夜が更けるほどに、家の中の音はますます遠のいていった。拓海はベッドに背を沈めたまま、天井の暗がりをじっと見つめていた。照明はとっくに落としてあって、部屋の中にはカーテンの隙間から射し込む街灯の薄明かりが、わずかに床を照らしている。この部屋で眠るようになって、何日が過ぎただろうか。あの再会の夕暮れから、拓海と宏樹は毎日を穏やかに過ごしていた。互いに必要以上の会話はしない。必要なことだけを短く伝え、台所や居間では互いに道を譲り、気遣いを交わす。どこにも衝突の気配はなく、食器の音も、湯の沸く音も、淡々と生活を支えていた。けれど、それは本当に「平穏」と呼べるものなのだろうか、と拓海は思う。掛け布団の端を指先でつまむ。わずかに冷えた布の感触が、皮膚の記憶に絡みつく。息を吸って、ゆっくりと吐き出す。その音が部屋に小さく響いた。時計の針が時を刻む音と混ざって、まるでこの静けさに、誰かが耳を澄ませているような錯覚に陥る。「居心地は悪くない」拓海は心の中でそう言い聞かせてみる。たしかに、あの頃のような緊張はない。けれど、心が触れ合っている実感も、どこか希薄だった。まるで、互いに波立てないことだけを優先して、ぎりぎりの距離感を保っているような。会話がないのが苦しいわけではない。無理に話さなくても成立する関係は、むしろ大人として健全なのかもしれない。でも、今の空気には、「言わないこと」が「言えないこと」と紙一重で並んでいるような怖さがあった。拓海は体を横に向けた。壁際には、本棚と、小さな観葉植物の影が静かに揺れている。この家に戻ってきたとき、自分は「進むため」だと信じていた。過去を乗り越えるとか、赦すとか、そんな大げさなものではない。ただ、もう一度、目を逸らさずに向き合ってみたいと思ったのだ。でも――本当に向き合えているのだろうか。宏樹の背中は、あの日見た通り穏やかだった。肩の力は抜けていて、かつてよりずっと自然体だった。でもそれは、何かを諦めたようにも、疲れ果ててしまったようにも見えた。たとえ言葉を交わしても、もう手遅れなのではないか。取り戻せるものなんて、最初からなかったの
Dernière mise à jour : 2025-09-12 Read More