All Chapters of 風に散る霧、過ぎし日の痕: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

その知らせが夢乃の耳に届いたとき、礼はそっと彼女の手を強く握りしめた。「様子を見に行きたいなら、今日の式はいったん止めてもいい」彼はやわらかな声で、彼女に選択肢を差し出す。けれど夢乃は、ふっと笑って首を振った。「いいわよ。だって、私の結婚式は、新郎が欠席したわけじゃないもの」そう言って送り出され、礼がステージへ向かい、彼女を迎える準備をしに行ったとき。夢乃の胸の中は、ほんの一瞬、暗い影に覆われた。スポットライトの下で、親族や友人たちの祝福を浴びながら、白いドレスをまとった自分が、ゆっくりと愛する人のもとへ歩いていく。そんな夢を、彼女は何年も何年も見続けてきた。そして今日、その光景は、ほとんど当時思い描いていたとおりに目の前にある。ただ一つだけ違うのは――ステージの上で花束を抱え、自分を待っているその人が、かつて心の中で思い描いていた「その人」ではない、ということだけだ。両親の深い愛情を見て育ち、自分自身も骨の髄まで焼きつくような恋を経験した。けれど最後に残ったのは、悪意に囲い込まれた「感情の罠」だったのだと、思い知らされただけだった。自分を笑うように小さく息を漏らしたちょうどそのとき、宴会場の大扉が開く。ライトが彼女の顔に落ちた瞬間、夢乃は口元にきちんとした笑みを浮かべ、ゆっくりとステージへと歩み出した。目の前にあるのは、風雅とまったく同じ顔。それなのに胸の奥には、もう何の期待も湧き上がってこない。……だが、冷え切ったその手を礼が受け取った、その一瞬。彼は彼女の手のひらに、素早く小さなカイロを滑り込ませた。「ドレス一枚じゃ寒いだろ。お前は冷え性だからな。これを握ってた方がだいぶマシになるだろ」夢乃は、きょとんと目を瞬かせる。一瞬、現実感がふっと薄れた。自分の記憶の中で礼と深く関わったことは、決して多くない。幼い頃は、三人で一緒に育った。けれどそのあと、父の浮気で母親が傷つき、離婚に至った。子どもの親権は一人ずつに分けられ、礼は母親と一緒に「海市」の夏目家へ戻った。それからずっと、母方の祖父母のもとで暮らしていた。何年も経ち、父が病で亡くなったあと。祖父がその機会に彼を佐藤家へ呼び戻した――そこまで思い返したところで、会場に音楽が流れ始める。司会
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第12話

このあと、来賓への挨拶と乾杯の時間になった。礼は、さらに夢乃を自分の背中側にかばい、彼女には酒を一滴たりとも口にさせなかった。佐藤家の祖父が二人の前にやって来たとき、その笑みをたたえた目には、うっすら涙の光が宿っていた。嬉しそうに二人を見つめ、言いたいことは山ほどありそうなのに、最後にはただそっと二人の手を取り、軽く叩くだけにとどめた。そして、あたたかな声で二人に言い聞かせる。「これからはもう立派な大人だ。自分たちの幸せを大事にしろ。そして、佐藤グループをしっかり頼んだぞ」その目一杯の喜びの奥に、やはりどこか寂しさが滲んでいる。「ありがとうございます、おじいさん」礼はそう静かに一言だけ返すと、夢乃の手を引いて控室へ向かった。ドアが閉まった瞬間、外の喧騒は嘘のように遮断される。ようやく夢乃の心も、少しずつ凪いでいった。「お腹、空いただろ」顔を上げると、礼が微笑みながら、小さなワンタンスープが入った器をそっと目の前に置くところだった。「ホテルの厨房に頼んで作ってもらったんだ。アスパラの餡が入ってる。ちょっとでもお腹に入れておきな」夢乃は、一瞬ぽかんとしてから、首をかしげる。「……どうして、私の好みを知ってるの?」「これから旦那になる男だぞ?そのくらい、前もって予習しておかないとダメだろ?」そう言って、片眉を上げて軽口を叩く。さっきまで彼に向き合うと胸が固くなっていた夢乃も、そのひと言で思わず吹き出してしまった。「少し休んでろ。外のことは、全部俺がやっておくから」そう言うと、彼は自分のジャケットを脱ぎ、そっと彼女の肩に掛ける。どこか懐かしいような気遣い。過不足のない、自然な優しさ。そのひとつひとつが、夢乃に、まるで目の前のこの人こそが、自分と一緒に育ってきた相手なのだと錯覚させる。けれど現実には、二人の間には、利害が一致した「取引」しか存在しないはずだ。それでも、不思議なくらい――彼のそばにいると、心が落ち着いてしまう。……控室を出たばかりの礼の目には、笑みの奥に、ほんのかすかな沈んだ色が浮かんでいた。窓越しに中をのぞきながら、彼は夢乃の横顔を見つめる。その視線には、濃くてどうしようもないほどの愛情があふれていた。この日が来るなんて、昔の彼には想像すらで
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第13話

