《偽物クズ夫に別れを告げ、スパダリと政略結婚します》全部章節:第 201 章 - 第 210 章

485 章節

第201話

一花が修治と話し終わった時、パーティーも始まった。和香と勇が一緒に来て、一花に親しげに挨拶をすると、伊集院家をメインテーブルのほうへ招いた。一花が和香に会ったのは今日で二回目だ。しかし、和香の態度は初めて会った時と比べてかなりよくなっていて、口を開けば「一花さん」だとか「我が家の」という言葉を使い、とっくの昔に西園寺家の娘で一花の存在を認めていたと、わざとらしく主張しているようだった。和香の態度がそのようであればあるほどに、一花は鳥肌が立ち、何か企みがあるような気がした。ホスト側が席につくと、今日招待された賓客たちも次々と席についた。しかし、全員ホストである西園寺家からの言葉を待っていた。西園寺家が名の知れた人物たちを招待するということは、何かの報告があるからだろう。聞かずともこの日のパーティーが開かれた理由は何か、前から予想をつけている人もいた。きっと、伊集院家と西園寺家の政略結婚について、社交界の他の友人たちと一緒に祝うためなのだ。そして和香がマイクを持って話し始めると、やはり柊馬と一花の婚約の件に触れた。「本日はみなさまにお集まりいただき、誠にありがとうございます。今夜お集まりいただいたのは、ほかでもなく、皆様にあるおめでたいご報告をするためでございます」和香はこの場に合うような笑みを作り、視線を柊馬と一花のほうへ向けた。「我が西園寺家の令嬢である一花と、伊集院家の柊馬さんが正式に婚約したことを、ここに発表いたします」和香がそう言うと、ステージ下からは大きなお祝いの拍手が巻き起こった。多くの目線が柊馬と一花の二人に注がれていた。彼らの眼差しからは二人を吟味したり、判断したりしようとするのが感じ取れる。また中には羨望の目を向ける者もいた。メインテーブルに近いところにいた陽菜は柊馬のほうへ顔を傾けていた。しかし、近くても多くの人がいて、彼女は柊馬の姿を見ることはできなかった。彼女は今日ここへ来るつもりはなかったが、如月家の家族から引っ張られて来る羽目になってしまった。如月家は伊集院家、そして西園寺家と今は提携関係にあるから、礼儀のためだと言われたのだ。和香の言葉を聞き、陽菜はすぐに何杯もワインを胃に流し込んだ。「本日をもって、我々西園寺家と伊集院家は親戚関係になることが確実となりました。今後ビジネ
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第202話

しかし、一花は私生児であり西園寺家に来るまでは誰も彼女の存在を知らなかったのだから、何か過去があったとしても周りがそれについて詳しくないのも当然のことだろう。ただ……もし彼女が結婚している事実を隠して息子と結婚しようとしているのであれば、それは道徳に反することであり、この婚約は破棄するしかないと修治は思った。一花はさっき口を出してきた男が誰なのかは知らない。しかし、彼の言葉を聞いて、すぐに緊張し、顔色も悪くなってしまった。一花は口を開いたが、すぐに何と返せばいいのか分からなかった。男の言葉は全てが本当なわけではない。恐らく和香がわざとこのような手配をして言わせたのだろう。ここで反論し、自分と慶の過去についてはっきり説明して、彼女自身が大勢から笑い者になってもどうでもいいと一花は思っているが……今この場にいる賓客は全員名家の者ばかりで、権力を持つビジネス界の大物ばかり。もし、彼女が過去何があったのか口にしてしまえば、伊集院家に恥をかかせることにもなる。敬子たちはみんな自分を大切に扱ってくれた。だから、自分のことで失望させたくないと本気で一花は思った。「そちらの方、さっきの話は本当ですか?人を間違えているのでは?」この時、和香がわざと驚いた様子で口を開き、さっきの男に質問を投げかけた。しかし、この言葉がきっかけとなり相手に更なるチャンスを与えてしまった。彼はスッと立ち上がり携帯を取り出した。まるで前から用意していたかのように、一花と慶が一緒にいる動画を大勢の前に差し出した。しかし、その動画に映る二人は親密な様子ではなく、ただ二人が同時に同じパーティー会場に現れている場面だった。「人違いじゃないですよ。見間違いじゃないですね。みなさんご自身でご覧になってくださいよ。ほれ、これはそこにいる西園寺一花さんでしょう?」男がその動画を周りに見せる間もなく、誰かに腕を掴まれてしまった。その力はありえないほど強く、そのまま骨を折ってしまいそうなほどの勢いだった。「ああああ……」男は痛みに絶叫し、振り返って見るとそこには柊馬がいた。手に持っていた携帯も床に落としてしまった。柊馬は無表情で、その携帯画面を思い切り踏みつけた。動画からは音がなくなり、携帯の画面も粉々になった。「あ、すみません、うっかり携帯を踏んでしまいました。後で
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第203話

