All Chapters of 指先からこぼれる愛は、そっと運命に溶けて: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

裕は深呼吸によって胸の痛みを和らげようとし、しばらくしてようやく落ち着いた。彼は力なく問いかけた。「彼女は、ほかに何と言っていた?」使用人はしばらく考え、それから口を開いた。「千晴様は、もうここに戻って住むことはない、この部屋も自分のために残しておく必要はない、と申しておりました」部屋すら残さなくていい?本当に、二度と戻る気がないというのか?裕は、痛むこめかみを押さえながら使用人を下がらせたが、千晴の行き先は思い浮かばなかった。千晴は七歳の年に桜井家へ連れて来られ、故郷の親族とはとっくに連絡が絶えていた。友人も少なく、皆まだ学生であり、彼女を預かれるはずもなかった。裕はあれこれ思案した末、千晴の指導教官、井上教授に電話をかけた。「もしもし、井上教授、私は夏野千晴の……婚約者です。彼女がどこへ行ったかご存じありませんか?」本来なら、自分は彼女の保護者だと言うつもりだった。だが、その古い肩書を口にしたくなかった。今の自分は、千晴の婚約者であり、のちには夫となる者であり、彼女の腹に宿る子の父親でもあった。井上教授は軽く笑い、今朝は千晴を両親の墓へ送っただけで、送ったあとすぐに車を走らせたと言った。千尋がそう言うように頼んだんだ。桜井家が自分を捜しに来ることを、彼女は分かっていた。井上教授はすでに多くを手伝ってくれた。これ以上の迷惑はかけたくなかったのだ。「桜井さん、私は今朝、千晴を墓参りに送っただけで、着いてすぐ車を出しました。それ以外のことは存じません」電話を切って、裕はようやく現実を悟った。千晴は離れようとしているのだから、自分の行き先を他人が知るはずもなかった。これほど心が乱れたことは、これまで一度もなかった。いつも身の周りにまとわりついていた千晴が、何の前触れもなく自分の世界から抜け落ちてしまった。以前の裕は、千晴の想いが重いと感じ、逃げ出したいと思うほどだった。だが今になってようやく気づいた。千晴は決して負担などではなかった。いつの間にか、この心をひそかに占めていたのに、それに気づくのが遅すぎたのだ。裕は胸を押さえ、涙を音もなくこぼし、しゃくりあげながら彼女の名を呼んだ。「千晴、千晴……」突然、彼は泣き声を止めた。スマホに未読のメールが一通残っていることを思い出し
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第12話

裕は、千晴が誰にも知られぬ場所で、これほど多くの苦痛を黙って耐えていたとは、夢にも思わなかった。あれほど自分を愛していた千晴が、自分と雅乃の絶え間ない親密さを目の前で見続け、心がどれほど痛んだだろうか。千晴がいつから自分のもとを離れることを決めていたのか、もう知るすべがなかった。だが確かなのは、千晴は心の中で何度も何度も自分を許してきたに違いないということだ。そして失望が極限に達したあの瞬間に、ついに離れる決意をしたのだ。裕は、後悔の念に駆られ、自らの頭を拳で強く殴った。それでもなお、千晴がこのまま去ってしまうことなど受け入れることはできなかった。彼は心の中で、自らに言い聞かせた。――必ず彼女を見つけ出す、と。裕は、千晴の部屋に自ら鍵をかけ、中に閉じこもった。この部屋のすべてが、あまりにも見慣れたものばかりだった。壁に掛けられた絵はすべて千晴の手によるもので、それを掛けたのは裕自身だ。寝室の隅に置かれた乾いた木の枝は、千晴が山に登ったときに拾ってきたものだ。裕はそれを飾るために、わざわざ大きく古い花瓶を探して千晴に贈った。ベッドにはさまざまなぬいぐるみが一列に並んでおり、それらは全部、彼が彼女に贈ったものだった。裕は今でも覚えている。千晴が贈り物を受け取ったときの、あの満面の笑みを。この部屋には、二人だけの思い出があふれていた。裕は枕元のぬいぐるみを抱きしめ、胸に強く押し当てた。