捨てる旦那あれば拾うホテル王あり~身籠もったら幸せが待っていました~ のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

41 チャプター

第三章 幸せにすると誓います 5

「……ただいま」おそるおそる、実家のドアを開ける。「おかえり。……あら、まぁ」出迎えてくれた母は、和家さんの顔を見てぽっと頬を赤らめた。「はじめまして、お義母さま」「あらあら、まあまあ。さあさ、お上がりなって?」さらにはこれ以上ないほどいい顔で和家さんが挨拶をしたので、母がそわそわしだす。〝お上がりになって?〟なんて言葉遣いを母から聞いたことがない。「おとーさん、ただいま……」「やっと帰ってきたか。あれから元気に……」私に気づいて新聞から顔を上げた父は、後ろに立っている和家さんを見て言葉を途切れさせた。「……誰だ、お前」父の声は低く、和家さんに喧嘩を売っていた。「その。紹介したい人がいるって言ったでしょ?結婚しようと思っている、和家さん」「和家悠将と申します」和家さんが頭を下げたが、父は憎々しげに睨んでいる。「もう、立ったままでなんなの?どうぞ、お座りになって」微妙な空気をぶち壊すかのように、母の声が響いた。しかし今はグッジョブ、お母さんだ。父と向かい合って座る。母もすぐにお茶を出してテーブルに着いた。それを合図に、父が口を開く。「ハワイでアイツと別れたと聞いたが、それからふた月ほどで別の男と結婚するとは、どういう了見だ?」父は暗に、私が原因で別れたんじゃないかと言っている。しかも娘が悪くないと思いたいのか、その視線は和家さんに向いていた。「あの人と別れてホテルも追い出されて、途方に暮れていた私を助けてくれたのが和家さんなの。だから、やましいことはなにもない」嘘偽りはないと真っ直ぐに父を見る。「それが事実だとして。それでもこんなに急いで結婚なんてする必要ないだろうが。疑ってくださいと言ってるみたいなもんだ」父の言うとおりだけれど、私たちには早くしなければならない事情があるのだ。それを言えば、さらに父を怒らせる。今ですら、かろうじて怒鳴るのを抑えている状態だ。言ったあとを考えると、怖い。「李依。僕から言おうか?」なかなか答えられずにいる私の手を、そっと和家さんが握ってくれた。それに黙って首を振る。これは私の問題。どれだけ言われようと、和家さんにさせるわけにはいかない。自分の口かきちんと、話さなければ。「お父さん、お母さん。私、和家さんの子供を妊娠しています。和家さんの
last update最終更新日 : 2025-10-31
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第三章 幸せにすると誓います 6

「ご両親、許してくれてよかったな」「そうですね」私と手を繋ぎ、和家さんはご機嫌だ。帰りの新幹線も車両貸し切りだった。こういう普通じゃないところは、少しずつ慣れていくしかないのかな……。「それにしても李依のお父さん、こ、怖かったな……」思い出しているのかぶるぶると和家さんが震えだす。それがおかしくてつい笑っていた。「そうですね、私も怖かったです」けれど、真摯に話したらちゃんとわかってくれ、祝福してくれた。とやかく言うヤツがいたら、俺がぶっ飛ばしてやるとまで。いい父親で私は幸せだ。「李依のお父上もお母上もとてもいい人で、温かくて……羨ましい」「和家、さん?」最後、ぽつりと落とされた言葉は酷く淋しげで、気になった。「僕に両親はいないという話はしたよな?」「……はい」あのとき、和家さんにとって家族の話は地雷のようだったので、触れるのはよそうと誓った。「物心ついたときから、両親は家にいなかった。仕事を理由にしていたが、実際はどうだったんだか」はっ、と吐き捨てるように和家さんが笑う。「小学校に上がる前に、両親は離婚した。珍しく家にいるかと思えば、どっちが僕を引き取るか、僕の目の前で醜く押しつけ合っていたな」つらい過去のはずなのに、和家さんの声はおかしそうだ。「育ててくれた祖母に恩はあるが、最後まで心は開けなかった」後悔かのようにふーっと重い息を吐き出し、和家さんは目を閉じて深くシートに背を預けた。ぽつんとひとり、家にいる子供の和家さんを想像したら、悲しくなってくる。しかもやっと両親が家にいると思ったら、目の前で自分はいらない子だと言われるだなんて。そんな子供時代を送ったら家は嫌なところとインプットされ、帰りたくない場所になるだろう。「……私は」これは、私の想い。私の決意。「和家さんとの子供をいらない子だなんて絶対に言いません。愛情を注いで育てます。和家さんとも温かい家庭を築けたら、と思っています」妊娠がわかったとき、ひとりで育てる困難には憂鬱になったが、産みたくないとは思わなかった。和家さんとの子供だから、産みたい。「私は和家さんが、好きなので」ハワイでのあの日々で、私は和家さんを好きになっていた。ただ、まだあの人に未練があって一歩が踏み出せなかっただけだ。しかしその未練はハワイに捨ててきた。も
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第三章 幸せにすると誓います 7

