私と一条慎也(いちじょう しんや)が籍を入れずに夫婦として暮らして九年目の春、彼の父親が亡くなった。遺言の第一条は、慎也と水野有希(みずの ゆき)、二人の間に子供をつくること。その子が生まれて一ヶ月を迎えた時、それが慎也の父親の遺産を正式に相続できる日となる。この現実を、私は自分と慎也の寝室で二人が抱き合っているのを見てしまった時、慎也自身の口から知らされた。あの夜、事が済んだあとで、彼は煙草に火をつけて、低く呟いた。「理央(りお)、もう少しだけ待っててくれ。遺産が手に入ったら、必ず君を迎えに行く」それからというもの、慎也が有希と家で会うたびに、玄関には小さな鈴の飾りがそっと掛けられた。父親が亡くなってから今日まで、その鈴が鳴ったのは九十九回。そして九十九回目のあと、私の耳に届いたのは――有希の妊娠と、二人の婚約披露宴の日取りの知らせだった。娘は披露宴の招待状を見て、不安げに小さな声で私に訊いた。「どうして、この招待状の中にパパの名前があるの?」私はなんとか微笑みを作り、彼女の乱れた三つ編みを直してやる。「パパは愛する人と結婚するの。ママも君を連れて、おうちに帰るよ」慎也は知らない。私は、あの婚姻届に、一度たりとも執着したことはなかったのだ。……今日、慎也に食事に誘われた。彼はまだ会議が終わっておらず、私は先に予約してあった個室に入った。彼を待つ間、スマホを取り出して帰省の航空券を検索する。ちょうど夏休みの旅行シーズンに重なっていて、一番早い便も十日後しかない。十日後は、私の誕生日。そして、あの二人の婚約披露宴の日でもある。まあ、そんなめでたい日に邪魔をすることもないだろう。突然、慎也が勢いよくドアを開けて入ってきた。私は驚いて、スマホの画面を慌てて消した。個室は広いのに、彼はわざわざ私の隣に座り、親しげに手を取った。その瞬間、九年前に彼が私にプロポーズした夜を思い出した。あの晩、彼は窓から私の部屋に忍び込み、私の手をゆっくりと唇に引き寄せ、優しくキスを落とした。その頃の慎也は、まだどこか青くさくて、声も震えていた。「俺たち、たとえ何度生まれ変わっても、一緒にいよう」――そんなふうに誓ってくれたっけ。なのに今、彼の指には見慣れない指輪がはめられている。
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