「千晴……すまない。俺が自分の気持ちに気づくのが遅すぎた。俺も、本当は……お前を愛していたのに。ただ、その想いを認めようとしなかったんだ。千晴……俺はもう、自分の過ちを理解した……だから戻ってきてくれ」裕は千晴の枕に身を横たえ、静かに涙を流した。心の中で、何度も何度も謝罪を繰り返した。彼は枕に残る千晴の香りを嗅ぎながら、まるで彼女がまだ傍らにいるような錯覚に浸った。だが、残酷な現実は裕に告げていた。――千晴はもう、確かに去ったのだと。「千晴……たとえ天地の果てに逃げたとしても、俺は必ずお前を見つけ出す!俺たちの結婚式はまだ終わってない……お前が勝手に離れることなど、俺が認めるはずがない」目を開いたとき、裕は涙を拭い、元の冷徹な表情に戻っていた。彼は自分の荷物をすべて千晴の部屋へ運ばせた。ま
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第13話

裕は、千晴がそんなことをしたとは夢にも思わなかった。「何だって!あの家は譲渡した?誰に譲渡したんだ?」裕の怒りは頂点に達していた。彼はもう、千晴がその家を誰に譲渡したのか察していた。あの家は千晴に贈ったものだ。千晴がどうして黙って譲り渡せるのか?あの家も結婚のために買った住居だ。本来なら今日、式が終わり次第、二人はそこへ向かい、そこで一生を共にするはずだった。しかしその家には一日たりとも住むことなく、千晴は譲ってしまった。「社長、夏野さんは弁護士に委任し、あの家を小林さんへ無償で譲渡しました。今後はどうなさいますか?」秘書は譲渡契約書を手にしながら、それがまるで火のように熱く感じた。社長の怒気がすでに限界を突き抜けていることが、彼にも分かったからだ。「どうするも何もないだろう!俺にこれまで何年もついてきて、この程度のことまで教えなきゃならんのか!すぐに家を取り戻せ!」裕はほとんど怒号に近い声でそう言い放った。先ほどまでの絶望や痛苦は、その瞬間、抑えきれない怒りに完全に押し潰されていた。「それから、必ず千晴の行方を至急突き止めろ!」裕は一刻たりとも待ちたくなかった。今すぐ千晴の目の前で問いただしたかったのだ。なぜこれほどまでに冷たく、何もかもを捨て、自分までも置き去りにして去ってしまったのかを。彼は頭の中が全部「千晴に捨てられた」という思いで支配されており、雅乃からのメッセージには全く気づいていなかった。その同じ頃、雅乃もこの知らせを受け取っていた。彼女は、裕が自分のことを気遣わなかったことに腹を立てていたが、ちょうどメッセージを送った直後、弁護士からその報せが届いた。あの家が、裕と千晴が結婚するために購入した新居であることは、彼女も知っていた。雅乃は以前から何度かそれとなく、あの家が欲しいとほのめかしていた。だが裕は、それは桜井家が千晴のために用意したものだと言い、もし雅乃が気に入ったなら、後で似たような家を用意してやると答えたのだった。その後、裕は埋め合わせとして、オークションで数億円の価値がある宝石を贈ったが、あの家は雅乃の心に深く刺さったままだった。なぜならそれは千晴のもので、雅乃自身のものではなかったからだ。その後、ベッドで裕をもてなすときにも、雅乃は何度かさりげなく口にした。裕は軽
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第14話

裕は電話を切ったあと、ようやく雅乃が送ってきたあのメッセージと写真を目にした。これまでなら、雅乃が少しでも怪我をすれば、裕は過剰なほど心配したものだった。だが今、雅乃の白い手首から滲む真っ赤な血を見ても、裕の胸に湧いたのは苛立ちだけだった。……もし雅乃という存在がなければ、自分と千晴がここまでこじれることもなかった。だが、誰を責められるというのか。雅乃がもし陰で千晴を傷つけていたのだとしても、それを許していたのは他ならぬ自分自身だった。そのとき、秘書が部屋の扉を叩き、かつて没収されていた千晴の携帯電話を差し出した。