Todos los capítulos de 罪の鎖に繋がれた没落令嬢は猟奇領主の執愛に溺れる~ローレライの夜想曲~: Capítulo 81 - Capítulo 90

96 Capítulos

第80話 乳母が語る忌み子の秘密

「もう去りましたよ。イルゼさんは旦那様の大事なお客様です。貴女を傷つけるようなことは、私は許しません」 随分と古風な喋り方だった。 それも、想像を絶するほど温かみと柔らかさのある口調。 イルゼが目をしばたたくと、バルバラは法令線に深い皺を寄せ、優しく口角を引き上げた。「すみませんね、イルゼさん。わたくし、古くから働いているもので、余計なことは決して口にせぬよう、旦那様から〝誰とも喋るな〟と言いつけられていますゆえ。しかし、これだけは……目を瞑れませぬ」 本当に、今までバルバラは一言も話さなかった。声すら初めて聞いたほどだ。 古くからいる唯一の使用人とは聞いていた。 ルードヴィヒの優しさを改めて知るまでは、「喋らない」のではなく「喋ることが許されない」と、ほんの少しだけ考えたことはあった。 けれど、それが事実だったなんて……。   イルゼの心に暗い靄が立ち込め、底知れぬ畏怖が湧き上がる。  「喋ることを許さない」──それは、人としての自由を奪うことに他ならない。 こんな命令を下せるのは、他でもないルードヴィヒ自身。 甘やかな優しさの下に隠れた、卑劣で極悪な「猟奇領主」の顔が再び浮かび上がり、イルゼの顔から一瞬にして血の気が失せた。「イルゼさん。貴女のお義姉様が城にいるのは、貴女の家庭環境を内偵するためだそうです。旦那様は貴女のお義姉様を買ったそうです」 内偵……。いったい何のために。 理解が追いつかず、イルゼは眉をひそめ、唇を固く引き結んだ。膝の上で握りしめた指は白くなっている。 そんな心ここにあらずの様子に見かねたのだろう。バルバラは再び、宥めるようにイルゼの背を優しく撫で始めた。「主に、貴女のお義兄様について調べたいことがあるそうで。それで、旦那様は事情聴取を含めてお義姉様をお買いになったそうです」 ──あの方は〝ミヒャエル様として〟立派にやってきました。 
last updateÚltima actualización : 2026-02-01
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第81話 火傷の背中と諦めきれない光

 バルバラは一つ息を抜く。 悲しい記憶を掘り起こすのか、彼女は苦しげに眉をひそめ、静かに再び唇を動かした。 * ――あの子をミヒャエル様にするため、まず眼球の色を変えなければなりませんでした。 国境近くの北方まで足を運び、森の魔女に相談したのです。 目の色を変える処置を行いましたが、上手くいきませんでした。 感情が高ぶるだけで術が解け、自分で調整することもできなかった。 今のあの方からは想像もできないでしょうが、あの子は気が弱く、よく泣く子でした。 病弱ながら凜然としたミヒャエル様のような振る舞いはできず、母を求めて泣き出す始末。それに腹を立てたのでしょう。 旦那様は激昂し、あの子を狭く暗い見張り塔に閉じ込め、虐待を行いました。 たとえ忌み子であろうと、罪のない子どもに虐げるなど、理解しかねます。 身代わりを知る数人の女使用人たちは耐えきれず、一人、また一人と辞めていきました。 そうして二年ほど経ち、本物のミヒャエル様が逝去しました。 誰もそれを知りません。 当時、身代わりを知る使用人は、わたくしとあと一人だけでした。 その年のことです。嵐の去った夏の晩でした。 あの子は城から逃げ出しました。 目に見えて、精神が危うい様子でした。自死を選んだのだろうと、想像は容易かったです。 しかし、なぜかあの子は帰ってきたのです。 何かを諦めたようでありながら、どこか希望を宿した目をしていました。 けれど、逃げ出した罰として、あの子は今までで一番過酷な折檻を受け、心はとうとう死にました。 身体もボロボロです。肋骨が折れ、背中には目を覆いたくなるほどの重度の火傷を負っていました。 自分で飲み食いすらできず、自我も残っていませんでした。 完全な精神剥奪です。 そんなあの子が、譫言のように繰り返した言葉は〝ローレライ〟〝もう一度会いたい〟と……。 それだけが、後にも延々と残り続けました。
last updateÚltima actualización : 2026-02-02
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第82話 頤を掴む冷たい瞳、甘い口づけを避けた日

