LOGIN一ノ瀬明咲(いちのせ あき)と芦屋時也(あしや ときや)は、三度も結婚式を挙げたけど、そのたびに、みんなの笑い者になった。 一度目の式。誓いの言葉を交わしている途中で、朝比奈若菜(あさひな わかな)が鉄のハンマーを持って乱入してきた。 二度目の式。司会が「新郎新婦、ご入場です」と明るく宣言した直後、会場のスクリーン一面に、時也と若菜のツーショットが次々と映し出された。 三度目の式。バージンロードを歩き出す寸前、時也のスマホに若菜からビデオ通話が入る。 「時也、私ここから飛び降りる。これで借りをチャラにしてよ?」 時也は鼻で笑う。「飛びたいなら早くしろ。俺の結婚の邪魔をするな」 でもその直後、会場の誰かが叫ぶ。「若菜さんが本当に飛び込んだ!」 時也は「誓います」と言いかけたけれど、そのまま明咲を見つめて「どうあれ、一人の命だ。明咲、式は延期しよう」と静かに告げた。 それきり、彼は会場から消えた。 明咲は崩れ落ちた。「時也、もう延期なんてしなくていい……私、結婚やめる!」
View More若菜を乗せたパトカーが先に走り去り、他の警官たちが現場の後処理に追われていた。明咲も当事者として、警察署で事情聴取を受けることになった。律は彼女の手を握ったまま、黙ってそばについている。二人で車に向かおうとしたとき、背後から急ぎ足で駆けてくる時也の姿が見えた。明咲は少し立ち止まったが、律の手を握ったまま、そのまま彼の横を何の感情も見せずに通り過ぎた。時也は喉を鳴らし、そっと彼女の手首を掴む。明咲は眉をひそめ、冷たい声で言った。「離して」時也は唇を震わせ、しわがれた声を絞り出す。「明咲……大丈夫だった?」明咲はやっと彼を見やり、皮肉な笑みを浮かべる。「おかげさまでね。時也、私たちはもう終わったのに、なぜかいつもあなたのトラブルに巻き込まれてばかり。お願いだから、もう近づかないで。私がいつか、あなたのせいで本当に命を落とすことになったら困るから」時也はその言葉に体を震わせ、力なく手を放した。二人がすれ違う瞬間、彼は小さく「ごめん」とだけ呟いた。明咲は振り返りもせず、車に乗り込んで去っていった。人々が一人また一人と去り、冷たい風が時也の体を貫く。でも、その冷たさよりも、心の奥の空しさの方がずっと深かった。自分がいることで、明咲に迷惑しかかけていなかったんだ。彼は顔を覆い、静かに笑いながらも、その指の隙間からは止まらない涙がこぼれていた。若菜の事件はすぐに裁判へ進み、明咲が弁護士を雇う間もなく、時也が自ら有能な弁護団を手配していた。その話を聞いた明咲は、「好きにさせておけばいい、私の手間が省けるし」とだけ言い、もはや若菜にも時也にも何の関心も示さなかった。律の仕事が片付くと、二人は本格的に新婚旅行に出発した。世界中を巡る一年間。今月はオーロラを見に行き、次の月は氷河を眺めに行き、美しい場所には必ず二人の笑顔があった。そんな幸せな日々も、明咲の妊娠が分かったことで、二人は旅を中断し、久しぶりに家へと帰ってきた。帰国後、親友から時也の近況を聞かされる。「彼、会社を全部売って現金化してから、パッタリと消息を絶ったんだって。今どこにいるのか、誰も知らないらしいよ。何か連絡あった?」明咲は首を振る。「ううん、全然」親友は少し残念そうにため息をつく。明咲はお腹を撫でながら、優しい