裕はそれを受け取ると、再び部屋に鍵をかけ、千晴が最も気に入っていたあのブランコ式の椅子に身を沈め、画面ロックを解いた。パスワードは自分の誕生日――彼は以前から知っていた。自分をごまかしていたのだ。千晴は叔父である自分のことが好きで仕方ないから、自分の誕生日を設定したのだ、と。だが今になり、ようやく理解した。千晴の想いがどういうものだったのかを。そして、裕は自分のスマホのパスワードを千晴の誕生日へと変えた。千晴のLINEのトークリストには一人しかいない。それが裕だ。だが履歴は随分前のもので、二人はもう何日も言葉を交わしていなかった。裕はまた別のSNSアプリを開いた。あのスクリーンショットが本当かどうか、自分の目で確かめたかったのだ。開いた瞬間、彼は呆然とした。千晴の携帯で見る雅乃のSNS投稿には、彼が一度も見たことのないものがいくつもあった。裕はすぐに自分の携帯を取り出し比べてみたが、確かに存在しない。つまり――それらは雅乃が「千晴にだけ見えるように」設定した投稿だった。一つ一つの投稿、写真、甘ったるい文字。それらすべてが、千晴の心臓へ突き刺さる刃だった。千晴は、どれほど傷ついていたのだろう。裕の目に、激しい怒りが燃え上がった。「雅乃……よくも俺の千晴を傷つけたな……!」携帯を閉じようとしたとき、雅乃がまたSNSを更新した。今回も、千晴にしか見えない設定で。今度は文章だけだった。【結婚式の日にまで約束を忘れないでいてくれてありがとう。あなたはあの女に結婚式を、私にはプレゼントをくれた】裕は携帯を握りしめ、指の関節が白くなるほど力を込めた。その顔は真っ黒に沈み、歯を強く
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第15話

巨大なノックの音に、雅乃は思わず肩を跳ねさせた。彼女は機嫌悪そうに玄関の方へ向かって怒鳴った。「誰なのよ!そんなに強く叩いて、馬鹿なんじゃないの!」だが、ドアノブが回る音がして扉が開いた瞬間、雅乃は固まった。満面に怒気をたたえた裕が、冷ややかに立っていた。その視線は鋭く、まっすぐに雅乃を射抜いていた。「裕、どうしてここに?」次いで雅乃の顔にはぱっと喜色が広がり、いつものように裕の腕にすがりつき、甘えるように揺らした。彼女は先ほどの大きなノック音も、裕の怒気も意図的に無視し、この瞬間は勝利感だけが胸の内に満ちていた。またしても千晴に勝った。しかも結婚式のその夜に、裕は再び自分の元に戻ってきたのだと。「裕、あなたが今夜来てくれるって分かってたの!もう来てくれないかと思って、泣き死にしそうだったわ……」雅乃は裕の手を引いて部屋に入りながら不意に思った。――どうして彼の手はこんなにも冷たいのだろう。問いかけようとしたその瞬間、裕の冷たい声が落ちた。「どうして本当に泣き死にしていないんだ?」雅乃は胸が締めつけられるのを感じた。今の言葉は絶対に聞き間違いだ……裕は、自分にきつい言葉など一度だって言ったことがない。「裕……今、なんて言ったの?」裕は答えなかった。だがその眼差しが全てを物語っていた。雅乃は急速に不安に呑み込まれ、袖口をそっとつまんで揺らした。「裕、どうしたのよ……?あの千晴が、またあなたを怒らせたの?」裕は滅多に怒らない。怒った時は決まって千晴に関する時だった。だから今回も同じ理由だと思い込んだ。結婚式の夜なのに千晴に引き止められ、口喧嘩でもしたのだと。まさか、彼が自分に怒りを向けて来るなど、考えもしなかった。次の瞬間、裕は雅乃の手を乱暴に振り払い、片手で雅乃の首を強く掴み上げ、もう片方の手には千晴のスマホを握り、画面に表示された「トーク」を雅乃の目の前へ突きつけた。その表情は冷徹そのもので、歯の隙間から押し出すように言葉が漏れた。「雅乃……!」怒気で震える声を、彼は必死に抑えていた。「まだ誤魔化すつもりか?お前が千晴にしたことは……!警告したはずだろう。千晴に手を出すなと。その言葉を……風の噂くらいにしか思ってなかったのか?千晴は、俺が娶る女だ。お前なんぞ…
