幾星霜を君と共に、末永く幸せを のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

23 チャプター

第11話

陽菜は思わず笑いをこらえた。昴がボスと呼ぶ人物は、二十五、六歳に見え、身長はおよそ一八五センチ。切れ長の目が印象的だったが、何よりも驚いたのは、彼の髪が金色に染まっていたことだ。男は軽く頭を振り、気だるげに言った。「笑いたいなら笑えばいい。無理に我慢するな」陽菜は必死に堪えて、笑いをこらえた。「こんにちは、川口陽菜です」彼女が自然に手を差し伸べると、男は昴の方をちらりと見て確認を取ると微笑んで手を握り返した。「僕は冷泉昇(れいぜいのぼる)、こいつのボスだ。すぐに君のボスにもなる」不自然さを感じ取った昴は、急いで陽菜を部屋に案内した。「先輩、気にしないでください。ボスはほんとはまともなんです。数ヶ月前に賭けに負けて、この髪色に染めたんです。戦争で美容院が見つからなくて……」陽菜は気にしていなかった。むしろ、こんな雰囲気にほっとしていた。「大丈夫。私は仕事のために来たから、人がどうでも関係ないわ」昴は唇を尖らせた。相変わらずの冷たい態度だ。3階にある陽菜の部屋は日当たりがいいし、広いバルコニー付き。遠くの湖まで一望できる素晴らしい眺めだった。「この階は先輩の部屋と作業室だけです。2階に僕とボスがいますから邪魔しません。安心して作業してください」昴が部屋の説明を終えると、階段を降りていった。陽菜はあたりを見回した。ここは以前住んでいた部屋よりも広く、ウォークインクローゼット、独立したバスルームやトイレもすべて揃っている。部屋は彼女の好みに合ったシンプルで上品な内装。意外にも昴にこんなセンスがあるとは思ってもみなかった。軽く荷解きを終えた後、彼女は隣の作業室へ移った。室内は広く、設備も充実していて、修復すべき文化財がいくつか並べられていた。それらは確かに、手間がかかりそうな状態だった。「こんなにバラバラで、直せるのか?」そのとき、背後から男の声がした。昇だった。口に棒付きキャンディをくわえながら、手にもう一本持って彼女に差し出してきた。陽菜はすぐに手を振って断る。昇は気にする様子もなく、そのまま室内を案内し始めた。「専門家を何人も呼んで見せたけど、みんな口を揃えて修復は無理って言った。でも早瀬は、君ならいけるって言ってた。で、実際どうなんだ?川口さんの腕前は」こんなチャラチャラした男が、自分に一
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第12話

陽菜は何か行動を起こさなければと思った。バッグの中からお金を探すふりをして、わざと手元のスタンドライトを倒した。男はびくっと震えた。明らかに強盗の経験が浅いようだ。「すみません、わざとじゃありません。このお金全部あげますから」陽菜は急いで強盗をなだめ、男が大金に目を奪われて警戒を緩めた隙に、陽菜一気に外へ駆け出した。恐怖のあまり助けを呼ぶことも忘れ、階下の昴や昇がこの騒ぎに気付いてくれるかどうかもわからない。「クソッ!戻って来い」気づいた強盗が追いかけてくる。陽菜は足が震えて今にも倒れそうになったその時、固い胸にぶつかった。「警備!ここだ」昇だった。魂の抜けたような陽菜を横抱きにし、「もう大丈夫だ、怖がらなくていい」と囁いた。陽菜の意識は遠のいていった。疲労と恐怖で、次の瞬間には気を失っていた。彼女は泰成の夢を見た。あの火事の日、彼も命がけで飛び込んできて自分を抱き上げ、「大丈夫だ、怖がるな」と言ってくれた。その後結婚し、そして何度も裏切られ、涙に濡れて眠る夜を重ねた。まるでまたあの暗い日々に戻されたようだった。逃げようともがくが、夢の中に縛り付けられ、抜け出せない。陽菜は揺すられて目を覚ました。昇だった。「二日も眠ってたんだぞ?もう起きないと、昴に殺されるところだった」陽菜が目を覚ましたのを見て、昇はようやく安堵の息をついた。「本当に申し訳ない。あの日は警備が手薄で、難民に隙を突かれてしまった。今後は絶対にこんなことがないよう保証する」昇は手を胸に当て誓った。その表情は真剣だった。陽菜はようやくあの夜のことを思い出した。自分を救ってくれたのは昇で、泰成ではなかったのだと、胸を撫で下ろした。一方その頃、泰成は気が狂いそうになっていた。健翔から陽菜が海外に行ったと聞き、信じられないという表情を浮かべた。「そんなはずがない!ここ数年、彼女は一人で遠出したことすらない。僕から離れたくないと言っていたのに、どうして……」泰成はふと何かを思い出した。あの日病院で、確か陽菜のビザを見かけた。当時は、子供を産むために逃げようとしているのだと思った。しかしもう子供はいないのに、なぜ海外に行ったのか?「兄さん、もしかして川口、前から出ていくつもりだったのかも」健翔はおずおずと口を開いた。ここ数日、泰成は陽
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第13話

