あざとい女に夫も息子も夢中!兄たちが出動! のすべてのチャプター: チャプター 561 - チャプター 570

696 チャプター

第561話

だが、今の真奈美に、昔のように威張る資格なんてもうなかった。「先生?」「山崎先生のこと。この前、N市でファンを焚きつけて、散々ひどいことを言ったくせに。もう忘れたの?」真奈美は、杏奈のその態度が気に食わないみたいで、じろりと睨みつけてきた。でも杏奈は、そんな彼女の様子を気にも留めなかった。「先生からの伝言よ。今までたくさんの生徒を見てきて、自分の目は確かだと思っていたけど、まさかあなたがそんな人間だったなんて。だから、もう師弟関係は終わりにするそうよ」杏奈の言葉が終わると、真奈美はついに声を荒らげ始めた。「うそよ!そんなの私を騙そうとして、あなたが作った話でしょ!」真奈美はバンっと机を叩き、金切り声を上げた。刑務所に入ってから、彼女は何度も見捨てられてきた。父親も母親も、兄も、それに竜也も、誰かが助けに来てくれるのをずっと待っていた。でも、光の差さないこの場所で、ただひたすら待ち続けるしかなかった。希望が絶望に変わって、彼女はようやく自分が完全に見捨てられたのだと気づいたようだ。そこに加えて南までも見限られたと聞いて、張り詰めていた最後の糸が切れたみたいで、真奈美は苦しくて、息が詰まりそうになった。「あなたって、本当に性悪ね!私のざまを見に来たんならはっきり言えばいいでしょ!なんで先生との仲まで引き裂こうとするのよ!この性悪、恥知らず!」真奈美は、受話器の向こうで激しくわめき立てた。だが、杏奈はガラスの向こうの真奈美を冷静に見ていた。可愛らしかった顔はすっかりやつれて、怒りに叫ぶその顔は、酷く歪んでいた。そんな彼女はまるで闇をこじ開けて暴れ出そうとする獣みたいに、ヒステリックにわめき散らしているのだった。そこで杏奈も、刑務所にいた数ヶ月を思い出した。あの時自分をいじめた人たちも、同じような溝につかる獣だった。そして自分を骨の髄までしゃぶるように、いたぶり続けていたのだった。その仲間には、真奈美も、竜也も、そして浩も加わってきた。「用件は伝えたから。あとは好きにして」そう言って杏奈は静かに受話器を置いた。そして真奈美の叫び声は、面会室のアクリル板の向こうに消えた。わめき続ける真奈美にもう目をくれず、杏奈は背を向けて面会室を出た。外では健吾が待っていた。杏奈が出てくるなり、彼
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第562話

健吾も、杏奈が何をためらっているのか、だいたいわかっていた。彼は少し考えると、口を開いた。「母に電話してみる?あなたから泊めてほしいって言えば、ちゃんと筋も通るだろ?それに、もうここまで来ちゃったんだ。今から山を下りてホテルを探すなんて、面倒だろ?」橋本家は山の中腹にある。確かに車でここまで来るだけでも結構時間がかかったし、今から街の中心部まで戻ればもっと遅くなってしまう。そこで杏奈は健吾の言葉に従って、香織に電話をかけ、泊めてほしいと伝えた。すると電話の向こうから、明るくて元気な声が返ってきた。「私たちに遠慮なんていらないよ!もちろん泊まって。だって、いつかはあなたの家になるんだから。好きなだけいていいのよ!」すると杏奈は、香織の言葉に思わず顔を赤らめた。健吾との将来を考えたことはあるものの、まだ結婚までは考えていなかった。だから、こんなにも当たり前に嫁扱いされて、彼女は少し気恥ずかしかったのだ。そう思って電話を切ると、健吾がにやっと笑って、眉をくいと上げてみせた。「これで安心して泊まれるだろ?」それから杏奈は健吾に手を引かれ、邸宅の中へと入っていった。邸宅はとても広かった。健吾はカートを使わずに、杏奈と一緒に白い敷石の上を歩いて、本館へと向かった。時刻は夕暮れどき。傾きかけた太陽が邸宅全体を黄金色に染め上げていた。二人の影は長く伸びて、時折ぴったりと重なり合うのが、なんだかとてもロマンチックだった。その日の夜。杏奈は、温室のデッキチェアに腰かけていた。サンルームの天井はガラス張りになっていて、夜空には満天の星が広がっていて、星の光が、咲き誇る花々を照らしだし、甘くて心安らぐ空間を作り出しているのだった。健吾がジュースを二つ持ってきた。そして、デッキチェアの間に置かれたテーブルにそれを置いた。「ジュースでも飲んで、ビタミンCを摂りな」「ありがとう」杏奈はジュースを受け取ると、こくりと一口飲んだ。健吾も隣のデッキチェアに座り、杏奈と一緒に空を見上げた。「健吾さん、このサンルームの花は、全部ご両親が選んだの?」健吾はうなずいた。「俺はあんまり興味ないんだけど、母が好きなんだ」昔を思い出したのか、彼の口元にふっと笑みが浮かんだ。健吾は続けた。「昔、ここはサンルームじゃなか
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第563話

