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変わらぬふり

変わらぬふり

Oleh:  姜チチTamat
Bahasa: Japanese
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紗月と輝也は、十一年という長い歳月を共に歩んできた。 彼女は、このまま彼と生涯を添い遂げるのだと信じていた。 しかし輝也は、浮気した。 三年も前から、紗月とかなり似た面影を持つ、若くて瑞々しい別の女性と関係を続けていたのだ。 「これ以上悪いことはない」と、紗月が思ったその時。 息子の拓海が、「あなたは僕たち家族の幸せを邪魔してる」と言い放ち、絶縁状を彼女の目の前に差し出した。 心臓が踏みにじられるように痛かった紗月は、離婚届に署名した。 そして、二度とあの父子と関わらないことを心に誓った。

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Bab 1

第1話

「遥香、離婚届の提出を手伝ってくれる?」

澄川紗月(すみかわ さつき)の声が電話越しに響いた瞬間、親友の杉本遥香(すぎもと はるか)はあっけに取られて、口を開けたまま固まった。

「紗月……澄川輝也(すみかわ てるや)って、あんなにあなたを愛してたじゃない。ここまでくるのに、どれだけ苦労したか……

どうして急に離婚するの?なにか誤解があるんじゃないの?

それにもう十一年も一緒にいて、拓海だって七歳よ。……本当に、それでいいの?」

紗月は車窓の外、仲良く並んで歩く三人をじっと見つめ、嘲るように口元をゆがめた。

「浮気されたの。相手はモデル。三年もよ」

その女の顔立ちが紗月とかなり似ている。輝也に反対され、紗月が諦めざるを得なかったあの仕事を、彼女はしている。

しかもその女は、輝也によって家の真向かいに住まわされ、三年もの間、囲われていた。

紗月がそれを知ったのは、たった昨日のことだった。

電話の向こうの遥香は何も言えなくなっていた。紗月は顔をそむけ、目線を外に向ける。

輝也の愛人・モデルの中谷礼奈(なかたに れいな)が澄川拓海(すみかわ たくみ)の手を引き、二人して楽しげに笑っている。その後ろを、輝也がずっとついて行く。

輝也が頷き、支払いを済ませ、買い物袋をボディーガードに渡す……彼の動作や眼差しには、自分でも気づいていないような包容と優しさに満ちていて、それが紗月には胸が痛むほど堪えた。

気づけば、熱い涙が止めどなく流れている。紗月はそれを乱暴に拭い取り、声が震えていないことを確認してから、再び電話をかけ直した。

「児童福祉施設の新しい施設長、もう人を探さなくていいわ。他の人に任したら心配するし、私が引き受ける。

来月から、就任する」

それだけ言って、窓を閉め、電話を切り、アクセルを踏み込んで自宅へと戻った。

帰宅した紗月は、震えが止まらず、体を丸めるようにして布団に潜った。暖房をつけても寒くて震えを止めることができない。

意識が朦朧とするなか、輝也が帰ってきた。

寝室に入ってきた彼は、すぐに紗月を布団の中から抱き起こし、眉をひそめながら紗月の額に手を当てた。

「……どうした?こんな早く寝てるなんて、顔色も悪いし。

具合でも悪いのか?」

そう言って、彼は紗月の頭を抱え、額をぴったりと合わせて、体温を確かめようとした。

それは、交際四年、結婚七年のなかで何度もあった自然な仕草。彼は紗月の小さな変化にも気づいてしまう。これまで数えきれないほど、自然に思いやりを注いできたのだ。

しかし今回は、違った。

輝也の体には温もりと、ほのかに残る香水の香りがついている。彼が迫ってきた瞬間、紗月は思わず、彼の動作を避けてしまった。

我に返った紗月が見たのは、動きを止めたまま困惑の表情を浮かべる輝也だ。

「……大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」

紗月は少し間を置くと、かすれた声で言った。

輝也は納得したように頷き、「じゃあ少しだけでも何か食べてから寝よう。お前の好きなもの、テイクアウトで買ってきたんだ」と微笑んだ。

紗月が輝也についてテーブルに着くと、彼が既にテイクアウトの容器をひとつひとつ開け終わっていた。

服の裾が大きく広がっているため、紗月が箸を取りに体をひねった瞬間、うっかり輝也が椅子の背に掛けていたコートを落としてしまった。

パタン、とコートが床に落ちた。同時に、ひとつのコンドームがこぼれ落ちた。

一瞬、空気が凍りつく。

それまでだらりとしていた輝也の動作がぴたりと止まった。次の瞬間、彼は怒りに満ちた声をぶつけてきた。

「紗月!勝手に人の物を触るな!

