蛍光灯が静かに明滅していた。 深夜二時を過ぎた情報学研究室に残っているのは、颯と春海の二人だけだった。キーボードを叩く規則正しい音が、沈黙を縫うように響いている。 颯は手元のコードを見つめながら、隣に座る春海の横顔を盗み見た。眼鏡の奥の瞳は、モニターに映る数列を追っている。その表情には、いつもの冷静さがあった。まるで感情という熱を帯びていない、完璧な機械のように。 ――この人は、どんなときも揺れない。 修士二年の春海は、研究室で最も優秀な院生だった。誰もが認める理性的な判断力と、完璧な論理構成。学部三年の颯にとって、春海は憧れそのものだった。 いや、憧れという言葉では足りない。 颯は、自分でも気づかないうちに、春海の一挙手一投足を目で追うようになっていた。彼が淹れるコーヒーの香り、資料をめくる指先、考え込むときの眉間の皺――そのすべてが、颯の胸を締め付けた。光の中にいる春海と、その影に立つ自分。その距離が、痛いほど愛おしかった。*「高橋」 不意に名前を呼ばれて、颯は息を呑んだ。心臓が跳ねる。「これ、見てくれるか」 春海がモニターを指差す。颯は慌てて椅子を寄せた。肩が触れそうな距離で、春海の体温を感じる。シャツからは微かに洗剤の匂いが香った。胸が高鳴った。「ここのアルゴリズム、少し修正が必要だな」 春海の指が、颯のキーボードに伸びる。その手が、一瞬、颯の手に触れた。 電流が走ったような感覚。颯は息を止めた。触れた場所が、熱を持って震えている。 だが春海は、何事もなかったかのように手を引いた。その動作があまりにも自然で、颯の心だけが取り残された。「……感情を持ち込むと、判断が鈍る」 ひとり言のような呟きが、颯の耳に届いた。春海は再び自分のモニターに向き直る。横顔に浮かぶ影が、どこか寂しげに見えた。* その言葉が、胸に刺さった。 春海にとって、感情は邪魔なものでしかないのだろうか。この距離も、この時
最終更新日 : 2025-12-01 続きを読む