All Chapters of 捨てる旦那あれば拾うホテル王あり~身籠もったら幸せが待っていました~: Chapter 31 - Chapter 40

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最終章 三日月は満ちて満月になる 1

悠将さんが帰ってくるまでの僅かな時間で、黙々と荷物の整理をする。「マフラー、編み上がったのに」編んでいる間ずっと、喜んでくれる顔ばかり浮かんでいた。普通じゃないほど喜んで、このまま金庫に入れて保管しておく!とかいうところまで想像できたのに、それが見られないのは残念だ。このマフラーはあとで処分しよう。予定どおり、ジャニスさんと話をした翌々日に悠将さんが帰ってきた。「ただい、ま……」私の顔を見た途端、みるみる彼の顔が曇っていく。「李依?なにかあったのか?」そっと悠将さんの手が、心配そうに私の頬に触れた。……ああ。ダメだな、私。ちゃんと笑ってお別れしようって決めていたのに。「悠将……和家、さん」「李依?」名字で呼ばれ、眼鏡の奥で不安そうに瞳が揺れる。「お世話になりました。私と別れてください」自分の左手薬指から指環を外し、その手を取ってのせた。「李依、なにを言っているんだ?」「私のせいで、和家さんがホテルのひとつを失ったと聞きました。私と一緒にいたら、和家さんは幸せになれない。私じゃ和家さんを幸せにしてあげられない、から。子供は責任を持って育てます。だから、気にしないでください」視線は合わせられなくて俯いた。出てくるな、涙。彼の幸せを願うなら、これが一番いい選択なんだから。「……それは李依のいいところであり、悪いところだ」頭の上に悠将さんの声が落ちてくる。それは、怒っているようだった。「僕の幸せのために自分は黙って身を引く?李依はそうやって、自分に言い聞かせて諦めているだけじゃないのか」彼の声がずっしりと胃の腑に落ちる。私が諦めていた……?考えてみれば悠将さんの言うとおりだ。本当はハワイであの人に別れを告げられたとき、泣いて喚いて責めたかったかもしれない。でも、それで彼が幸せになれるんだからいいんだと自分に言い聞かせた。今だって。「自分の気持ちはちゃんと伝えろ。それすらせずに諦めるな」私の肩を掴む、悠将さんの手が痛い。しかしそれだけ、私を思ってくれている。「……悠将さんと一緒にいたい」自分から出た声は情けないほど震えていた。「悠将さんと子供と一緒に、温かい家庭を築きたい。私が悠将さんを幸せにしたい」おそるおそる顔を上げると、レンズ越しに目が合った。その目は石炭のように燃えてい
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 2

いいのかな、私が一度は離そうとしたこの手を再び取っても。それに。「でも、悠将さんのホテルが」「ホテルのひとつやふたつより、李依を失うほうがつらい」私を抱き締める悠将さんの手は、縋るようで胸の奥が切なく締まった。「ごめんな、さい」「わかったならいい」気が緩んだせいか涙がぽろりと落ちる。それをきっかけに堰は一気に決壊し、悠将さんの胸に顔をうずめて泣きじゃくった。今まで我慢していた分を全部流すかのように涙はいつまで経っても止まらない。泣き続ける私を悠将さんはただ、黙って抱き締めていてくれた。「止まったか?」「……ん」ようやく泣き止んだ私の顔を悠将さんがハンカチで拭ってくれる。それが、くすぐったくて嬉しい。泣きすぎて頭がぼーっとする。悠将さんは私を支え、ソファーに座らせてくれた。「なにか飲んだほうがいい」悠将さんが置いてあるティバッグでお茶を淹れ、カップを渡してくれた。レモンのいい香りを吸い込めば、頭もすっきりする。「それで。これは李依の指に戻していいんだよな?」私の前に跪いた彼が、私の外した指環を見せてくる。黙って頷いたら、悠将さんは私の左手薬指にそれを戻した。「二度とこの指環を外すのは許さない。わかったな」指環ごと私の左手を掴んだ悠将さんが、眼鏡の奥から強い意志のこもった瞳で私を見ている。それに視線は逸らせず、ただ無言でこくんと頷いた。「わかったならいい」私の返事で表情を緩め、彼が隣に座る。「僕の幸せは僕が決める。李依にも決めさせないと言ったはずだ」妊娠したのがわかって結婚を迫る悠将さんに、私といたら幸せになれないからと突っぱねたときに言われた。私はあのときから進歩がなくて嫌になる。さらに。「あと、なんでもかんでも自分のせいだと思い込むのは悪い癖だから直せと言っただろ」「ふがっ!?」むぎゅっと鼻を摘ままれて変な声が出た。「ホテルが買収されたのは僕の力が及ばなかっただけで、李依のせいじゃない。それにこれはもう、次の手を考えているから問題ない。今度また、私のせいで……とか言ったら、この鼻に牛みたいなピアスを着けるぞ」「痛い、痛いです!」摘ままれたまま鼻を思いっきり左右に揺らされたら堪らない。それに牛みたいに輪っかを着けられるのは嫌だ。「……直すように気をつけます」「うん」手を離した
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 3