陽菜が退院する日、昇が迎えに来ていた。「早瀬は出張に行かせた。あいつに君をちゃんと世話しろって念押しされた。また何かあったら、僕が殺されるってさ。まぁ、こっちが悪いからな。来た初日に入院させちゃって。何か食べたいものあったら言ってくれ。作ってやるから」昇は慎重に陽菜を支えた。少しでも気を抜くと倒れてしまいそうに見えた。もっとも、陽菜はそこまで弱くはなかった。ただ最近の出来事が多すぎて、心も体も疲れ切ってしまっていたのだ。「気にしないでください。あなたのせいじゃないし、今回の件も驚いただけが原因じゃないです」流産後、十分な休養も取れず、泰成とのいざこざに巻き込まれ続けてきた。だが入院中の数日間にいろいろ考えた。生死と比べれば、他のことなんて大したことないって。意外だったのは昇の料理の腕前だ。彼の作る料理は驚くほど美味しかった。「文化財の修復はできねぇが、料理の腕は一流だ。川口、運がいいぞ」昇はスープをよそいながら自慢げに話した。この数日間の付き合いで、陽菜も彼のことを少しわかってきた。口は悪く、不良っぽい見た目だが、やることはきっちりしている。スープを受け取る手が止まった。こんなふうに誰かに世話を焼かれるのは、本当に久しぶりだった。泰成との3年間の結婚生活では、すべて自分が尽くす側だった。毎日スタジオにこもり、泰成の好物を作ることに必死だった。一度も感謝されたことはないが、それでも諦めずに三食作り続け、帰ってこなくても冷蔵庫に料理を入れておいた。お腹を空かせないように。でも、どれだけ尽くしても、泰成の心を動かすことはなかった。憎しみは本当に人の目を曇らせる。「どうした?口に合わなかったか?」昇は陽菜の赤くなった目を見て、料理が口に合わなかったのかと思った。「無理して食べなくていい。別のもの作るから」料理を捨てようとした時、陽菜に止められた。「いいえ、とても美味しいです。ただ……家のことを思い出して」陽菜は俯いて食事を続け、悲しみを隠した。本当のことを言えば、彼女にはもう家などないのだから。黙って食事をする陽菜を見て、昇もそれ以上は聞かず、一緒に食べ始めた。彼女が来る前から、昴から泰成との話は聞いていた。あんなに才能のある女性が、どうして男のためにそこまで尽くせるのか、不思議に思っていた。で
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第14話

