All Chapters of 恩讐の彼方: Chapter 11 - Chapter 20

剛は、最後にはやはり家に帰ってきた。ドアを開けた途端、甲高い罵声が浴びせかけられた。「よくも帰ってこれたわね！あの石女に魂でも抜かれたんじゃないの？」剛が顔を上げると、母親の恵子がリビングの籐椅子に座り、吊り上がった目で彼を睨みつけていた。顔には意地悪さが滲んでいる。恵美は翔太の手を引き、いじらしい嫁のように傍らに立っていた。彼は言い争う気力もなく、ソファに座り込み、目を閉じてしわがれた声で言った。「母さん、疲れてるんだ。もうやめてくれ」「何を言ってるの、話はこれからよ！」恵子は立ち上がり、数歩で彼の前に詰め寄った。「桜木南なんて役立たず、子供一人産めないくせに居座って、何を未練がましく思ってるの？剛、よく聞きなさい。北村家の跡取りを絶やすわけにはいかないのよ！」剛はカッと目を見開き、充血した目で睨み返した。「彼女は俺の妻だ！子供ができなくても、正式に結婚した俺の妻なんだ！」恵子はとんでもない笑い話でも聞いたかのように、残酷なまでの得意げな表情を浮かべた。彼女は鞄から折り畳まれた紙を取り出し、剛の顔に叩きつけた。「彼女はもうあなたの妻じゃないわよ！目を見開いてよく見なさい、これが何かを！」紙はひらひらと顔に当たったが、その重みは千鈞にも感じられた。剛は反射的にそれを受け止め、視線を落とした。全身が凍りつき、血液の流れが止まったような感覚に襲われた。離婚届受理証明書。紙に書かれたその文字が、焼けた鉄のように彼の眼球を焼いた。彼の視線は申請者署名欄に釘付けになった――桜木南。その三文字は、迷いなく潔く書かれており、すべてを断ち切るような決意に満ちていた。「まさか、そんな……」彼はうわ言のように呟き、手は制御不能なほど震え、紙がカサカサと音を立てた。彼はその署名を穴が開くほど見つめた。「あいつがサインするなんて、そんなはずはない……」あんなに自分を愛していた南が、こんなにもあっさりと彼を見限るなんて。恵子は腰に手を当て、まだまくし立てている。「何があり得ないのよ？あいつはとっくに海外へ高飛びしたわよ！浮気な女狐め、金持ちの男でも捕まえたんでしょうよ。あなたのことなんか構ってられるもんですか。それより、母さんがいい娘を見つけてあるから。安産型で男の子を産め

翌日、剛が局長室に呼び出された時、瞼の痙攣が止まらなかった。オフィスの空気は凝固し、息苦しさを感じさせた。局長は窓際に背を向けて立っていたが、やがて振り返ると、その顔色は土気色だった。局長はゆっくりと口を開いた。声は大きくなかったが、その言葉が彼の心に突き刺さった。「北村剛、上はお前に対して停職処分と審査を行うことを決定した」剛は顔を上げ、驚愕して局長を見た。「なぜですか？」局長は大股で彼の前に歩み寄り、書類の束を机に叩きつけ、声を荒らげた。「自分で見ろ！職権乱用、公私混同、あまつさえ他人の女のために、自分の妻を死ぬほど追い詰めた！剛、お前の隊長としての規律はどこへ行った？人間としての良心はどこにある！」剛は首を硬くし、反論しようとした。「局長、事情はあなたが考えているようなものでは……」局長は厳しく遮り、一番上の調査報告書を手に取り、彼の目の前に突きつけた。そしてその一行を指差して、複雑な目で彼を見つめ、沈痛な声で言った。「じゃあ、これが何なのか説明してみろ。事実はどうだったのか、自分の目で確かめろ。反省室で、桜木南は継続的な暴行と虐待を受けた。彼女の足は、誰かに踏み砕かれたものだ！」「ありえません！」剛は思わず叫び、目を見開いた。「あれは彼女の自傷行為です！」「自傷行為？」局長は冷笑し、報告書の後のページをめくり、彼の胸に押し付けた。「よく見ろ。これは当時監視任務に就いていた隊員たちの証言書だ！水島恵美が自ら反省室へ行き、お前の名を使って彼らに桜木南を痛めつけるよう指示したのだ！あの踏みつけも、水島が『殺す気で踏め』って 直接命令したんだ」剛は報告書を受け取ったが、指が震えて紙をまともに持てなかった。彼はその数行の文字を死に物狂いで凝視した。一つ一つの文字が真っ赤に焼けた釘のように、彼の目に突き刺さった。【水島恵美は、桜木南に目に物見せてやると言った】【水島恵美は、彼女が二度と踊れないように足を折れと我々に命じた】隊員の証言は明瞭で、詳細だった。南が自傷行為で罰を逃れようとしたのではなかった。恵美の指図だったのだ。自分がずっと善良でか弱いと信じていた人間が、自分の目の届かないところで、最も残酷な方法で南の足の骨を砕き、彼女の夢を粉砕したのだ

