星空の下を歩く時間は、夢のようだった。 春海の手が、颯の手を握っている。大きくて、温かくて、少しだけ汗ばんでいる手のひら。その感触がたまらなく愛おしくて、颯は何度も握り返した。握り返すたびに、春海の指が応えてくれる。それだけのことなのに、胸がいっぱいになった。 五年間、ずっと夢見ていた光景だった。この人の隣を歩くこと。手を繋ぐこと。同じ方向を向いて、同じ時間を共有すること。叶わないと思っていたすべてが、今、現実になっている。信じられなかった。けれど、繋いだ手の温もりは確かに本物だった。 オフィス街の夜は静かだった。土曜日の深夜、ほとんどの店は閉まり、人通りもない。街灯の光だけが、二人の道を照らしている。世界から切り離されて、二人だけが存在しているような錯覚。昼間なら多くの人が行き交うこの道も、今は二人だけのものだった。 風が吹いた。冷たい夜風が、火照った頬を冷ます。さっきまで泣いていたせいで、顔がまだ熱い。けれど、その熱さすら心地よかった。生きている証拠のようで、颯は風を肌に感じながら、隣を歩く春海の横顔を見上げた。「……どこに行く?」 春海の声が、静かな夜に溶けていく。低くて、穏やかで、今まで聞いたことのない響きだった。仕事のときの冷静な声でも、指示を出すときの鋭い声でもない。まるで、颯だけに向けられた特別な声。その声を聞くだけで、心臓が高鳴った。「俺の部屋、近いです」 颯は答えた。声が震えていた。自分でも驚くほど、素直な言葉が出てきた。普段なら、こんなことはいえなかったはずだ。けれど、今夜は違った。今夜だけは、何も隠さなくていいような気がした。すべてを晒して、すべてを委ねても大丈夫だと思えた。 春海が立ち止まった。颯も一緒に立ち止まる。繋いだ手は、離さないまま。街灯の光が、春海の横顔を照らしている。その表情には、何かを決意しているような、あるいは何かを恐れているような、複雑な光が宿っていた。「いいのか」 春海の目が、真っすぐに颯を見つめていた。街灯の光が、その瞳に映り込んでいる。問いかけの意味は、明らかだった。これ以上進んだら、もう戻れない。そういう問いかけだった。
Última actualización : 2025-12-27 Leer más