一方、このところ忙しかった杏奈は、ネットの芸能ニュースなんて見ていなかった。汐梨と克哉が仲直りして例のドラマに出ることにしたと知ったのも、健吾から聞いたのだ。そして、鈴木家で汐梨に会ったとき、杏奈は二人の関係が以前よりもっと親密になったように思えた。どうやら汐梨は、もう決心したようだ。そして今、健吾はそっと杏奈の手を引いて二階に上がり、彼女の部屋へと入っていった。「あなたのお兄さんたちが料理人たちを追い出して、四方八方から俺を睨みつけてくるんだ。でも俺は彼らのために料理なんてしたくない」彼は杏奈のためなら、喜んで料理を作るのだが、無理やり彼女の兄たちのために作らされるなんて、ごめんだと思った。それを言われ杏奈は笑いながら健吾の頬を撫でた。「嫌なら作らなくていいよ。兄さんたちがホスト役なんだから、自分たちで何とかするでしょ」それでも健吾は眉間にしわを寄せ、不満そうな顔をしていた。「彼らが一緒にキッチンに立って手伝うっていうなら、作ってやらないこともないけど」「じゃあ、私が一緒に入ってあげようか?」それを聞いて健吾はさらに眉間のしわを深くよせた。だが、彼が口を開こうとした瞬間、杏奈が指でその唇をそっと押さえた。「もう、わかってる。私はキッチンには入らないわ」すると健吾が、ぱくりと杏奈の指に軽く噛みついた。予想外のことに、杏奈は思わず、「痛っ」と声をあげて手を引っ込めた。「もう、なにするの!」「これで忘れないだろ?」そう言って健吾は悪戯っぽく笑うと、杏奈に顔を寄せた。そして自分の唇を指さして言った。「仕返し、する?」そんな彼を杏奈は、ぽん、と押し返した。だが、健吾は怒る様子もなく、押された勢いのままくるりと向きを変え、部屋の中を見て回り始めた。彼が杏奈の部屋に入るのは初めてだった。そこはとても広々としていた。温かみのあるインテリアで、こだわりが感じられる部屋だ。すると、杏奈はふと何かを思い出したように言った。「そうだ、あなたにあげたいものがあるの」健吾が目を向けると、杏奈はウォークインクローゼットへ向かい、しばらくしてやっと戻ってきた。そして杏奈の手には、チャコールグレーのコートが抱えられていた。コートはシンプルなデザインで、丈は健吾の膝あたりまで。肩幅も袖の長さも、彼の体
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