All Chapters of 愛とは十の誓いと九つの偽り: Chapter 11 - Chapter 20

主治医は静かに頷き、重い声で言った。 「患者さんの時間はもう残り少ないです。できるだけそばにいてあげてください」 そばに立っていた航平はその言葉を聞いた瞬間、横に垂れていた手をぎゅっと握りしめ、強く歯を食いしばったまま何も言わなかった。 まもなく、結菜が移動式ベッドに横たわったまま、二人の看護師に押されて廊下に出てきた。 彼女の顔色は真っ白で、唇にはまったく血の気がなかった。うっすらと開いた瞳は弱々しく、見る者の胸を締めつけた。 「私は大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」 そう言ってから、彼女は顔を横に向け、そばに立つ航平を見つめて、か細い声で呼んだ。 「航平……」 航平は数歩離れた場所に立ったまま、体を微動だにさせず、結菜の呼びかけや差し出された手にも無反応だった。 真奈の母はその様子に耐えきれず、そっと彼の背中を押した。 「航平、結菜が呼んでるのよ！」 その言葉に反応したように、航平の視線がゆっくりと結菜の方へと向く。 ベッドの上で、結菜は涙を浮かべながら彼を見つめていた。 「航平……ごめんね、また心配かけて。全部私が悪いの。私が……無力だから……」 航平は黙って彼女の手を握り、その目には以前と同じ優しさが戻っていた。 「ちゃんと休むんだ。真奈のことは、俺が人を手配して探し続けるから」 「うん……」 結菜は力を振り絞って、壊れそうな笑みを浮かべた。涙は目尻からこぼれ、髪に染みこんでいく。 「真奈は昔から運がいい子だったから、きっと大丈夫……私はそう信じてるの」 真奈の母は胸を詰まらせたようにすぐに結菜を抱きしめ、自分も涙を流した。 「結菜、もう何も考えないで。真奈は……もう事故に遭ったのよ。あなたまで倒れたら、私たちどうすればいいの」 陽斗は苛立たしげに頭をかき、航平に向き直って低く言った。 「航平、結菜には休息が必要だし、お前の支えもな。ちゃんとそばにいてやれ。真奈のことは……俺たちも探し続けるよ。せめて、ちゃんと埋葬できる場所くらいは見つけてやらなきゃ……」 航平は喉をゴクリと鳴らしたが、何も言わずに黙っていた。 隣に立つ真奈の父は深いため息をつき、掠れた声で言った。 「結菜は体が弱い。これ以上の無理はさせられん……まずはそばにいてやれ。その他のことは……後で考

結菜は目の奥に浮かんだ異様な色を押し隠し、しばらく沈黙した後、低い声で答えた。「……わかった」彼女が眠りについた後、航平は喉が渇いて水を飲もうとキッチンに向かった。だが、そこで見つけたのは――本来あるはずのない薬の瓶だった。葉酸。航平がこの薬を知っていたのは、真奈が彼と結婚してからずっと、子供を授かるために飲み続けていたからだ。だが、結菜は今、末期の肝臓癌だ。そんな彼女が葉酸を飲む理由など、あるわけがない。航平は表情を険しくし、キッチンの棚に置かれた葉酸の瓶を強く握りしめ、目を細めた。次の瞬間、彼はすぐにスマホを取り出し、秘書に電話をかけた。通話が繋がると同時に、低い声で命じる。「結菜の国内での診療記録を調べてくれ。それと、国外で何があったのかも詳しく頼む」「かしこまりました」秘書は恭しく答え、すぐに電話を切った。あっという間に一時間以上が過ぎ、秘書から折り返しの連絡が入った。航平が電話に出ると、すぐに尋ねた。「調べはついたか？」「はい」秘書の声には複雑な色が混じっていた。続けて、早口で調査結果を報告し始めた。「社長、市内のあらゆる病院を調べましたが、結菜さんの診療記録は一切ありません。ましてや化学療法を受けた形跡も……」航平はスマホを握る手に力を込め、声を低くした。「本当に全部調べたのか？」「はい。それからもう一つ……結菜さんは海外にいた時に交際していた男性がいたようですが、その男性は別の女性と一緒に逃げたらしく、それで彼女は帰国を決意したようです」ダイニングテーブルに座る航平はその言葉を聞き、深く息を吸い込んだが、それでも抑えきれない怒りが全身からあふれていた。結菜は、彼を騙していた。電話を切って、すぐに結菜に問い詰めようとしたその時、秘書が再び声をかけてきた。「社長、もう一つ、よろしいでしょうか」「何だ？」航平の冷えきった声に、秘書の声がさらに重く続いた。「結菜さんの診療記録を調べる過程で、奥様の件も判明しました。奥様は……」「真奈がどうした？」航平の声にはわずかに震えが混じる。なぜか、彼の胸に不安が広がっていく。これから聞くことは、取り返しのつかない後悔をもたらす気がしてならなかった。その予感を裏付けるように、秘書の声が再び響く。「奥様