「柊馬さん」一花は周りが自分のことをどう見ようが気にせず、ただ柊馬と伊集院家の心情を気にしていた。彼女はマイクを置き、急いで柊馬の傍までやって来たが、彼は彼女のほうを振り返ることはなかった。その瞬間、一花の心は凍り付いた。柊馬は一花との間に高い氷の壁を作っているような、冷たいオーラを放っていた。彼はさっきの男の話を聞いて、自分を嫌いになり、嫌悪感を持ち始めたのだろうか?さっき彼が男に手を出したのは、もしかすると伊集院家の面子のためであって、一花のためではなかったのだろうか?「……ごめんなさい、柊馬さん。確かに過去いろいろありましたが、結婚はしていません。それに全て終わらせてきたんです。ずっとあなたにあまりこの件を話したくなかったのは……」一花は小声で柊馬に説明していたが、彼女が言い終わる前に、柊馬が話を遮った。しかし、その瞬間、柊馬の行いは完全にその場にいた全員と、一花の予想とは違っていた。柊馬は一花のほうへ振り返ると、力強く彼女をぎゅっと抱きしめた。「もちろん、全て知ってるさ。何をそんなに慌てる必要がある?バカだな」柊馬は呆れたような笑みをもらし、低く落ち着いた声でそう言った。「柊馬さん……」一花はあまりにも突然、柊馬の逞しい胸に抱きしめられ、その瞬間周りの音など全く聞こえなくなり、ただ彼の落ち着いて力のある鼓動の音だけが耳に響いた。そして彼が怒っていなかったのだと分かると、心はふっと軽くなった。一花が顔を上げると、ただ彼の冷たく引き締まったフェイスラインが見えた。柊馬は少し喉を鳴らし、一花を抱きしめる手を緩め、彼女の腰に手をあてて、みんなのほうを向いた。「失礼、さきほどはお見苦しい姿をお見せしてしまいました」この時、柊馬は普段の落ち着いた声に戻っていたが、それでも寒気と威圧感を感じさせる。彼は顎を上げ、獲物を狙う鷹のような鋭い目線で会場をサッと見まわした。周りを軽蔑する目つきで見ていたが、この時もしっかりと一花の腰に手を回し彼女を守っていた。「私の妻は思いやりがあり、優しい人です。自分が辛い目に遭っても、目上の人に心配や悩みをかけたくないんです。しかし、正直私は黙っていられませんね……それに、私の目の前で堂々と妻を侮辱されるのは絶対に許しておけません。しかも、小細工まじりで卑しい手を
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第204話

