All Chapters of あざとい女に夫も息子も夢中!兄たちが出動!: Chapter 571 - Chapter 580

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第571話

そう言われ健吾の表情が、珍しくこわばった。「あなたたち、前に同じ人を好きになったことがあるんでしょ!それで、あなたが負けたから!」健吾は杏奈のぶっ飛んだ想像力に呆れつつ、「もちろん違う!」と反論した。だが、彼が歯を食いしばる様子は、杏奈の目には、図星を突かれて逆ギレしているようにしか見えなかった。やっぱり。彼女は自分の推測が当たったと思った。そして心のどこかで切なさがよぎった。でも杏奈は、まるで姉のように健吾の肩をぽんと叩いた。「人生は、思い通りにならないことだってあるわよ。元気出して」そう言われ健吾は、さらに強く奥歯を噛みしめた。腹が立ったからだ。大きな手で杏奈の腰を引き寄せ、自分の体に強く押し付けた。「俺が本気になったのは、あなたが最初で最後だ。逆に聞くが、あの男はいつあなたにアプローチしてきたんだ?」すると今度は杏奈は目を丸くして、健吾を見つめた。この人、本当に今まで誰とも付き合ったことないの?彼女はまつ毛を震わせ、はっと我に返って慌てて言った。「何、変なこと言ってるのよ。柴田さんが私を好きだったなんて、そんなわけないじゃない!っていうか私があなたに質問してるんだけど!」なのに、どうして話をすり替えられて、自分が責められてるの?杏奈は納得いかなかった。「俺があの男と同じ女を好きだったって言ったのは、あなただろ。俺が好きなのはあなただけだから、あなたに聞くのは当然じゃないか?それに、あなたの推理は間違ってる」健吾は少し身をかがめた。すると二人の顔の距離は、こぶし一つ分ほどしかないほど縮められ、その声も、どこか魅惑的なニュアンスを持っていた。「だってあなたは、俺の彼女なんだから、俺の勝ちだ」一方、杏奈はまんまと健吾のペースに乗せられてしまったと感じた。でも、健吾の言葉はとても甘く響いた。彼は自分だけを、ずっと好きだと言ってくれているのだ。そう思うと杏奈の心に、じんわりと甘い気持ちが広がった。彼女は目の前にある、非の打ち所がない美しい顔を見つめた。そして、その視線は薄紅色の唇へと落ちていくと、杏奈はすっと顔を寄せ、健吾の唇にキスをしてから言った。「ええ、あなたの勝ちよ」一方健吾は、彼女の綻んだような笑顔を見ていると、心にもやもやと渦巻いていた怒りが、一瞬で消え去るのを感じた。
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第572話

一方竜也は、杏奈に近づきたい気持ちを必死に抑え、彼女と健吾が立ち去ってから、浩を連れて佑のもとへ向かおうとした。しかし、歩き出してすぐに、佑から電話がかかってきた。「すみません、中川社長。急用ができてしまって、今日の打ち合わせはキャンセルさせてください。契約書は後ほど部下の者に届けさせますので。どうかご容赦ください」それを聞いて竜也も、はじめは振り回されたようで少し腹が立った。しかし、佑が契約書を持ってこさせると聞いて、その怒りも少しずつ収まっていった。「構いませんよ。柴田さんもお忙しいでしょうから」そう言って電話を切ると、竜也は再び浩を連れてその場を離れた。彼は会社に戻るつもりだったが、浩が午後に習い事の授業があるので、先に家に送らなければならなかった。もし佑に息子は可愛いからどうしても連れて来て欲しいとしきりに言われなければ、竜也だってまだ幼い浩を連れ回したりはしなかった。それから浩を家に送った後、竜也は仕事に向かった。一方その頃、家庭教師はもう到着していた。浩は、この終わりのない英才教育にうんざりしていた。以前、杏奈が組んでいたスケジュールは、授業は少なくないものの、そこまで詰め込まれてはいなかった。遊んだり、リラックスする時間もちゃんとあったのだ。だが今は違う。竜也は浩を本気で後継者として育てようとしていた。だから、毎日の授業でびっしりと埋め尽くされた浩は、息が詰まりそうだった。彼は祖父母が可哀想に思って、何か言ってくれるだろうと期待していた。しかし、大人たちは前もって約束していたかのように、浩の教育については驚くほど意見が一致していた。それが続く中、彼はとても疲れていた。家庭教師が目の前で指し棒を振り回しているのを見て、浩はイライラが募るばかりだった。だから、相手がトイレに行った隙に、彼はこっそり部屋を抜け出した。そしてデニムのオーバーオールを着て、小さなリュックを背負った浩は、まるで小さな大人のように、とあるネットカフェに入っていった。すると、ネットカフェの中にいた、ジージャン姿の青年が浩に気づいて手招きした。「よお、ちびっ子。こっちに来な」浩は青年の前に立つと、慣れた手つきでカバンから札束を取り出し、彼の前に置いた。それを見た青年はお金に目がくらみ、にやにやしな
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第573話

