窓の外に、ひとひらの葉が舞っていた。黄と茶の混じった細い葉が、風に押され、回転しながら空を切って落ちていく。軋むような音を立てて窓枠をかすめた瞬間、宏樹はペンを握ったまま視線をそちらに向けた。書斎の空気は、妙に澄んでいた。冷たくも、暑くもない。けれど、肌を撫でる空気には明確な“変化”が混じっていて、何かが終わっていく気配がした。目の前のノートには、白紙のままのページ。万年筆のインクが紙に触れないまま、小さな影だけが落ちている。「…くそ」低く呟いて、彼はペンを置いた。微かな音すらも部屋に響く。その瞬間、背後の静けさが増幅された。拓海がいない。それだけのことが、空間のすべてを変えてしまっていた。椅子の軋む音も、シャワーの音も、リビングで交わす短い会話もない。気づけば、キッチンも、リビングも、静まり返っていた。あの少年が歩くたびに揺れていた空気の、あの熱が、ここにはもうない。宏樹は立ち上がり、書斎の棚をぼんやりと眺める。指先が無意識に引き出しの取っ手に触れ、そして躊躇なくそれを開けた。奥にあった、小さなフォトスタンド。金属の縁が少しくすんだそれには、笑っている美幸と、高校に入学したばかりの拓海が写っている。写真の中の彼女の目元に、窓から射した光が反射して、瞬いたように見えた。その瞬間、胸の奥が鈍く揺れた。「…もういいだろ」誰に向けた言葉でもなく、ただそう言って、彼はゆっくりと写真立てを裏返し、引き出しの奥にそっとしまった。ほかにも、小さなアルバム、メモ帳、端のちぎれた封筒。全部まとめて、一番下の引き出しに押し込むように仕舞い込む。音を立てないように、静かに、まるで何かを葬るように。手を離したあと、何もなかったように引き出しは閉まった。静寂が戻る。目を閉じれば、思い出す。あの夜、酔って帰ってきた自分が、どうしてあんなことをしたのか。無意識のようで、でも確かに自分の手で起こした出来事。その後の、拓海の表情。
Dernière mise à jour : 2025-09-04 Read More