「遥香、離婚届の提出を手伝ってくれる?」澄川紗月(すみかわ さつき)の声が電話越しに響いた瞬間、親友の杉本遥香(すぎもと はるか)はあっけに取られて、口を開けたまま固まった。「紗月……澄川輝也(すみかわ てるや)って、あんなにあなたを愛してたじゃない。ここまでくるのに、どれだけ苦労したか……どうして急に離婚するの?なにか誤解があるんじゃないの?それにもう十一年も一緒にいて、拓海だって七歳よ。……本当に、それでいいの?」紗月は車窓の外、仲良く並んで歩く三人をじっと見つめ、嘲るように口元をゆがめた。「浮気されたの。相手はモデル。三年もよ」その女の顔立ちが紗月とかなり似ている。輝也に反対され、紗月が諦めざるを得なかったあの仕事を、彼女はしている。 しかもその女は、輝也によって家の真向かいに住まわされ、三年もの間、囲われていた。紗月がそれを知ったのは、たった昨日のことだった。電話の向こうの遥香は何も言えなくなっていた。紗月は顔をそむけ、目線を外に向ける。輝也の愛人・モデルの中谷礼奈(なかたに れいな)が澄川拓海(すみかわ たくみ)の手を引き、二人して楽しげに笑っている。その後ろを、輝也がずっとついて行く。輝也が頷き、支払いを済ませ、買い物袋をボディーガードに渡す……彼の動作や眼差しには、自分でも気づいていないような包容と優しさに満ちていて、それが紗月には胸が痛むほど堪えた。気づけば、熱い涙が止めどなく流れている。紗月はそれを乱暴に拭い取り、声が震えていないことを確認してから、再び電話をかけ直した。「児童福祉施設の新しい施設長、もう人を探さなくていいわ。他の人に任したら心配するし、私が引き受ける。来月から、就任する」それだけ言って、窓を閉め、電話を切り、アクセルを踏み込んで自宅へと戻った。帰宅した紗月は、震えが止まらず、体を丸めるようにして布団に潜った。暖房をつけても寒くて震えを止めることができない。意識が朦朧とするなか、輝也が帰ってきた。寝室に入ってきた彼は、すぐに紗月を布団の中から抱き起こし、眉をひそめながら紗月の額に手を当てた。「……どうした?こんな早く寝てるなんて、顔色も悪いし。具合でも悪いのか?」そう言って、彼は紗月の頭を抱え、額をぴったりと合わせて、体温を確かめようとした。
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