入籍は月曜に母が戸籍を取りに行って送ってくれるというので、それが届き次第することになった。配慮が必要な身体なんだから、妊娠を早く会社に報告すること。それに産休の予定を会社も立てないといけないから、必要なのはわかるね?……と和家さんに半ば説得され、仕事の合間に上司の元へ行く。「その。先日、結婚の報告はしたんですが、実は妊娠もしてまして」「ああ、妊娠。それはおめでとうございます。……え、妊娠?」にこやかにお祝いを言ってくれた課長だが、時間差で聞かされた内容に気づいたらしく、聞き返してきた。「はい。和家CEOの子供を身籠もりましたので、結婚することになりました」「あ、そう、なん、だ。おめでとう。今後のことについては近いうちにあらためて相談……で、いい、かな?」課長はうまく状況が把握できていないらしく、視線は定まらないし、言葉も切れ切れになっているが、仕方ないよね。「はい、それで大丈夫です。よろしくお願いします」頭を下げて自分の席へ戻る。あとは会社の出方を待つだけだ。和家さんと私が親しい関係みたいだ、っていうだけで気にするくらいだ。プライベートな問題に突っ込むのはよくないとあれから思ったのか、結婚報告したときはとりあえずなにも言われなかったが、この先はわからない。「……ねえ」「……あれ」時間が経つにつれ、また私の噂が広がっていく。今度は、浮気して他の男と子供を作ったのがバレて、ハワイで結婚直前の彼から捨てられた女と最悪度がランクアップした。さらに、そんな悪女に騙されて結婚させられる和家CEOは可哀想、というのまでついている。「……いちいち説明するの、面倒くさい」いっそ、サンドイッチマンみたいに、旦那になるはずだった人と別れたのが先で、和家さんと知り合ったのはそのあとです、とか書いた看板を背負っておきたいくらいだ。もっとも、説明したところで周りは面白がっていて、信じる気はまったくないみたいだが。終業時間が近づいてきた頃、社内が騒がしくなった。少しして、今日はもういいので片付けて社長室へ行くように言われた。わけがわからぬまま、命じられたままに社長室へ行く。「李依ー」「へ?」ドアを開けた途端ににこにこ笑って手を振る和家さんが見えて、変な声が漏れた。
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第三章 幸せにすると誓います 8

