深夜、久遠直哉(くおん なおや)がかつて学費を援助していた望月奈央(もちづき なお)から、私あてにメッセージが来た。【今日は安全日だよ、つけなくてもいいよ】一分も経たないうちに、そのメッセージは送信が取り消された。変に詮索するのも気が引けて、きっと送信先を間違えただけだろうと私は思った。翌日、私は直哉の車で産科へ妊婦健診に向かう。運転席のシートには、濡れた跡が広がっている。頭の中で「ン」と鈍い音が鳴ったみたいに、思考が止まる。私は静かに車のドアを閉め、そのまま家へ引き返した。震える指で病院の番号を押す。「すみません、本日の健診はキャンセルで。代わりに、中絶手術の予約をお願いします。できるだけ早く」「橘千紗(たちばな ちさ)様ですね。妊娠ごく初期で、胎嚢がまだ小さいので、今は手術ができません。半月ほど経ってからのほうがいいですね」「わかりました。じゃあ半月後で、お願いします。ありがとうございます」ちょうどそのとき、シャワーを終えた直哉がバスルームから出てきて、最後のひと言だけを拾った。「半月後、どこ行くの?」タオルで髪を拭きながら、彼は不思議そうに問う。「産科だよ」私は事実だけを返す。「赤ちゃん、何かあったのか?」直哉の顔にわずかな緊張が走る。この子は、私が何度も体外受精を繰り返して、ようやく授かった命だ。「ううん。とても元気」それも、事実だ。直哉はほっと息をつき、私をそっと抱き寄せる。「千紗、今月末は出張になるかもしれない。健診には付き添えそうにない」「大丈夫。ひとりで行くから」テーブルのノートパソコンから、メッセージの通知音が鳴る。直哉の声は、さらに申し訳なさを帯びた。「千紗、いつも本当にありがとう。愛してるよ」五年間、変わらなかった優しい声色。以前の私なら、幸せそうに「私も愛してる」と返しただろう。けれど今は、胃の奥から強い吐き気が込み上げてくるだけだ。言葉より先に、私は口を押さえ、洗面所へ駆け込む。胃の奥からせり上がるものを止められず、内臓ごとすべてを吐き出してしまいそうだ。人って、本当に裏切りながらも、愛してるなんて言えるんだ。「千紗、大丈夫か?」直哉が慌てて後を追ってきて、そっと手を伸ばし、私の背を軽くさする。その手は確かに温
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