そんなサンルームの暖かい照明に照らされた健吾の整った横顔は金色の光に縁取られ、すっと通った鼻筋が顔に影を落とし、羽のように長いまつ毛が微かに震えているのだった。こうして杏奈は、健吾の美しさにすっかり心を奪われてしまった。誰もが息をのむほど美しいこの顔が、今は自分のものなのだ。そう思っていると彼女の瞼はだんだんと重くなり、まるでせせらぎのように心地よい健吾の声を聞きながら、杏奈はゆっくりと眠りに落ちていった。そして眠りにつく彼女の口元には、幸せそうな笑みがかすかに浮かんでいた。翌朝、目が覚めた時、杏奈はシルクのシーツが敷かれた大きなベッドに横になっていた。そして隣にはもう誰もいなかったけれど、まだ温もりが残っていたのだ。どうやら健吾が起きてから、まだ時間はあまり経っていないようだった。昨夜のことを思い出していた。健吾が語る両親のなれそめを聞いているうちに、いつの間にか眠ってしまったんだ。きっと健吾がここまで抱いて運んでくれたんだろう。そう思ってしばらくぼんやりした後、杏奈はベッドから起き上がった。健吾が邸宅に戻ったことで、使用人たちは以前よりずっと忙しそうに立ち働いていた。杏奈が階下へ降りても、健吾の姿は見当たらなかった。使用人から、彼は書斎にいると聞いた。杏奈は健吾が忙しいことを察して、邪魔をしないでおくことにした。そして朝食を終えた杏奈は、リビングでパソコンを開き仕事に取り掛かった。メールの中に、世界的に有名なブランド「PRa」からのオファーが一通届いていた。杏奈は一瞬きょとんとしたが、すぐに期待に胸を膨らませながらそのメールを開いた。【鈴木さん。突然のご連絡失礼いたします。PRaブランドのクリエイティブ・ディレクター、高木絵里奈(たかぎ えりな)と申します。この度、私どものブランドの最新シーズンで、『愛』をテーマにしたウェディングドレスを発表することになりました。つきましては、ぜひアトリエ・シリンに、今回のデザインにご協力いただきたく、ご連絡いたしました。ご検討いただけますと幸いです】PRaは世界中に強い影響力を持つブランドで、その地位は国際的にトップ3に入るほどだ。杏奈は興奮のあまり、手が震えるのを止められなかった。なにせ、彼女のアトリエは立ち上げてからまだ半年ほどしか経ってい
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第564話