人を尊重するってことが分からないのか!?夫婦だからって、礼儀も配慮も全部無視していいと思ってるのか!?」

紗月の顔から血の気が引き、後ろの白い壁に溶け込みそうになり、すぐに反応できなかった。

その間に輝也は怒鳴りながら地面に落ちたコンドームを拾い上げ、動作が荒すぎて、肘が熱いスープの入った碗にぶつかった。

スープが紗月の手にこぼれた。

張り詰めた冷たい沈黙が部屋を覆う。輝也の荒い呼吸と、紗月のかすかなうめき声だけが残った。

しばらくして、怒鳴りすぎたことを自覚したのか、輝也は声を落とした。

「……それは友達が冗談で入れたんだよ。本当に。誤解されたくなくて、つい大きな声を出しただけだ。

火傷してないか?見せて」

先まで熱かったスープはすでに冷えていて、紗月の手には油だけがついている。赤くなった皮膚を見て、輝也は棚から薬箱を取り出し、昔みたいに、慎重に包帯を巻いていく。

昔に紗月がうっかりと怪我した時、輝也がいつも丁寧に処置してあげた。

だが今回、傷の処置がまだ終わっていないが、輝也のスマホが鳴り始めた。

聞き慣れない特別な着信音——それは、特定の誰かのために設定されたもの。

通知が次々と鳴り、絶え間なく迫ってくる。

輝也の体が強張っていくのが紗月にも伝わってきた。

彼女は苦さを瞼の裏に隠している。

「……出たら?大事な用事かもしれないし」

その一言で、輝也はほっとしたようにスマホを取り出した。

同じ画面をじっと見つめ、瞳の色を次第に暗くなった。そして、はっと息を呑むと、詫びるような眼差しで紗月を見た。

「紗月……お前の誕生日プレゼントの件で、ちょっと手違いがあったみたいでさ。今晩それに関しての打ち合わせに来てって言われた。

お前知ってるだろう。俺はただ、お前に一番特別なプレゼントをあげたいだけなんだよ。

スープも冷めたし、傷も軽いし、片付けは任せるよ。すぐ戻る」

そう言って、彼は綿棒を紗月の手に押しつけ、玄関へと向かった。

去り際、あのコートを持って。

紗月は彼の背中を見送る。手の火傷の痛みがまだ残っている。でも——

それ以上に、胸の奥が針で刺されたように痛い。

十一年も一緒にいたからこそ、わかってしまう。

輝也は、自分で気づいていないかもしれないけれど、嘘をつくとき、いつも話すスピードが速くなるのだ。

しかも、その「言い訳」、昨日と全く同じだった。

本当に、恋って人を愚かにする。

紗月は適当に傷の処置を終え、食欲もないまま、拓海の部屋をそっと覗きに行った。

ドアに近づくと、内側から興奮している声が聞こえてきた。

「礼奈さん、パパもう来た?