そして午後いっぱい、杏奈は健吾の愚痴をたくさん聞いてあげた。健吾が言うには、茂はたった2年現場を離れただけなのに、まるで新人のように何でも自分に頼ってくるらしい。それで2年間は会社のことで煩わせないって約束したはずなのに。だけど、実際のところこの1ヶ月、健吾もなんだかんだと色々任せられてきたのだ。彼はかなり不満を溜めていたようだった。一方そんなあたふたしている健吾を杏奈は笑いそうになりながらも、ソファで頬杖をついて眺めていた。そしてなんだか拗ねている健吾も、可愛らしく見えてきた。「これはあなたの家業なんだから、少しばかり面倒でも、その分収入が多くなると思えばいいでしょ」杏奈は彼をなだめるように言った。でも健吾は、全然慰めになっていないという顔をした。今の彼は、恋愛のことで頭がいっぱいなんだから仕事の話なんてしたくなかったのだ。杏奈は健吾のそんな様子に、思わず笑ってしまった。そこで彼女は言い方を変えてなだめてみた。「N市ではあなたが私の仕事が終わるのを待っててくれたでしょ。今度は私があなたのオフィスで待つ番よ。どう、これで機嫌直してもらえそう?」健吾は少し考えると、たしかにその通りだと思った。それから杏奈はソファから立ち上がると、窓際に歩み寄った。ビルの下では車が行き交い、建物も車も人もみんな小さく見えて、まるでアリの行列のようだ。他の人が忙しく働いているのを横目に、自分だけのんびりできるなんて、なんて最高じゃない、と彼女は少しばかり悪戯っぽく思っていた。一方健吾は午後、本当に忙しかった。大小様々な会議が続き、彼の機嫌はどんどん悪くなっていった。有能な秘書の洋介はN市にいるため、こちらの秘書課には健吾に気軽に近づける者がいなかった。皆、びくびくしながら会議の準備を進めているのだった。ようやく仕事が片付くと、杏奈は健吾のこめかみを優しく揉みながら、そっと尋ねた。「終わった?」「ああ、終わったよ」そう言って健吾は首を傾げ、杏奈の手に顔をすり寄せた。杏奈は思わず健吾の頬を軽くつねると、身をかがめて首に抱きつき、彼のふわふわした髪にそっと顎をのせた。「この近くに屋台が並ぶ通りがあるのを知ってるの。今夜はちゃんとした夕食じゃなくて、そこで食べ歩きしない?」杏奈はキラキラと目を輝かせて
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第574話

