「杏奈さん、着いたよ」杏奈は目を開けた。ぼんやりしていた視界がだんだんはっきりしてきて、その澄んだ瞳に映ったのは、健吾の端正な顔だった。「着いたよ」彼女は健吾の言葉を繰り返すように、そっと呟いた。健吾は、そんな杏奈がたまらなく愛おしいと思った。思わず彼女の頭をくしゃっと撫でて、頬をつまんだ。「着いたよ。降りようか」すると杏奈は数秒ぼうっとしてから、健吾の後について車を降りると、目の前に現れたのはN市の服飾博物館だった。それはN市で唯一の、服を専門にした博物館だ。杏奈は少し前に、この博物館のプロモーション動画を見て、いつか来てみたいと思っていた。でも、最近は忙しすぎて、ずっと後回しになっていたのだ。まさか健吾が覚えていてくれたなんて。彼女は少し感動して、自分から健吾の手を握った。「あなたって優しいね」そう言われ、健吾は笑って杏奈の手を握り返すと、博物館の中へ入るように促した。博物館はN市の郊外にあって、敷地もかなり広い。N市でもトップ3に入る規模の大きな博物館だ。展示されている服は、過去のものから未来のデザインまで、国内だけでなく海外のものもあった。ここにある服は、一つ一つが時代の特徴を色濃く反映していて、それぞれに持ち主の物語も秘めているのだ。博物館に人は少なく、来館者たちはみんな静かに見学していた。館内は撮影禁止だ。杏奈と健吾が歩いていると、ひそひそと話す声だけが聞こえてくるのだった。健吾は杏奈に小声で言った。「確か、今回のコンテストのテーマは『雅』だったよね。歴史の重みからインスピレーションが得られるかもしれないって思ったんだ」正直、健吾こそこの業界にいれば、きっと優秀なデザイナーになっただろう。そう思って杏奈は、健吾のセンスを少しも疑っていなかった。彼女は健吾を見て笑った。「すごく助かったよ」「インスピレーションが湧いたら、ご褒美くれるんだよね」誰がご褒美をあげるなんて言ったのよ?そう思ったが、杏奈は甘えるように、健吾の腕を軽くつねった。大して力も入れていないのに、彼は大げさによけてみせた。こうして中に進むと、博物館には不思議な力があるようで、中に入ると自然と頭が空っぽになって、入る直前までどんなに焦っていても、歴史の重みに触れると心が落ち着いてくる
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