「ドンッ！」結菜の部屋のドアが勢いよく開け放たれ、彼女は一瞬で夢の世界から現実に引き戻された。慌てて身を起こし、驚愕のまま入口の方を見ると、そこには怒りに満ちた目で睨みつけてくる航平の姿があった。全身から放たれる殺気は、まるで今にも彼女を引き裂かんとする悪魔のようだった。「ちょ……航平、どうしたの？」航平は無言で一歩一歩ベッドに近づき、伸ばした手で結菜の喉元を掴み上げた。「なんで俺を騙した！あんなにお前のことを愛してたのに、なんで騙したんだよ！」「航平、な、何言ってるの……？」結菜は必死に彼の手を叩きながら、無実を訴えるように困惑した目で問い返した。航平の表情は暗く、冷え切った声で言い放つ。「結菜、お前……癌なんかじゃなかったんだな。肝臓癌の末期？抗がん剤治療？全部嘘だったんだろ！なんでそんな嘘ついたんだよ？お前のせいで真奈は死んだんだぞ！」喉を締め付けられた結菜は、必死に口を開けて空気を吸おうとするが、肺に届く酸素はほんのわずかだった。涙を流しながら言い返す。「わ、私は……嘘なんて、ついてない……」「もう全部調べがついてるんだよ。今さらそんなこと言っても、意味ないだろ！」航平は怒りのままに結菜の頬を平手打ちし、冷たく言い放った。「キッチンに置いてあった葉酸、俺見たぞ。肝臓癌の末期患者が葉酸なんて飲むか？もうやめろよ、芝居は。お前のこと、全部調べさせたんだよ」「航平……わ、私がこんなことしたのは……全部、あなたを愛してたからよ！お、お願い……手を離して！」喉を締め付ける手の力は強くなる一方で、結菜の瞳には明らかな恐怖の色が浮かんでいた。彼女はずっと、航平は自分を愛しているから手を上げたりしないと信じていた。けれど、まさか……彼もここまで狂っていたなんて。この男、狂ってる！呼吸が苦しくなり、意識が遠のきかけたその瞬間、結菜は思い切り航平の腹部を蹴飛ばした。その隙を逃さず、一気に息を吸い込みながら怒鳴った。「自分がどれだけいい人間だと思ってるのよ？！あんた、真奈にだって大して優しくなかったくせに！」航平の手が止まり、その場に凍りついたように動かなくなった。脳裏に蘇るのは、あの日の光景。彼が真奈を突き飛ばし、倒れた彼女に冷たく言い放った言葉。「真奈、お前は昔から丈夫だっ