礼奈さん、安心して。僕はふたりの恋のボディーガード!パパと礼奈さんの愛を守って、ママをやっつけるよ!」

その幼い無邪気な話を聞いて、礼奈も楽しそうに笑っている。

その笑いが、扉の隙間から紗月の耳に入り、彼女のずきずきと疼く心臓が、再び激しい痛みに襲われた。

紗月はその場に崩れ落ち、全身の力が抜けた。

彼女は腕に顔を埋めて、目を閉じた。

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第1話
「遥香、離婚届の提出を手伝ってくれる?」澄川紗月(すみかわ さつき)の声が電話越しに響いた瞬間、親友の杉本遥香(すぎもと はるか)はあっけに取られて、口を開けたまま固まった。「紗月……澄川輝也(すみかわ てるや)って、あんなにあなたを愛してたじゃない。ここまでくるのに、どれだけ苦労したか……どうして急に離婚するの?なにか誤解があるんじゃないの?それにもう十一年も一緒にいて、拓海だって七歳よ。……本当に、それでいいの?」紗月は車窓の外、仲良く並んで歩く三人をじっと見つめ、嘲るように口元をゆがめた。「浮気されたの。相手はモデル。三年もよ」その女の顔立ちが紗月とかなり似ている。輝也に反対され、紗月が諦めざるを得なかったあの仕事を、彼女はしている。 しかもその女は、輝也によって家の真向かいに住まわされ、三年もの間、囲われていた。紗月がそれを知ったのは、たった昨日のことだった。電話の向こうの遥香は何も言えなくなっていた。紗月は顔をそむけ、目線を外に向ける。輝也の愛人・モデルの中谷礼奈(なかたに れいな)が澄川拓海(すみかわ たくみ)の手を引き、二人して楽しげに笑っている。その後ろを、輝也がずっとついて行く。輝也が頷き、支払いを済ませ、買い物袋をボディーガードに渡す……彼の動作や眼差しには、自分でも気づいていないような包容と優しさに満ちていて、それが紗月には胸が痛むほど堪えた。気づけば、熱い涙が止めどなく流れている。紗月はそれを乱暴に拭い取り、声が震えていないことを確認してから、再び電話をかけ直した。「児童福祉施設の新しい施設長、もう人を探さなくていいわ。他の人に任したら心配するし、私が引き受ける。来月から、就任する」それだけ言って、窓を閉め、電話を切り、アクセルを踏み込んで自宅へと戻った。帰宅した紗月は、震えが止まらず、体を丸めるようにして布団に潜った。暖房をつけても寒くて震えを止めることができない。意識が朦朧とするなか、輝也が帰ってきた。寝室に入ってきた彼は、すぐに紗月を布団の中から抱き起こし、眉をひそめながら紗月の額に手を当てた。「……どうした?こんな早く寝てるなんて、顔色も悪いし。具合でも悪いのか?」そう言って、彼は紗月の頭を抱え、額をぴったりと合わせて、体温を確かめようとした。
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第2話
その夜ずっと——紗月は呆然としたまま、ベッドの端に腰を下ろしている。何度も、何度も、どこで間違ったのかを考え続けている。この恋の始まりは、輝也からだった。輝也の想いは、とにかく情熱的だった。彼は紗月のことが好きで、積極的に彼女へとアプローチし、何とかして自分の存在を印象づけようとした。先生に頼んで紗月の隣の席に変えてもらった、昼食も夕食もずっと紗月と一緒。食べ物を買ってあげたり、彼女が周囲に溶け込めるように気を配っていた。紗月とずっと一緒に授業を受けるために、自分の得意科目まで捨てて、彼女の履修に合わせて講義を選んでいたほどだった。雷が鳴ろうが風が吹こうが、彼の想いは変わらなかった。三年間、ずっと彼女を追いかけ続けた。そして、高校三年のある日——彼らは地震に見舞われた。その時、紗月は足をくじいていて、走ることもできなかった。輝也はすでに校庭に避難していたが、紗月の姿が見えないと分かると、先生の制止も聞かず、まるで狂ったように校舎へと駆け戻った。そして、彼女を背負って階段を下りる途中で余震が起き、古い壁画が倒れかかってきた。