「あの、社長がお呼びだと聞いたのですが」「呼んだのは僕」ここに座れと和家さんが隣をぺしぺし叩く。どうしていいかわからずに社長を見ると黙って頷かれたので、そこへ腰を下ろした。「御社の社員と結婚させていただきますので、よろしくお願いしますって挨拶に来たんだ」和家さんは楽しそうだが、社長の笑顔は引き攣っている。遥か年下とはいえ、相手は足下にも及ばない大会社のCEOと、社長も反応に困っているのだろう。「きちんと、僕と李依の関係を説明しておいたから。ですよね、社長?」「ええ、はい」笑いかける和家さんへ、曖昧に笑って社長が答える。これってもしかして、釘を刺しに来たのかな……?社内で事実に反する噂を立てるのなら、ただじゃおかないぞって。そんなの……。「なにかとご迷惑をおかけするかと思いますが、これからも僕の妻をよろしくお願いいたします」「よろしくお願いします!」真摯に彼が社長に向かって頭を下げ、私も慌ててそれに倣った。「はい、こちらこそよろしくお願いします」それに普通に頭を下げ返した社長は、さすがだ。話も終わり、終業時間間際だったのでそのまま和家さんに連れられて帰る。「……わざわざ説明になんてこなくても、私ひとりで大丈夫だったのに」車の中でつい、口をついて不満が出ていた。「んー?たまたま近くに来たから寄っただけだ。わざわざ来たわけじゃない」しれっと和家さんは言っているが、そんなはずはないと思う。「こういうのは二度と、しないでくださいね!」「こわい、こわい」私は怒っているというのに和家さんはおかしそうにくすくす笑っていて、さらに腹が立ってきた。「……別に李依が頼りないとか思っているわけじゃない」ひとしきり笑い終わったのか、和家さんが真顔になった。「でも、僕にできることはしたいんだ。それもダメか」和家さんが眼鏡の奥から真っ直ぐに私を見ている。この人はただ、私を心配してくれているだけ。それにその気遣いが嬉しくないかと言えば嘘だ。「……いえ。その。……ありがとう、ございました」急に怒っていた自分が恥ずかしくなった。和家さんは私を思ってくれているのに、文句とか言って何様だ、私は。「うん。僕も李依に相談してからすればよかったな。すまない」「あ、いえ。そんな」赤くなっているであろう頬に気づかれたくなく
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第四章 あなたを幸せにするのは…… 1

その後。職場での私の噂はとりあえず沈静化した。……表向きは、だけれど。私になにかしたら和家CEOが……和家CEOから契約がもらえなくて会社に大損害を与えるかもしれない。というわけで腫れ物扱いされているのには、苦笑いしかできない。書類も揃い、すぐに婚姻届を提出した。「ちゃんと受理されたよ」帰ってきた和家さんが枕元に座り、寝ていた私の髪を撫でてくれる。「ううっ。一緒に提出したかったです……」今日は朝から吐いて具合が悪く、仕事も休んで寝ていた。「そうだな。次は一緒に行こう」ちゅっと、あやすように口付けが額に落とされる。「次ってなんですか?二度も結婚しませんよ」変なことを言う和家さんがおかしくて、ついくすくすと笑いが漏れた。「それもそうか。でも、李依とだったら生まれ変わっても、何度だって結婚したい」ふっと薄く、和家さんが笑う。それが妙に色っぽくて、目を逸らしていた。「……じゃあ、そのときは」どきどきと速い心臓の鼓動が落ち着かない。和家さんって凄く綺麗。こんな人が本当に私の旦那様でいいのかな。私なんてただの平凡な一般人なのに。「そうだ、これ」さりげなく和家さんが取り出したのは、指環のケースだった。「僕の印を李依に着けてもいいか」レンズの向こうから彼が真っ直ぐに私を見ている。とても甘く蕩ける瞳に、私も自然と笑顔になった。「……はい」「ありがとう」もそもそと起き上がったら、手を貸してくれた。ケースから指環を出し、左手薬指を取ってそれを嵌めてくれる。「僕にも李依の印をつけくれるか」「……はい」私も同じように彼の左手薬指に指環を嵌めた。「僕たちはこれで夫婦だな」和家さんがそっと私を抱き締める。私も手を伸ばして抱き締め返した。「そうですね」和家さんの腕の中、安心する。彼に抱かれたあの夜もそうだった。熱いのにとても優しくて。だからすべてを、彼に預けられた。これが私のものだなんて、まだ信じられない。「李依を愛している」「私も和家さんを愛しています」ちゅっと唇を軽く重ねるだけして、和家さんが離れる。それがちょっと、淋しい。「そんな顔をしない。また吐いたら嫌だろ」「うっ。……そうでした」今は胃のムカムカは止まっているとはいえ、平気だとは限らない。自分の身体なのに思うようにいかなくて
last update最終更新日 : 2025-10-31
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第四章 あなたを幸せにするのは…… 2