そしてキッチンからは朝食のいい香りが漂ってきた。だが、健吾は眉間にしわを寄せ、キッチンに入ると、杏奈の手から菜箸を奪い取った。「キッチンには入るなって言ったはずだろ?」そう言って健吾は不機嫌な顔で、明らかに怒っていた。杏奈は言い返した。「たまには私が料理したっていいじゃない」彼女は健吾が少し大げさだと感じた。料理ができないわけでもないし、この先ずっとしないなんてことはないはずだから。杏奈の態度を見て、健吾はさらに腹を立てた。「うちの家では、女性がキッチンに立つ習慣はないんだ。あなたも、これからは入らないでくれ」そう言うと、彼は杏奈をキッチンから押し出した。杏奈は納得がいかなかった。「でも、先生のために栄養のある食事を作りたかったのよ。それでもだめなの?」「使用人がいるだろ。それに俺が家にいる時は、俺に頼めばいいだろう」「でも、あなたは仕事中だったし……それに、私が直接作った方が気持ちが伝わるじゃない」杏奈は言い返した。必ずしも自分で作りたかったわけではない。ただ、健吾が一方的にキッチンから自分を締め出そうとすることが、杏奈にはどうしても納得がいかなかったのだ。これからの人生で、二度とキッチンに立たないなんてありえないから。「だめだと言ったら、だめだ」健吾の顔は険しく、その言葉にも怒りがこもっていた。杏奈は彼を見つめた。二人は黙り込んだ。ただ辺りにピリピリとした険悪なムードが漂っていた。そして南のお見舞いのために病院へ向かうまで、二人は一言も口をきかなかった。これは二人が付き合い始めてから、初めての喧嘩だった。原因は、杏奈がキッチンに立つこと、ただそれだけだった。そして病院に着くと、杏奈は意地を張って健吾の手から食事の入った保温ジャーを奪い取ると、黙って前を歩いていった。健吾は杏奈の後ろ姿を、暗い表情で見つめながら、何も言わなかった。一方、南の病室に入ると、杏奈はようやく笑顔を見せた。「先生、今日の体調はいかがですか?」南は杏奈が来てくれたことを、とても喜んだ。「おかげさまで、だいぶ楽になったわ。あら、わざわざ食事まで作ってくれたのね。遠くから持ってきてくれて、手間をかけさせてしまったわね」「先生のためですから、大したことはありません。どうぞ、味見してみてく
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第565話

「先生にそう言ってもらえると、うれしいです」「これはあなたの手作り?それとも健吾さん?」健吾の名前が出た途端、杏奈は急に不機嫌な顔になった。「私が作りました」彼女は少し間を置いてから、「彼は詰めただけです」と付け加えた。その声は暗く、まだ怒っているのが明らかだった。すると南は器を置くと、笑いながら杏奈を見た。「ケンカでもしたの?」そう聞かれ、杏奈は少し黙り込んだ。でも、一人で抱え込んでいると苦しくなりそうだったし、南は大切な恩師だから、そう思って結局、杏奈は我慢できずに南に打ち明けることにした。そして話しているうちに感情が昂ってきたのか、最後には不満をぶちまけてしまった。「先生、健吾さんって、わざと事を荒立てていると思いませんか?私が一生キッチンに立っちゃいけないなんて、おかしいでしょう?」一方南は、杏奈が気持ちを吐き出すのを微笑みながら待っていた。そして彼女が話し終えると、静かにくすりと笑って、冗談めかして言った。「私みたいな年寄りの前でそんな話されても、『惚気ている』ように聞こえるだけなんだけど?」「先生!」杏奈はそう言われて、不満げに南を見た。こんな話を他人にしたら、ただの惚気話だと思われてしまうだろうことは、彼女にも分かっていた。だって健吾は、キッチンに立たせるのも嫌がるくらい、自分のことを大切にしてくれている。こんな素敵な人、どこにもいないのに。でも、杏奈にとっては、そこまでしてもらう必要はないのに、と思ってしまう。以前、N市にいた頃もそうだ。杏奈がキッチンに立とうとすると、健吾はいつも血相を変えて彼女を追い出した。あの頃から、心のどこかで少しだけ不満が溜まっていた。そして今、その鬱憤がとうとう爆発してしまったのだ。それに、こんな小さなことで意見が合わないなんて。本当に結婚したら、これから先、もっと別のことでぶつかるかもしれない。杏奈は先のことを考え、悲観的になった。そして胸がチクリと刺されたかのように、かすかに痛んだ。それを見て南は杏奈の手を握り、優しい声で言った。「気づいていないの?あの子は、あなたのことを心配しているのよ」杏奈は顔を上げて南を見たが、何も言わなかった。「あなたは竜也と結婚していた間、ずっとキッチンに立ち続けてきた。健吾さんが、そんな辛い
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第566話