「まあでも、僕は自分を酷い目に遭わせた相手ですら、悪口を言うどころか幸せを願う李依に惚れたんだけどな」「ええっと……?」眼鏡の弦のかかる耳を赤く染め、彼がなにを言っているのかわからない。「それって……?」「李依があんまり可愛くて、一目惚れだったんだ。健気な李依を本気で自分の手で幸せにしたいと思った。だから最後の夜、必ず迎えに行くから落ち着いたら連絡くれと言ったのに、音信不通になるんだもんな」「うっ」そういえばあの夜、彼はなにか言っていた。それを覚えていない私が悪い……のか?でもあのときは散々彼が責めてくれたおかげでくたくたで、そんな余裕はなかったのだ。「……子供ができたから仕方ない結婚するんじゃないんですよね?」それでもつい、自信のない私は確認してしまう。「は?李依はまだ、僕の愛を疑っているのか?」「それは……」疑っているわけではない。ただ、こんな理由で決まった結婚だから不安がなくならないのだ。「李依にプロポーズするつもりで帰国したんだ。李依が僕の子供を妊娠していたのは驚いたが……それについては詫びなければならない」私の手を握り、悠将さんはじっと視線を合わせた。「詫びるだなんて、そんな。それを許した私にも、責任があるんですから」「違うんだ」彼が首を横に振る。いったい、悠将さんはなにが言いたいんだろう。落ち着かない気持ちで次の言葉を待つ。「李依が妊娠すればいいと思った。そうしたら子供を理由に結婚を迫れる。僕は……最低、だろ?」らしくなく彼が項垂れ、胸が苦しい。それに、私だって。「最低なんかじゃないです。私も……悠将さんの子供が、欲しかったから」「李依?」これは、あのときはまだ自覚していなかった私の気持ち。未練もなくなり、悠将さんに愛され、可愛がられてようやく気づいた。「悠将さんはきっと私なんか手が届かない人だから、好きになっちゃダメだって。でも、二度と会えなくていいから、悠将さんとの繋がりが欲しかったんです」だから、子供ができたとわかっても、堕ろすなんて微塵も考えなかった。彼の子供だから産む。産んで、愛して、育てる。確固たる信念としてそれは私の中にあった。それほどまでに、私はあのときから悠将さんを……。「だって私はあのときから悠将さんを愛していたから」今できる一番の顔で悠将さん
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 4