その日は、和家さんが探してきた家を見に行った。「素敵な家ですね」郊外の閑静な住宅街の中にある、一戸建て。リビングは大人数呼んでパーティができそうなほど広い。「寝室だろ、僕の書斎だろ、李依の部屋だろ、李依のご両親が来たときに泊まっていただく部屋と、あとは子供部屋!」和家さんが最後の部屋を開ける。そこでは小さな女の子と遊ぶ和家さんと、それを見守っている私の姿が見えた……気がした。「……え?」目を擦ったらその風景はもう消えている。あれって、近い将来が見えていたんだろうか。「日当たりもいいし、ここが子供部屋に一番いいと思うんだが」「……ここにしましょう」するりと口から、言葉が出ていく。「李依?だから、子供部屋はここがいいんじゃないかって……」「そうじゃなくて。他にもいくつか候補を選んできてくださっている和家さんには悪いんですが。……この家にしませんか?」あんな幻が見えたんだから、ここが私たちの運命の家だ。これ以上の場所なんてきっとない。「うん。李依ならきっと、そう言うだろうと思っていたよ」和家さんが嬉しそうに頷く。それって……もしかして和家さんにも同じものが見えていた……とか?まさか、ね。家も決まり今日は体調がいいのもあって、近くのホテルのカフェでお茶にする。「ここのレモンスカッシュは絞りたてレモンで作っているから美味しいんだ」「これは和家様!」店に入った途端、支配人らしき男性が飛んできた。「……ちっ」……今、和家さんが舌打ちした気がするけど、気のせいかな?「本日は私どものホテルにどのようなご用件で?」支配人の腰は低いが、どこが棘がある。あれかな、ライバルホテルのCEOが来たので、警戒しているのかな。「ちょっとレモンスカッシュを楽しみに来ただけだよ。悔しいが、ここのが世界一美味しいからね」はぁっと残念そうに和家さんがため息をつく。「お褒めいただいて光栄でございます。よろしければこちらにどうぞ」一触即発なんだろうかと心配していたが、大人な対応で個室へと案内された。そういうところは凄く格好いいし、尊敬しちゃう。「ここはレモンスカッシュは最高だが、スタッフの対応がいまいちなんだよな」ふたりになった途端、和家さんが苦笑いを漏らす。「僕が来たくらいであんなに敵対心燃やすことないだろ。あーあ、ほん
last update最終更新日 : 2025-10-31
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第四章 あなたを幸せにするのは…… 3

私にわかるようにか、和家さんは日本語で答えている。きっと彼女もわかるのだろう。しかし、ここで私に振ってこないでほしい。「……四日前、です」「そうそう、四日前。だから本当に新婚ほやほやなんだ」和家さんがだらしなく顔を崩してジャニスさんに答えているが、それって逆効果じゃないですか?「Four days ago is not recently!(四日前って最近じゃない!)We didn't talk about that when we met the other day!(このあいだ会ったとき、そんな話してなかった!)Why is this happening all of a sudden!(なんで急にそんなことになっているの!?)」和家さんの襟元を掴み、ジャニスさんがぐらんぐらんと激しく揺らす。英語で捲したてているのでなんと言っているのかわからないが、凄く怒っているのははわかる。なんとなく、なんでそんなに急に結婚したの?……あたりかなとは見当はつくが。「なんでって……子供ができたんだ」和家さんは嬉しくてたまんないってでれでれしているが、あのー、もうそろそろやめませんか?ジャニスさんが少しずつ赤くなっていっているので……。「Baby!?」とうとうジャニスさんが悲鳴にも似た声を上げる。「What do you mean,baby?!(どういうことなの、子供って!)Why are you having a baby?(なんで子供なんて作ってるの!?)」また彼女が和家さんをぐらぐらと揺らす。「僕がそれだけ、李依を愛しているだけだが?李依とだったら幸せになれると思うし、僕も李依を幸せにするからな。だから、李依との子供が欲しいと思った。それ以外の理由はない」ジャニスさんを見る和家さんの目はとても穏やかだった。そのせいか、和家さんから手を離し、椅子に座り直す。「I knew there was nothing I could say to Yusuke(悠将になにを言っても無駄だって言うのはわかった)」悔しそうに俯いた彼女が、どんな顔をしているのかなんてわからない。それでも、納得したのかと思ったが。「But I'm not giving up!(でも私は、諦めたわけじゃないから!)」ガタッと大きな音を立てて勢いよく
last update最終更新日 : 2025-10-31
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第四章 あなたを幸せにするのは…… 4

