去りゆく後 狂おしき涙 의 모든 챕터: 챕터 341 - 챕터 350

温かい息が耳元に吹きかかり、紗季は一瞬にして全身をこわばらせ、振り向きざまに隼人を突き飛ばし、低く厳しく言った。「何をするの！」隼人は愕然とし、やや傷ついたようだった。「ただ、お前を抱きしめたかっただけだ。どうしたんだ、紗季？」紗季は彼の言葉に怒りで心臓が激しく高鳴った。そうだ。隼人は記憶に問題があり、突然二十四歳の記憶しかなくなっている。本来の彼が抱いていた罪悪感や後悔はすべて消え去り、彼はただ、自分が妻だということしか分かっていない。自分がどれほどひどいことをしたかも、なぜ頭に怪我をしてここにいるのかさえも。この出来事をすべて記憶しているのは紗季だけ。最初から最後まで、苦しめられているのも紗季だけだ。なぜ、自分だけが。自分がいったい何をしたというのだ。紗季は舌先を噛み、冷静さを取り戻すと、きっぱりと言い放った。「隼人、離婚しましょう」隼人ははっと動きを止め、信じられないといった様子で言った。「何を言ってるんだ？」「離婚しましょうと言ったの」紗季は彼をまっすぐに見つめた。「理由はないわ。ただ、急に飽きただけ」隼人は一瞬狼狽し、彼女の手首を掴んだ。その顔色は一層蒼白になった。「だめだ、離婚なんてしない。どうして急にそんなことを言うんだ？俺が、何か間違ったことをしたか？」「あなたは間違ってないわ。私がおもちゃに飽きたの。昔はあなたに一目惚れしたけど、手に入れたらもうつまらなくなった。別れよ」紗季は容赦なく彼を傷つけた。隼人は暗然とし、心痛をこらえて笑った。「だけど、紗季、俺たちは結婚したばかりじゃないか。それに、俺が離婚届にサインしなければ、役所に行かなければ、離婚はできないんだぞ」紗季は彼を深く見つめ、嘲るような表情を浮かべた。「そうかしら？」隼人は頷いた。「まだ嘘をつく気！」紗季は彼の手を振り払った。「私たち、そもそも婚姻届なんて出していないじゃない！いったい、いつまで私を騙し続けるつもりだったの？私があなたの子を産んで、子供のために離れられなくなる時まで？」その言葉を聞き終え、隼人は息を呑み、苦しそうに唇を結んだ。「そうか……お前は、そのことを知っていたのか」紅葉と彰が追いかけて出てきた。二人が対峙している様子を見て、わけが分からなかったが、どちらもあ

彰は黒川隼人をきつく睨みつけ、その微細な表情からわずかでも異変を見つけ出そうとした。しかし、隼人はただ敵意に満ちた眼差しで彼を見つめ返すだけだった。今の彼も、普段の彼も、その眼差しは変わらない。まるで生涯最大の仇敵を見るかのようで、何の区別もつかなかった。彰には見分けがつかず、不意に声を潜めた。「ここには誰もいません。何を演じているのですか？」隼人は一瞬動きを止め、目を細めた。「どういう意味だ？」「私が気づいていないとでも？あなたは、記憶に何の問題も起こっていませんね」彰は腕を組み、わざと鎌をかけた。「あなたはただ、どうすれば紗季さんに近づけるか分からず、わざとこの方法で彼女に接近しているだけです」「お前の言っている意味が分からない。俺と紗季は夫婦だ。どんな方法を使わなくても、当然のようにあいつに近づける。むしろお前こそ、俺たちの仲に割り込んで、何のつもりだ？」隼人は片手をポケットに突っ込み、わずかに顎を上げ、氷のような冷たい眼差しで彼を見据えた。その言葉を聞き、彰は滑稽だと感じた。彼の瞳に冷たい光がよぎり、淡々と言った。「結構です。黒川さん、どうぞ、演じ続けるといい。ですが、私に少しでもおかしな素振りを見せないことです。さもなければ、即刻あなたを追い出しますので！」彰は怒りにふんと鼻を鳴らし、そのまま背を向けて振り返りもせずに立ち去った。彰の後ろ姿がドアの向こうに消えていくのを見ても、隼人は依然として唇を結び、何の表情も見せなかった。しばらくして、彼はようやくドアを開けて外へ出ると、階上へ向かった。紗季はまだ浴室でシャワーを浴びていた。熱い湯が流れ落ち、湯気が立ち込めている。彼女は少し息苦しくなり、顔を上げて思考を巡らせた。仮に隼人が今、本当に記憶障害を起こしているのだとしても、やはり自分に付きまとうだろう。しかし、むしろ好都合だった。結婚当初、隼人を追いかけ、好きだったのは自分の方だった。隼人が後になって自分と結婚したのも、二人が偶発的に関係を持ったからだ。紗季は、今このタイミングで自分が最も悪辣なやり方で隼人に報復したとして、彼が以前のようにしつこく食い下がってこれるとは思えなかった。この頃の隼人は、まだ自分をそれほど好きではなかったはずだ。七年間、一日も変