杏奈が振り返ると、ちょうど圭太が女の人の肩を抱いてこちらに来るところだった。すると杏奈の顔からさっと笑顔が消えた。そして、彼女は見て見ぬふりをして、ぷいっと顔をそむけた。一方無視された圭太は杏奈の態度にむっとした。もし隣に健吾がいなければ、いつもの彼なら杏奈に痛い目を見せてやっただろう。圭太は、鈴木家からもらったお金とその看板のおかげで、最近はビジネスでずいぶんと甘い汁を吸っているようだったから。彼は少し調子に乗っていたのだ。だから、圭太は杏奈を冷ややかに睨みつけて言った。「なんだよ?鈴木家に戻ったからって、兄だった俺を無視するつもりか?」その「兄」という言葉を聞いて、杏奈は胸やけがするのを感じた。だが、杏奈が口を開くより先に、健吾が彼女を腕の中に引き寄せ、圭太の視線を遮った。健吾は圭太より少し背が高い。その彼を上から見下ろす視線には、絶対的な自信がみなぎっていた。「お前は40億円と引き換えに、彼女との縁を切るって契約書にサインしただろうが。今更契約を覆すつもりか?」健吾に痛いところを突かれて、圭太の顔はみるみるうちに険しくなった。健吾のやつ、人前でよくも自分の顔に泥を塗ってくれたな。一方圭太の腕の中にいる女は健吾のことを知らなかったが、杏奈のことは知っていた。女は、杏奈が久保家と血の繋がりがないことは知っていた。でも、実の親族がどんな人たちなのかは知らなかったのだ。彼女は、杏奈が本当の家族を見つけたから、育ててくれた久保家と縁を切ったんだと、そう思っていた。そこでその女は、馬鹿にしたように言った。「久保家には育ててもらった恩があるでしょ?それなのに圭太さんをそんな風に邪険にして、おまけに縁を切るなんてひどいじゃない」だけど杏奈は、この二人とこれ以上話す気はなかった。今日は健吾と美味しいものを食べにきたのだ。こんな人たちのせいで気分を害されたら、せっかくの夜が台無しになってしまう。そう思って杏奈は健吾の腕の中からそっと離れると、冷たい視線で圭太とその女を見据えた。その女には見覚えがあった。圭太の数ある彼女の一人で、彼にしては一番長く付き合っている女だ。そして杏奈は圭太に視線を向けて言った。「私の兄が久保家への養育費として40億円を支払ったはずよ。それは、私と縁を切るために、あなた自身
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第575話

彼女は健吾と一緒に、屋台が並ぶ通りをぶらぶら歩きまわった。健吾は激辛イカ焼きを一口食べたけど、それ以上は手を付けなかった。それだけで彼の顔にはうっすらと汗がにじんで、頬も赤くなってしまうほどだったから。どう見ても、辛さにやられたみたいだ。杏奈は不思議そうに健吾を見た。「辛いもの、平気じゃなかったの?」そう言われ健吾は、恨めしそうな目でちらりと杏奈を見た。彼はそんなに辛いものが得意じゃない。いつも食卓に並ぶ辛い料理は、杏奈のために作っていたのだ。こんな激辛レベルは、さすがに無理だった。ようやくそれに気づいた杏奈は、辛さを和らげようと急いで何か乳製品飲料を買いに行こうとした。だけど健吾は彼女を止め、自分でミネラルウォーターを買った。「乳製品飲料のほうが辛さに効くのに」「いやだめだ」健吾はとても頑固だった。杏奈は不思議そうに彼を見た。「どうしてだめなの?」健吾は、乳製品飲料を飲めないわけじゃなかったはずなのに。そう思っていると、健吾は彼女に視線を落とし、真剣な眼差しで言った。「飲んだら、あなたとキスできなくなるだろ」杏奈は乳製品アレルギーなのだ。そう言われ、杏奈は絶句した。彼女は、健吾が食べかけだった激辛イカ焼きを、ぱくりと自分の口に入れた。それから杏奈は、健吾の好みに合わせて、自分用には激辛の味付けを、彼には辛さ控えめのものを選ぶようにした。健吾はそんな杏奈を見て、何度か何かを言いかけては、口を閉ざした。でも、彼女が楽しそうにしているのを見て、好きにさせておくことにした。こうして屋台の通りをひと通りまわり終える頃には、杏奈はお腹がいっぱいで、汗だくだった。それでも、彼女はずっとウキウキしていた。一方、健吾はティッシュで杏奈の汗を拭きながら、眉をひそめた。「夜は冷えるのに。汗かいて風邪ひいたらどうするんだ?」「そんなヤワじゃないって。たまにはいいでしょ、私の体なら心配いらないから!」だが、健吾は杏奈の言葉を無視して、自分のジャケットを脱ぐと彼女の肩にかけた。杏奈が何か言おうと口を開きかけると、健吾に釘を刺された。「脱いだら、お仕置きだからな」どんなお仕置きかは言わなかったけど、彼の視線を見れば、言わずと知れていた。だから、杏奈は、素直に口を閉じることにした。
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第576話