家が決まり、和家さんは一旦、アメリカへ帰ることになった。「できればあの家に移ってからアメリカに戻りたいんだが、ちょっと用ができてね。すまない」出発する日の朝、申し訳なさそうに和家さんが詫びてくる。「別にそれはかまいませんが」だいたい、今回の帰国に私との結婚なんて予定はなかったはずだ。急に私の妊娠がわかって彼の予定は狂いまくりだろう。「それよりも、早く帰ろうって無理はしないでくださいね?」「わかった。李依とお腹の子のためにも無理はしない」約束だと言わんばかりに、和家さんの唇が重なる。「なにかあったら連絡してくれ。すぐに帰ってくる」「だから、そんな無理はしないでくれと言っているんです」和家さんのことだから、本当にしそうで怖い。しかも、彼はプライベートジェットを持っているのだ。ちょっとしたことで今からすぐ帰るって、帰ってきかねない。「わかってるって」和家さんは笑っているが、ちゃんとわかってくれているのか疑わしい。今日も会社まで和家さんが送ってくれる。私を会社に送り届け、そのまま空港へ向かうらしい。「あ、そうだ。李依の車と運転手兼ボディーガード兼世話係、決めてきた。今日の帰りから彼女が迎えに来るはずだ」「ええっと……」情報が多すぎて理解が追いつかない。車……まではわかる。運転手はかろうじて。でもその先がわからない。「あの、ボディーガードとか世話係とか……?」「李依になにかあったら困るからボディーガードは必要だろ?身の回りの世話をしてくれる人間も必要だ」「はぁ」そう……なのか?今はホテル住まいだからホテルのスタッフがしてくれているが、和家さんにもそんな人がいるのかな……?「しかし可愛い李依によろめかない男なんていないからな。女性でも安心はできないが、男よりはマシだ」これは本気で言っているのかな……?私なんて過去に付き合った男はあの別れた彼しかいない。よろめかない男はいないなんて大袈裟すぎるが、和家さんは真剣に心配している。でも、そうやっていない相手にヤキモチを妬いているのは、可愛い。「でも安心しろ。彼女は元自衛官でそこらの男には負けないし、家事も育児もできるからな」和家さんは酷く得意げで……もういいや、それで。私にとっては普通じゃないが、和家さんにとって普通ならこれは慣れるしかないのだ。
last update最終更新日 : 2025-10-31
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第四章 あなたを幸せにするのは…… 5

