その日の夕方、空が急に暗くなった。 編集部での打ち合わせが長引いて、気がつくと外は雨が降り始めていた。窓に叩きつける雨粒の音が、オフィスに響いている。「今日は早く帰った方がよさそうですね」 同僚の佐伯が窓の外を見ながらつぶやいた。「そうだな」 俺はパソコンの画面を見つめながら答えた。企画書の最終チェックをしていたものの、どうにも集中できなかった。蓮のことが頭から離れない。 先日の散歩で交わした会話が、何度も心の中で再生される。『笑顔が世界で一番美しい人です』 その言葉を思い出すたびに、胸の奥がじんわりと温かくなる。同時に、甘い緊張感が体中にじわじわと広がっていく。 まるで高校生のように、気になる人のことを考えて手が止まってしまう。三十二歳にもなって、仕事中にこんな状態になるなんて。 美奈との関係では、こんなことはなかった。彼女のことを考えて仕事に集中できなくなることなど、一度もなかった。「藤崎さん、お先に失礼します」「お疲れさま」 佐伯が帰っていった後、編集部には俺一人だけが残った。 雨音が次第に激しくなってきた。窓の外を見ると、傘を持たない人たちが軒下で雨宿りをしている。濡れた髪を手で押さえ、困ったように空を見上げていた。 俺も傘を持ってこなかった。天気予報では雨なんていっていなかったのに。 スマートフォンの振動が、俺の意識を現実に引き戻した。メッセージが届いている。『お疲れさまです。雨が降ってきましたが、傘はお持ちですか?』 蓮からだった。 俺の心臓が跳ね上がる。まるで胸の奥で小鳥が羽ばたいているようだった。仕事中だというのに、俺のことを気にかけてくれているのだ。『お疲れさまです。傘を持ってこなくて、会社で雨宿りしています』 すぐに返信が来た。即座に返信が届くその速さに、彼の優しさが感じられた。『よろしければ、お迎えに行きます。車で送らせてください』 俺の胸がきゅっと締めつけられる。喉の奥まで
Terakhir Diperbarui : 2025-09-14 Baca selengkapnya