飛行機に乗り込んだとき、枝里子の心は不思議なほど静かだった。悲しみも、昂ぶりもない。前回帰国したときの胸のざわめきとは、まるで別物の落ち着きだった。アイマスクを手にした瞬間、通路から長身の影が近づき、彼女の隣で立ち止まった。「すみません、僕は窓側の席です」落ち着いた声が耳に届く。枝里子は思わず顔を上げ、その男の顔を目にして一瞬固まった。越也の顔立ちは整っているほうだ。長い時間を彼と過ごしてきたせいで、他の男を見ても「格好いい」と思うことはほとんどなかった。けれど、この男は違った。柔らかな気配をまといながらも、凛とした立ち姿で、不思議と目を引きつけられる。そのとき、枝里子の携帯が震えた。担当教員からの着信だ。教授の名を口にし、流暢な外国語で受け答えをしていると、隣の男がちらりとこちらに視線を寄越すのに気づく。通話を終えて顔を上げると、彼は微笑みながら枝里子の向かう大学の名を口にした。「……奇遇ですね。僕もその大学の学生なんです」思いがけない言葉に、枝里子も思わず微笑む。「ええ、本当に奇遇ですね」それ以上言葉を交わす間もなく、機内アナウンスが離陸を告げる。枝里子は軽く会釈し、アイマスクをつけて目を閉じた。空港に降り立ったとき、二人は一度すれ違いざまに目を合わせたが、すぐに人波に飲まれた。枝里子は追おうとはしなかった。ただの一期一会の校友、それだけのことだ。大学に戻ると、教授はまるで家族のように彼女の身を案じた。枝里子が少し打ち明けただけで、教授は不器用ながらも、枝里子の母国語で憤りを露わにする。「そんな男、目が曇ってるわ!あなたみたいに優秀な人を傷つけるなんて!」枝里子は苦笑し、静かに首を振った。教授はすぐに気を取り直し、机の引き出しから書類を取り出した。「落ち込むことはないわ。別れを選んだ彼のほうが損をしたのよ。この資料を見てごらんなさい。君にぴったりの研究プロジェクトを申請しておいたの。君の祖国に関わるテーマなのよ。成功すれば未来は大きく開けるはず。ただ、このプロジェクトは極秘で進められているから、外部との連絡はできないし……それに、帰国の目処も立たないのだけれど」教授の説明が終わる前に、枝里子はもう頷いていた。「問題ありません。祖国のために力になれるなら、ぜひ参
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