陽菜はその言葉を聞くと驚いてすぐに立ち上がった。彼女はテーブルの端をしっかりと押さえていた。その衝撃でグラスが倒れ中身が自分の体にかかっても気にしていなかった。柊馬はただ口でそう言っているだけでなく、本当にあの女と結婚の手続きをしたというのか?如月家の年配世代は眉をひそめて彼女を睨み、ゴホンッとわざと聞こえるように咳ばらいをした。母親の如月夕実(きさらぎ ゆみ)は慌てて娘を無理やり席に座らせた。しかし、その一幕を向かいに座っていた陸斗に見られてしまった。この時、陸斗も柊馬の言葉に驚いていた。一花が今日、伊集院家から見放されると思っていたのに、柊馬は一族の評判を落としかねない状況でもそれを意に介さず、さらには一花の尊厳も守ろうとした。陸斗は陽菜の様子を見て、また何か新しい方法を思いついた。柊馬と陽菜の過去については、彼も少しだけ耳にしたことがある。柊馬の周りに長年女性の影がなかったのは、恐らくこの幼なじみである如月陽菜と関係があるはずだ。ただ、伊集院家は昔からずっと謎に包まれていて、あまり世間に噂が流れないよう情報は厳格に管理されているので、陸斗も何か聞き出すことはできずにいた。しかし、女性は感情というものを表に出しやすい生き物だ。陽菜のさっきの反応を見る限り、彼女の片思いという単純なものではなさそうだ。柊馬が一花とこんな短期間で結婚したのは、誰かを怒らせるためなのではないか?和香は瞳を暗くしていた。柊馬がこのような立場を示したおかげで、まるで自分がわざと仲の良い夫婦の中を壊そうとしたように見えるではないか。和香は笑顔を戻したが、眉をつり上げて伊集院家のほうへ目をやった。「お二人はもう結婚手続きをしていたのですね?それじゃ、さっきの人はでたらめな事を言っていただけのようですね。ですが、伊集院社長も気が焦りすぎではないのですか、結婚という大切な事を私たち西園寺家にはお知らせくださらなかったでしょう。一花さんだって私たちに一言も伝えてくれないし……まさか、伊集院家の方々も知らなかったのでは?」和香はあっという間に話の中心を一花のほうへ変えてしまった。結婚を親族に知らせないというのは、確かに適切とは言えない。それに、柊馬がいくら一花をかばっても、一花の過去は時限爆弾のようなものだ。伊集院家の様子を見ればすぐにどうい
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第205話

敬子の言葉は、柊馬と一花の結婚には一切口を出させないという姿勢だった。彼女はすでに一花を伊集院家の嫁と認め、一族で支えていくつもりだ。たとえ一花に結婚歴が本当にあったとしても、敬子の態度を見て、誰が文句を言えるというだろうか。「そういうことなのですか」和香は口角を上げて、平静を保っている様子だったが、荒い呼吸のせいで胸が上下していた。敬子がそう言うと、夫の和彦もしきりに頷いていた。和気あいあいとした感じから完全に伊集院家の一花に対する態度ははっきりと見て取れる。完全に彼女を包み込み、愛情を向けている。美穂はこの状況に胸をなでおろした。「こちらが西園寺家の方々にきちんと説明していなかったせいで、さっきのような気まずい事になってしまいました。西園寺社長、大変申し訳ございません」「……別にいいのですよ」和香は気にしていないような口調で返事したが、表情はかたかった。一花は敬子や和彦、それに美穂までが自分のために弁解してくれるのを見て、急に涙が出そうになった。一花はいつでも、誰かが自分の味方をして、無条件で支えてくれるなど期待したことはなかった。何も期待しない時、何かを経験しても強気の態度でいられるが、いざ優しくしてもらうと、つい脆くなってしまうのだ。一花はどう感謝を示せばいいのか分からず、ただ敬子を見つめていた。しかし、その時敬子は視線を柊馬のほうへ向けた。柊馬は祖母が何を言いたいのか察し、一花の手をとり、片膝をついた。背の高い彼が膝をついて座っても、スラリとしたその姿は変わらなかった。煌びやかな明りが彼の肩に落ち、その輝かしい姿は見た者を感動させるほどだ。「一花、今大勢の前で宣言するよ。俺は一生君の傍にいて離れない。俺と結婚してほしい。これからずっとこの命が尽きるまで、君を愛し、守り、傍にいると誓う。結婚してくれますか?」柊馬は約束通り、本当にみんなの前で一花にプロポーズした。彼はプロポーズの言葉をこの時はまだ用意していなかったが、それでもその口から紡がれる言葉は心からのもので、その真剣さが聞く人を驚かせた。彼はあのトップを誇る財閥家の後継者……伊集院柊馬だ。そんな人物が一人の女のために、大勢の前で膝をついて、プロポーズをしたのだ!これには、西園寺家の令嬢である一花にとっても、十分
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第206話