その瞬間、輝也は何の迷いもなく、紗月を腕に抱きしめて自分の体で庇った。そのせいで、彼は頭から血を流す大怪我を負った。病院では、あまりの痛みに歯を食いしばっていたはずなのに、彼はずっと紗月を気遣って、慰めていた。「そんなに感動したなら、俺と付き合ってよ」と言いながら。紗月はその言葉に頷いた。輝也はその場で固まり、しばらくの間、反応できなかった。我に返った瞬間、怪我したことも忘れたように、点滴の針を抜いて彼女を抱きしめ、泣きながら笑って、震える声で言った。「一生、紗月のことを大切にする。絶対に、幸せにするって誓うよ」大学はふたりそろって同じ学校に合格。まるでドラマのような恋愛に、周囲の誰もが羨望のまなざしを向けていた。輝也が紗月を深く愛していることは、誰の目にも明らかだった。紗月は、自分が孤児であることにどこか引け目を感じていた。輝也はそれを知っていて、大学三年のとき、盛大なプロポーズを準備した。「これが俺の本気の気持ちだ」と、彼女に見せるために。二人は四年間の交際を経て、大学卒業と同時に結婚。輝也は親や親族の反対、世間からの偏見に耐えながらも、紗月のた
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第3話
輝也が家を出てから、数日間ずっと会社に泊まり込んでいる。毎晩、夜の十時になると決まって紗月にメッセージが届いた。内容はとても簡素で、ただ二行だけ。【忙しい。自分と拓海のこと、ちゃんと面倒見てくれ】紗月はもう、以前のように何かを聞いたり、気遣ったりはしない。彼が今何をしているかなど、訊ねなくても分かっているし、輝也が帰ってこないなら、自分も仕事に集中するだけだ。ちょうどその頃、拓海の誕生日がやってきた。これまでは毎年この時期、三人で一緒に過ごしていた。紗月の手作りケーキを食べながら、ささやかに、でも幸せに拓海の成長を祝っていた。しかし今年は違った。紗月と拓海がずっと待っていたが、夜の十時になっても、輝也は帰ってこなかった。拓海は不満そうに紗月を見上げ、苛立った口調で言った。「パパ、まだ帰ってこないの?ママ、もう一回電話してみてよ。ケーキ、溶けちゃうよ!」紗月はスマホを手に取り、今夜五度目の電話を輝也にかけた。長い呼び出し音のあと、ようやく通話が繋がったが、紗月が口を開く前に、輝也のほうから先に話し始めた。「紗月……今夜は帰れない。お前……あっ!お前と拓海で誕生日をちゃんと過ごしてくれ。俺が帰ったら、ちゃんと補ってやる。今日はもう待たなくていい。じゃあな」変に沈んだ声で一方的にまくし立てると、そのまま電話を切ってしまった。紗月には一言も言わせる隙すら与えられなかった。電話が切れた瞬間、拓海がすぐに寄ってきた。「パパ、帰ってくる?」紗月が首を横に振ると、拓海の表情はみるみる暗くなった。そして突然、紗月が贈った誕生日プレゼントを乱暴に叩きつけ、甲高く怒鳴った。「クズ!役立たず!パパが帰ってこないのは、ママが引き止められなかったからだろ!澄川紗月、あんたは家族もいないし、親にも愛されなかったからって、僕まで巻き込むなよ!僕からパパの愛を奪い、あんたと同じ惨めな人間にしようって最悪だよ!ほんと気持ち悪い!」幼いはずの声が、まるで悪魔の叫びのように紗月の耳を突き刺した。頭の中で音が反響し、耳鳴りすら起きる。紗月は顔面蒼白になり、ただ呆然と拓海を見つめた。けれど拓海は、自分の言葉がどれだけ酷いものか、まったく分かっていないようだった。さらに罵倒を重ねる。「どうして、こんな
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第4話
