南極観測隊のメンバー名簿が公表されたその日、私は土屋時彦(つちや ときひこ)が残り一枠を彼の後輩の森紗月(もり さつき)に与えるのを目にした。紗月は弾むように尋ねた。「じゃあ、夏川さんはどうするの?夏川さんはこの機会のために三年も準備してきたんだよ」時彦は微笑みながら言った。「君が初めて南極に行くんだから、むしろ君にこそこのチャンスが必要だ。俺には来年も再来年も南極に行くから、その時に彼女を連れて行けばいいさ」だが、そもそも南極へ一緒に行ってクジラを撮ろうと言い出したのも、時彦だった。三日間徹夜して彼の論文の校正を終えたばかりのその画面を見つめながら、私はふと虚しさを覚えた。泣きもしなかったし、騒ぎもしなかった。ただ、その論文を紗月に送り、ついでにメッセージを添えた。【時彦の最終稿です。あとは任せます】それから背を向け、熱帯雨林プロジェクトの責任者のオフィスの扉を叩いた。【中世古(なかせこ)教授、ぜひチームに参加させてください】その間、時彦はずっと私にメッセージを送っていた。【観測隊メンバーの件、帰ったら話すよ。どんなケーキが食べたい?】私は返さなかった。ただ、中世古教授からの応募用紙を受け取っただけだった。南極は氷と雪の世界だ。寒すぎる。もう行きたくない。……どうやら熱帯雨林への出発準備をやり直さねばならなさそうだ。中世古教授のチームによるオンライン会議が終わり、参加者たちは互いに挨拶を交わしながら退出していく。そのとき、部屋の外から鍵の開く音が聞こえてきた。「どうして返事をしない?優未、俺が十件以上送ったのに、君は一つも返してこないのか」時彦は眉間にわずかな苛立ちを滲ませていた。私は携帯の画面を消して、淡々と口を開いた。「さっき忙しかったの。マナーモードにしてたわ」私の閉じていないドキュメント画面に視線が落ちると、時彦の声は少し柔らかくなった。「君が徹夜で俺の論文の校正を手伝ってくれたことを思えば、この件は水に流す。俺が急ぎすぎただけだ」これは中世古教授のチームから送られてきた資料で、彼の論文はすでに紗月に引き渡してある。もういい、誤解なら誤解で構わない。彼は私の隣の椅子を引き、腰を下ろしてため息をついた。「観測隊メンバーの件は俺が悪かった。君が気分を害し
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