All Chapters of 風に散る霧、過ぎし日の痕: Chapter 21 - Chapter 22

22 Chapters

第21話

礼は、夢乃の無事をこの目で確かめてから、ようやくその場に崩れ落ちた。全身を真っ赤に染める血を見た瞬間、夢乃の頭の中は真っ白になった。彼女は礼の手をつかみ、涙をぼろぼろこぼしながら、震える声で繰り返した。「礼、寝ちゃだめ……ねえ、起きてよ。お願いだから、目を開けて、私を見て……」その瞬間、夢乃は、母を失ったあの日の、あのどうしようもない痛みと絶望を、もう一度突きつけられたような気がした。彼女は、拠り所のない子どもみたいに、救急救命室の前でしゃがみ込み、ひたすら彼の無事を祈り続けた。けれど、やがて医者が出てきて告げたのは――「手術自体はうまくいきました。ただ、弾丸が心臓にあまりにも近くて……いつ目を覚ますかは、本人の生きようとする意思次第です」その言葉を聞いた途端、夢乃は膝から崩れ落ち、あふれ出した涙が止まらなくなった。佐藤家の祖父が、ひとりの孫は終身刑、もうひとりの孫は重体で目を覚まさない、との報せを受けたとき。たった一晩で、彼は十歳も老け込んだように見えた。誰もが「礼はもう目を覚まさないかもしれない」と思い始めたころ。ただひとり、夢乃だけは、「彼はきっと戻ってくる」と信じて疑わなかった。……礼が昏睡状態の間、夢乃は、彼の体を自分の手で拭いてあげることにした。そのとき、ふと彼の背中に、古い傷跡があるのを見つけてしまった。夢乃は、その場で固まった。震える指先でそっと触れると、目尻からじわりと涙がにじみ出る。記憶が一気に蘇る。まだ子どもだった頃、うっかり罠穴に落ちたことがあった。あの日、どしゃ降りの中、自分を助けに飛び込んできて、鉄筋に肩を貫かれた人がいた。――あれは、礼だったのだ。けれど目を覚ましたとき、ベッドのそばにいたのは風雅だけ。大人たちは、礼は母親と一緒に海市の夏目家に戻った、としか説明してくれなかった。そのあとも、風雅の身体には、それらしい傷一つ見当たらない。だから夢乃は、あの雨の中の光景は、自分が混乱して見た夢か何かだと思い込んでいた。いま、礼の背中の傷跡を指先でなぞりながら、視界は涙でにじんでいく。……その後、どうしても自分が付き添うと言い張る祖父に病室を任せ、夢乃は一度家に戻り、礼の着替えを用意することにした。荷物を整理しているとき、う
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第22話

夢乃の細やかな看病のおかげで、礼は思ったより早く退院できた。家に戻ったその日。礼は、主寝室に運び込まれた服や洗面道具の山を見て、思わず目を瞬かせた。そこに並んでいたのは、すべて彼の私物だった。一瞬、現実感がふっと遠のく。そして、夢乃があの日記とアルバムを、そっと彼の前に差し出した。そのときようやく礼は気づいた。何年も胸の奥に隠し続けてきた想いが、とうとう彼女に届いたのだと。……三か月後。礼は正式に佐藤グループへ復帰した。だが、佐藤家の後継としてトップに立つ道は選ばなかった。祖父にきちんと頭を下げ、「自分の人生を、自分の足で切り開きたい」と告げたのだ。祖父は名残惜しそうにしながらも、死線をくぐり抜けた孫の決意を前に、最後にはその背中をそっと押してやることにした。一方で夢乃も、母が残した研究成果と、自分が積み上げてきた最新の研究データを、すべて国に譲渡した。母が残してくれたものが、これから先、もっと多くの人たちの「大切な記憶」を守り、取り戻す力になりますように――彼女はそう願いながら、静かに手放した。……母の記憶カプセルを見納めるため、最後にもう一度だけ研究室を訪れた日。装置の前に立ち尽くす夢乃の前で、礼が、ふいにきちんと片膝をついた。「夢乃。長いあいだ、馬鹿みたいにお前だけを想い続けてきた礼のところに――お嫁に来てくれませんか?今度こそ、本当の妻になってほしい」まっすぐで真剣なその眼差しを見て、夢乃は涙をにじませながら、こくりと頷いた。……翌日。礼は、ピンク色の芍薬の花束を抱え、市役所の入口で夢乃を待っていた。朝日が昇るにつれ、二人は一緒に中へ入り、そしてまた、一緒に外へ出てきた。そのときにはもう、婚姻届の「夫」欄には、礼の名前が端整に記されていた。朱色の公印が押されたその紙を見つめながら、礼は幸せそうに笑い、夢乃をぎゅっと抱き寄せ、耳元でささやく。「ねえ夢乃、芍薬の花言葉、知ってる?」「もちろん。誠実で、変わらない愛でしょ。だからさ、これからはちゃんと奥さんって呼んでよ。完全無欠、礼だけの妻。これから先の人生、最後まで一緒に歩くパートナーだからね」木漏れ日が、風に揺れる葉の隙間からこぼれ、礼の瞳にきらきらと差し込む。彼は涙を浮か
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