紗季は終始表情を変えず、また不意に笑った。彼女が笑うと、隼人はほっと息をついた。「俺の言い訳、信じてくれたのか？すぐに三浦美琴を見つけて、あいつと離婚する」しかし、紗季の次の言葉が、彼の笑顔を消し去った。「本当に性根は変わらないのね。二十四歳だろうと三十歳だろうと、同じ口実、同じ反吐が出るような言い草だわ」隼人は固まった。「何だと？」紗季は一歩下がり、氷のような視線を向けた。「『そうするつもりだった』、『間が悪かった』、『思いもよらなかった』、『最初からじゃなかった』……そういう言葉はもう聞き飽きたわ。あなたは考えたこともないの？この全てが、ただあなたの感情の処理能力が欠如しているせいだって。そんなに都合よく、あなたが真実を打ち明ける直前に邪魔が入るものかしら？」彼女の眼差しは、ますます嘲りを帯びた。「女が喜んであなたとの結婚に踏み込もうとしたその瞬間に、真実を告げなかったのなら、あなたは、その女を失って当然なのよ」紗季はもう隼人を見ず、寝間着を手にドアを開けて外へ出た。ところが、ドアを開けた途端、外に彰が立っているのが目に入った。部屋の明かりは彼を照らしていなかった。彼の表情は陰に隠れ、読み取れない。紗季は一瞬固まった。彼がここにいるとは思っておらず、口を開こうとした時、彰がそのまま中へ入っていき、隼人に向かって強烈な一撃を食らわせた。「二度と紗季さんに付きまとわないって言ったはずです！彼女があなたを追い出せないのなら、私が代わりにやります！」紗季は呆然とした。彰の大きな背中を見つめ、なぜか一筋の安心感を覚えた。隼人は殴られて二歩後ずさり、口の端が切れた。瞬間的に激怒し、刃のように冷たい眼差しになると、拳を握りしめてためらうことなく反撃した！二人は何の予告もなく、もみ合いになった。紗季は我に返り、隼人が怪我をしたばかりで、殴られては大事になると気づき、すぐに声を上げて制止した。「桐山さん、止めてください！彼は頭に怪我をしています！」隼人は彰の襟首を掴んで殴ろうとしていたが、その言葉を聞いて目を見開いた。肝心な時に、紗季がやはり自分を気にかけてくれたのだと思った。次の瞬間、紗季は続けた。「強く殴って大事になったら、彼がここでどれだけ療養しなければならなくなるか分かりませんわ。

