LOGIN殺人犯の娘・イルゼは、義兄の庇護で外の世界から隔離され、孤独に暮らしていた。 しかしある日──義姉の理不尽ないびりで髪を切り落とされ激昂したイルゼは、肉切り包丁を振り回し、意図せず義兄を傷つけて絶望の淵へ落ちる。 そこで手を差し伸べたのは、悪しき噂が尽きぬ「猟奇領主」ミヒャエルだった。 背中に残る傷、銀に変わる瞳──領主の秘密をイルゼは知る。 領主は、かつてイルゼが激流を望む崖の上で救った“自殺志願者の少年”だった。 「ねぇローレライ。歌ってよ」 孤独を抱えた二人は、不器用に寄り添い距離を縮める。 やがてイルゼは彼からの執着的な愛に溺れ、初めての“幸せ”を見つけるが……。 ヒストリカル×狂愛執着ロマンス。
View More まるで厚い
朝、ベッドは冷たく、部屋に残るのは母の匂いだけ。
父は酒をそして、数年後。再婚した父が殺人容疑で捕縛されたとき、前妻──イルゼの母の殺害を吐露したのであった。
その遺体は、大雨の日に崖から川に投げ捨てたと……。 (お母さん、私……私は……) 殺人犯、トビアス・ジルヒャーの娘。 イルゼ・ジルヒャーはその日、大きな罪を犯した──「当たり前です……。貴方は娼婦を束にして買うだとか爛れた噂がありますけど、私はそんな経験ないですもん」 羞恥と同時にほんの少しの腹立たしさがあった。 おずおずとイルゼはあの噂を口にした。 対して彼は「あー」と、間延びした返事をしながらため息をこぼす。 「実際、十人くらいは束で何度か買ったよ。でも全部仕事絡み。酒場や娼館って、金持ちの悪い噂がゴロゴロしてるからねぇ。それでも一度、『仕事しないと帰れない』って言われて……経験がないってのは嘘になるけど、さっきも言った通り、俺、そういう時はマジで勃たねぇんだわ」 ──途中で俺が萎えちゃって中断。なんて彼は、苦笑いで付け添えた。 なるほど。事実らしいが、そういう目的ではないことが意外だった。 もしかして、領民は噂ばかりで彼のことを誤解しているのではないのか? と、思えてしまう。 しかし、なぜだか彼の口から異性経験があるとはっきり言われると、心の奥にチクチクとした痛みを感じた。たとえ「中断」と言われても……。 淫蕩に耽る奇人・変人の猟奇領主だの言われているにしても。彼があの晩出会った傷だらけの少年──「ルイ」だと気づいてしまったからだろうか。 どうしてだか、胸の奥がモヤモヤして仕方ない。 けれどその感情の名を、自覚したくない。 少しばかり間を置いて、イルゼは僅かに彼を見上げてみる。こんなことを語らせて、少し機嫌でも悪そうな顔でもしているか。と思ったが、存外そうでもなかった。 「嫉妬でもした?」 しれっとした口調で言われて驚いてしまった。 「なんで、そうなるんです……」 目を細めて言えば、彼に後ろ髪を撫でられた。 短くなってしまったせいで、うなじに触れられると擽ったくて堪らない。 しかし微睡んだ彼は、ただ優しく笑むだけだ。 やはり、こういう顔は卑怯だと思う。 とても直視できなくなり、イルゼが視線を落とすと、彼は眠気で更
ミヒャエルはジレの内胸元から鍵を取り出して見張り塔の施錠を外す。 扉を開くと、そこにはこぢんまりとした小さな部屋になっていた。 ベッドにソファ。書き物机に、本棚も。床にはカーペットが敷かれており、もはやここで生活できそうなほどにしっかりとした作りだった。 イルゼは呆気に取られて空間を眺望する。 しかし、やはり窓がないので薄暗い。随分上の方に二つ窓があるが、そこから差し込む光はあまりに頼りない。 「まぁー見張り塔だし、暗いんだけどねぇ。ほら、ベッド使って。ちゃんとシーツも清潔だから安心してねぇ」 煤けた燭台を持つ彼は顎でベッドを示し、イルゼに使うように促した。 とりあえず腰掛けると、確かにふかふかで心地良い。 そして、彼はマッチを擦ると燭台に火を入れて、重々しい扉を閉める。 扉が閉まったと同時、空間は擬似的な夜に変わった。 暖かな橙の光がほんのりと辺りを照らす様はどこか心が和む。それに眠気が拍車をかけるように迫ってくるが……、ギシとベッドのスプリングが跳ねてイルゼは重たい瞼を限界まで持ち上げた。 「ほれ。寝るぞー。俺、滅茶苦茶眠り浅いから夕方には起こすから安心して昼寝して」 早速彼は、ベッドに横になり──「ここで寝ろ」と言わんばかりに、隣を叩き、イルゼの袖を引く。 「……え」 驚きのあまり、イルゼが目をしばたたけば、ミヒャエルは訝しげに眉を寄せた。 「眠いんだろ?」 「そ、そうですけど……私はソファ使います」 身分云々の前に婚前の男女だ。一緒のベッドで眠るなんて、イルゼの持つ常識的にはありえない。けれど、娼婦を束にするように買う彼からしたら、そんな貞操概念なんて皆無に等しいのだろうか。 「馬鹿いえ。女にそんな場所で寝させらんねぇーけど。ほら、おいで」 ──別に取って食