「幸せすぎて死にそうだ」「え、こんなことで死なないでください」私の背中で悠将さんの手に力が入る。うん、でもその気持ちわかるかも。私も幸せすぎて、夢でもみているんじゃないかと思うもの。「でも、私が悠将さんを好きになれないままいやいや出産して、悠将さんのご両親のように邪魔者扱いするとか考えなかったんですか?」並んで座る悠将さんに、甘えるように寄りかかる。隣り合う手は指を絡めて握られた。「まったく考えなかったな。李依ならどんな経緯でできた子供でも絶対に愛するだろうと思ったし、それに」言葉を切った彼が私の顔をのぞき込み、ふふっと笑う。「僕は必ず、李依を落とす自信があったからな」「あー、そーですかー」私の答えは完全に棒読みだったが仕方ない。悠将さんは自信満々だが、そうじゃなかったらどうするつもりだったんだろう?それに。「私は悠将さんが思っているほど、いい人ではありません」「そうか?僕から見たら、李依はいい人すぎて危なっかしい」眼鏡の下で悠将さんの眉根が寄る。そんなに心配されるほどだなんて、まったく自覚がない。「いい人すぎるからハワイでホテルを追い出されて、路頭に迷っていたんだろうが」「あいたっ」軽く弾かれ、痛む額を押さえる。「僕が見つけて声をかけたからよかったものの。変なヤツに騙されたり、危ないヤツに拉致されたりしたらどうする気だったんだ?」「あー……」それは彼の言うとおりだ。しかしあのとき、不思議と悠将さんに声をかけられるまで、誰からもかけられなかったのだ。それって、もしかして。「きっと、神様が見守っていてくれたので大丈夫だと思います」「……は?」間抜けにひと言落とし、悠将さんは眼鏡の奥でぱちぱちと何度がまばたきをした。「りーえー。李依のそういうところ、凄く可愛いが、凄く心配だ……」悠将さんは頭を抱えているが、あれはそういうことなんだと思う。飛行機で知り合った女性に速攻で乗り換えるような人だ、あの人とあのまま結婚していればきっと不幸になっていた。あの人は私の運命の相手ではなかったのだ。だから神様はあの人と別れさせて、本当の運命の相手である悠将さんに会わせてくれた。なら、変な人に引っかかったりとかしなかったはず。「でも、あんなところでたまたま悠将さんと会えたのは、神様の思し召しだとしか思えません
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 5

ハワイへ旅立つ前の日、たまたま目についた神社にお参りをした。たぶん、あの神様のおかげなんだろう。五円のお賽銭でここまでしてくれるなんて、申し訳ないくらいだ。近いうちにお礼参りに行かなければ。「……そういえばジャニスさんとはどういう関係なんですか……?」昔はそういう関係だったとしても、今はまったくそういう感情はないのはわかっているからいい。それでも、〝結婚するはずだった〟とか〝慰謝料〟とか言っていたのは気になる。「どこかのパーティで知り合って、同じホテル経営者と知って少し話をしたら、なんか絡まれるようになったんだよな」悠将さんはなんでかわからないといった顔をしているが、一度、鏡を見てみましょうか。「僕と結婚するとか公言して憚らなかったから、迷惑してたんだ。いくら拒否して突き放して諦めないし。その根性、他のところで使ってほしい……」はぁーっと彼の口から苦悩の濃いため息が落ちていく。あの日の様子からして、よほど苦労させられているらしい。「……その。少しくらいジャニスさんが好きだとかは……?」「なんだ李依、ヤキモチを妬いているのか?」急に悠将さんの顔が、嬉しそうにぱーっと輝いた。「あ、いえ。ヤキモチなんて、そんな」否定してみせたものの、視線は定まらずにきょときょとしていたらバレバレだよね。そんな気持ちがあったとしても、もう終わっている話なのだから気にしなくていいのはわかるが、それでも感情はもやっとした。「李依、可愛い」ちゅっと悠将さんの唇が頬に触れる。「好きだとかそんな感情は微塵もないな。アイツのホテルの従業員は、自分が一番その他は敵だっただろ?」「ええ、まあ……」一度行った彼女のホテルで、支配人は悠将さんを敵視していた。他のスタッフも端々からそういう雰囲気を感じ取っていた。「ジャニス自身がそうなんだ、自分が一番、その他は敵。そういうのは僕とは相容れないから無理だ」その言葉に安心している私は性格が悪いだろうか。でも、悠将さんをほんの少しでも誰にも渡したくないなんて考えている自分に気づいて、私はこんなに独占欲が強かったのだと驚いた。
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 6