そんな浩の姿はとても可哀想だった。ぷくぷくの顔はほこりまみれ。着ているサロペットも、逃げる途中で片方の肩ひもが外れてしまったらしく、小さな体にだらりと掛かっているのだった。杏奈は少し考えたが、浩を突き放すことはできなかった。でも、杏奈は彼を慰めるでもなく、ただ淡々と、「何があったの?」と訊ねた。だが、浩は杏奈の足に抱きついて、彼女の服に顔をうずめたまま、その小さな体を恐怖に震わせるだけで、何も答えず、ただひたすら、「ママ」と叫ぶのだった。それを見て杏奈の指先はぴくっとしたが、心を動かされることはなかった。一方健吾は青年を取り押さえると、振り返ってその光景を目にした。彼は奥歯をぐっと噛み締めると、数歩で二人に近づき、浩を杏奈から引き離そうとした。しかし、浩は杏奈の足にぎゅっとしがみついて、どうしても離れようとしなかった。体は小さいのに、力は強かった。健吾が何度引っ張ってもびくともしなかったので、彼はだんだんと苛立ちが募ってきた。「離れろ!」彼の声はとても冷たかった。だが、浩の小さな体がびくりと震え、腕には更に力がこもった。すると健吾の表情は、さらに険しくなった。それを見た杏奈は健吾の手をそっと引いて言った。「警察が来たら、竜也に連絡してもらおう」杏奈にそう言われて、健吾は不満を顔に浮かべながらも、それ以上は何も言わなかった。そして、警察はすぐにやって来た。金髪の青年はサイレンの音を聞いてすっかり動揺し、逃げようとしたが、健吾にがっちり押さえつけられていた。一方浩は、ずっと杏奈から離れようとしないので、杏奈は仕方なく浩を連れて警察署へ向かった。そして警察が竜也に連絡をとった後も、浩はやはり彼女から離れなかった。「ママ、怖いよ。そばにいてくれない?」泥まみれの小さな顔は涙で濡れて、その目には恐怖と懇願の色が浮かんでいた。さらに声もか細く、助けを求めているようだった。その姿は、なんとも不憫だった。だが杏奈はすこし黙り込むと、やはり浩の小さな手を少しずつ引き離したのだった。「もうすぐパパが迎えに来るから、ここでいい子にして待ってるのよ」すると突然、浩はわっと泣き出した。「ママ、行かないで!僕を捨てないで、うわーん!」浩の胸が張り裂けそうな泣き声が警察署に響き渡り、事情を知ら
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第577話

杏奈が口を開こうとしたが、健吾はそれを遮るようにフッと笑った。その目には、強い皮肉の色が浮かんでいた。「離婚したときにサインした誓約書のこと、もう忘れたのか?」かつて、離婚したとき、浩の親権は竜也が持つことになった。杏奈が自分を息子だと言って取り戻しにくるのを防ぐため、浩が竜也をけしかけて、彼女に誓約書へサインさせたのだ。それは二通あって、その内の一通は、今でも杏奈の書類棚にしまってあるのだ。一方そう言われ、竜也は冷たい目で健吾を見た。「これは俺たち家族の問題だ。あなたのような他人が口を出すことじゃない」何はどうであれ、杏奈は8年間も自分の妻だったのだ。浩との血縁関係も、紙切れ一枚で完全に断ち切れるはずはないだろう?そうなると、健吾はどう考えても他人ということになる。すると竜也はまるで優位に立ったかのように、健吾に見下したような目線を向けた。一方、健吾が険しい顔で言い返そうとしたとき、杏奈がすっと一歩前に出て、冷たい視線を竜也に向けて言った。「家族の問題だって言うなら、あなたは浩の面倒をちゃんと見るべきじゃないの。私たちは離婚したんだから、もう何の関係もないはずよ。そんな関係ない他人である私たちに助けてもらったのに、感謝すらせず、その態度は何なの?そんなこと言われる筋合いはないと思うけど?」そう言って杏奈は一方的にそうまくし立てると、健吾の手を引いて歩き出した。「あなたの家族のゴタゴタなんて、こっちだって関わりたくないわよ!」そう言って杏奈は何度も、「あなたの家族」と言い、「他人である私たち」と強調した。それは、彼らとの関係を完全に断ち切るという意思表示であり、同時に健吾のためを思って言ったことでもあった。杏奈が健吾を明らかに庇う姿を見て、竜也の胸には激しい怒りの炎が燃え上がった。彼は視線を落とし、浩を見た。その厳しい表情には、怒りがにじんでいた。「家出とは、いい度胸だな?」だが、浩は竜也を無視するように、ぷいっと顔をそむけた。「外で大人しく待ってろ!」それから竜也は警察について、事情聴取のために中へ入っていった。一方、杏奈は健吾の手を引いたまま建物の外まで出たが、胸の内の怒りはまだおさまらなかった。彼女は、健吾が馬鹿にされるのが我慢ならなかったのだ。さっき、平手打ちの一発で
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第578話