「やめろ!」時也の絶叫が車内に響く。明咲はその一瞬で体をひねり、若菜のナイフをなんとかかわした。若菜は空振りし、なおもナイフを振り上げようとしたが、そのとき突然、車が激しく揺れて急停車した。勢いで若菜は後ろへ仰向けに倒れ、後頭部を車内の角に強打し、一瞬、目の前が真っ暗になるほどの痛みに襲われた。頭を押さえ、よろよろと運転席を睨む。「何?今の……」言いかけた瞬間、若菜は言葉を失う。四方八方に私用車とパトカーがびっしり停まり、自分たちの車は完全に包囲されていた。呆然とする若菜の横で、ドアが勢いよく開かれ、誰かが明咲を抱きかかえて外へ連れ出す。若菜は反射的に明咲を引き戻そうとしたが、反対側のドアから入ってきた警官がすぐに彼女を地面に押さえつける。カチャリという音とともに、若菜の両手は後ろ手に手錠で固く拘束された。その瞳は、ありえないものを見たように見開かれている。「そんな……嘘でしょ……」顔を上げて明咲を見据える。「どうして……どうやって見つけたの?私はちゃんと痕跡を消したはず……そんなはずない……絶対にありえない!」若菜は捕まるのを恐れて、持っていた電子機器をすべて捨ててきた。誰かに居場所を特定されるのを、それだけは絶対に避けたかった。明咲は一歩離れた場所に立っている。そのそばでは律が、赤く腫れた手首の縄をすべて解き、優しく揉んでくれていた。「私がそんなにバカだと思った?」明咲は冷静に若菜を見下ろしながら続ける。「一人で何も準備せずに、のこのこ出てくるわけないでしょ。最近、あんたが時也に報復されてるって聞いてたし、絶対に何かやると思ってた。だから最初から、ヘアピンに発信機を仕込んでおいたの。私の位置がいつもと違う動きをしたら、すぐに律が警察に通報できるようにしてあった」若菜の瞳が大きく見開かれる。まさか、もう全て見抜かれていたなんて。明咲はそのまま若菜の前にしゃがみ、薄く微笑んだ。「正直に言うと、今まではあんたが裏で手を回してやってきたことは全部、証拠不十分で起訴しても長くは刑務所に入れなかった。でも今回は違う。拉致に殺人未遂。最高の弁護士をそろえて、絶対に一生出てこられないようにしてあげる」明咲はふと何か思い出したように、笑いながら言った。「あ、そうそう。忘れて
明咲と律の結婚式が終わったあと、明咲の父は娘のために長い休みを取らせてくれた。「新婚旅行くらい、しっかり楽しんでこい」と背中を押される。けれど、律は仕事のトラブル続きで毎日会社に缶詰め。「旅行の手配は全部君に任せる」と言って、なんとか出発前に仕事を片付けようと必死だった。家にひとり残された明咲は暇を持て余し、久々に友人と出かけて新婚旅行のプランを相談しようと約束する。大型ショッピングモールの地下駐車場に車を停め、ドアを開けた瞬間、突然、柱の影から若菜が現れた。明咲が眉をひそめ、何か言おうとしたそのとき、後頭部に鋭い痛みが走った。視界が真っ暗になり、そのまま意識を失う。次に目を覚ましたとき、明咲はどこかの車の後部座席に転がされていた。手足はきつく縛られ、後頭部はずきずきと痛む。体をもがくと、隣から若菜の声が聞こえた。「起きた?」顔を上げてみれば、若菜はこの数週間で別人のようにやつれていた。頬はこけ、顔色はひどく悪い。髪もぼさぼさで、その目だけが、ぎらついた憎しみに満ちている。明咲は無表情でドアに身を寄せ、静かに言う。「私を拉致したの?律や時也に見つかったら、ただじゃ済まないよ」「ただじゃ済まない?」若菜は甲高く笑う。「この数日、私は時也に追われて、ろくに食べ物もないし、夜は橋の下や空き家で震えて過ごしてたのよ。おまけに、変な男たちに絡まれるし……全部、あんたのせいよ!」「復讐されてるのは自業自得じゃない。私には関係ないでしょ?」明咲は眉をひそめ、なんとか若菜を落ち着かせようとした。「あんたには関係ない?」若菜は一気に顔を近づけ、目をぎらつかせて睨みつける。「全部あんたのせいよ!あんたが私の立場を奪わなければ、今ごろ私は芦屋夫人だったのに、なんでこんな地獄みたいな目に遭わなきゃいけないのよ!時也のせいで全部失った。だから今度は、あいつにも同じ絶望を味合わせてやる。そのためには、あんたを消せばいいの」若菜はスマホを取り出し、時也とのトーク画面を開いて、いきなりビデオ通話をかけた。電話はすぐに繋がり、時也の顔が画面に現れる。時也は若菜を鋭く睨みつけ、声を低くして言う。「やっと姿を見せたな。よほど逃げるのに疲れたんだろ?」「疲れたですって?」若菜は冷たい笑みを浮かべ、スマホのカメラをいきな