そうこうしているうちに、健吾が成一を連れて、病室に戻ってきた。杏奈はちらっと健吾の方を見たが、視線が合うと、またすぐに顔をそむけた。彼女の態度はさっきより和らいでいたが、健吾はその変化に気づかなかった。彼は、杏奈がまだ怒っていて、自分の顔も見たくないんだと思い込んでいた。そう感じると健吾の胸は締め付けられるように痛んだ。自分の態度があまりに強引すぎて、あんなに優しい杏奈を怒らせてしまったんだろうか、と反省し始めていた。でも、もう二度と杏奈がキッチンで忙しく立ち働く姿は見たくなかった。だってそうする彼女は、ちっとも幸せそうには見えなかったからだ。そして何を思い出したのか、健吾の表情はさらに暗くなった。一方、ぎこちない雰囲気の若い二人を見て、南はそっと首を振った。「杏奈ちゃん、夫も来てくれたことだし、あなたたちはもう帰って。夫と少し話したいことがあるから」南が本当に話したいことがある様子だったので、杏奈もこれ以上長居はできず、二人にご挨拶をした後、病室を出た。健吾は、変わらず彼女の後ろをついて歩いていた。こうして二人は距離を置いたまま、病院の出口に向かって歩いた。昨日までは手をつないでぴったりと寄り添っていたのに、今日はまるで他人同士みたいで、二人の間には、なんとも言えない気まずい空気が流れていた。杏奈は、だんだんこの雰囲気に耐えられなくなってきた。もう意地を張っていても仕方がない。自分から謝ろう、と彼女は決めた。そして健吾に声をかけようと振り返った、その時だった。不意に後ろから手首を掴まれ、耳元で低い声が聞こえた。「ごめん」杏奈はあまりのことに驚いた。一瞬、体がこわばり、それからゆっくりと健吾のほうを振り向いた。健吾は硬い表情をしていた。歯を食いしばっているせいで頬が張りつめ、目元は少し赤くなっているのだ。それは激しい感情を必死にこらえているようだった。「ごめん。今朝、あんなに怒鳴ったりして悪かった。もうこんなふうに、無視しあうのはやめにしないか?」杏奈は前を歩き、一言も話さない。そのまなざしは冷たく、彼のために立ち止まる気配もなかったから。ほんのさっきまで、健吾は杏奈に見捨てられたように感じたのだった。彼女は、自分を置き去りにして、このままきっぱりと自分のもとを去ってしまうん
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第567話

南に慰められて、杏奈の心にあった鬱憤はもう消えてなくなり、むしろ、少し甘い気持ちになっているくらいだった。健吾って、本当に優しいんだな。……その頃、竜也は杏奈と健吾が京市に来ているなんて、知る由もなかった。彼はこの間、真奈美をかばった一件で、すっかりやつれてしまっていた。やっとのことで警察署から保釈されたのに、家に帰れば両親にひどく叱られた。そして、昔はあんなに聞き分けが良かった息子も、いつからか問題ばかり起こすようになってしまったのだ。学校で友達を殴ったかと思えば、今度は家の力を笠に着ていじめをするようになった。そして竜也自身が世間の非難の的になっているところに加え、息子の浩までいじめをしていたと暴露されると、メディアはさらに騒ぐように一斉に記事を書き立てたのだ。だから、このところ、中川グループは社長の不祥事が原因で株価が暴落し、倒産の危機に瀕しているのだった。そんな中竜也は、出来の悪い息子を家に閉じ込めて、会社の仕事に追われていた。実刑判決は下されなかったのだから、会社を立て直せる可能性はまだあるはずだと彼は考えたからだ。だけど株主たちは、新しい責任者を選びなおすよう竜也にプレッシャーをかけ続けていた。しかし、中川グループは中川家の家業だ。彼は、この家業をなんとしても守り抜かなければならないのだ。そんな途方に暮れていた時、D国のある取引先から声がかかった。しかも、その取引がもたらす利益は、とてつもなく大きいものだった。それは、まさに中川グループ全体を立て直せるほどのものだ。そこで、竜也は取引先と商談の時間を決め、金曜の夜に会うことになった。​その日裕一は個室を予約し、竜也が来るのを余裕の表情で待っていた。竜也が浩を連れて到着したとき、​裕一はゆっくりとお茶を飲んでいた。彼はもともと見た目からして相手を油断させられるような温厚さがあって、その知的な顔つきに、気品溢れる優雅な所作、そして、中川親子と挨拶を交わす時も、至って穏やかな態度だった。「いらっしゃい、さあ、こちらへ。ちょうどお茶を淹れたところです」​裕一はそう言って二つの湯呑をテーブルの向かい側へすっと押し出した。竜也は浩を連れて席に着いた。​裕一がなぜ契約の話に息子を連れてくるよう言ったのか、竜也には分からなかった。何か
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第568話