剛は目眩がして、耳鳴りがした。彼が意識的に無視してきた光景が、今になって次々と脳裏に蘇る。南の言いたげな表情、恵美が家に住み着いた時の彼女の蒼白な顔、彼女が何度も飲み込んだ涙……そのすべてが刃となって心臓を刺す。ふと、恐ろしい考えがよぎった。これまで自分は、南が嫉妬に狂って放火などという理性を欠いた行動に出たのだと思い込んでいた。だが今よく考えてみれば、本当に彼女がやったことなのだろうか？剛の冷徹な視線が恵美に向けられた。「あの火事も、お前がやったのか？」恵美は彼の言葉を待たずに金切り声で認め、その顔は悪意に満ちて歪んでいた。「私がやったのよ、文句ある？あのアマを焼き殺そうとしたのよ！でもあいつ、しぶといのよね、あれでも死なないんだから！仕方ないからあいつが私を殺そうとしたって言ったら、まさかあなたが調べもせずに信じ込んで、九十九回も殴ったなんてね」剛は世界が崩れ落ちるような感覚に襲われた。自分が信じて疑わなかった放火事件までもが、この毒婦の自作自演だったとは！南の当時の悲惨な姿を思い出した――煙にむせびながら声も出せず、必死に首を振り、傷だらけの手で身振りをし、涙と絶望に満ちた目で自分を見つめ、一度だけでも信じてほしいと懇願していた姿を。それなのに自分は？恵美の泣き言を信じ、自らの手で南の皮を裂き肉を断ち、命を奪いかけたのだ！悔恨が煮えたぎるマグマとなって五臓六腑を焼き尽くし、全身の骨まで震わせた。続いて、凄まじい怒りが頭頂まで突き抜け、理性を焼き払った！剛はしわがれた怒号を上げた。「この毒婦め！人の心はないのか！」彼は発狂した獣のように、恵美の肩を死に物狂いで掴み、骨を砕かんばかりの力で、充血した目で彼女を睨みつけた。「お前ごとき賤しい女のために、南を傷つけたなんて、俺の目は節穴だったんだ！」恵美は揺さぶられて痛みに顔を歪めたが、彼の目にある南への痛切な想いを見て、嫉妬が毒蛇のように心を蝕んだ。彼女は金切り声で反論した。「北村剛、今さら深情けぶらないでよ！私が住むのを黙認したのは誰？私のためにあいつに平手打ちをくらうのは誰？反省室に閉じ込めたのは誰？あいつを警棒で殴ったのは誰よ？あなたよ、全部あなたじゃない！あなたが自分で追い出したんでしょ！今さら私のせい