「だけど、俺も花は嫌いじゃないよ。植物とはいえ命があるからねぇ。枯らすのは惨い。だから、庭師を雇って管理をさせて存続させてる。どーせなら、いつか一般開放して領地の奴らに見て貰いてーとは思うけどなぁ」 ……庭を一般開放。 「変人」と呼ばれた彼の口から出るような言葉でないと思えてしまった。 存外、彼は領地の人のことを考えているのだろう。イルゼは呆気に取られてしまう。 「なんだよ、その〝意外〟みてーな顔。俺、後ろに目が付いてるから分かるんだよ?」 どこか意地そうに彼は笑うが、何だかこうも彼の表情が明るいとイルゼも嬉しい気持ちになって思わず微笑んでしまった。すると彼も微笑み返してくれる。 あの医者は言っていた。笑顔は連鎖すると。それは本当らしい。 「確かに一般開放されてこの庭園を見たら喜ぶ方がきっとたくさんいそうですね」 「だよな? じゃあそれは将来的に視野に入れておこーっと」 彼がそう言って間もなく、蔓薔薇に囲われた東屋に突き当たった。 真っ白な砂岩でできており、漆喰装飾を施して妖精のレリーフが至る場所に掘られているなど、こちらも立派な佇まいだった。それでもかなり年季が入っているのだろう。彫刻の溝に苔が蒸しているので、相当古いものと窺える。 「少しここで待ってよう。昼食、運んでくれるって言ってたし。多分そのうち来るんじゃねーの?」 この場所に来るまで城から距離もなかなかある。ここまで運ぶのか……。 「さすがに、それ……使用人の方たちに」 ……悪いのではないか。と、言わんとする前に、彼は首を横に振る。 「いや。考えてみな。ここ、緩い傾斜だけ。あの欠陥建築の階段に比べりゃね」 確かに言われてみればそうだ。イルゼは納得して間もなく──アーチの向こうから人の足音が二つ聞こえてきた。 食事を運んできたのは、ヘルゲとザシャの二人だった。彼らはテキパキと給仕しつつもミヒャ
「やっぱ花は興味ない?」「そうじゃなくて……凄いなって思って。こんなに素敵なお庭初めてで、驚いて上手く言葉にできません!」 やや興奮気味だった。イルゼは目を爛々と輝かせて思ったままを言えば、彼はやんわりと微笑む。 「一ヶ月でこうも感情が豊かになったイルゼの方に俺はもっと驚いたよ」 戯けた調子で言われて、イルゼは真っ赤になってしまう。 確かに自分らしくないと言えばそうかもしれない。けれど、こうも心が勝手に動くのだ。 「……だって」 ふて腐れるように言うと、彼は優しく笑みを向けたまま、イルゼの肩を摩る。 「俺くらいになれとは言わねーけど、イルゼは思ったことをもっと言えばいいと思うよぉ?」 ──嬉しそうなイルゼ見るの、俺は嬉しいよ。と、続けて言われてしまい返す言葉も見当たらない。 けれど、その言葉が胸の奥をほのかに熱くさせる。 それがこそばゆくなりはじめて、真っ赤になったイルゼは俯いてしまった。 これでは本当に彼を好きになってしまっているのではないだろうか。 こうも自分を肯定し、ありのままを受け入れてくれるなど普通だったらありえない。否、彼は変人なので、自分の暗い性質など微塵も気にしていないのかもしれないが……。 彼が部屋に迎えに来た時から、意識しないようにしていたが、やはり昨晩の夢が頭から離れないのだ。 「本読んだ?」と、気さくな調子で訊かれて一応頷いたが、上手い返事や感想なんて返せなかった。 だが、それ以上は何も訊かれなかったことが幸いだっただろう。 さて、いい加減に平常心を取り戻そう……。 そう思った矢先に、ミヒャエルは不思議そうに首を傾げてイルゼの顔を覗き込む。 「ひゃ……」 あまりに至近距離だったの