一方、杏奈と健吾は、あの喧嘩以来、二人の仲が前よりずっと深まったみたいだった。まるで付き合い始めた頃みたいに、いつも一緒にいてラブラブなのだ。もっとも、二人は付き合い始めてからずっと、四六時中べったりだったけど。健吾はあの日の出来事がよほどショックだったみたいで、家に帰ってからも杏奈にべったりだった。「絶対に別れない」「絶対に心変わりしない」って、何度も言わせようとするのだった。そして杏奈も今になって、ほんの少しすれ違っただけなのに、健吾がこんなにも不安になるのだとようやく気づいた。すると、彼女は、ますます申し訳ない気持ちでいっぱいになった。杏奈は健吾を抱きしめながら、絶対に別れないし、心変わりなんてしないって、何度も何度も繰り返した。健吾もその言葉を受け入れたけど、それでもまだどこか浮かない顔をしていた。そして翌朝、杏奈は約束の時間通り、PRaの絵里奈とのオンライン会議を始めた。会議でまず提携内容が決まると、絵里奈が口を開いた。自分はまだ海外にいるから京市に行くのに時間がかかるらしい。でも、ちょうど会社の別のリーダーが京市にいるから、先にその人と大まかな話を進めてほしいと言って、電話番号を教えてくれた。杏奈は了承した。会議が終わると、杏奈は早速そのリーダーに電話をかけた。今回の契約は、彼女とアトリエにとってまたとない大きなチャンスだ。このビッグウェーブに、絶対乗らなきゃいけないと彼女は思ったのだ。ただ、電話に出てきたのが、聞き覚えのある声だった。「もしもし」杏奈は一瞬きょとんとして、まさかと思いながら尋ねた。「佑さんですか?」すると、ずっとそばにいた健吾は、杏奈の電話での言葉を聞いて、ハッと顔を上げた。一方電話の向こうは一瞬沈黙が続いたが、それから優しく穏やかな笑い声が聞こえてきた。「高木さんが言ってた特別招待デザイナーって、あなたのことだったんですね」やはり、佑の声だった。杏奈は、すでにこちらへ歩いてきていた健吾を見た。健吾の視線を受け、彼女はスマホをスピーカーモードに切り替えた。一方、佑は話を続けていた。「会社の次のシーズンのウェディングドレスの企画が立ち上がった時、あなたのような才能あるデザイナーとお仕事できたらな、と思っていたんです。まさか本当に招待を受けてくださるとは
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第569話