そして佑とのコラボについて、杏奈は詳しい内容を睦月に伝えた。まずはデザイナーたちに企画案を出してもらう必要があったから、杏奈はその仕事を睦月に任せ、みんなと相談してたたき台を作ってくるよう頼んだ。睦月は快く引き受けた。一方、南はもう退院していて、京市にもう2日ほど滞在してから帰る予定だった。この数日、健吾は少し忙しそうだった。だから杏奈はあまり邪魔をせず、自分の仕事に集中することにした。そして時間ができた時に、南夫婦のために着物をデザインするつもりだ。それで杏奈は南の家に行って二人の寸法を測ると、さっそくデザインのスケッチを始めた。橋本家にはカルトンのようなものがなかったので、杏奈はタブレットで簡単なデザインを進めた。デザイン画はすぐには完成しない。それに、本格的な制作はN市に戻ってからになる。だから、彼女も特に急いではいなかった。そんな中杏奈は健吾からもらった今日のスケジュールを思い出した。そしてお昼に休憩時間がありそうだったので、手料理を作って彼に届けようとしたのだ。杏奈はそのことを健吾には前もって伝えなかった。もし彼に自分がまた料理をしていると知られたら、きっとまた色々言ってくるはずだから、それなら、事後報告にした方が小言も少なくて済むだろう。そしてビルの下に着いたところで、ちょうど健吾を訪ねてきた佑と鉢合わせた。佑は杏奈に気づくと、笑顔で声をかけてきた。「杏奈さんも、橋本社長に会いに来たんですか?」そう言いながら、彼の視線は杏奈が持っているお弁当箱に落ちた。「橋本社長と一緒にお昼ごはんですね。お二人は本当に仲が良いですね」杏奈は微笑んで答えた。「ええ、そうです。彼に何かご用ですか?」健吾のスケジュールには、確か佑と会う予定はなかったはず。一方そう聞かれた佑は、相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。「はい、急ぎの用件でして。よかったら、一緒に上がりましょう」杏奈はうなずいた。急な訪問だとしても、佑はきっと事前に健吾の秘書に連絡してアポを取っているのだろう。そう思って杏奈も特に気にはしなかった。そして彼女は佑と一緒にエレベーターに乗った。この時エレベーターの中には、二人だけだった。しかし、エレベーターは数階上がっただけで故障してしまった。エレベーターは突然
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第579話