「茉白、あんた喧嘩売ってんの?」萌絵がすぐに怒りだすと、母親が慌てて咳払いし、彼女に注意した。もし今パーティーの最中じゃなかったら、もう茉白に一発お見舞いしただろう。萌絵はやはりぐっと我慢した。まあいい、一花にぎゃふんと言わせられなくても、茉白なら後からいくらでも仕返しする時間はある。企みが渦巻いていたパーティーは一花に十分なメンツを与えてしまう「プロポーズお披露目パーティー」となってしまった。和香は発散できない鬱憤を人生で初めて味わい、何も食べる気力もなくなり、体調不良を理由にその場を離れてしまった。和香がいなくなってから少しして、伊集院家も一花を連れて帰り、パーティーはここでお開きとなった。陸斗は和香の代理人として、賓客の見送りを責任持って対応した。勇が侑李を連れて帰ろうとした時、二階堂家と帰るタイミングがあった。茉白はドレスを着替えていて、黙って一番後ろについていた。少し迷って、侑李は彼女のほうへ近づき呼びとめた。「茉白」聞き慣れた声がして、茉白はビクッと体を震わせ、後ろを振り向いた。侑李の顔を暫く見つめてから視線をそらした。「何か用?」「君のブレスレット」侑李はポケットから綺麗なティアドロップの宝石がついたブレスレットを取り出して彼女に渡した。それは彼女が萌絵と揉めた時に床に落ちたもので、ちょうど侑李が拾っていたのだ。茉白は瞳を微かに揺らした。ブレスレットにはライトブルーのティアドロップカットの宝石がついていて、それは非常に希少価値の高いアクアマリンの宝石だった。侑李が彼女の18歳の誕生日になんとかお金を集めて買ってあげたプレゼントだ。彼はその当時はお小遣いは少なく、長い時間かけて貯金してようやく購入したのだった。それを彼女は非常に気に入り、もらってからすぐにブレスレットにして今までずっとつけていた。「切れてしまったのなら、元の持ち主に返すわ」茉白はそのブレスレットを見て、受け取る意思を示さなかった。しかし、彼女はずっと目をそらすことなく侑李を見つめた。侑李は眼鏡をかけていて、落ち着き払ったその瞳からは如何なる感情も読み取れなかった。二人が連絡を断ってから、彼はまるで人が変わってしまった。昔の情熱も、衝動的な行動も、まっすぐにぶつかってくるあの熱意も全て消えてしまった……
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第207話

勇は息子に優しくも真剣に諭した後、侑李もそれ以上何も言わず、ただ頷いた。ほとんどの賓客を見送ってから、陸斗は隅のほうに一人でいた陽菜に気づいた。陽菜はこの時一人でしばらくいたいと思い、両親と一緒に帰らず、一人でテーブルに座っていた。しかし、今ほとんどの人が帰ってしまったので、彼女も魂を失ったかのように呆然と立ち上がり、帰ろうとした。「如月さん、ちょっと待ってください」そこへ陸斗が大股で彼女に近づき、呼びとめた。陽菜が振り返ると、彼女の目ははっきりと赤く腫れていた。彼女は失意の眼差しで陸斗をちらりと見た。「西園寺さん、何かご用でしょうか?」「いえ、如月さんがかなり落ち込んでいらっしゃる様子だったので、今夜、こちらが何か不備があったかと」陽菜は首を横に振った。「いいえ」「如月さんはさっきお酒を飲まれましたよね。俺は暫く時間があるので、送っていきましょうか?」陸斗はにこりと微笑み、親切そうにそう言った。陽菜はすでに車を呼んでいたが、陸斗の言葉を聞いて断わることはなかった。今、彼女は柊馬と一花がすでに結婚してしまったという事実にショックを受け、すでに気力を保てないほど精神的にまいってしまっていた。彼女は陸斗の車に乗る時、助手席ではなく後部座席に乗った。陸斗が何か彼女に話しかけても、ずっと心ここにあらず状態だった。そんな彼女の反応にはどうしようもなく、陸斗はただ運転に集中するしかなかった。しかし、出発してまだ途中の信号で、陽菜が激しく車のドアを叩き始めた。「吐きそう」その言葉に陸斗は驚き、急いで彼女を車から降ろし、道の隅の方へ連れていった。どうやら陽菜はかなり飲んでいたらしく、直接木の下でイメージも気にせず吐き出した。陸斗は目を背けて、いつも持ち歩いているハンカチを彼女に差し出した。「如月さんも、本当に大変でしたね」その言葉は優しかったが、陸斗は心の中でこの状況にかなり嫌気がさしていた。以前の陽菜も有名な家柄の令嬢で、マドンナ的な存在だった。容姿も美しく才能に溢れ、実家の後ろ盾もあり多くの人からチヤホヤされて守られてきた。しかし、今では柊馬のことがあり、このような失態を晒している。まるで捨てられた女のように、みっともないにもほどがある。「どうして私を送ると言ったのです?西園寺さん、遠回しで
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第208話

