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第9話

Auteur: 瞳を携えて
研究員たちが、泣きじゃくる紗月を押しながら歩いて来た。

「私たちが構築した氷河モデルが、さっき……さっき、完全に崩壊しました!」

時彦の顔色が、さっと真っ白になった。

「崩壊ってどういう意味だ?出発前はちゃんと動いていたはずだろう?」

「そ……その、紗月が……」

研究員の長野(ながの)が、怒りに震える声で言った。

「紗月が、あるパラメータを最適化しようとしたんです。けど、どのコードに触ったのか分からないまま、今、システム全体が混乱しています!」

全員の視線が、血の気の引いた紗月に向けられた。

「土屋さん、あのモデルは、もともと自分で問題を抱えていたから壊れたんです。ただ、たまたまその場に私がいただけなのに、みんな私を濡れ衣にするんです!」

紗月は泣きながら、時彦の袖を掴んだ。

「嘘つくな!僕たちが何度チェックしたと思ってるんだ?誰が使っても問題なかったのに、あんたが触った瞬間に壊れただろう!」

南極プロジェクトのメンバー全員が、彼女を取り囲んだ。

「このモデルはプロジェクト全体の核心だ!全ルートの計画は、全部こいつに依存してるんだぞ。コネで入って来たなら、大人し
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    研究員たちが、泣きじゃくる紗月を押しながら歩いて来た。「私たちが構築した氷河モデルが、さっき……さっき、完全に崩壊しました!」時彦の顔色が、さっと真っ白になった。「崩壊ってどういう意味だ?出発前はちゃんと動いていたはずだろう?」「そ……その、紗月が……」研究員の長野(ながの)が、怒りに震える声で言った。「紗月が、あるパラメータを最適化しようとしたんです。けど、どのコードに触ったのか分からないまま、今、システム全体が混乱しています!」全員の視線が、血の気の引いた紗月に向けられた。「土屋さん、あのモデルは、もともと自分で問題を抱えていたから壊れたんです。ただ、たまたまその場に私がいただけなのに、みんな私を濡れ衣にするんです!」紗月は泣きながら、時彦の袖を掴んだ。「嘘つくな!僕たちが何度チェックしたと思ってるんだ?誰が使っても問題なかったのに、あんたが触った瞬間に壊れただろう!」南極プロジェクトのメンバー全員が、彼女を取り囲んだ。「このモデルはプロジェクト全体の核心だ!全ルートの計画は、全部こいつに依存してるんだぞ。コネで入って来たなら、大人しくしてろよ、無駄にアピールするな!」「修復できなかったら、プロジェクト全体が延期、いや、打ち切りだってあり得る!あんたは僕たち全員の罪人だ!」「僕の彼女はがんで亡くなった。唯一の願いは南極の写真を撮って来てほしいってことだった。そのために僕は丸々二年待ったんだ。行けなかったら、あんたどうやって償うんだよ!」現場は大混乱になった。「紗月に悪気はないんだ、ただ……ただ、ほんの一瞬、手伝いたいと思っただけで……」時彦は、慌てて擁護したが、紗月は彼の背中に隠れたまま、何ひとつしようとはしなかった。ちょうど時彦が四方八方に手が回らなくなったその時、衛星電話が鳴り響いた。副所長の切迫した声が、途切れ途切れに聞こえた。「時彦!お前のあの論文、一体どういうことだ?データ捏造の告発が入って、所長室まで電話が来ているぞ!」「なんだって?データ捏造?!」彼の声が、鋭く跳ね上がった。「あり得ない!論文データは、絶対に問題なんてない!」時彦は勢いよく振り返り、逃げ場のない私を見た。「優未……まさか、君がやったのか?」彼の唇は震え、体勢もふらついた。「俺

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