彼女は、時也を見つけるなり目を輝かせて立ち上がり、足を引きずりながら近寄ってくる。「時也……」その言葉が終わらないうちに、時也は無言で彼女の首をつかんだ。力いっぱい締め上げると、若菜の顔色はどんどん紫色に変わり、息も絶え絶えになる。「よくもまだ現れたな」時也は氷のような目で睨みつける。「ここまで俺を騙しておいて、どの面下げてまだ俺の前に出てくるんだ?若菜、本当に俺が何もしないとでも思ってるのか?」若菜の顔に一瞬、怯えの色が浮かぶ。時也の目の奥に光る本気の怒りに、全身の毛が逆立つのを感じた。けれど彼女にはもう、他に道は残っていなかった。時也に復讐され、実家も破産し、借金まで背負わされた。このまま時也に見捨てられたら、どんな目に遭うか、考えたくもなかった。彼女は震える声で縋るように言う。「時也、私、確かに色々悪いことをした……でも、全部あなたを愛してたからなの。もう一度だけ許して。お願い、やり直したいの」時也は若菜を力任せに床に投げ捨て、吐き捨てる。「ふざけるな!ここまで俺を騙して、明咲まで傷つけて、それでもまだやり直せるとか、本気で思ってるのか?図々しいんだよ」彼はしゃがみ込み、若菜の襟元をぐいっと掴み上げる。「君が明咲にしたこと、ひとつ残らず返してもらう。俺の復讐はこれからだ」若菜の心臓は激しく鳴り、頭の中が真っ白になる。若菜は目の前の男を見つめ、胸の奥に恐怖がじわじわと広がっていくのを感じていた。ここで捕まったら、終わってしまう。突然、全力で時也を突き飛ばした。時也は不意を突かれ、床に尻もちをついてしまう。若菜はその隙に、ふらつきながらも必死で立ち上がる。最後に一度だけ時也を振り返り、そのまま、後ろも見ずに全力で逃げ出した。彼に捕まったら、もう全てが終わってしまう。そう思いながら、夜の道をよろよろと駆けていった。時也は手のひらで床を支えた瞬間、皮膚がすりむけ、じんわりと血がにじみ出すのを感じた。立ち上がりながら、逃げていく若菜の背中をじっと睨みつける。その顔には、どこまでも冷たい憎しみが浮かんでいた。彼はポケットからスマホを取り出し、部下に若菜の動向を監視するように指示する。それから、ようやく立ち上がり、家の中へ入る。家の中は驚くほどがらんとしていて、明
時也の顔から、みるみる血の気が引いていく。「ごめん、明咲。あのとき本当に何も知らなかったんだ……」「そんなはずない」明咲はすぐに遮り、冷たい声で続ける。「あなたは本当は知ってたはず。蒼木社長がどんな人間か、あの場所に私を残したらどうなるか。全部分かってたはずなのに、見て見ぬふりをしただけ。若菜さんに対して後ろめたくて、過去の誤解を埋め合わせるために、私の安全まで犠牲にしたのよ」明咲はまっすぐ時也を見つめ、その目に一切の情がなかった。「あなたはただ、逃げていただけ。自分の罪悪感と向き合う勇気がなくて、その負担を私に押し付けた。私がどれだけ傷ついても、一言の説明さえしてくれなかったよね」明咲は少しだけ顎を上げて、時也を見下ろした。「あなたは、五年もそばにいたから、私が簡単にこの気持ちを捨てられないって思ってるんでしょ?でもね、私にとって一番大事なのは、何度でもやり直す勇気なの。