しかしこの時、狭い路地の向かい側に、見慣れた人影が陸斗の視界に映った。カジュアルなスポーツウェアを着た女性が大きな旅行バッグを背負い、ちょうど信号を渡っているところだった。陸斗が彼女を見た瞬間、彼女のほうも陸斗のほうへ視線を向けたようだった。二人は少しの間視線を交わし、女性はそそくさと道を曲がって走っていった。そして陸斗のほうは視線をそらさず彼女が近くにある病院に入っていくのを見ていた。夏海は一気に病院のエレベーターまで駆けていって、ようやく一息ついた。彼女はさっき見間違えてはいなかった。あの向かい側にいたのは確かに西園寺陸斗だ。陸斗の傍には誰か女性がいて、その横顔にはどうも見覚えがあった。相手と何か話したわけでもないのに、この時の彼女はどうもソワソワして落ち着かなかった。なんだか、見てはいけないものを見てしまったような感覚なのだ。夏海は病院の大部屋のドアを開けた。すると隅の狭いベッドの上に母親と弟が一緒にいた。「姉ちゃん、来たんだね」須藤昂輝(すどう こうき)が口を開くと、夏海は急いで静かにするよう、しいっーと口元に指を立てた。母親は就寝中で、起こしたくなかったのだ。彼女は持ってきた生活用品を取り出した後、昂輝を連れてそろりと病室の外に出て、彼にかなりの生活費を渡した。夏海の家は裕福な家庭ではない。母親は彼女が大学に入ってすぐ癌と診断を受け、仕事をすることができなくなった。弟の昂輝もまだ12歳で、ちょうど中学校に上がったばかりだ。だから、夏海は優秀な成績で大学院に受かったが、大学院に行くのはやめて卒業してからすぐに仕事についた。どうやら彼女は幸運の持ち主だったらしく、働き始めてからすぐに一花のチームに入った。黒崎グループの給与も良かったが、今は西園寺グループに移り、更に稼ぎが多くなっていた。ただ、母親の治療費だけは未だかかっており、夏海はやはりその事で悩んでいた。昂輝は明日学校があるので、夏海は心配して弟にいろいろと世話を焼く言葉をかけてから、母親の様子を見に病室に戻った。そして夏海が病院を出てきた時には、辺りはすっかり人の気配はなく静まり返っていた。「夏海!」突然、冷たく苛立った中年男の声が彼女を呼びとめた。夏海が振り向いて見ると、そこには父親の姿があった。夏海はほぼ無意識に思い切り走り
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第209話

