時也は、その場から一歩も動けなかった。胸の奥にじわじわと、底知れぬ恐怖が広がっていく。ふいに、明咲がかつて「婚約を解消したい」と口にした日のことを思い出した。あのときは、ただの気まぐれだと受け流していた。でも、今思えば、彼女は本気だったのかもしれない。「そんなわけ、ない……」かすれた声で何度も首を振る。五年も一緒に過ごした。時也がどん底だったときも、明咲はずっとそばにいてくれた。そのあと、プロポーズして、結婚式も何度も準備した。たとえ三度も式が台無しになったって、そんな簡単に、二人の絆が切れるはずがない。そう信じていた。車のキーをつかみ、思わず一ノ瀬家に向かう。もし明咲が引っ越しているなら、きっと実家に戻っているはずだ。ちゃんと会って話せば、きっと誤解も解ける。そう思い込んで、玄関の前で深く息を吸い、インターホンを押した。ドアが開くと、中にいたのは明咲の母の由紀子だった。時也の姿を見て、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに表情が冷たくなる。「時也?どうしてこんなところに来たの?」「おばさん、明咲に会いに来ました。家にいますか?」そう言いながら、中を覗き込もうとする。「明咲はいないわ。もう帰ってくれる?」そう言ってドアを閉めようとする由紀子を、時也は慌てて手で止めた。「おばさん、お願いです。明咲の電話も、何度かけても出なくて……本当に心配なんです」由紀子は鼻で笑った。「もうあなたたち、婚約解消したでしょう?どうしてまだ明咲にこだわるの?彼女のためにも、もうやめてあげて」「婚約解消……?」時也の顔色が一瞬で青ざめた。「そんなはずないです!明咲とは、まだ結婚式の準備中なんです。俺は、絶対にそんなこと認めません!」由紀子は細い目で時也を見つめていた。そのまま、彼の言葉が本当かどうか、見極めるような視線を向ける。「明咲からは、ずっと前に『婚約を解消したい』って聞いてるわよ。お互い合意したんじゃないの?まさか、今になって『そんな話は知らない』なんて言いに来たの?」「たしかに言われました。でも、おばさん、俺はただ明咲が少し拗ねてるだけだと思って……俺は、認めてません!」時也の声は、焦りで少し高くなっていた。「これまでだって、結婚式がうまくいかなかったのは全部事故です。婚約を解消するなんて、一度も
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