一方そのころ。病室のベッドでようやく目を覚ました風雅は、エンタメニュースのトップで全てのネットで生配信されている、礼と夢乃の結婚式を食い入るように見ていた。スポットライトの中で、二人は深く抱き合っている。ネット中が驚きと祝福のコメントで埋め尽くされていた。その一場面一場面が、スクリーン越しに突き刺さるたび、風雅の指先は、白くなるほどシーツを強く握りしめた。血がにじんだ瞬間、彼は病室中のものを滅茶苦茶に叩きつけた。ドンッ――!轟くような音に、ちょうど病室へ入ってきた茜は、びくりと肩を震わせた。彼女は慌ててベッドへ駆け寄り、風雅の傷の具合を必死に確かめる。目に涙をため、かすれた声でささやいた。「風雅兄さん、そんなことしないで……私、怖いよ……」茜は、少しくらいは彼の心も揺れるだろうと思っていた。だが、彼女の華奢な頬を涙がぽろぽろと伝い落ちても、風雅には、何の反応もない。彼女は涙をこらえるように歯を食いしばり、モニターに映る夢乃の顔を睨みつけた。昨日、自分が笑いものになった婚約パーティーを思い出し、胸の中で憎しみが一気に膨れ上がる。それから彼女は、そっと風雅の手を握り、優しげな声音を作って言った。「風雅兄さん、きっと全部、夢乃と礼が仕組んだことだよ。まだ先は長いんだし、あの二人なんていずれ徹底的に潰してやればいいの。どう取り繕ったって、本物の風雅はあなたよ。佐藤家の長孫で、正真正銘の後継者は、あなたなんだから!私は、ずっとあなたのそばに――」言い終わらないうちに、風雅の指が、冷たく彼女の喉元をつかんでいた。「俺のそばに?君ごときが、何様のつもりだ。君なんかがいなけりゃ、夢乃は俺のことを忘れたりしなかった。礼が、俺の身分を奪う隙だって、絶対になかった!」怒鳴り声は、獣の咆哮のようだった。首を締めつける痛みと、見たことのない風雅の顔。それらが重なって、茜の顔から血の気が引いていく。涙をぼろぼろこぼしながら、彼の腕を必死に叩き、しゃくり上げるように訴えた。「風雅兄さん、お願い、落ち着いて……いまあなたの奥さんは私だよ、茜なんだよ!」その言葉を聞いた瞬間、風雅は、ふっと冷えた笑いを漏らした。「俺の妻?いいか、俺、風雅の婚姻届に載ってる女は一人だけだ。
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第14話

深夜の東都の街を、時速百六十キロでぶっ飛ばしていたが、それでも風雅の胸のざわつきは少しも収まらなかった。夢乃の、自分への無視と冷たい態度。そして礼に向けられる、あからさまな庇い方とひいき。そのすべてが、鋭い刃物になって胸に突き立ち、何度も何度も抉っていく。運転しながらも、彼の頭の中には同じ考えがぐるぐると渦巻いていた。――夢乃の「本当の記憶」さえ呼び起こせれば。自分がちゃんと償って、心から謝れば、きっと許してくれるはずだ。そう信じていた。だが、車が別荘に着き、ドアを乱暴に開けて中へ飛び込んだ瞬間。広いリビングに残されていたのは、底冷えするほどの静けさだけだった。玄関に飾ってあったはずの二人のツーショット写真は、跡形もなく消えていた。家の中から、二人で過ごした痕跡は、ほとんど消え失せていた。得体の知れない不安が、一気に背筋を駆け上がる。風雅は、胸をどくどく鳴らせながら階段を駆け上がり、震える手で夢乃の部屋のドアを押し開けた。そして、ほんの一瞬で、まつ毛を大きく震わせる。何も置かれていないドレッサー。服のほとんど抜かれたクローゼット。人のぬくもりの欠片も残っていない、ぺたんこになったベッド。それら全部が、「もう彼女はここにはいない」と無言で告げていた。風雅は狂ったように階段を駆け下り、そばにいた使用人の一人をつかみ上げるようにして怒鳴った。「夢乃はどこだ!なんで部屋が空っぽになってる!どうして誰も俺に報告しない?答えろよッ!」怒りに我を忘れた形相に、使用人たちは一斉にひざをつく。しばらくの沈黙のあと、ようやく一人が震える声を絞り出した。「三浦……お嬢様は、風雅様との結婚式のあと、佐藤家の本邸を出られて……お二人の新居に、お引っ越しされました……」その言葉を聞いた瞬間、風雅は、ふらりと数歩よろめいた。胸の中で、コントロールを失った感覚が、容赦なく彼を踏み潰す。彼は再び、半ば錯乱したように家を飛び出し、車を走らせて夢乃の新居へ向かった。車を止めたところから、少し離れた庭が見える。そこには、夢乃が笑顔を浮かべ、別荘の庭でラグドールの猫と遊んでいる姿があった。その笑顔は、思い出せないほど久しく、彼女の顔から消えていたものだった。自分が礼の失踪を利用し、
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第15話