 折檻のことは聞いていたが、まさかここまで酷いとは思わなかった。 しかし、根が優しいと信じていた彼が、人としての権限をこれほど踏み躙っていたとは信じたくなかった。 消えた使用人たちの消息が掴めないということも……口封じのために殺しを依頼した可能性さえ考えられる。 何せ、彼は盗賊を手先にしているほどだ。 この凄惨な身の上を聞けば、この城に君臨する偽りのミヒャエルであり続けることが、彼にとっての最高の復讐だとわかる。 しかし──イルゼは顔を青くし、身震いした。 あんなに甘やかに優しく抱き締めてくれた彼が、こんな危険な人とは思いたくなかった。 バルバラの話を聞く限り、自分のことを心の底から好いているのは確かだ。 だが、それは狂気的なほどの執着で……。 果たして義兄の何を探っているのかはわからない。 気に喰わないという理由だけで、下手をすればヨハンが殺されたっておかしくない。「バルバラさん、話してくれてありがとうございます」 イルゼが震える声で告げると、バルバラは穏やかな面持ちで首を横に振った。「いいえ……。この話ができるのは、あの子の愛しいローレライだけでと思いました。きっとイルゼさんの話なら、聞いてくれるはずです。どうか、どうか……あの子が過ちを犯す前に止めてください」 懇願するように言われ、イルゼは戸惑った。 この話をすれば、バルバラが彼に殺されたっておかしくない。 贖罪だと言ったほどだ。それでも頑なに口を閉ざしてきた。 彼女はルードヴィヒを、ずっと気にかけていたのだ。〝あの子〟と呼ぶ彼女の顔があまりに優しいことから、本物のミヒャエル同様にルードヴィヒのことも、哀れみながら心から愛おしく思っていたことが窺えた。 バルバラを亡き者にさせる……そんな理不尽な結末は許せない。「私が力になれるかはわかりません。それでも、間違っていることは正すべき
last updateÚltima actualización : 2026-02-02
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第83話 無自覚に拓かれた処女の身体、睡眠薬の嘘

「見え見えの嘘はもういいよ。イルゼは素直だから、嘘をついてるのなんてすぐにわかる。別に怒ってないし、怒らないって約束するから、正直に答えて」 やんわりと言うと、彼は頤に当てていた手を離し、宥めるようにイルゼの肩を撫でた。 ふと彼の顔を一瞥すれば、先程の不自然さは消え、いつもの優しい表情に戻っていた。 それに安堵し、イルゼは小さく頷いて、嘘をついたことを一言詫びる。「……んで、内偵の話だっけ?」 仕切り直すように訊かれ、頷くと、彼は決心したように深い息をついた。「少し思うところがあってさ。ヨハンがやましいんだ。そのためにリンダを買って、証言してもらったわけ」「……思うところ?」 税金の滞納などしていないし、何も悪いことないはずだ。非の打ち所もない義兄である。それを言うと、彼は深く頷いた。「そう。そういった部分は何も問題ない。ただ、その……」 そこまで言って、彼は言葉を濁した。 言い淀むということは、間違いなく自分に関わることだろう。修道院行きを言って悶着したのも最近の話だし、義姉を買うほどのことだ。よほどの理由に違いないと、イルゼは直感した。「私のこと……?」 告げるなり、彼は渋い顔で頷いた。「本人には絶対に無自覚だろうけど、イルゼを初めて抱いた時、俺、とんでもない違和感を覚えたんだ。イルゼの体、処女の割に柔らかくて、拓けすぎてた……」 確かにあの時、ほとんど痛みは感じなかったが……。 ただ、処女を奪われた時は痛かったし、彼だって破瓜の血を見ている。しかし、まさか今そんな話を切り出されるとは思わなかった。「まさか……ルイは、私が義理とはいえ兄弟で姦淫していたと疑ったの?」 そんなことはしていない、と断言すると、彼は額に手を当てて首を振った。「〝無自覚〟って
last updateÚltima actualización : 2026-02-03
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第84話 大雨の夜に死んだ甘い恋