彼がそう言い終えると、真奈の父と母の方へと顔を向け、声をさらに荒げた。「それから、父さん！母さん！結菜が末期の肝臓がんで余命わずかだって言ったら、あっさり信じたのか？俺もだ……あのとき、なんでちゃんと確かめなかったんだ……なんであんな簡単に信じて、真奈に無理やり承諾させたんだ！」真奈の母は息子の怒鳴り声に全身を震わせ、顔は血の気を失って真っ白になり、唇がわなわなと震えて、何も言葉が出てこなかった。押し寄せる罪悪感と悲しみで、立っているのもやっとの様子だった。隣に立っていた真奈の父は、最初は呆然としていたが、次の瞬間には怒りが爆発した。彼は突然、テーブルを思いきり叩きつけた。重厚な木製のテーブルが鈍い音を立て、茶卓の上の茶碗がガタガタと揺れた。「結菜！はっきり言え！お前の兄が言ってること、本当なのか？お前、本当に不治の病って嘘をついて、家族を騙したのか？」父親のかつて見せたことのない激怒に、結菜は一瞬びくっとしたが、すぐに口元を引きつらせ、嘲るように笑った。投げやりになった彼女は、目の前にいる家族を睨みつけ、鋭くて冷たい声を響かせた。「そうよ！私は病気なんかじゃない！それがどうしたっていうの？私は絶対に航平と結婚するの！なんで私の婚約者が真奈みたいな陰気な女と結婚しなきゃいけないのよ？私が航平に一番相応しいのよ！」真奈の母はその言葉を聞いた瞬間、顔がみるみる蒼白になった。「……あんた、自分で外で遊び回って、子どもまでできて、小林家との縁談を壊したくせに、よくそんなこと言えるね！」「だから何よ？あのとき私が国外に行ったのも仕方なかったのよ。だって……あの子、航平の子じゃなかったんだもん。当然、中絶するしかなかった！私は自分のものを取り戻すために帰ってきたのよ！もちろん、小林家の妻の座も含めて！」そこまで言うと、結菜の顔には狂気じみた執着の色が浮かんでいた。「私が病気のフリをしなかったら、あんなにすぐに航平との結婚を許してもらえたと思う？それに、私がいない間、あんたたちだって思ってたでしょ？真奈が私の席を奪ったって！なのに今さら、全部私のせいにするの？」「バシッ！」今度は、父が結菜の頬を平手打ちした。全力で振り抜かれたその一撃で、結菜の体は横に弾かれ、頬は瞬時に赤く腫れ、口元から血がにじんだ。彼女

「真奈！」航平の瞳が大きく見開かれ、すぐさま立ち上がって慎也と真奈の方へと歩み寄った。彼は早足で真奈の前に立ち、その目には激しい光が宿っていた。唇がわずかに開き、こう告げた。「真奈、やっぱり君は生きてたんだ……ずっと探してたんだよ、すごく長い間……やっと、戻ってきてくれたんだな」真奈は淡々と彼を見つめていた。まるで見知らぬ他人を見るような目だった。「この方、何かの勘違いでは？」「ありえない」航平は食い気味に否定し、さらに一歩踏み出そうとした――が、慎也がその前に立ちはだかった。「何をするつもりだ？これは俺の妻だぞ」「お前の……妻？」動揺した航平は呆然と慎也を見た。体の横に垂れた手が小刻みに震える。彼は再び真奈の顔を見つめた。心の中で必死に否定しながら、彼女の口から出る言葉を待っていた。次の瞬間、真奈は慎也の手をぎゅっと握り、二人の薬指に光る結婚指輪を見せつけた。「すみません、私とあなたは面識がありません。今後は島村夫人とお呼びください」「君は……君は俺の妻だっただろ？どうして島村夫人なんて呼ぶんだ……？」「私は島村さんと結婚していますから」真奈は一切の感情を見せず、事実を淡々と語った。「嘘だ！そんなはずない！」航平の叫びが一気に会場中に響き渡り、その鋭さに周囲の視線が一斉に集まった。会場内で展示品に注目していた人々が、一斉に彼らの方を向いた。ざわめきが広がり、記者たちのカメラがフラッシュを光らせ始める。古美術品よりもよほど刺激的なスクープの気配に、誰もが色めき立った。だが航平はそんな視線やフラッシュの光など一切気にしていなかった。彼の目はただ真奈だけを見つめていた。あの懐かしい顔の中に、偽りの痕跡を必死に探し出そうとしていた。しかしそこにいたのは、かつての真奈ではなかった。彼女の目には、かつての愛情も優しさも、何一つ残っていなかった。ただ冷たい光だけが、航平を突き刺していた。「真奈、お願いだ……俺の顔をちゃんと見てくれ！」航平はほとんど懇願するように手を伸ばし、彼女の頬に触れようとした――が、その指先は慎也の手で容赦なく叩き払われた。「小林さん！」慎也の声は冷たく、そして威圧感に満ちていた。彼は真奈の前に立ち、彼女を庇うようにして航平を睨みつける。「ここは