医師はまもなく隼人の縫合を終えて立ち去った。去り際に、注意事項を長々と述べた。隼人は終始何の反応も見せず、ただ医師の話を聞き終えた後、わずかに頷いただけだった。医師は、彼のこの状態はおかしいと感じたが、今の状況を尋ねる勇気もなく、薬箱を提げて立ち去るしかなかった。医師が去った後、彰は隼人の部屋のドアが見える向きでソファに横になり、目を閉じた。一夜が明けた。彰ははっと目を開け、起き上がってあたりを見回した。窓の外はすでに明るくなっている。隼人のドアのところには、逆さまにした瓶が置いてあった。自分がわざわざ仕掛けておいたものだ。隼人の部屋には専用のバスルームがあり、ウォーターサーバーもある。通常、特別な用事がなければ、彼が部屋から出てくる必要は一切なかった。一夜が過ぎても、瓶は微動だにしていない。部屋の中からは何の物音もしない。どういう状況だ？隼人は、本当に部屋から出ていないのか？彰は立ち上がり、隼人の身に何かあったのではないかと推測し、まっすぐ歩いていき、ドアを開けた。彼は、隼人がベッドのそばに座り、無表情のまま窓の外を見つめているのを目の当たりにし、思わず一瞬固まった。「黒川さん、まだ五時ですよ。どうして起きたのですか？」隼人は取り合わず、聞こえないかのようだった。彰は歩み寄り、眉をひそめて彼を上から下まで見つめた。「お尋ねしているのですが。いったい、どうしたのですか？」隼人は振り返り、静かに彼を見つめた。その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。彼のこの様子を見て、彰はますますおかしいと感じた。彼は隼人をまじまじと見つめた。「どうしてずっと黙っているのですか？いったいどうしたのです？まさか、完全に記憶喪失にでも？」隼人は立ち上がった。彰は一歩下がった。彼がまるで自分のことが見えていないかのように、そのまま自分の横を通り過ぎ、水を飲みに行くのを見て、わずかに眉をひそめた。彼は混乱し、ドアを開けて外へ出ると、ちょうど階上から降りてきた紗季と鉢合わせた。視線が合うと、紗季は歩み寄ってきた。「どうして彼の部屋から？彼は大丈夫なのですか？」彰は首を振り、深く考え込むように言った。「昨日、怪我をして気を失ってから今まで、一言も話さないのです。様子がどうもおかしい。打撃が大きすぎ

「たとえ本当にうつ病になったとしても、あなたとは何の関係もありません」彰は紗季を深く見つめた。紗季は一瞬ためらい、それ以上は何も言わず、ただ微笑んだ。「分かりましたわ。少し一人で静かにしたいので、この数日は、彼の前であまり話さないようにしましょう」彰は頷き、協力する姿勢を見せた。医師が隼人への心理カウンセリングを終えて出てくると、紗季が外で待っているのが見えた。医師は両手を広げ、どうしようもないといった様子だった。「申し訳ありませんが、今のところ、彼を治療する適切な方法が見つかりません。黒川さんの状況は、少々おかしいのです。我々が何を話しても彼は無反応で、あなたのことについて触れても、ただ淡々としているだけです。まるで、完全に自分を閉ざして、外界との交流を断ってしまったかのようです」紗季は水を飲む手を止め、頷いた。彼女はこの結果をすでに覚悟していた。「あらゆる方法で、できる限りの治療を試みてください。ですが、最優先事項は、彼の頭の傷の処置ですわ」医者は頷いた。「数名に見張りをつけさせてください。万が一、彼が自害傾向が出た場合に備えてください」紗季は一瞬固まった。無意識に言った。「そんなに深刻なことになりますの？」「もちろんです」医師の口調は真剣だった。「可能性は非常に高い。くれぐれもご注意ください」紗季は深く息を吸い込んだ。気は重かったが、頷くしかなかった。医師が立ち去った後、彼女はすぐに紅葉に連絡し、島にいる警備員を二人、隼人の周囲に配置させた。交代制で、六時間ごとに交代し、隙間なく隼人を見張る体制を整えた。夜になり、彼らは食事をしていた。紅葉は粥をすすりながら、時折、部屋のドアに視線をやった。彼女は不思議そうに言った。「お嬢様、あいつ、腹が減ったら出てきて食べると思う？さっき、使用人に食事の知らせはさせたんだけど」紗季は首を振った。「今はまだそっとしておきましょう。一日食べなくても大丈夫よ。明日になっても、彼がまだ来ようとしなかったら、食事を運ばせれば……」その言葉が終わらないうちに、部屋のドアが開いた。隼人がゆっくりと歩いてきて、テーブルのそばに座った。彼が座った場所は、わざと紗季から一番遠い場所を選んでいた。彰の隣でさえ、彼は意に介さないよ