輝也が家に戻ったのは、すでに翌朝のことだ。酒の匂いをぷんぷんさせながら、礼奈に連れられて帰ってきた。輝也を紗月のもとへ送り届けると、礼奈わざとらしくブラウザの襟元を広げて、そこに残る色っぽい痕を見せつけた。紗月の耳元に顔を寄せて、小声でささやく。「昨日は輝也とちょっとハメ外しちゃって、つい飲みすぎちゃったみたい。悪いけど、あとはお願いね」礼奈が甘えるように息をつきながら肩をすくめ、ヒールの音を鳴らして外へ出ていった。軽やかな足取りで、勝ち誇ったような顔。嬉しさを隠すこともない。紗月は、複雑な視線をすっと伏せ、目の痛みを無視してドアを閉めた。そして輝也の体を無造作にベッドへ放り投げる。輝也は完全に酔いつぶれていたわけではないが、紗月に容赦なくベッドに投げ出された衝撃で、頭が痛くなり、真っ白になった。天井がぐるぐる回り、耳の奥がジンジンとうなった。輝也が顔をしかめて大きく息を吐き、何とか呼吸を整える。だが、ようやく少し落ち着いたと思った瞬間――紗月がまた戻ってきた。いつものようにはちみつ水でも持ってきたのかと思い、手を伸ばした彼の手に渡されたのは、まさかの――一本のペンだった。「輝也、寝る前にちょっと」紗月は静かに離婚届を出し、署名欄を指差す。「離婚するよ。ここにサインして」輝也は不快そうに眉をひそめた。明らかにその申し出が気に入らない。舌打ちをしながら、目を細めたまま、指示通りに名前を書き込む。「また福祉施設への寄付とか?欲しいものがあるなら俺のカードを使えばいいだろ。わざわざこんな書類なんかして……この程度の金は出せないわけないだろう?」どうやら、彼はまるで話を理解していないようだ。紗月はそれ以上何も言わず、ただじっと彼の手元を見守り、最後まで署名が終わるのを待った。輝也は書き終えた離婚届を半分に折り、彼女に手渡すと、再びベッドに倒れ込んだ。そして苦悶の表情で眉間を揉んだ。これまでなら、紗月はそんな彼の様子を見て、言われなくてもそっとマッサージして、不快感を和らげてあげていた。けれど今日は違った。ちらりと一瞥しただけで、離婚届を持ってそのまま部屋を出て行った。ドアが閉まる音の直後、輝也は不意に目を開けた。胸のあたりが妙にざわつく。しかし、疲れ切った脳はその違和感を追う余裕
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第5話
その夜、輝也と拓海が外出したあと、紗月も外へ出た。遥香と待ち合わせ、遥香の自宅近くにあるレストランで落ち合った。紗月は手に持っていた離婚届を、遥香に手渡した。「できるだけ早く出してほしいの」遥香は離婚届に目を通し、署名欄に書かれた二人の名前を確認すると、小さくため息をついた。しかし余計なことは言わず、急いで何口か食事を済ませると、「仕事があるから」と席を立とうとした。長らく胸に重くのしかかっていたものをようやく手放せた気がして、紗月は深く息をついた。もうここに用はないと、かばんを手に取り、彼女も席を立った。ちょうどそのとき、遥香が「トイレ行ってくる」と言い、紗月の肩にかばんを掛けてきた。「ここでちょっと待ってて」紗月が個室を出て角を曲がったところ、ちょうどひとりの店員とすれ違った。その店員が隣の部屋の扉を開けた瞬間、中から会話が漏れ聞こえてきた。「パパ、また今度も一緒にごはん行こうね。パパと礼奈さんと食べるの好き!」「私も拓海くんと食べるの好きだよ〜今度うちに泊まりに来たら、パパと拓海くんにケーキ作ってあげるね」「え、ご家族じゃなかったんですか?こんなに似てるから、ご家族かと思いましたよ!」店員の一言が、拓海と礼奈をすっかりご機嫌にさせている。ふたりとも口元を押さえて笑い声を漏らす。輝也がメッセージの返信を終え、眉をひそめながらその会話を止めようとしたが、顔を上げる時に、ドアの隙間から覗く紗月の視線とまっすぐに交わった。「……紗月?」反射的に立ち上がった輝也は、説明しようと彼女のもとへ向かおうとした。しかし話す直前に何かを思い直したのか、慌てて扉を閉め、礼奈の顔を遮った。彼の目には一瞬の動揺と後ろめたさが浮かんでいた。口を開こうとしたその瞬間、個室から鋭い声が響いた。「澄川紗月!なんでつけてきたの?!自分で行っていいって言ったくせに、なんでストーカーみたいに後つけるの!?やることないの?暇人なの?!」拓海が怒りに満ちた表情で、隙間から紗月に向かって思い切り突き飛ばした。まったく不意を突かれた紗月は、ふらつきながら数歩よろけ、壁に手をついてやっと体勢を保った。「拓海!ママにそんな口のきき方するな!誰がママを押していいって言った?どこでそんな無礼覚えたんだ!」輝也は険しい表情