 ……側仕えしていた古い使用人のほとんどが消息不明になったという。 その裏の憶測がよぎり、イルゼは慌てて首を横に振った。「ルイ、お願いなの。バルバラさんをずっとこの城にいさせてあげて。バルバラさんは生涯をかけてルイに仕えることを望んでいるの。貴方のことを、本物のミヒャエル様のように愛しているの。おねがいだから……」「へぇ。あの人、そんなこと言ってたの……。イルゼが言うなら、考えておくよ」 彼は薄い唇を綻ばせて笑んだが、やはり目はまったく笑っていない。 儚い星の光のような白銀の瞳──それが妙に冷ややかに輝き、イルゼはゾッと背筋を震わせた。 その視線に射抜かれるだけで、肌が粟立ち、胸の奥が凍りつくような恐怖が広がる。 ……とんでもない相手を好きになってしまったのだろうと、今更のように思った。 否、その熱が嘘のように、徐々に冷めていくのを自覚する。まるで衰弱するように、恋が死んでいく心地さえした。愛される喜びや愛する幸せを教えてくれたが、これだって星の光のように幻だ。 彼が自分に抱く感情は恋慕であろうが、裏を返せば途方もない執着。 過去に一度出会い、自死を止めただけなのに、まるで自分を神格化するかのように思っている。金を叩いて自警団の詰め所で自分を救ったが、そのやり口だって汚い。 どこまでも傲慢で、手に入れるためなら手段を微塵も選ばない。 更に、唯一無二の義兄に疑いをかけ貶めようとする。そして途方もなく狡猾。すべてを奪い尽くす……。本の中で見たシュロイエそのものだ。 そもそもの、彼は気が触れた精神異常者だ。 そうして、側仕えしていた昔の使用人たちを消してきた。 自分を抱く時のあの優しさや、たまに向ける無邪気な笑みは、取り繕ったものではないかと思えてしまった。自分は今まで何を見ていたのだろう。 どうして彼に惹かれたのだろう。 イルゼは冷たくなった胸元を暖めるように両腕を抱き、首を横
last updateÚltima actualización : 2026-02-04
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第85話 握りつぶされた別れの手紙

 それから数時間後──頭の上から足の先までびしょ濡れになったイルゼは、丘を登り終え、ボロ屋敷の前に立っていた。幸いにも、誰も追ってこなかった。この暴風雨だ。自分が抜け出したことなど、誰も気づいていないに違いない。 翌朝、大騒ぎになるだろうが……あの城には、何一つ未練が残っていない。あんな手紙を置いてきた以上、間違いなくルードヴィヒはやってくるだろう。 なんとしてでも連れ戻そうとするに違いない。だが、またその時考えればいい。 自分を買った金を請求されたら、働いて返せばいい。 伯爵と姦淫した事実を不敬罪と言われたら、その時は素直に罪を認めよう。 断頭台だろうが絞首だろうが、どうでもいいとイルゼは思えてしまった。 それほどまでに投げやりで、心は空虚しか残っていなかった。きっと雨で濡れたせいもあるだろう。否、瞼が熱い──泣いているのかもしれない。 家から漏れる灯りが、酷く霞んで見えた。 イルゼはノッカーを掴み、幾度か叩く。 薄く扉が開き、僅かにヨハンが顔を出した。どうしたことか理解できなかったのだろう。霞んだ視界の先、ヨハンはヘーゼルの瞳を丸く開くが、すぐにドアを大きく開け、急ぎイルゼを中へ招き入れた。「どうしたんだ!」「もう、ここに帰りたい……」 自分でも驚くほど声が震えていた。 だが、それを言葉にしてしまうと、ドッと熱いものが目から溢れてきた。 次第に息が苦しくなり、背を震わせて泣き崩れるイルゼに、ヨハンは優しく背を撫でた。「……何も言わなくて良い。今、替えの服とリネンを持ってくるから、ちょっと待ってろ。温かいミルクを作ってやる。蜂蜜入れた甘いやつ、好きだろ? いいか。大人しくリビングで待ってろ」 イルゼの背を軽く叩いてそう言い、ヨハンは正面の階段を急ぎ駆け上がっていった。 ※※※ 夜が深まるほどに強まる雨音に、嫌な胸騒ぎがした時には既に遅かった。 イルゼの部屋はもぬけの殻。
last updateÚltima actualización : 2026-02-05
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第86話 押し倒されたソファの上、剥がされた義兄の仮面