飛行機がゆっくりと降下し、窓の外には見知らぬ異国の景色が広がっていた。南は深く息を吸った。A国の澄み渡るような青空は、記憶にあるどんよりとした空とは全く違っていた。到着ゲートでは、父が待ち構えていた。車椅子の南が現れると、いつも毅然としていた父の目が瞬く間に赤くなった。「お父さん……」南が口を開いた途端、声が詰まった。桜木厳（さくらぎ げん）は足早に駆け寄り、彼女を強く抱きしめた。父の温かい抱擁を感じて、南はついに堪えきれず、涙を決壊させた。この七年間の積もり積もった委屈、受けた非難、足を折られた激痛、そして命を奪われかけた火事の恐怖が、すべて熱い涙となって溢れ出した。「泣きなさい、全部吐き出せばいい」父は優しく背中を撫でた。「これからは父さんがついてる。誰にもいじめさせはしない」父の広い車に座り、窓の外を飛ぶように過ぎ去る異国の街並みを眺めながら、南はまだ夢見心地だった。本当にあの七年間囚われていた牢獄を、心を殺したあの男から離れられたのだ。車は閑静な住宅街に入り、瀟洒な別荘の前で停まった。室内は広々として明るく、落地窓から日差しが差し込み、床に温かい光の斑点を作っていた。父は車椅子を押し、南に新しい家を紹介した。「お前の部屋は一階だ。移動しやすいようにな。お手伝いさんも雇ったから、世話は任せていい。何の心配もいらないぞ」そうしていると、電話が鳴った。父が出て少し話した後、受話器を娘に渡した。「お前の先生、マリー教授だよ」「南！」受話器の向こうから、懐かしい情熱的な声が聞こえた。「やっと帰ってきたのね。私のダンスカンパニーには本当にあなたが必要なの、絶対に力を貸してちょうだい！」マリー教授は相変わらず率直で活動的だった。南は受話器を握りしめ、学生時代、マリー教授が自分の才能を高く評価してくれていたことを思い出した。「でも、私の足、もう踊れないかもしれません」マリー教授は声を張り上げた。「馬鹿なこと言わないで！最高権威の整形外科医を知ってるわ。明日診察に行ってもらうから。信じて、あなたは必ず治るわ！」電話を切り、南の心に久しぶりの暖かさが湧き上がった。時を経ても、恩師は自分のことを気にかけてくれていた。翌朝、チャイムが鳴った。ドアの外には三

審査結果が出た日、剛はガランとしたオフィスに一人、長い間座っていた。彼の運命を決定づける処分通知書が机の上に広げられていた。【北村剛の隊長職を解任し、後方支援部へ異動とする】たった数行の文字が、彼の十数年に及ぶキャリアを完全に断ち切った。初めて肩章をつけた時の興奮、訓練場で汗を流した日々、隊員たちが彼を隊長と呼ぶ時の尊敬の眼差し。今、そのすべてが泡と消えた。水島恵美のために、最愛の妻を失い、輝かしい未来をも葬り去ったのだ。彼は処分通知書を丸め、壁に力一杯投げつけた。「南……」彼はその名を呟き、胸が強く締め付けられ、息ができないほどの痛みに襲われた。今になってようやく悟った。かつて自分が冷遇し無視してきた女性こそが、人生で最もかけがえのない存在だったのだと。彼は狂ったように書斎をひっくり返し、引き出しの最下層から忘れ去られていた写真を見つけ出した。写真の中の南は満面の笑みで、彼の横に寄り添っている。これは結婚式の写真だ。覚えている。当時、彼女がおずおずと近づいてきた時、自分は無意識に体を避けて、顔には不快感と拒絶を浮かべていた。それでも、この写真を捨てずにいた。あるいは無意識のうちに、とっくに彼女の瞳の光に心を動かされていたのかもしれない。ただ、昔の自分はそれを認めたくなかっただけだ。今、写真の中の彼女の笑顔が輝けば輝くほど、心の痛みは深くなる。剛は震える手で写真の彼女の目元を撫で、悔恨の波に完全に飲み込まれた。この世で最も尊い真心をとうの昔に手にしていたのに、自らの手で粉々に砕いてしまったのだ。「絶対に彼女を見つけ出す」その思いが芽生えると、もう抑えることはできなかった。剛は使えるコネをすべて使い、ついに南の父、桜木厳がA国で会社を経営していることを突き止めた。そして南も、そこへ行った可能性が高い。戦友が彼を諫めた。「目を覚ませ。A国は広いんだぞ、どうやって探すんだ？それに、お前たちはもう離婚したんだ」剛は頑固に言った。「離婚したなら復縁すればいい。必ず見つけ出して、直接謝るんだ」彼は徹夜で退職願を書いた。残っていても未来がないなら、A国へ行って彼女を探した方がいい。退職手続きは驚くほど早く済んだ。上層部も彼を厄介払いしたかったのかもしれない。