悠将さんがいない間に編み物をはじめた。おくるみとかベビー用品を編みたいものあるが、……悠将さんになにか贈りたくて。しかし彼ならきっと今まで、豪華なプレゼントをもらってきているだろう。それに私ごときが買うもので太刀打ちできるとは思えない。なら、手作り。そんなちゃちなものと言われるかもしれないが、それでも愛情込めて作ったものを贈りたい。「……一ヶ月ってけっこう長いな」それだけ時間があれば編みはじめたマフラーを完成させられそうだ。けれど日本で仕事ができる体勢を整える時間としては短い。悠将さんって私の前ではいつも笑っているが、その陰で無理をしていそうで心配。日々は穏やかに過ぎていく。和家さんが戻ってきたら新居に移って新しい生活がはじまる。きっと、明るい家庭になるんだろうな。ううん、悠将さんと生まれてくる子供と三人で、温かい家庭にするんだ。その日は定期健診で、終わったあとに時間があったからカフェでランチしていた。「きっと、凄く喜ぶんだろうな」もらったエコー画像を見てはニヤニヤしてしまう。経過は順調で、この頃はつわりも落ち着いてきた。本当は今日の定期健診に悠将さんはついていきたがっていたが、仕事が片付かなくて断念。それでも、明後日には帰ってくる。「ハロー」声をかけられて顔を上げる。立っていた金髪の女性は私に許可など取らず、勝手に前に座った。「偶然ね、こんなところで会うなんて」にっこりと彼女――ジャニスさんが私に笑いかけるが、それは完全に胡散臭い。「そう、ですね」私も引き攣った笑顔を返す。偶然、ね……。本当なのかな?ここは彼女のホテルからも近い。彼女は店員を呼び、料理を頼んだ。どうもこのまま、ここに居座るらしい。なにを話していいのかわからないので、黙々と食べ進める。早く食べてしまってさっさと店を出るのがたぶん、得策だ。「ねぇ。こんな話、知ってる?」料理が出てくるまでの間に、暇つぶしなのかジャニスさんが私に話しかけてきた。「ある卑しい女がお金欲しさに、セレブ男性に適当な嘘をついて同情を引いたんですって」料理を食べる、手が止まる。黙って彼女の顔を見たら目があった。にたりといやらしく彼女の顔が歪む。「同情した彼は女の面倒を見てやり、それでいい気になった女はさらに彼を騙して関係を結ばせた」テーブルの上に
last update最終更新日 : 2025-10-31
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第四章 あなたを幸せにするのは…… 6

彼女の言葉がナイフになって、ドスッと胸に刺さった気がした。おかげで息が一瞬、止まる。悠将さんは陰で、そんなことを言わない人だってわかっている。それでも動揺しているのは、私の弱さと不安な心のせいだ。「まあ、誰の話かは言わないけど」口角をつり上げ、ジャニスさんは勝ち誇った顔を私に向けた。いろいろな感情がぐるぐると回り、なにも考えられない。「……ごちそう、さまでした。じゃあ」一刻も早くここから立ち去りたくて、まだ途中で食事をやめて腰を浮かせたが。「待ちなさいよ」彼女の手が私の手を掴んで引き留める。「まだ話は終わってないわ。それ、奢るから最後まで聞いていきなさいよ」きっとこれは彼女が勝手に言っているだけで、悠将さんの言葉じゃない。わかっているけれど、気持ちとは裏腹に身体は椅子に座り直した。「そう、いい子ね」まるで小さな子供にでも言い聞かせるように彼女が笑う。まもなく彼女の頼んだ料理が出てきて、食べながらジャニスさんは話を再開した。「私、今、あるホテルを買収しているの」ジャニスさんが口にしたのはハイシェランドホテルグループのひとつで、中堅どころだった。それがなくなったとなれば、悠将さんにはかなりの痛手だろう。「まあ、慰謝料ってところかしら。私と悠将は結婚するはずだったわ。それが、こんなことになっちゃって」はぁーっとわざとらしく彼女がため息を吐き出す。「まあ?子供ができたんなら仕方ないし?悠将はとても優しいから責任を取らないなんてできないのは知ってるし?悪いのは悠将を誑かした女じゃない?」俯いてきつく唇を噛みしめた。膝の上で拳を力一杯握り込む。私が悠将さんに迷惑をかけている。私自身をいくら悪く言われてもいい。でも、私のせいで彼を不幸にするのは嫌だ。「ねぇ。どうしたらいいか、もうわかるわよね?」なにも答えられなくて、ただ黙っていた。彼女もそれ以上話さず、黙々と食べている。「じゃあ、お先ー」食べ終わった彼女が席を立っても、動けずにそこに座っていた。私と一緒にいても悠将さんは幸せになれない。悠将さんを幸せにするのは私じゃなくきっとジャニスさんだ。なら、私は身を引くべき?「私が幸せにするって誓ったんだけどな」それは、私の役目じゃなかった。一緒にいれば幸せにするどころか不幸にする。もう、一緒に
last update最終更新日 : 2025-10-31
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