悠将さんの今回の帰国は、一週間ほどなのらしい。「なのに引っ越しなんてしていていいんですか……?」帰ってきて翌々日に、ホテルから購入した家に移った。アメリカに発つ前に手配した家具などはすでに運び込まれていたし、幸いなのか私の荷物も出ていくつもりでまとめてあったので、よかったと言えばよかった。しかし忙しいだろうに、家移りなんてよかったのか気になる。「んー?今回は引っ越しするために帰ってきたんだ。ホテル住まいも悪くないが、李依は落ち着かないようだったからな」無言で彼の顔を見上げる。まさか、気づいていたなんて思わない。綺麗に整えられているホテルは楽だったが、そのために従業員だけだとはわかっているとはいえ、不特定多数が部屋へ入るのを気にしなければならない。それがいつまで経っても慣れなかった。「これでゆっくりできるだろ?」「そうですね、ありがとうございます」一緒に窓際に立って庭を眺める。「でも、ブランコは必要ですか?」そこには可愛らしい白のブランコが設置してあった。「必要だろ?」「あと、滑り台も」「いるに決まっている」悠将さんはドヤ顔で頭が痛い。これらは相談なく置かれ、今日ここに来て初めて知った。「……そうですね、あるといいかもしれませんね」「だろ?」本当に嬉しそうに悠将さんが笑う。家が嫌いだと言っていた悠将さん。嫌いだから、滅多に帰らない。その悠将さんが楽しそうに家のことをあれこれ考えているのは、私も嬉しい。ここを、悠将さんが帰ってきたくなる家にする。これが当面の、私の目標だ。引っ越しが終わり、落ち着く暇もなく悠将さんはアメリカに戻っていった。やはり、ジャニスさんからのホテル買収でバタバタしているらしい。今日は休みだったので、家からお見送りした。「悠将さん。今日は寒いので、よかったら」腕を伸ばし、自分が編んだマフラーを彼の首に巻く。「これは?」「私が編んだんです。お気に召してもらえるといいんですが」色、チャコールグレーにして正解。スーツやコートの色と合っているし、悠将さんによく似合っている。「李依が?僕のために?」「はい、そうですが」悠将さんは微妙な反応で、やっぱり手編みなんてダメだったのかと思ったけれど。「ありがとう、李依!」いきなり、悠将さんから抱きつかれた。「手作りのプレゼン
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 7

次の健診も経過順調だった。出社前にこの間のカフェで昼食を取る。「ハロー」聞き覚えのある声がしたあと、誰かが私の前に座った。顔を上げると予想どおりジャニスさんがいる。たぶんどこかで、私が来るのを見張っているんだろう。今日も私の許可など取らず、勝手に注文して居座った。「悠将、ホテルをひとつ失っちゃったわね。可哀想」「……そう、ですね」グループのホテルのひとつが、ジャニスさんの買収に応じた話はすでに悠将さんから聞いている。彼は私のせいじゃないから気にしなくていいと何度も言ってくれたが、それでも心苦しい。「それだけ?あなたのせいなのよ?どうする気?」ジャニスさんは愉しそうにニヤニヤ笑っていて、性格悪いなと思う。そんなところが悠将さんと合わないのだと気づかないのかな。「私はただ、それでも私を愛してくれる悠将さんを、精一杯愛して、幸せにするだけです。悠将さんもそれでいいと言ってくれました」私の答えで鼻白み、不機嫌そうにジャニスさんはグラスを口に運んだ。悠将さんは渡しのせいじゃないと言ってくれたが、それでも心苦しい。きっと償いなどと言ったらまた怒られるだろうが、それでもこれが私なりの償いだ。それにきっと、これなら彼も許してくれると思う。「あなたこそ、大丈夫なんですか?悠将さんのホテル買収なんて派手なことをしていますが、……経営、苦しいそうですね」さっと彼女の顔に朱が走る。……本当、なんだ。悠将さんから聞いたときは、まさかと信じられなかった。けれど従業員の対応が悪いとSNSで噂になっていて予約が減っていると教えてもらえば、なんか納得した。「そ、そんなこと、あるわけないじゃない」強がりを言いながらも彼女の声は震えている。「なら、いいんですが」嫌な思いをさせられたんだからやり返してやれと悠将さんから教えられた話だけれど、ちょっとフェアじゃないなと心が痛い。無言で残りを食べてしまう。ジャニスさんの料理も運ばれてきたが、彼女はなに言わずにもそもそと食べていた。食べ終わり、席を立つ前に声をかける。「悠将さんから伝言です」私の言葉でぱっと彼女の顔が上がった。「こんな卑怯な手を使わず、正々堂々合併や融資の相談をするのなら話は聞く、……だ、そうです」みるみるジャニスさんの顔が恥辱に染まっていく。「私は、これで」彼女
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 8

