「黒崎教授、半月後の火星研究計画に参加することを確認されますか」黒崎蛍(くろさき ほたる)は一瞬の迷いもなく答えた。「ええ、参加します」「分かりました。研究の機密性のため、半月後にご主人の加瀬圭太さんへは、あなたが氷河島旅行中に不慮の事故で亡くなり、遺体は発見されなかったとお伝えします。それによって、あなたの失踪に一切の矛盾が生じないようにします。他にご希望はありますか」蛍はかすれた声で言った。「ありません。ありがとうございます」電話を切った彼女は窓の外に視線を向けた。外の大型スクリーンには、三年前に加瀬圭太(かせ けいた)が彼女のために用意したプロポーズ映像が、今も繰り返し流れている。男はカメラを見つめ、やさしい眼差しで微笑んでいた。「蛍、俺と結婚してくれるか」カメラの外からは、恥じらいと幸せの入り混じった声が返る。「はい……」思えば滑稽な話だ。プロポーズされた当事者である自分は映像に一切映っておらず、最初から最後まで、そこにいるのは圭太だけだった。蛍は視線を戻し、カップの中のラテアートの渦を見つめながら、静かに涙をこぼした。だが、それはもう幸福の涙ではなかった。三年前、彼女は研究チームでの更なる研鑽の道を断ち、家庭に戻ることを選んだ。そして圭太も彼女を裏切らず、結婚後は互いを尊重し合い、穏やかで甘やかな日々を過ごしてきた。しかし半月前。警察勤めの親友から送られてきた何枚もの写真が、すべてを壊した。そこに写っていたのは、手をつなぐだけで顔を赤らめたあの夫が、別の女と、いやそれだけでなく、男とも親密に寄り添う姿。しかも目を覆いたくなるほどの淫らな光景で……蛍は思わず吐き気を催した。長年知ってきたはずの圭太が、外ではこんな下劣な人間だったなんて、夢にも思わなかった。五歳の時、実の両親に捨てられた蛍を、圭太の母・紬(つむぎ)が家に迎え入れてくれた。初めて彼女を見た圭太は、胸を叩きながら力強く言った。「妹、ここはこれからお前の家だ。俺は絶対にお前を捨てたりしない」小さな蛍はその言葉をずっと心に刻み、今日まで忘れたことがなかった。けれど、彼は守らなかった。だから、彼女は去ると決めた。カフェを出た後、どれほど歩いただろうか。ふいに目の前に人影が立った。避けきれずぶつかりそうになった蛍が謝ろうとした
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