陽菜の目には涙が浮かんでいたが、一滴もこぼれず、ただ泰成をじっと見つめていた。彼の驚きに満ちた瞳には、信じられないという感情しか見えなかった。「どうしたの?私がこのことを知っていると思わなかった?あんたと林の会話を聞いて、わざわざ市役所で調べたの。私たちの結婚届は偽物で、婚姻関係も嘘。だから、あんたと私に何の関係があるっていうの?」泰成の喉仏が上下に動いたが、何も言えなかった。陽菜は今回は簡単に彼の手を振り払った。「立花、あんたに出会ったこと、心から後悔してる。私たちは何の関係もないんだから、これからは二度と会わないで」陽菜は泰成を掴んで、ドアの外に押し出した。「今すぐ、私の前から消えて」泰成はようやく焦り出した。陽菜が自分から離れようとしている理由が、婚姻関係が偽物だと知ったからだとは思ってもみなかった。陽菜に関して、彼は初めてどうしていいかわからなかった。もしかすると彼自身すら、わかっていなかったのかもしれない。この3年間の生活の中で、どれほどの時間が復讐のためだったのか。陽菜の目に映った決意を見て、今回はわがままではなく、本当にすべての関係を断ち切ろうとしていると悟った。だが、彼は手放せない。愛であれ憎しみであれ、陽菜は、自分のそばにいなければならないのだ。「結婚届は偽造でも、世間はお前を僕の妻だと認識してる。認めようが認めまいが。川口、僕について帰れ。今ならまだ許してやれるかもしれない」下手に出ようとしたはずが、染みついた傲慢さのせいで、口にした言葉は再び脅しと命令になってしまった。陽菜は大笑いし、涙が止まらなくなるほど笑った。「立花、世間はあんたが3年間の結婚生活で99回も浮気したことも知ってるわ。その99人の女の人たちと、あんたはどんな関係だったの?私に非はない。許しなんていらない。むしろあんたこそ、私は一生許さない」陽菜が泰成の前で泣くのは初めてではなかったが、これほどまでにはっきりと彼を拒絶するのは初めてだった。そんな陽菜を見て、泰成はなぜか耐え難い胸の痛みを感じた。再び彼女の手を掴んだ。「僕たちの関係は、一言二言で説明できるものじゃない。僕について帰って、ゆっくりと……」陽菜は手を挙げ、パンと泰成の頬を打った。彼が反応する間もなく、もう一発。「立花さん、目が覚めたか
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第15話

泰成はしばらく呆然としていたが、ようやく状況を理解した。父が植物状態から5年ぶりに目を覚ましたというのか?健翔が「川口を誤解していた」という言葉は、一体どういう意味なのか?昇とのいざこざに構っている場合ではない。陽菜を連れ帰りたい気持ちは山々だが、今は何よりも健翔の言う真相を知りたかった。「川口、父が目を覚ました。一緒に帰国するか?」断られると分かっていながら、それでも問いかけた。予想通り、陽菜は首を横に振った。「私はあんたの家とは何の関係もない。誰のために帰国することもない。行って」泰成は歯を食いしばり、踵を返した。しかし二歩歩いたところで、振り返らずに言い放った。「川口、また来るからな」彼の姿が遠ざかるのを見届けた陽菜は、ついに限界を迎え、後ろに倒れこんだ。昇は肝を冷やす思いで彼女を支えた。「川口!退院したばかりなんだぞ!冗談じゃないぞ」陽菜は苦笑いを浮かべた、ただ気を張っていた糸が切れて少し目まいがしただけだ。「さっきはありがとうございます」昇は無事を確認すると、急いで食事を温めに行った。「礼なんていい。あの文化財の修復を早く終わらせてくれれば十分だ飯が冷めてるから温めてくる。少し元気が戻ってきたし、栄養をつけなきゃ。たっぷり食べろよ」彼は言わなかった。陽菜が昏睡状態の時、医者から流産直後で体が弱っていると告げられ、栄養に気を配るように言われていたことを。考え及ぶと、昇は後悔した。あの時もう二発くらい泰成を殴っておくべきだった。あいつは人間の皮を被ったクズだ。陽菜は今、昇に心から感謝していた。彼女は長い間、他人の善意を受けた記憶がなかった。たとえそれが、昴からの頼みだったとしても。無理に食事を済ませてから二階へ上がった。泰成の父親の飛び降り自殺について、彼女は詳しい事情を知らない。ただ当時、誰もが彼女の父を「恩知らず」と非難し、立花家が危機に陥ると会社の金を全て持ち逃げして独立したと言っていたのは覚えている。父は死んでも汚名を着せられたままだ。だから陽菜は人と関わることを避け、性格もその頃から冷たくなっていったのだろう。昇の黄色かった髪は、すっかりさっぱりとした短髪に変わっていた。あの黄色い髪は昇の顔立ちの良さを台無しにしていたと陽菜は思った。もともと整った顔立ちなのに。「
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第16話