……その後。「李依ー、ただいまー!」「おかえりなさい」ドアから飛び込んできて速攻抱きつき、キスしてくる悠将さんには苦笑いしかできない。「聞いてくれ。ジャニスのホテルを買ってきた!」「……は?」超うきうきな悠将さんが、いったいなにを言っているのかわからない。ホテルって、コンビニでおにぎり買うみたいに買えるもんなの?「一度まっさらになって考え直したいのでホテルを買ってくれ、なんてアイツらしくなく殊勝に言ってきたから、好条件で買ってやったよ」ジャニスさんはホテルを失ったわけだし、いい結果なのか悪い結果なのか私にはわからない。そのあとしてくれた説明によると、悠将さんはジャニスさんのホテル買収を画策していたらしい。しかも、彼女が応じなければかなり強引な手段も考えていたみたいだ。しかし、ジャニスさんからホテルを買ってほしいと真摯に相談され、できるだけ彼女の希望に添う形で買い取ったそうだ。これってジャニスさんが心を入れ替えたからなんだろうか。そうだったらいいな。「李依、お腹少し大きくなったか?」ソファーで後ろから私を抱き締める悠将さんの手が私のお腹を撫でる。「わかりますか……?」五ヶ月に入り、お腹の膨らみがわかるようになってきた。でも服を着ていたら気づかない程度なのに、悠将さんにはわかっちゃうんだな。「可愛いなー、男の子かなー、女の子かなー」悠将さんはにこにこしっぱなしで、私も自然と頬が緩んできちゃう。「悠将さんはどっちがいいんですか?」「そうだな、女の子は李依に似て絶対可愛いだろうし、男の子も可愛いと思うから悩むな……」真剣に悠将さんは悩んでいるが、そこまで?「……でも、男の子だったら形は違うとはいえ、お父さんとキャッチボールの夢が叶うんだよな……」淋しげに悠将さんが眼鏡の奥で目を伏せる。……んんっ!絶対私、男の子を産む!産んでみせる!……とかいうのは半分冗談として。「……父とキャッチボールは、どうですか……?」たぶん、父なら喜んで悠将さんの相手をしてくれると思う。悠将さんの夢はできるだけ叶えてあげたい。「李依のお父さんと……?」「はい。頼んでみましょうか?」「いや、いい」あっさり断られ、出過ぎた真似をしたのかと思ったものの。「……そうか。僕にはもう、お父さんとお母さんがいるんだ」ふふっと小さ
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 9

