王宮内・軍参謀室、午後。 伝令の靴音が遠ざかり、静寂が戻る。 主席参謀ゼノの横で、書類を束ねていた副官がふと呟いた。「……宰相殿、最近はずいぶん穏やかですね」 ゼノは手を止めず、淡々と報告書へ印を押す。「穏やか、か。憑き物が落ちたようだと?」「ええ、そんな噂も。以前とは別人みたいで」 しばし沈黙ののち、ゼノはわずかに笑った。「変わったのか、戻ったのか……さてな」 印章を机に置き、低く続ける。「どちらにせよ、本質は変わらん。……あの方は、最初から誰かのために剣を取る人だ」*** そんな噂話が交わされたのとほぼ同じ時刻、 セイランの執務室では、午前中に処理された閣議文書が整然と並べられていた。 端正な筆跡、余白もぴたりと揃い、乱れは一つとしてなかった。 ──だが、筆を置いたその指先には、かすかな余熱が残っていた。 ノックの音。「入れ」 いつも通りの落ち着いた声が、意図せず少しだけ低く響く。 扉が開き、黒衣の青年が姿を見せた。「報告書をお届けに参りました、宰相殿」 カイ=アレクシオン。 皇帝代理の肩書きでありながら、わざわざ報告書を自ら運んでくるのは、もはや日課に近かった。 セイランは視線を上げぬまま、手を差し出す。「……机に置け」 だがカイは、言われた通りにはしなかった。 書類をそのまま手渡しに差し出す。 セイランもまた無言で応じ──指先がふれる。 ──昨夜、何度も交わした肌の熱が、指先の接触だけでよみがえる。 まるで熱が、まだそこに残っているようだった。 ふたりの視線が、自然と絡み合う。 書類の束がわずかに傾ぎ、カイの手が少し長く、セイランの手に添った。「……今日は顔色がいいですね」 ぽつりと、カイが言う。 声には気遣いの体をとりながら、微かな悪戯っぽさが滲んでいた。 セイランは書類を受け取りながらも、視線を逸らさずに言った。「……お前が来たからだろう」 その声は静かで、けれど抑えようのない熱が微かに混じっていた。 頬に浮かんだ色を隠すように、セイランは書類を読み始める。 だが、わずかにほころんだ口元は、否応なく余韻を物語っていた。「昨夜は、ずいぶんご熱心でしたからね」「……無駄口が過ぎるぞ」 ぴしゃりとした声に、カイは素直に頭を下げる。「失礼。けれど、ゼノと副官が少し噂してまし
Last Updated : 2025-11-28 Read more