泰成はほとんど休む間もなく帰国の途につき、父の顔を見た瞬間、これまで築き上げてきた強さが、この瞬間に崩れ去った。父親のベッドそばに膝をつき、彼の目は充血していた。「父さん、やっと目を覚ましてくれたんだ」泰成の父の頬を涙が伝った。泰成がどれほどの苦労を重ねて立花家の財産を守ったか、痛いほど理解していた。「長い間、本当に苦労をかけたな」泰成は首を振った。確かに辛い年月だったが、しかし父が無事でいる限り、全ては報われたと思えた。「父さん、当時一体何があったんだ?どうしてビルから飛び降りたの?川口光翔(かわぐちこうしょう)が裏切ったからでしょ?幸い、あいつはとっくに死んでいた」陽菜の父親の名前を口にした時、泰成の表情には依然として憎悪が浮かんでいた。しかし泰成の父は泰成の手を握りしめ、震える声で言った。「泰成、光翔を責めてはいけない。全部、君のためにやったことなんだ」泰成の父は少しずつ、当時の真実を語り出した。あの時、彼は自ら命を絶とうとしたわけではなかった。敵に追い詰められ、会社を守るための決断だった。光翔が会社の資金を持ち出したのも彼の指示によるものだった。長年の相棒である光翔を信じて、きっと裏切ることなく、会社の命をつないでくれると。末期の癌の光翔は痛みに耐えながら、密かに権力を泰成に移行させてからこの世を去ったのだ。「光翔は我が家の恩人だ。陽菜は彼の唯一の娘、我々は彼女を裏切ってはならないんだ」泰成は雷に打たれたような衝撃を受けた。これまでの恨み、陽菜への復讐は全て恩を仇で返す行為だったのか。もし父が目を覚まさなければ、一生彼女を誤解したままだったのか?こんなにも自分が最低だと思ったことは、これまで一度もなかった。これまでの年月、光翔への憎しみをすべて陽菜にぶつけてきた。彼女を侮辱し、苦しめ、傷つけて、その結果が、善人を傷つけてきたんだってことか?「父さん、これは本当なのか?僕はずっと、川口が裏切ったと思ってて、それに……」言葉が続かなかった。初めて会った時の陽菜を思い出した。おずおずと父親の陰に隠れて、臆病なのに、生き生きとした。「泰成、本当のことだ。聞いたぞ、陽菜を妻にしたそうだな。彼女を、どうか幸せにしてやってくれ」病院を出た泰成は放心状態だった。陽菜はどれほど無実だったか。あんな
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第17話

「先輩、この腕前、本当にすごいです。うちのボス、今まで誰にも認めたことがないんです。先輩が初めてです」昴は陽菜が修復した文化財を嬉しそうに抱え、しきりに褒めちぎっていた。「こんなにすごいって知ってたら、もっと報酬上げてくればよかったです。一億円じゃ安すぎましたな」陽菜は笑いながら手元の作業を続けていた。昴が戻ってくるなり、学生時代と同じように、作業室に来てはペラペラ喋りっぱなし。「先輩、ボスから聞きました。立花が来て、殴り飛ばされたそうですね。僕がいなくて残念でした。いたら僕も2、3発殴ってやれたのに」陽菜は他人から泰成の名前を聞いても、もう以前ほど動じなくなっていた。「早瀬、ありがとう」昴と昇が、彼女を苦しみから救い出そうと努力してくれていることをわかっていた。この世にはまだ大切にすべき感情がある。例えば友情。そして愛よりも重要なもの、例えば自分を赦すこと。「先輩、何で僕に感謝してるんですか?むしろボスの方ですよ。ずっと先輩のことを聞いてきたんです。僕が出張の時、進んで先輩の面倒を見ると言っていました。感謝するならあっちでしょう?」陽菜は驚きの表情を浮かべた。昇とはそれほど親しくもないのに、なぜそんなことを?「早瀬、あなたが彼に頼んだんじゃないの?」昴はこっそりとドアの外を見てから言った。「実は、先輩を招きしたのは最初からボスの提案だったんです。多分、先輩に片思いしてるんじゃないかなって思います」陽菜はまず驚き、次に昴がでたらめを言っていると思った。昇と知り合ってまだ1ヶ月も経っていない。それに彼より1歳も年上で、しかもバツイチ。どう考えても、自分なんかを好きになるとは思えない。「やめてよ、変なこと言わないで。邪魔だから出てって」陽菜は昴の言葉を真に受けなかった。二人は気づかなかったが、ドアの外で一瞬通り過ぎた影があった。その影は、どこか寂しげだった。修復用の工具が足りず、陽菜はY国の首都まで行く必要があった。昴は用事があったため、昇が同行することになった。「せっかく街まで来たんだ、美味しいものでも食べようか?」昇は口笛を吹きながらハンドルを握り、食事場所を考えていた。陽菜はお腹の肉を見た。最近やけに太ってきて、もう四キロ近く増えていた。どんなに忙しくても、一日三食きちんと食べ
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第18話