 濡れた体を拭き、着替えたイルゼはソファに座り、ヨハンの出してくれた熱いミルクを両手で包んで少しずつ飲んでいた。 冷え切った体と心を、奥底から温めて溶かすよう。一口、また一口と飲むたび、イルゼの表情は少しずつに和らいでいく。「どうしたんだ。外出の許可が下りたとは思えないが」 隣に座るヨハンは、イルゼを心配そうに覗き込んだ。 しかし、温かさと安心のせいか、段々と頭がぼんやりとしてきた。「怒らないで、全部聞いてくれる……?」「ああ、もちろん」 そうしてイルゼは、これまでの経緯やルードヴィヒと結んでしまった関係、ルードヴィヒがヨハンに抱いた疑念を淡々と語った。「……私、信じられなくなっちゃったの。義姉さんまで買い取って事情聴取までして。義兄さんが、私にそんなことするわけがないでしょうって」 そう告げたが、ヨハンは黙ったままだった。「ねぇ、義兄さん……そうよね」 イルゼが隣のヨハンに顔を向けると同時に──肩を強引に掴まれ、唇を奪われた。 一瞬、何をされているのか理解できず、イルゼは目を瞠る。 だが、唇の中にぬめった熱い塊が入り込んでくる。 ルードヴィヒの口の中の味とも感触とも違う、別人の口づけだった。 その相手は、一番信用を寄せていたはずの──。「……や、義兄さ」 必死に顔を背けようとするが、ヨハンはイルゼの肩を強く押さえつけ、ソファの上へ押し倒す。 そこでようやく唇を離したヨハンは、舌なめずりをして血走った目でイルゼを見下ろした。「お前は愛らしくて堪らない。その声、その顔、その髪──仕草から何まで、すべてが俺を惹きつけてやまない。他の男なんかに知られて堪るか。だから街に出さなかった。俺たちは血も繋がっていない。こんなに可愛く哀れで従順な義妹を、誰が手放すものか。しかしあの伯爵……俺の大事にしてきたイルゼに&h
last updateÚltima actualización : 2026-02-06
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第87話 白い花咲く川底の歌

 ルードヴィヒの瞳はあまりに冷たい。だが、それはまるで血に飢えた獣のよう、妖しくも鈍い光を宿していた。 次の瞬間──烈しい物音と罵声とともに、ルードヴィヒはヨハンに馬乗りになる。 繰り出される拳はヨハンの顔面に直撃した。だが、その一撃で、完全にルードヴィヒが優位になったのだろう。ヨハンは次を繰り出すこともできず無抵抗になった。 それで終わりか。そう思ったが──ルードヴィヒは無抵抗のヨハンに何度も拳を振り上げる。 馬乗りになって義兄を殴るルードヴィヒ。その姿、表情を見てイルゼは震え上がった。 彼は無抵抗になった者を殴りつけながらも、その口元を歪め笑っているのだ。否、嗤っていると言った方が正しい。 これだけ殴って、流血させても満足しないのだろう。ルードヴィヒはヨハンの胸ぐらを掴むと立ち上がらせ、壁に押しやると、ヨハンの首を絞め、更に何度も顔面に拳を入れる。 鼻血か口から出した血かは不明だが……赤々とした血は飛び散り、呻き声を出しても尚、彼は殴るのを止めやしない。「おい! やりすぎだ!」 ザシャがすかさず止めに入るが、その手さえ払い除け、肘を入れて突き飛ばす始末だった。 ……そのさまは、まるで悪魔にでも憑かれているかのよう。 そう思ったと同時、彼の背にある羽根にも似た火傷痕が頭の中によぎった。 シュロイエは悪魔とも喩えられる。野蛮で狡猾な騎馬民族……その性質は残忍そのもの。 そのとき、ふと彼の背に火傷痕の羽根の幻視を見えた。 こんな彼は、残忍な悪魔に変わりない。 臆したイルゼは怠い身体を起こし、メラニーを撥ね除け逃げるように家の外へと飛び出した。(嫌、嫌……もう、こんなの嫌だ!) ぬかるんだ土の地面に足をとられる。背後からメラニーが自分を呼ぶ声がする。やがて、遠くからはルードヴィヒの声も混ざるが、イルゼはよろけながらも豪雨の降りしきる夜の森を走る。 視界も次第に狭くなってきた。聴覚だけは妙に研ぎ澄ま
last updateÚltima actualización : 2026-02-07
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第88話 濁流に消えたローレライを追って