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第16話

裕はその日の夜、雅乃を連れて私立病院へ向かい、中絶手術の手配をした。病院の廊下で、雅乃はひざまずいて必死に哀願した。「裕、やめてよ!これは私たちの子なのよ、あなた……少しも心が痛まないの?」雅乃は裕の同情心を引き出そうとした。この子は彼女が計算して得た切り札――簡単に失うわけにはいかなかった。「裕、この子は何も悪くないの……まだこの世を一目見ることさえしていないのよ。あなた、本当に……見捨てるつもりなの?」しかし裕は冷ややかに雅乃を見下ろすだけで、一言も発しなかった。雅乃は床に跪き、裕の太腿にしがみつきながら、涙声で訴えた。「裕、あなたが私を愛してないなんて、信じない……私たちの子を愛してないなんて、もっと信じないわ。あなたが私を愛してないなら、どうして私があなたを必要とする度に、あなたは真っ先に駆けつけてくれたの?」裕は反論しなかった。彼女の言葉は事実だったからだ。その胸には深い悔恨が満ちていた。――そうだ。なぜ自分はあれほど愚かだったのか。千晴を愛していない証拠を示すために、わざわざこんな腹黒い女を傍に置いたとは……今の裕には、目の前の女がどれほど巧妙に自分を欺いてきたかが、骨身に沁みていた。「雅乃、俺が愛してるのは千晴ただ一人だ。今日、この子は必ず堕ろしてもらう。お前は千晴の子を殺したんだ。お前の子なんぞ……なおさら残せるわけがない!お前がいなければ……俺と千晴の仲がこじれることもなかった。別れに至ることも……!俺は千晴を取り戻す。だから、この子を堕ろせ。もう二度と……俺の前に現れるな!」そう吐き捨てると、裕は雅乃を置き去りにして背を向けた。これ以上、彼女の偽りの顔を見ていたくなかった。去り際、裕は部下に厳しく命じた。――決して逃がすな。雅乃はその場にへたり込んで、他のことなど考えていられなかった。頭の中には、さきほど裕が口にした言葉だけが何度も反芻された。……千晴の子を殺した?……しかも、出て行った?それなら――実に好都合ではないか!今、自分の腹に宿っているのは裕の唯一の子。この子さえあれば、桜井家に入れないはずがない!千晴は確かに妊娠していたし、桜井家も結婚式を許した。しかし、以前の養子縁組がまだ解除されず、裕とは婚姻届を提出していない。これは……神様が自分に味
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第17話

泰夫は激怒のあまり倒れてしまい、桜井家は騒ぎとなった。裕は、雅乃がここまでの事態を引き起こすとは思いもよらず、その怒りのすべてを彼女にぶつけた。――もし雅乃がいなければ、千晴は去らなかった。――もし雅乃がいなければ、お爺さんも倒れなかった。何より裕が我慢ならないのは、雅乃があの場で自分を呪ったことだ。もし千晴が許してくれないのだとすれば、それは雅乃の謝罪が誠意に欠けているからにほかならない。裕は、手術を終えたばかりで横になっている雅乃を無理やり起こし、謝罪動画を撮らせた。初め、雅乃はどうしても応じようとしなかった。すると裕は部屋中の物を片端から叩き壊した。雅乃は怯え果て、床に土下座をし、泣きながら千晴への謝罪動画を撮り、自分がしてきた悪事を一つ残らず吐き出した。裕はそれでようやく雅乃を許した。彼は、この動画を、千晴を見つけたときに見せれば、彼女ももうそこまで怒らないだろうと思っていた。ここ数日、裕はあらゆる伝手を使って千晴の行方を追ったが、まったく情報が得られなかった。裕の秘書も気が狂いそうになっていた。国内全土をひっくり返す勢いで探しても、千晴の影すら掴めなかったのだ。裕は、毎日千晴を見つけることだけを考え、会社のことなど気にも留めなかった。夜には、必ず千晴の部屋に閉じこもって酒に溺れた。深く酔えば、彼は千晴のぬいぐるみを抱きしめて泣きじゃくった。「千晴、会いたい……いったいどこにいるんだ。どうして俺はどこを探しても見つけられないんだ……まだ怒ってるのか?だからわざと姿を隠してるのか?