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第6話
紗月がレストランを去った後、輝也はもう食事をする気も起きなかった。礼奈の媚びるような態度にも一切応えず、彼女から返された自分のコートをそのままゴミ箱に投げ捨てた。そして立ち、ごみを見下すように彼女を一瞥した。「俺が言ったこと、もうすっかり忘れたのか?礼奈。俺に小賢しいことは通用しない。くだらない企てもするな。お前にはその資格がない」彼女の謝罪も懇願も無視し、青ざめた顔の拓海の腕をぐいっと引いて、大股でその場を去った。何も言わずに車を走らせて自宅に戻ると、紗月はもう帰っていた。先彼女の後ろ姿がどうにも頭から離れず、輝也が何度も思い出してイライラした。今ようやくその姿を目にして、不思議と心が落ち着くのを感じた。罪悪感と不安が入り混じる中、何か埋め合わせをしたくて、輝也が無意識にポケットを探ると、ちょうどプレゼント用の小箱が出てきた。迷わず包装を解き、中に入っているネックレスを取り出して彼女の元へ向かう。「紗月、新年のプレゼントだよ」彼はゆっくりと歩み寄ると、すっと紗月に寄り添い、親しげに彼女の耳元に顔を寄せた。そして微笑みながら、手のひらにあったネックレスをそっと彼女の眼前に下ろした。しばらくそのまま動きを止め、彼女が喜ぶ声を待つ。だが——予想の返事が返ってこない。輝也が不思議に思って身を引いて聞いた。「好きじゃないの?」「そのネックレス、先月私に贈ってくれたのと、全く同じだよね?記念日のプレゼントって言ってた」輝也の胸がすこし騒いだ。瞳が揺れ、彼女の蒼白な首元に視線を落とすと、そこにはすでに、先自分が出したのとまったく同じネックレスがある。百パーセント同じもの。彼は思い出した。礼奈が「紗月がつけているのが素敵だから、自分にも欲しい」と言った品だ。大したことでもないと思い、彼はその場で頷いていた。今日の午後、助手が持ってきたときには、暴いたばかりのせいで紗月のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れていたのだ。一瞬の動揺があったが、三年間嘘を重ねてきた経験は輝也をすぐに冷静に戻した。無表情でネックレスを引き戻し、そのままゴミ箱へ放り込む。「店員のミスかもな。あんな店のもの、もう使わない方がいい。今度、オークションで一番綺麗なやつ探してくるよ。そのうち二人で買い物に行こうか。もう
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第7話
その後の数日間、輝也はいつもの忙しさが嘘のように、ずっと紗月のそばにいる。彼女があの日、何かを聞いてしまったのではないかと、さりげなく様子を伺っている。けれど、紗月は終始いつも通りだ。どこにも違和感はない。輝也は紗月が「白か黒か」をはっきりさせたがる性格だということをよく知っている。もし本当に何かを聞いていたのなら、彼女はこんなふうに平然とはしていないはず。そう思えて、ようやく心の中の不安を少しだけ和らげた。やがて、お正月がやってきた。紗月は孤児なので、「年末年始をどこで過ごすか」という問題とは無縁だ。その年の大晦日、輝也は彼女と、拓海を連れて実家に戻った。澄川家の両親と一緒に年越しをするためだ。玄関をくぐった瞬間、輝也の背筋がぴんと張った。不思議に思った紗月が中を覗き込むと、なんとそこには礼奈がいる。リビングルームに、輝也の母・澄川雅子(すみかわ まさこ)のすぐ隣に、礼奈が座っている。その顔におとなしく愛らしい笑顔を浮かべている。「礼奈さん!」拓海はその姿を見つけるなり、嬉しそうに紗月の手を振りほどき、飛びついた。「今日は帰っちゃダメだよ!パパと一緒に、僕たちと年越ししよう?礼奈さんが必要なんだ!」「まあまあ、ちょうどいいところに帰ってきたわね。こちら、中谷礼奈先生よ。寧々(ねね)の姿勢調整を担当している。