たとえ五年だろうと、十年、二十年だろうと、手放すべきものは一秒も迷わず捨てられる。もったいないなんて言葉、私の辞書にはないの」明咲の言葉に、時也はまるで殴られたように後ずさりした。「明咲、ごめん……本当に全部俺が悪かった。お願いだ、もう一度だけチャンスをくれ。必ず償うから、俺は……」「嫌よ」明咲は間髪入れずにきっぱりと拒絶した。「あなたを許さない。もう二度と顔も見たくない。時也、これ以上私に関わらないで。あなたの顔を見るたびに、心の底から気持ち悪くなるから」そう言い捨てて、明咲は迷いなくその場を去っていった。時也は慌ててその腕をつかもうとしたが、律が間に割り込んで、がっしりと手首を押さえつけた。律は明咲を背に、氷のような目で時也を睨む。「明咲がもう会いたくないって言ってるのに、しつこいな。そろそろ空気読んだらどうだ?」「調子に乗るな!」時也は必死に律の手を振りほどこうとした。「俺と明咲は五年も一緒にいたんだ。お前なんかに、何が……」「何がって?」律はすぐに遮り、余裕の笑みを浮かべる。「知り合ったのは、俺の方がずっと早いよ。お前は知らなかったみたいだけど、俺と明咲は高校時代からの付き合いだ。それに、明咲が二十歳になったとき、俺はもう彼女にプロポーズしてた」時也の瞳孔がギュッと縮み、その場に立ち尽くす。ずっ
明咲が目を覚ましたとき、もう昼近くになっていた。寝室を出ると、律がダイニングでノートPCに向かっている。彼女を見つけて、すぐに「お腹は空いた?何か食べる?」と優しく声をかけてきた。「……もうちょっとしてからにする」明咲は椅子に座り、大きく伸びをした。ふと横を見ると、律が何か言いたげな顔でこちらを見ている。「どうかした?」律はマウスを持つ手を一瞬止め、しばらく黙ったまま口を開く。「……外に、芦屋がいる。昨夜からずっと立ちっぱなしで、まだ帰ろうともしない」明咲は一瞬驚いた。まさか、昨日結婚式を壊したことを責めにきたのだろうか。少し考えてから、「じゃあ、中に入れて」と返した。やがて、時也が部屋へ案内されてくる。ドアを開けると、昨日の新郎衣装のまま、目の下にクマをつくって立っていた。スーツはシワだらけで、ひどくみすぼらしい。明咲は招き入れもしない。ドアの前に腕を組んで立ち、壁にもたれかかりながら言う。「で、何の用?」時也は何も答えず、明咲の首筋の赤い跡をじっと見つめる。「その……君の首の、それ……昨日、あいつと……」途切れ途切れの問いかけ。けれど明咲には、言いたいことがすぐに伝わった。彼女はさっと手でキスマークを隠し、堂々と答える。「昨日は新婚初夜だったけど?それがどうかした?」明咲の口からその言葉を聞いた瞬間、時也の胸は、何千本ものナイフで切り裂かれたように痛んだ。握りしめていた手が、小刻みに震えて止まらない。「なんで……なんで、あいつと……」本当はそんなことを言うつもりじゃなかったのに、口から出てくるのは、なぜか責めるような言葉ばかりだった。明咲は冷たい目を向ける。「関係ないでしょ」どんどん苛立ちが積もっていく。「他に用がないなら帰って。私は暇じゃないから」そう言ってドアを閉めかけると、時也が慌てて叫ぶ。「待って、明咲!」明咲は動きを止めて、面倒くさそうに彼を見返す。「昨日の結婚式、君がやったのか?」「それが何か?」明咲は眉をひそめて、挑発するように見つめ返す。「……で?まさか私に文句でも言いに来たの?」時也は首を振る。「責めるつもりはない。明咲、もし君がいなかったら、俺は若菜の本性にも気づけなかった。それに……俺、本当はずっと、君のことが……」苦
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