観月のアパートを出たのは、陽光がアスファルトを白く焼き尽くす、正午少し前のことだった。溶けかけた濃い影の輪郭が、陽炎のように揺らめいている。燈の日記を収めたリュックのストラップが、汗ばんだ肩の皮膚にじっとりと食い込む。それは単なる物理的な重さではなかった。ページに染み込んだ彼の罪悪感が、湿った汚泥のように静の背中に張り付き、思考の健全な部分を少しずつ腐らせていく。胃の底では、消化しきれない鉛の塊が冷たく居座り続けていた。◇ 大学へ向かう足を止めたのは、錆びた鉄の校門が見えてきた時だった。 背後から、足音がする。 自分のものではない。観月のような、気配そのものを消し去るような歩みではない。かといって、燈の弾むような軽やかさとも違う。 カツン、……カツン、……。 アスファルトを規則正しく穿つ、硬質な音。逃げ場がないことを宣告するかのように、一切の感情を排した冷たいリズムが、じりじりと距離を詰めてくる。 振り返る。心臓のあたりが、嫌な音を立てて軋んだ。 そこに立っていたのは、見覚えのない女だった。三十代前半だろうか。陽光を弾くことなく、すべてを吸い込んでしまうような黒いショートボブ。その髪は、彼女の鋭い三白眼を不気味なほどに際立たせていた。体にぴったりと張り付いた黒いパンツスーツは、まるで第二の皮膚のように隙がない。首から下げられたICレコーダーが、鈍い光を放っている。 その全身から発せられる「気配」は、観月の放つ爬虫類めいた冷たさとは異質だった。乾いた香水の匂いの奥に、目的のためならあらゆるものを焼き尽くす、熱を持った冷酷さが渦巻いている。獲物を値踏みする視線が、静の頭のてっぺんから爪先までを、無遠慮に検分していく。皮膚と肉の間を、冷たい虫が這い回るような感覚があった。「氷鉋静さん、ですね」 女の声は、その見た目と同じく、一切の響きを含んでいなかった。事実を確認するためだけに存在する、乾ききった音。 静は答えなかった。ただ、眼鏡の奥で揺れる視界のまま、相手を見つめ返す。この女から流れ込んでくる感情の澱みは、純粋な悪意で
Terakhir Diperbarui : 2025-11-09 Baca selengkapnya