もう夜も遅いし、せっかくだからって一緒にご飯を食べてもらうことにしたのよ。人が多いほうが賑やかで楽しいでしょ?あなたたち若い人同士、話も合うだろうし」輝也の表情がこわばっていることに、雅子はまったく気づいていない様子だ。むしろ「いい人見つけてきたわ」とでも言いたげなご満悦ぶりだ。紗月は何も言わなかったが、雅子の思惑が手に取るように分かり、ただ滑稽だと感じている。雅子は、昔から紗月を認めようとしなかった。彼女の育ちも、仕事も、何一つ気に入らなかった。そして今、輝也の周りに新しい女性の影が現れたとたん、矢継ぎ早に、それこそ言い訳すら惜しんで家に連れ込んできた。しかも、年越しという家族団らんの場に。その晩の夕食では、拓海が紗月を押しのけて、輝也の右隣に座り、左隣には礼奈が座っている。拓海は大はしゃぎで二人の間を盛り上げようとし、雅子も、礼奈に次々と料理を取り分けて、まるで恋人候
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第8話
ドアがまだ完全に閉まらないうちに、紗月は突然、女性の甘えたような嬌声を耳にした。「声、出さないで――」輝也が低くささやき、礼奈の口を手で塞ぐ。「何を怖がってるのよ。もうみんな寝てる時間でしょ?だからこそ、余計に興奮するじゃない。それに、あなた……私が声出すの、好きなんでしょ?」輝也はそれ以上何も言わなかった。無言のまま、その言葉を認めた。紗月がふと顔を上げると気付いた。輝也はあまりにも焦っていたのか、ふたりがいる部屋もきちんと閉めていなかったのだ。紗月は少し顔を上げただけで、簡単に輝也の姿が見えた。その瞬間、いつもは冷静で無表情な彼の顔に、これまで見たことのない感情が浮かんでいる。頬はうっすらと赤らみ、下にいる礼奈を見つめる眼差しには、深い優しさと愛情が滲んでいる。それは、かつて輝也が紗月に向けていた視線と、まったく同じだった。もう長い間、彼はこんなふうに紗月を見つめてくれていなかった。この瞬間、紗月はようやく認めざるを得なかった。輝也のあの「恋する眼差し」はまだそこにある。ただ、それはもう自分に向けられていないだけなのだ。ずっと何の感情もなく、ただ眠っていた心が、この瞬間、わずかに震えた。胸の奥がきしむように痛み、久しぶりに訪れた窒息感に、彼女は息もつけないほどだ。もうとっくに気にしないと思っていた――けれど、自分の目で輝也の裏切りを見てしまった今、それはまるで別次元の痛みだ。ようやく紗月はぼやけた視線をそらし、ドアを閉め、ベッドの中に身を潜めた。だが、壁越しに聞こえる音があまりにも大きいのか、それとも紗月の聴覚が鋭すぎるのか――隣の部屋から漏れ出すかすかな声や音が、床と扉の隙間を通して彼女の耳に刺さってくる。一つ一つが、心を突き刺すようだ。翌朝――階下に降りてきた紗月の顔色は、ひどく悪かった。輝也が近づき、気遣うように尋ねた。「紗月、あんまり眠れなかった?……年越しの花火がうるさかったのか?」彼のその言葉に、紗月はもう付き合っていられないと感じた。ただ首を振り、適当に答えた。「ううん、早く寝たから…悪夢を見ただけ」あくまで淡々とした口調だが、それで輝也は少し安心した様子だ。夜の出来事をようやく思い出し、後悔と不安に襲われたのか、輝也は実家に長くいられないと感じ、す
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第9話
それからというもの、輝也の顔には常に穏やかな笑みが浮かび、あの長年張り詰めていた冷ややかな雰囲気もすっかり和らいでいた。見てわかるほど、彼は幸せそうだ。無理もない。自分の子どもが増えるのを、喜ばない男なんて、いるだろうか。輝也が家に帰ってくる頻度はますます減っていくが、戻ってくるたびに大量のプレゼントを抱えて現れる。そして「埋め合わせに」と、どうせ実現しないような言葉を口にする。紗月はそれを責めることも、迎合することもない。ただ、静かに聞き流す。そうして月日が流れ、ようやく紗月の元に福祉施設の職員から電話がかかってきた。「紗月さん、施設側の引継ぎはすべて完了しました。