健吾は眉をひそめて言った。「PRaよりすごいブランドとの契約だって、いくらでも取ってきてやれる」「だめ。あなたに助けてもらったら、私が独立した意味がなくなっちゃうから」そう言って杏奈はきっぱりと断った。自分の力でどこまでやれるか試したくてアトリエを立ち上げたのだ。健吾の力で成功しても意味がない。健吾は杏奈の気持ちをわかっていた。口ではそう言っても、結局は彼女の意思を尊重するつもりだった。ただ、佑が明らかに杏奈に近づこうとしているのが気がかりだった。裕一の本当の狙いは、間違いなく自分だ。そして杏奈は、自分を陥れるための駒に過ぎない。あいつの思い通りにさせるわけにはいかない。そう思って健吾は杏奈のきれいな顔と、その純粋な瞳を見つめた。そして赤い唇が目に映ると、彼は思わず身をかがめてキスをした。一方、掃除に来た使用人が、リビングのソファで夢中でキスをしている二人を見て、慌てて目を覆って部屋を出ていった。数分後、健吾はようやく杏奈を解放した。そして二人とも少し息が乱れていた。とくに杏奈は、健吾とキスをするといつも我を忘れてしまうのだった。彼女の頬は赤く染まり、先ほどの動きで服の襟元がはだけて、白い鎖骨が健吾の目に映った。そんな杏奈を、健吾はじっと見つめた。すると杏奈はその欲情的な視線を感じて、慌てて彼を突き放した。「とにかく、私はこの話を諦めるつもりはないから」杏奈の態度ははっきりしていた。健吾が何を言おうと、諦めるつもりはないようだ。でも、彼女は健吾に約束した。「あの人とはちゃんと距離を置くから」健吾は杏奈を信じている。でも、裕一は信用できない。杏奈の決心を変えられないと悟った健吾は言った。「仕事の話をするときは、俺も同席させてくれ」それが彼の最後の譲歩だった。杏奈も、健吾の真剣な眼差しを見て、断れなかった。そして佑と約束した日は、あっという間にやってきた。杏奈が健吾と一緒に個室に入っても、佑は驚いた様子もなかった。彼は二人の前にお茶を差し出しながら、健吾を遠慮なくからかった。「橋本社長は見かけによらず、奥さんにべったりなんだな。どこへ行くにも一緒なんて」「奥さん」という言葉を健吾は気に入ったようだったが、彼はただ冷ややかに佑を一瞥した。そして相変わらずの偽善者ぶり
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第570話

こうして個室では二人の男が張り合っていると、杏奈はなんとも気まずい気分になった。健吾は他人に対していつもそっけない態度をとるけど、あからさまに敵を作るような人ではなかった。杏奈が思い返すと、健吾は佑のことを知った時から、もう表情が硬かった。彼女は、健吾が嫉妬くらいでここまであからさまな敵意を向けるとは思えなかった。だから、二人の間にはきっと何かあったのだろう。そう思って、杏奈は佑の方を見た。「ごめんなさい。私はあなたの友達でもなければ、そこまで親しい間柄でもないはずです。今日はあくまで、提携の詳細を話し合いに来ただけですから」杏奈がそう言い終えると、驚いたのは佑だけではない。健吾も同じだった。健吾は杏奈の言葉の意味を察すると、思わず誇らしげに背筋を正した。どこか嘲るような目線を佑に向けた。それを受け、佑の目には一瞬、妬ましい光がよぎったが、すぐに穏やかな表情を取り戻した。彼は笑顔のまま、潔く杏奈に謝った。「すみません。てっきりもう親しくなれたものだとばかり思っていました」だが、杏奈は黙り込んだ。佑は自分を助けてくれたし、今の提携相手でもある。だから、あまりひどいことは言えなかった。さっきのは、ただ自分の立場をはっきりさせたかっただけだ。健吾と佑のどちらかを選ぶなら、彼女は迷わず健吾を選ぶのだということを。一方、そう言われた健吾は今、とてもご機謙だった。そのすらりとした指先でテーブルを叩きながら、彼は冷ややかに何気なく言った。「柴田さん、提携の話を始めてもいいか?」佑は、アトリエ・シリンとの打ち合わせなのに、なぜ健吾が同席しているのかと問いただしたかった。しかし、目の前の二人は少し離れて座っているにも関わらず、その雰囲気は不思議と一体化していた。まるで生まれながらのカップルのようで、誰も割って入ることはできないようだった。だから、佑はその場違いな質問をするのをやめた。彼は杏奈と、提携の具体的な内容について話し始めた。一方健吾は黙ったまま、そばで退屈そうにスマホをいじり始めた。けれど、彼の注意はずっと杏奈に向けられていた。佑の提案に少しでも不合理な点や無理な要求があれば、健吾がその場で鋭く指摘した。その立ち振る舞いはまるで杏奈専属の顧問弁護士のようで、彼女が少しでも不利にならない
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