だけど佑は、いきなり杏奈の手を掴んだ。「杏奈さん、俺のこと避けてるでしょう?」彼がぐっと顔を近づけてきたので、杏奈は思わず眉をひそめた。その時、エレベーターのドアから物音がした。ドアがこじ開けられた。でも、エレベーターは10階と11階の間に止まっていたから、上の方に一人やっと通れるくらいの隙間ができただけだった。外では消防士と健吾が屈んで、中の様子をうかがっていた。「怖がらないでください。一人ずつ順番に助けますからね」消防士は二人を落ち着かせるように声をかけ、手を伸ばして助けようとした。佑は、杏奈に先に出るよう促した。杏奈もそれを断らなかった。彼女が引き上げられる時、佑は気遣うようにその足を支え、外へ押し出してくれた。健吾は杏奈の手を取り、その真っ青な顔を見て、すぐに病院で診てもらうべきだと判断した。「大丈夫、さっきはびっくりしただけ。病院に行かなくても平気よ」杏奈は健吾を引き留めた。そして、もう片方の手で彼を掴もうとした時、自分が食事の入った箱をしっかり握りしめていることに気づいた。健吾もそれに気づき、さらに深く眉をひそめた。​それから佑が助け出されると、すぐに二人の前にやってきて、杏奈の様子をじろじろと見た。「杏奈さん、大丈夫ですか?」「ええ、大丈夫です」どうしてか分からないけど、杏奈は​佑が意図的に自分に近づいてきているような気がしてならなかった。でも、彼の目は優しく心配そうで、とても誠実に見えて、嘘をついているようには少しも見えなかった。考えすぎかな、と杏奈は思ったが、それでも不安な気持ちが収まらなかったから、彼女は健吾の手をぎゅっと握りしめた。一方、健吾はちらっと杏奈を見てから、​佑に視線を向けた。そしてさっき​佑が杏奈の手首を掴んでいた光景が、頭から離れなかった。それから健吾は杏奈に、自分は​佑と少し話があると伝え、彼女に秘書と先にオフィスへ行って待っているように言った。杏奈は、ほっとしたようにその場を離れた。一方後のことを秘書に任せると、健吾も佑と静かな場所へ移動した。そして彼は険しい眼差しを佑に向けて言った。「今日の事故、あなたの仕業なのか?」佑は、きょとんとした顔で言った。「人聞きの悪い。橋本社長、ここはあなたの会社でしょ?俺はたまたま立ち寄
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第580話

それから健吾がオフィスに戻ってくると、杏奈はすでに料理をテーブルに並べ終えていた。杏奈は、健吾がむすっとした顔で入ってくるのを見て、彼が口を開く前に、先回りして話を始めた。「付き合ってから結構経つけど、私の手料理は初めてでしょ?だから、たくさん食べてね」そう言われると健吾も、文句が言えなくなってしまったのだった。彼は杏奈の隣に座り、彼女が差し出した箸を受け取った。「年に5回だけのチャンスを1回使っちゃったね」杏奈が料理できるのは年に5回だけ、というのをこの前約束したばかりだったから。そう言われ、杏奈は仕方なくため息をついた。「はいはい、わかってるよ」この人は本当にそういうところをやけにこだわるんだから、困っちゃうよ。そう思ったが、健吾がスペアリブを一つ箸でつまみ、口に運んだのを見て、杏奈はキラキラした目線を健吾に送った。その目には期待の色が浮かんでいるようだった。「どう?おいしい?」すごくおいしい。しかし健吾は表情を変えずに言った。「まあまあかな。俺が作る方がうまい」すると、杏奈の笑顔が強張った。彼女はすぐに健吾の手から箸を奪い取ると、「じゃあ、自分で出前でも取れば」と言った。それを見て、健吾はすぐに態度を改めて言った。「おいしいよ。さっきのは冗談だって」それから健吾は杏奈を抱きしめると、そっと彼女の手から箸を取り返した。杏奈も、それ以上健吾を困らせることはなかった。健吾は彼女のお皿にスペアリブを取り分けてあげた。「すごく上手だよ。でも、料理をしないでくれ」どういうこと?杏奈がそう思っていると、健吾は、これ以上話すと杏奈が怒るかもしれないと思い、口を閉ざした。そして食事が終わると、杏奈は出かけようとしたが、健吾に引き止められた。だけど杏奈は言った。「あなたはこれから仕事でしょ。ここにいても退屈だから、ちょっと買い物でも行ってくる」「だめだ」そう言われて健吾にしては珍しく、頑なだった。杏奈は少し驚いた。しかし、すぐに健吾は咳払いをすると、杏奈の手を引いた。「すぐ終わらせるから待ってて。そしたら荷物持ちしてあげるから、一緒に行こう」それから杏奈が返事をする前に、健吾はオフィスを出て行った。結局杏奈は何も聞けず、ただ今日の健吾はどこかおかしいと感じていた
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