いつからでも勤務を始められますよ。ご都合、いかがでしょうか?」ソファに腰掛けたまま、紗月はしばし考えた。そして答えた。「早ければ、明日からでも」「明日?紗月、何か用事でもあるのか?」耳元から輝也の声がして、彼がすぐそばにやって来た。当たり前のように、彼は紗月を腕の中に抱き寄せた。「ただ友達と少し会うだけ。たいした用じゃないわ」輝也は納得したように頷き、何か言いかけたそのとき、ポケットの中のスマホが鳴った。電話を取った瞬間、彼の目の色が一変する。慌ただしく電話を切ると、彼は手早く言葉を残した。「紗月、今夜は会社の急用が入った。先に寝ててくれ。早めに解決して戻るから。帰ってきたら、久しぶりに二人きりで旅行でも行こうな」そう言って、彼はそのまま玄関を出ていった。家に戻ってきて、わずか五分。すぐに呼び出されるということは、礼奈の執着がいかに強いかを物語っている。紗月の顔には、何の感情も浮かんでいない。輝也の背中が完全に見えなくなると、ようやくゆっくりと立ち上がり、荷物の整理を始めた。その夜、郵便物が届いた。紗月が受け取って開封すると、中には二通の書類が収められている。更新された戸籍謄本だ。たった二枚の薄い紙。だが、その重さはずっしりと心にのしかかった。離婚を決意したとき、紗月の心は痛みに締めつけられた。それでも、この一ヶ月を経て、書類を手にした今は、ただ静かに、肩の荷が下りたような気持ちだ。この一ヶ月、本当に限界だった。あまりにも、疲れ果てていた。けれど今なら、騒がしさから離れ、静かに、自分の意味ある人生を歩き出せる気が
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第10話
輝也が会議を終えた直後、またスマホが鳴った。発信者は、またもや礼奈だ。通話をつなぐと、か細く頼りない声が聞こえてくる。「輝也……また何度か吐いちゃって……すごく、つらいの……今、時間ある?あったらそばにいてくれる?そばにいてくれると、いつも少し楽になる……」礼奈のつわりはひどく、それと同時に、以前よりもずっと甘えるようになっている。だが数日間まったく紗月に会えていないことを思い出し、輝也の心は揺れる。「……お願い……」その一言で、輝也の迷いは砕かれ、心が折れた。「わかった」……輝也が部屋に入ると、礼奈が裸足のまま駆け寄ってきた。「輝也、来てくれたね!」「なんで靴も履かずに……」眉をひそめながら、輝也は靴棚からスリッパを取り、彼女の前に放った。礼奈はにこやかに笑みを浮かべながらスリッパを履き、輝也の手を取り、自分の腹部へそっと添え、おとなしく笑った。「輝也、聞いてみる?まだお腹は出てないけど……なんとなく、赤ちゃんの心音が聞こえる気がする。不思議よね」輝也はしゃがみ込み、礼奈の平坦な腹に手を当ててから耳を当てたが、妊娠初期のため何も聞こえなかった。彼女の服をそっと直し、もう少しだけその場に留まったが、やがて立ち上がって口を開いた。「そろそろ戻るよ。お前は――」言い終える前に、礼奈が急に口を押さえ、ふらつきながらトイレへと駆け込んだ。「……うっ、うぇっ……!」眉をひそめた輝也が慌てて後を追うと、礼奈は便器にうつ伏せるようにして嘔吐し、顔色は真っ青で、全身が小刻みに震えている。普段は穏やかな表情も、今は強く苦しげに歪んでいる。輝也は見かねて、その夜は帰らず残ることにした。礼奈を寝かしつける頃には、すでに深夜に差しかかっている。数日間、紗月と顔を合わせていない。ただ、今夜はいつも以上に、彼女と離れている時間がやけに長く感じられ、胸の奥がざわつく。スマホを手に取り、無意識のうちに紗月へメッセージを打ち始める。【紗月、仕事のプロジェクトは一区切りついたよ。明日には帰れる。拓海は元気?欲しい物あれば買って帰るね。俺にリクエストして。……もう寝たかな?】送信後、画面を見つめながら、既読を待つ。何度も画面が明るくなっては消えるが、三十分経っても既読が
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