陽菜と昇が別荘に戻ったのはかなり遅い時間だった。玄関に着く前に、すでに昴の怒鳴り声が聞こえていた。「この畜生め!先輩を傷つけてまだ足りないのか?よくもこんなところまで来られたもんだ!恥を知れ」自分のことだと察した陽菜は急いで駆け寄った。Y国に来て1ヶ月、再び泰成の姿を見ることになる。陽菜の姿を見た泰成は、手足が震えるほど動揺した。胸に溢れる言葉はあれど、ただ目を赤くするしかできなかった。陽菜は彼が以前と違うことに気づいた。かつての泰成はどんな時も冷静、沈着で、自分を乱すことは決してなかった。しかし今の彼は前回来た時よりさらにみすぼらしく、スーツは皺だらけ、髪は乱れ、目の下にはクマができていた。その目には後悔の色さえ浮かんでいる?「陽菜、ちょっと外に出てくれないか?話したいことがあるんだ」泰成の声はかすれ、懇願するような調子だった。何があったのかわからないが、陽菜は彼が近づいてくるのを見て、本能的に昇のそばに身を寄せた。「もう会いたくないと言ったはず」泰成の手は宙で震え、口元には媚びるような笑みが浮かんでいた。「陽菜、僕たちの間には誤解があるんだ。説明させてくれないか?」陽菜の拒絶を責めなかった。怒りがあるなら、まだ心に自分がいると信じていた。誤解さえ解ければ、きっとまた昔のように戻れる。陽菜は首を振った。「私たちの間には誤解なんてない。あるのは事実だけ。あんたが私を愛していない、浮気で私を傷つけた、父への恨みを私にぶつけた、3年間も苦しめ続けた。これを誤解と呼ぶの?たとえ誤解だとしても、どんな理由も受け入れない」普段ならこれほど長く話さない。早くこの場を終わらせたかっただけだ。泰成が怒って去ると思ったが、彼はこらえていた涙を突然こぼした。「父が目を覚まして、真実を話してくれた。君の父さんは立花家を裏切ったのではなく、救ってくれたんだ。だから、陽菜、ごめん」陽菜の胸が締め付けられた。やっぱり、父は悪くなかった。あの時なぜあんなことをしたか教えてくれなかったが、いつも泰成に良くするんだよと言っていた。父の立花家への負い目から、泰成に復讐されても恨まなかった。だが今、父の汚名が晴れたとしても、もう泰成を許すことはできなかった。「謝罪は受け入れない。父が何をしたかなんて関係ない。私があんたを
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第19話