私の予感は的中し。「李依、ただいま!」一週間ぶりに帰ってきた悠将さんの後ろには、いくつも積み重なった箱を抱えている運転手が見える。それにはぁーっとため息をついてしまった私に罪はない。だって。「……また、買ってきたんですか?」「だって可愛いのがあったからさー」あったからさー、じゃないです。そうやっていつもいつも買ってくるから、家の中は子供用品であふれかえっていますが?買ってきたものは仕方ないので運び込んでもらう。今日はおままごとセットに、お姫様セット、あとは洋服や靴だった。性別がわかる前はどちらにもOKなぬいぐるみやユニセックスなデザインの服。女の子らしいとわかってからは拍車がかかり、可愛らしいお洋服を山ほど買ってくる。そういえば、ハワイでも私に死ぬほど服を買ってくれたなー。これは、悠将さんの仕様なんだろうか。夕食を食べたあと、リビングのソファーでまったり過ごす。「お腹、大きくなったな」「そうですね、もういつ生まれてもおかしくないです」とうとう臨月に入った。会社も少し前に産休に突入。私としては子育てが落ち着いたら復帰したいところだが、ハイシェランドホテルとの契約が決まってからというもの軽く役員待遇で居心地が悪いので、こちらはちょっと考えている。それにその頃には、アメリカに渡っているかもしれないし。後ろから私を抱き締めて座り、悠将さんがいつものように口付けの雨を降らしてくる。「そうだ。エステサロンを買ったんだ。マタニティエステもやる予定らしいから、李依も利用したらいい」……まさか、私のために買ったりしてないですよね?悠将さんならやりそうだから怖い。「べ、別に李依のために買ったわけじゃないぞ?」私の疑惑の視線に気づいたのか悠将さんは慌てて否定したけれど、眼鏡の奥で目がきょときょとと忙しなく動き、視線も合わせないとなると疑わしい。「ジャニスが心機一転、新しい事業を立ち上げると言うから、出資したんだ。アイツのホテルでやっていた、ジャニスプロデュースのエステは評判よかったからな。きっといいエステサロンになると思うんだ」これってあんな厳しいことを言っていながら、ジャニスさんを救済したんだろうか。「評判が上がればうちのホテルに導入してもいい。先行投資というヤツだ」まだ私のため疑惑は拭えないが、とりあえず他の理
last updateLast Updated : 2025-10-31
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最終章 三日月は満ちて満月になる 10

「だから、まだジャニスにやり直す気があるのなら、手を貸してやろうと思った。それだけだ」ぽりぽりと人差し指で、彼が頬を掻く。悠将さんは自分が気づいていないだけで、凄く優しい。こんなに優しい人が私の旦那様で、そして子供の父親でよかったと思う。「それにしてもアイツ、僕に『和家様!』とか言って過剰な接待をしてくるのはなんでだろうな?」悠将さんは不思議そうだが、私に聞かれてもわからない。「あ、そうだ」立ち上がった悠将さんが荷物の中からなにかを探し、戻ってくる。「ジャニスが李依に、って。妊婦も大丈夫なリラックスできるアロマスプレーだって言ってた」「へー」軽く空間に向かってスプレーしてみたら、ラベンダーのいい匂いが広がった。「好きな香りだし、いいかもです。お礼を言っておいてください」「わかった。というか、エステに来るときはぜひ連絡くれ、私自身がお相手をしたいので、とか言っていたぞ」「はい……?」まだ私に敵対心を燃やしている……とかないと思いたい。「李依様は和家様の大事な奥様で、和家様の御子を産む大事な身体なのですから、大事にせねばなりません……とかなんとか言っていた。聞き流していたが、あらためて思い出すと気持ち悪いな」不快そうに眼鏡の下で悠将さんの眉が寄る。これってもしかして、尊敬がすぎて崇拝になっていないかな……?ちょっと心配だ。「……ん?」「李依、どうした?」私が微妙な声を出し、怪訝そうに悠将さんが顔をのぞき込む。「なんか今ちょっと……」……ズキッとしたような?「もしかして陣痛じゃないのか?」「そうなんですかね……?」なにせ、初めてなのでわからない。「病院、今すぐ病院に行こう!」「えっと、そこまで慌てないでいいので……」「今すぐ生まれたらどうするんだ!?」らしくなく慌てふためいている悠将さんを見ていたら、反対に冷静になってきた。でも、ちょうどいいタイミングでよかったな。出産予定日にあわせて帰ってはきたけれど、少しズレていたら立ち会えなかったもんね。深呼吸したら落ち着いたらしく、病院に向かう車の中でも、着いてからもずっと、悠将さんはどっしりとかまえて手を握っていてくれた。そして――。
last updateLast Updated : 2025-10-31
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