スマホが震えた。画面には、フォローしていないアカウントの投稿が表示されている。リンク先には宏樹の作品名。添えられた言葉は、短く、切実だった。「この小説、ずっと言葉にできなかった“痛み”を代弁してくれた」拓海は寝室のベッドにもぐり込んでいた。足元では、宏樹が文庫を片手にソファにもたれている。リビングからの明かりが扉の隙間から洩れ、天井にぼんやりとした筋を描いていた。再び通知が鳴る。「“To the one who stayed”って誰のこと?」「これ、実話でしょ?」「泣きながら読んだ。明日、誰かに優しくなれる気がする」ハッシュタグが増えていく。感想の投稿が、雪崩のように流れてくる。目が追いつかないほどのスピードで、言葉が、誰かの胸の中から溢れている。拓海はそっと身を起こした。リビングに向かうと、宏樹がスマホを手にしていた。画面にはトレンド一覧。「#ここに居続けた君へ」が、3位に浮上している。ふたりの目が合う。どちらも、何も言わなかった。その沈黙は、ただの驚きでも、安堵でもなかった。何かが、思っていたよりもずっと遠くに届いてしまったという、言いようのない実感だった。宏樹は黙ってスマホを置いた。そして、テーブルの上のノートパソコンを開いた。検索窓に、タイトルを打ち込む。エッセイ系のニュースサイトが取り上げていた。「“誰か”を失ったすべての人へ。静かな傑作」「実話かどうかより、これは“本当のこと”だ」レビュー欄には、こんな言葉もあった。「夫に読ませた。泣いてた」「読後、久しぶりに母に電話した」「名前が出ないからこそ、誰のことでもある。これは、私の物語だった」拓海は、ただ立ち尽くしていた。自分たちのことが、今、匿名のまま世界を駆けている。名
Dernière mise à jour : 2025-09-24 Read More