小林美夜(こばやし みや)の父である小林英夫(こばやし ひでお)は心臓病で危篤となってから七年、ようやく適合する心臓を見つけた。手術の前夜、結婚七年目の夫である江口臨也(えぐち いざや)は、彼女に愛人である白石莉々(しらいし りり)のためにドナーの心臓を譲るよう要求した。彼はそこに立っており、姿勢は端正だが、表情は美夜がこれまで見たことのない冷たさと疎外感に満ちていた。「美夜」彼は声を出したが、感情の起伏はまったく読み取れなかった。「莉々の方が、状況が急変した」美夜の心は、その冷たい「美夜」という声に、急に沈んだ。彼女は無意識に半歩後ずさりし、嫌な予感が胸に湧いた。「彼女は心臓移植が必要だ」臨也の視線が彼女に鋭く注がれ、疑いの余地のない決断が伴っていた。「すぐに」一言一言が、氷で鍛えられた刃のように、彼女にようやく芽生えた希望の心を正確に突き刺した。美夜の声は激しく震え、今にも掠れて消えてしまいそうだ。「臨也……何を言っているの?父さん……父さんは七年間もドナーを待っていたのよ!父さんは待ち続け、やっと手に入れたんだよ!」彼は淡々と答えた。「知ってる」臨也の口調はあまりに冷静で、息が詰まるほどだった。「だが状況が変わった。莉々は義父さんよりずっと若く、回復の見込みも高い。社会や未来への貢献の可能性も大きい。理性的に利害を考えれば、ドナーの心臓は彼女に優先して使わせるべきだ」美夜の声は突然、張り上がった。「利害を考えるだって?臨也!それは私の父の命よ!父さんはずっと機械に頼って、ドナーの心臓を待っているのよ!しかも……白石は一昨日、総合健康診断を受けたばかりよ!軽度の狭心症で、手術なんて必要ないのよ!」美夜はくしゃくしゃに折れた紙を取り出し、全力で臨也に投げつけた。「自分で見て!彼女は温室育ちの花だから、ほんのかすり傷でも大げさに痛がるのね。『危篤』だと?臨也、あんたの良心は痛まないの?!」臨也の視線は下に落ち、その薄い健康診断の紙をさらりと見たが、表情には驚きの色はなかった。美夜の心は一瞬で奈落に突き落とされた。彼……彼は最初から知っていたのだ!臨也は落ち着いて高価なコートの内ポケットから、きちんと折りたたまれたA4用紙数枚を取り出した。「署名しろ。
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