でももう、俺は雅乃とはきっぱり切ったんだ。もう二度と会わない。だから戻ってきてくれよ、頼む……千晴、お前のいない日々は本当に苦しい。もう持ち堪えられそうにない……戻ってきてくれ……」裕は千晴の名を呟きながら眠りに落ち、悔恨の涙が目尻に伝った。高額の懸賞金をかけて捜索を始めて七日目、ようやく千晴の情報が届いた。裕は感激のあまり涙を落とした。千晴が、ついに見つかるのだ。その頃、F国で研修中の千晴も、国内の井上教授から電話を受けていた。「すまない、千晴。あなたの渡航のことが、もう隠しきれないかもしれない。あなたの叔父さんがまた私を突き止めてきて、訴えると言ってるんだ」千晴は、こうなる日が来ることをと
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第18話

この学校の名は、裕も耳にしたことがあった。千晴の成績が常に優秀で、在学中も迷惑をかけたことがない――その程度の認識はあったが、まさかここまで本当に優れていたとは思わなかった。千晴は自分から離れても、これほど立派にやっていけるのか。裕の胸に、かすかな痛みが走った。いつの間に、このいつも自分にまとわりついていた小さな女の子が、こんなにも自立したのだろう?今回こそ千晴を連れ戻したら、絶対に離れられないよう側に縛りつけておこう――もう二度と、この別れを味わいたくなかった。裕は教室棟の下で真っ直ぐに立ち、秘書が千晴を連れてくるのを待っていた。だが秘書は出てきた瞬間、そっと首を振った。「社長、夏野さんは昨日ちょうど退学手続きを済ませたところでして、どこへ行ったのか誰も知りません」裕は立ち尽くし、雷に打たれたように呆然とした。千晴は、また逃げたのか?そんなはずはない!自分がここに到着したばかりで、彼女が離れるなど、そんな偶然があるものか?!裕は、千晴がまだ自分に怒っており、そのために身を隠しているだけだと強く信じた。彼は千晴の寮に向かった。しかし、空になった部屋を見た瞬間、否応なく現実を受け入れざるを得なかった。また置き去りにされた。千晴は本当に自分を必要としなくなったのだ。だが誰が悪いというのか。千晴を傷つけたのは、他ならぬ自分自身だ。これは自業自得であった。千晴がどれほど自分に依存していたか知っていたのに、世間の批判を恐れて手放してしまった。しかも雅乃が千晴を傷つけるのを許してしまった。あの時の彼女は、今の自分より何倍も傷ついていたに違いない……鋭い痛みが胸に襲いかかり、裕は壁にもたれて涙を落とした。あの女の子を一生守ると誓っていた。その誓いを破ったのだ。だからこそ、今は愛する人を失う苦しみを味わって当然なのだ。だが、それでも諦めるつもりはなかった。ようやく掴んだ千晴の手がかりを追ってここまで来た。彼女を見つけるまでは、絶対に帰国しない。ここは国内とは違う。頼れるのは自分の力だけ。一歩ずつ、確実に彼女を探すしかなかった。裕はずっと信じていた。ただ見つけさえすれば、ただ面と向かって謝罪し、心を示せば、千晴は必ず自分の元へ戻ってくる、と。裕は確信していた。千晴は、自分が苦しむ姿を見ていられない
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第19話

裕は千晴を追いかけ回すように熱心にアプローチした。しかしそれが、彼女には煩わしくて仕方がなかった。千晴はもう、気持ちをはっきり伝えたのだ。叔父さんなら、理解してくれるはずだと思った。だが、裕は「追いかける」と言い、プロポーズまですると言い出した。かつて何度も夢見たことが、自分がその感情を諦めた途端に現実になろうとしているのだ。千晴はようやく理解した。自分のかつての愛は、裕にとって確かに負担だったのだと。そして今、自身もその負担を実感していた。できるのは、態度をはっきり示して諦めさせることだけ。しかし裕は、まるで興奮剤を注入されたかのように、聞く耳を持たなかった。裕は学業に支障を出さないよう、朝昼晩の食事の時間だけに電話をかけてきた。