした美しい娘に成長した。彼はそれが誇らしくて仕方なかった。だって彼女は、自分の小さなお嫁さんだったのだから――自分が育てた、小さなお嫁さんだったのだから。何度も、八歳だった自分に感謝した。あの日、迷子になった犬に。あの犬がいなければ、彼女と出会うこともなかった。なのに――どうして今日は、彼女を失ってしまったのだろう。「詩央……詩央……」深く、底知れぬ絶望と痛みに押し潰され、竜志はそのまま意識を失った。だから、彼は見なかった。後方の車から降りてきた妙実が、美恵子に寄り添いながら、爆発した車を見て満足げに笑っていたことを。ついに――自分の人生をすべて奪った女が、ついに死んだのだ。両親も、夫も、すべてが彼女のもの。ついに妙実は詩央を完全
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第10話

「俺、帰るよ。詩央が家で待ってるから……」竜志は医師の制止を無視し、アシスタントに退院手続きをさせると、ただ一人、詩央との新居へと向かった。玄関を開けた瞬間、ふわりと料理の香りが鼻をくすぐった。彼は十数年も詩央を大切に育ててきた。台所の火元には絶対に近づけなかったし、炊飯器すら使えない彼女は、冷蔵庫を開けることしかできなかった。でも――彼女は十八歳で婚約を前にして、こっそりと家政婦に料理を習い、婚約前夜に彼のために手料理をたくさん用意したのだった。それは竜志の人生で、最も美味しい食事だった。「詩央!」彼は台所へ飛び込み、そこで見たのは車椅子に座った妙実が、不器用に鍋の料理を保温容器に移している姿だった。「竜志!」妙実が驚いたように顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。「退院したの?!」「なんで君がここにいる?」竜志の表情が凍りついた。「家政婦さんから聞いたの。お姉さんが、昔あなたに手料理を作ったって……」妙実は目に涙を浮かべ、「姉さんの代わりになりたいわけじゃないの。ただ、あなたを慰めたくて……」戸惑う竜志に、妙実はお玉を置いて彼に抱きついた。「竜志、お姉さんはもういない。でも、私がいる。これからの十七年、私と一緒に過ごしてくれない?」竜志は彼女を力強く突き放した。腕で顔を覆いながら、かすれた声で言う。「詩央は死んでいない。彼女はただ怒ってるだけだ。五年前、守ってやれなかった俺に……。だからここから出て行け。ここは、詩央との新居なんだ。彼女は君を嫌ってる。俺は、彼女が嫌がることはもう二度としない」妙実の目に、抑えきれない怨みが浮かんだ。なんで――なんであの女はもう死んだのに、まだ竜志の心に居座ってるのよ!「竜志、お願い、現実を見て……姉さんは死んだの!式場に向かう途中で、車が爆発して……!」彼に忘れてほしくて、真実を認めさせたくて、必死に言葉を重ねる妙実。だが、彼女の言葉に呼応するように、竜志の目は次第に氷のように冷たくなっていった。「黙れ。詩央を侮辱したら、殺すぞ」彼は妙実の首を掴み、その目には憎悪しか映っていなかった。「く……うぅぅ……っ!」妙実は必死に彼の手を叩き、助けを求める目で見つめる。だが、いつもは彼女に情けをかけていた竜志は、まったく動じるこ
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