 ※※※  理性が消し飛ぶほどの怒りだった。 憎悪の黒い炎がチリチリと心と視界の縁を燃やし、今ヨハンを殴りつける自分はまるで自分ではないよう──架空のようだった。 だが次の瞬間。メラニーの悲鳴でルードヴィヒは我に返った。 視線を向けると、イルゼが家を飛び出していた。 ヨハンの胸ぐらを離し、今更のように痛み始める拳を払って、ルードヴィヒは追うようにメラニーの後を続く。 よろよろと走る割に、イルゼは俊足だった。 何度もぬかるんだ地面に足を取られながらも、すぐに立ち上がり、一心不乱に林の中を駆け抜ける。 しかし、この方向はまずい。この先は断崖絶壁──ローレライの岩山だ。 メラニーは何度も彼女の名を呼ぶが、イルゼは振り向きもしない。 森を抜ければ濁流の音が徐々に迫る。焦燥に駆られたルードヴィヒはメラニーを追い越し、彼女の華奢な背中を追った。 あと一歩でブラウスの襟が掴めそうになったその瞬間──イルゼの姿は忽然と消えた。 悲鳴も、落下の水音もなかった。 彼女は川に吸い込まれるように、跡形もなく消えたのだ。 失望に目の前が真っ暗になる。 とんでもない結末となってしまった。増水した川は牙を剥くようにイルゼを飲み込み、助かるはずがない。「イルゼ……」 目の前が曇った。 自分の言葉が下手なばかりに、やり方が汚いばかりに、不器用なばかりに、大事なものを傷つけた。 悔やんでも悔やみきれない。こんな最後があってたまるかと、ルードヴィヒは慟哭しながら、ローレライと自称した少女──イルゼの名を叫んだ。 しかし、その須臾──濁流の音が嘘のように静まり、水面が鏡のように凪いだ。 水底は青々とした神秘的な光を放つ。 何事かとルードヴィヒは目を瞠ったと同時、イルゼの歌ってくれた夜想曲がどこからか聞こえ始めたのだ。 それはイルゼの声とは違う、別の女性のものだった。 だが、どことなくイルゼの声に似た、優しく伸びやかな心地よさがある。
last updateÚltima actualización : 2026-02-08
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第89話 目覚めぬ彼、静かに奇跡を祈る夜

 あの日の出来事は、イルゼにとってもう朧気だった。 信頼していた義兄があんな執着を抱き、睡眠薬を使って卑猥なことをしてきたなんて、悪夢のように思える。 思えば、月の障りの周期以外はほとんど眠くて仕方なかった。それが始まったのは初潮が来て数年──十三、四歳の頃。胸が膨らみ始めた頃で……。 つまり、その頃から自分は義兄に〝そういうこと〟をされてきたのだと気づくと、震えが止まらなかった。 メラニーは、そんな部分を心配してくれたのだろう。 定期的に面談を行ってくれた精神科医を呼び寄せてくれたが、そこには彼の妻の姿もあった。「女同士の方がきっと話しやすいでしょうからね」 彼の妻は産婆だそうで、「何でも気兼ねなく話してほしい」と、イルゼの身を心から案じてくれた。 そんな話を精神科医の妻から聞かされたのか、頼まれたのか。以降、バルバラはよくイルゼに話しかけてくれるようになった。 また「気の紛らわしになれば」と、夕飯の支度の手伝いに誘ったり、焼き菓子作りを誘ったりと、気を回してくれた。 気難しそうな顔で無愛想な印象だったが、改めて知った彼女は、本当に心根の優しい人だった。 そして、彼女はイルゼに謝罪した。「わたくしの発言もあって、恐らく旦那様はイルゼさんと食い違ったのでしょう。そして、イルゼさんに恐ろしい思いをさせてしまったのでしょう」 だが、彼女に罪はひとつもない。 そう、この問題はすべての登場人物が口下手で不器用だっただけ……。それ故に、ここまで拗れてしまったのだと、イルゼはなんとなく理解していた。 そう、ルードヴィヒだって、心から自分を守ろうとしてくれたのだ。 あそこまで恐ろしい形相になったのは「許せなかった」からだと、心が少しずつ落ち着くと、汲み取ることができた。 だが、あの日。〝不思議な出来事が起きた〟とメラニーは語る。 イルゼがローレライの断崖絶壁から落ちてすぐ──水面が青々と光り、まるで時間を止めたように濁流が止まったそうだ。 まるで凪いだ鏡の
last updateÚltima actualización : 2026-02-09
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