その一つひとつの電話が、真剣な謝罪の言葉で満ちていた。「千晴、まだ怒っているのはわかってる。お前が俺に怒るのは当然だ。確かに俺が間違った。今、心から反省している。正式に謝る、どうか許してほしい!許してもらえるその日まで、ずっと、ずっと、ずっと求め続ける!」千晴が信じないかもしれないと思うと、命をかけて誓った。「千晴、俺が一言でも嘘をついたら、外に出て車に轢かれても構わない!若くして不治の病にかかっても構わない!実はお前が去ったあの日から後悔していたんだ。もっと早く自分の気持ちに正直になればよかったのに、あの雅乃という奴に何度もお前を傷つけさせてしまった!でももう彼女には報いを与えた。これからはお前以外の女に近づかない、一心にお前だけを想う!だから、どうか今回だけ許してほしい。もう一度俺のそばに戻ってほしい。お前なしでは生きられない。愛してる、千晴!」裕自身、こんなに真剣に女性に告白したことはなかった。だが今、千晴を取り戻すためなら、どんなことでもできると思った。だが電話の向こうの千晴は、期待したような感動の声をあげなかった。代わりにため息をつき、不満げに言った。「叔父さん、いつからこんなにしつこくなったの?まるでおしゃべりな女みたいにうるさいわ!」千晴は理解できなかった。なぜ、叔父さんがこんなにも幼稚になってしまったのか。かつて自分が彼を愛し、まとわりついたのは、彼が成熟していて頼れる存在だったから。しかし今になって気づいたのは、彼も他の男子の同級生と変わらな
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第20話

「帰るって?叔父さん、私はもう桜井家には戻らないわ。でも、桜井家に育ててもらった恩は忘れない。力をつけたら、必ず桜井家に報いるつもりよ」千晴の揺るがぬ声に、裕の胸に生まれかけた熱は、一瞬で冷え込んだ。「叔父さん、よほど大事なことでなければ、もう連絡しないでほしいの。私、学業が本当に忙しいから」通話を切ると、千晴は大きく息を吐いた。かつて裕は他の男とは違うと思っていた。冷静で、判断力があり、頼りがいのある大人の男性だと。だが今の彼を見ていると、男など皆同じではないかと思えてくる。雅乃に夢中になったことがあるのなら、これからも別の女に夢中になるだろう。自分はまだ若い。未来には無限の可能性がある。恋愛ごときに足を取られるつもりはなかった。前世の自分がなぜあれほど愚かだったのか、今となっては理解できなかった。一人の男にすべての希望を託し、自分を見失っていたあの頃。ひとりでも、人生は十分に輝かせられるのに。生まれ変わって目が覚めたことを、千晴は心の底から幸運だと思った。あの結婚式が挙げられなかったことも、今となっては幸いだった。もし結婚していたら、また自分を失い、男を巡って争い、子供にしがみついて生きる愚かな女になっていたはずだ。その頃、裕もまた、痛烈に理解していた。――千晴は、もう戻らない。その残酷な現実を受け入れられず、裕の胸に痛みが走った。裕は胸を押さえ、その場に崩れ落ちた。だが、それでも彼の心の奥底では叫ぶ声があった。諦めない。彼女のいる街へ行き、必ず見つけ出す――裕はなおも千晴の行方を追った。しかし彼女は意図的に彼を避けているかのように、影も形も掴ませなかった。そんな折、秘書がさらに悪い知らせを持ってきた。――泰夫が倒れたのだ。裕が千晴の追跡に没頭し、会社の仕事を放り出していたせいで、桜井家の当主として泰夫が仮に経営を引き受けたものの、元々良くない体調がさらに悪化し、倒れてしまったのだった。秘書は申し訳なさそうに報告した。「社長が不在の間、小林さんが毎日会社へ乗り込んで当主様に詰め寄り、メディアまで使って圧力をかけて……会社の案件も多く、当主様はもう限界で……今回は、本当に危険な状態です……」裕はその夜のうちに帰国した。病室で、全身に管を繋がれた泰夫を見た瞬間、涙が零れ落
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