たとえお金があったとしても、夏海は父親に渡す気などない。母親の命を救うためのお金であり、一生懸命努力して稼いだお金なのだから!「この俺に嘘をつくな!」進は完全にキレてしまい、本気でナイフを彼女に振りかざした。恐怖のあまり目を閉じた夏海だったが、想像したような痛みは感じなかった。逆に父親の絶叫が聞こえてきた。夏海が目を開くと、スーツに革靴姿の男が父親を押し倒そうとしていた。彼は背が高く逞しい体つきをしていて、力強く何度もフックをきめ、進を地面に殴り倒した。「さ……西園寺副社長?」この時、夏海は自分の目が信じられなかった。あの西園寺陸斗が彼女を助けてくれたのだ。陸斗は彼女に構う余裕はなかった。ここ最近激しく体を動かしていなかったので、突然人を殴ろうとして腕が脱臼しそうになったのだ。しかし、相手は年寄りで体を鍛えてはいなかったし、体も衰えていたのでどうにかなった。すると彼は激しく進の背中に蹴りを入れて、ジャケットを脱いで夏海に放り投げた。夏海は無意識に投げられたジャケットを受け取ったが、濃い香水の匂いが鼻をついて、思わず眉をひそめてしまった。陸斗はネクタイを外し、進の手をきつく縛り上げた。「てめぇ何もんだ……俺はな、娘をしつけてたんだよ。てめぇに何の関係がある!このクソ野郎!」進は声が枯れるほど大声で叫び続けていたが、陸斗は進を相手することなく、夏海のほうへ振り返って尋ねた。「こいつ、あんたの父親か?」「はい……」穴があったら入りたいくらい恥ずかしく、夏海は小声でそう答えた。しかし、すぐに我に返って彼女はすぐに傍にあった携帯を拾い上げた。画面は割れていたがまだ使えるようだ。夏海は警察に通報した。進は夏海が通報をしている声を聞き、また口汚く大声で罵倒し始めた。さっきよりもどんどん口が悪くなっていく。陸斗はそれに耐えられず、また進に蹴りを入れると、ズボンのポケットの中を探してティッシュを取り出し、進の口に詰めた。すぐに付近の警察が駆けつけた。進はそもそも警察から逃げていた身なので、そのまま捕まってしまった。父親が警察に連れていかれる様子を見ても、夏海は依然として落ち着きはらった表情をしていた。まるで知らない人間を見送っているように冷ややかに、そして恨みがましそうに見ていた。陸斗は嘲笑するよ
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第210話

一花も別に何かを隠したいと思っているわけではなく、ただ政略結婚をするだけだから、誰も彼女の、人に語りたくないプライベートについて聞いてくるとは思ってもいなかった。しかし、今はそうではなくなった。一花は敬子たち伊集院家を家族と同じだと思っているし、柊馬のことも……彼女は彼のことをとても大切に思っているし、彼がどんな気持ちになるか気にするようになっている。彼が自分に対して何かわだかまりを抱くのも嫌だった。実際、柊馬は一花が自分の過去を話すのは望んでいない。しかし、修治は堅物で融通がきかないタイプだから、他の伊集院家の人たちのように一花の全てを包み込めるとは限らないのだ。それに柊馬は一花の過去は彼女にとって心の傷として残っていることを知っている……以前、彼は湊からすでに一花についてほぼ全てを聞いて知っていた。しかし、一花がクズ男を愛してしまい傷を負ったと分かっていても、誰かがその話をするのを聞いたらどうも面白くなかった。一花の過去が心に引っかかっているというわけではなく、一種の言葉には表せない痛みを感じるのだ。柊馬は一花が過去を話すのを止めようと思ったが、彼女は自ら心の傷をさらけ出す決心をし、自分の過去について全て話してしまった。柊馬は彼女の横で静かにその話を聞いていた。彼女の横に立ち、話し終わるまでずっと彼女の手を強く握りしめていた。一花はまるで他人事のように、平然とした様子で語っていた。敬子と美穂はそれを聞いて心が締め付けられていた。彼女たちは一花がここまで心を抉られるような経験をしてきたとは想像もしていなかった。普段穏やかな和彦までも我慢できなくなり、苦しげに怒鳴り声をあげた。「本当に鬼畜な野郎だ!」「一花さん、あなたは長い間ずっと苦しんできたのね。だけど、これからは柊馬が傍にいるから、誰もあなたにひどいことはできないからね。今まで苦しんだ分、神様が幸せをくれたのよ」美穂は辛そうな顔をして、一花にどんな慰めの言葉をかけてあげればいいか分からなかった。一花は生まれつき令嬢であったにもかかわらず、小さい時から誰も頼れず苦しい生活を送り、さらにここまでモラルに欠けたクズに出会ってしまったのだ。それに、西園寺家は彼女に対してそこまで友好的な態度をとっていないようだ。敬子はやや厳しい表情になり、直接一花に尋ねた。
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