陽菜は昴と昇の手を引っ張って立ち去ろうとした。もう泰成とは関わりたくない。彼とのやり取りは、せっかくの良い気分を台無しにするだけだ。しかし泰成は強引に彼女を引き寄せ、目を血走らせながら言った。「陽菜、僕と帰らないのは、とっくに早瀬とくっついてたからか?それともこの野郎と?僕への復讐なら、今回は大目に見てやる。さあ、一緒に帰ろう」昇は昴が動くより先に、素早く蹴りを入れた。「どこから湧いた野良犬だ?うるせえな。彼女はお前とは行かん。おい、こいつをつまみ出せ。またここに現れたら、お前ら全員クビだ」数人のボディーガードが泰成を取り押さえた。泰成は昇を鋭く睨みつける。「てめえ、何様のつもりだ?陽菜の代わりに決める権利なんかねえだろ」昇は指を鳴らしながら笑った。「僕が誰か知らねえのか?国内に冷泉って苗字がいくつあるか調べてみろ。てめえに手が出せる相手かどうか、すぐわかるさ」泰成の目が見開かれた。冷泉という姓は珍しく、権勢のある家系となれば数えるほどしかない。まさかあの白霧の冷泉家の?しかしすぐに否定した。陽菜があの冷泉家と接触できるはずがない。「お前が誰だろうと関係ない。陽菜は僕のものだ。後ろ盾ができたからって調子に乗るな。もう忘れたのか、お前が僕に……」泰成の言葉は昇の強烈なパンチで遮られた。昇は拳を振りながら冷笑した。「口の利き方に気をつけろ。どうやら立花家の繁栄もそろそろ終わりだな」陽菜は昇の言葉の意味がわからず、急いで引き離した。「もうやめて、中に入りましょう」唇から血を流す泰成には目もくれず、昇の手を取ってきっぱりと背を向けた。泰成は世界から見捨てられたような気分だった。胸が締め付けられ、一言も出ない。以前の陽菜は自分を一番気にかけ、少しの傷も惜しんだのに、今はまるで他人のように冷たい。どうしてそんなに残酷になれる?「陽菜、行くな、お願いだ」泰成はもう体面もプライドもかなぐり捨てていた。他の男に手を引かれる彼女を見るのは、死ぬほど苦しかった。今になって、陽菜が味わってきた痛みがわかる。「ふざけた夢を見るな!先輩がお前みたいなクズを選ぶわけないだろ!このやろう」昴は唾を吐きかけ、まだ足りないようだった。泰成は構う余裕もなく、ただ陽菜を引き留めたかった。「陽菜、僕は帰らない。君
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第20話

泰成は結局、救急車で運ばれていった。 陽菜は大雨の中倒れる姿を見て、昴に警察を呼ばせた。 「別荘の前で死なれても困る。縁起が悪い」 昇は昴が外へ出るのを見て、顔色を何度も変えた。 拳を握りしめ、大きな決心をしたように、陽菜の作業室へ向かった。 「どうしてこんなに早く戻ってきたの?立花は……」 昴かと思って顔を上げると、そこには冷たい表情の昇が立っていた。「ここで何をしていますか?びっくりしました」 作業に戻ろうとした瞬間、手をいきなり掴まれた。 「川口、僕は君のことが好きだ。結婚してくれ」 昇の言葉に、彼女は持っていた物を落としそうになった。 「ボス、冗談はやめてください」 手を振り払い、平然を装うが、胸は高鳴っていた。 昴の言葉を思い出す、彼は本当に片思いしてたのか? やっと抜け出した罠。もう二度と男という火の中に飛び込まない。 「冗談じゃない。実は前から君を知ってた。骨董品のオークションで会ったことがある。ただその時はもう立花の妻だった」 昇の真剣な眼差しに、嘘ではなさそうだった。だがそれがどうした? 今一番要らないのが、感情なんてものだ。 「見覚えがなくてごめんなさい。でも私は今とても冷静です。冷泉、もう恋愛も結婚もするつもりはありません。だから冗談でも本気でも、お断りします」 彼をドアの外に押し出し、鍵をかけた。落ち着くまでに時間がかかった。 陽菜、男なんて信じられない。信じていいのは自分だけ。 ドアの外で昇は長い間立ち尽くした。すべては泰成のせいだ。あいつが彼女を傷つけたから、男全員に心を閉ざしてしまった。昴が戻ってきた時、昇が壁を殴り蹴っているところだった。 「ボス?どうしたんです?」 昇はため息をつき、隠さずに打ち明けた。 「さっき川口にプロポーズして、断られた。それなのにお前は立花なんか助けに行った。わざとだろ?」 拳を振り上げられ、昴は慌てて顔を覆った。 「落ち着いてください!まさか本当に先輩がお好きだったなんて」 昇は彼を放す。「当然だ。だから何度も呼び寄せたんだ」 昴は急に興味を持ち、馴れ馴れしく突っついた。 「じゃあボス、前から先輩のことを知ってたんですか?どうい
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