理由もなく込み上げてきた恐怖が、一瞬で全身をさらっていく。どうしようもない不安が、心臓をぎりぎりと締め上げた。風雅は、夢乃が「真相」を聞かされたときのことを、何度も何度も想像してきた。彼女は泣き叫び、崩れ落ち、信じられないと震えながら、裏切った理由を、喉が裂けるほど問い詰めてくる――ずっとそう思っていた。けれど、今目の前にあるのは、そんな感情の爆発ではない。ただ、冷たく見下すような視線と、乾いた軽蔑だけ。夢乃の言葉は、彼の心にかぶせていた薄い布切れを、容赦なく引き剥がした。言い訳に使おうとしていた言葉は、その瞬間、色を失って跡形もなく崩れていく。自嘲めいた笑いが、かすかに漏れた。充血した目から、ぽたりと涙が落ちる。彼女の冷えた態度も、突き刺さる一つひとつの言葉も。何度も何度も、彼を少しずつ切り刻んでいく。喉まで出かかった弁解は、そこで完全に行き場をなくした。背を向けて歩き去る夢乃の姿を見つめながら、風雅の胸には、大きな穴が開いたような感覚だけが残った。生々しく血が流れ出し、痛みで全身が震えた。……疲れ切った体を引きずるようにして家へ戻っても、彼を迎えたのは、真っ暗な部屋で、がらんとした静けさだけだった。彼は夢乃の部屋へ向かい、その中に自分を閉じ込めた。そうしていれば、まだ彼女がここにいると錯覚できる気がした。二人で寄り添って眠っていたベッドに、身を投げ出す。この家の中に、彼女の気配がわずかに残っているような気がして、深く息を吸い込んだ。過ぎ去った日々の光景を思い浮かべているうちに、彼はひざから崩れ落ち、その場で座り込みながら両手で顔を覆った。指の隙間から、涙が次々とあふれ出す。料理を作れとわがままを言ったり、少しずつ一緒に家のものを買い揃えたり、視線の先がいつも自分だけだった女。その全部を、彼は自分の手で、みすみす手放してしまった。――どうして、こんなことになった?頭の中で、いろんな場面が乱暴に巻き戻される。風雅は、真っ赤な目をしたままスマホを取り出し、自分の専属秘書に電話をかけた。「全部調べろ。最初から最後まで、一から十までだ。根こそぎ洗い出せ!いったい何が起きたのか、全部だ!どうしてあんな短期間で、礼がじいさんの信頼を取り戻して、夢乃に
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第16話

それら写真と資料の束は、すべて夢乃が密かに調査させた結果だった。健太の「初恋」と呼ばれてきた女は、もともと卑しい身の上の出だった。三浦家の親族から徹底的に嫌われ、金を受け取って関係を清算させられた。健太はずっと、茜の母が「彼と家族の関係を決裂させたくなくて、泣く泣く身を引いた」のだと信じていた。しかし実際には――彼が忘れられない思い出だと美化してきたその年月のあいだ、彼の「初恋」は、とっくに金を握りしめて海外へ渡り、各国の大物たちに取り入っては、男を渡り歩いて遊び回っていた。最後は、男たちを騙して金を巻き上げていたことが露見し、こっそり茜を連れて、追われるように帰国。再び健太と「運命の再会」を果たしたのも、すべて彼女の計算の上だった。写真と書類に目を通した健太は、その場で固まった。顔色は墨を流したように真っ黒になる。茜の母を見るまなざしも、それまでのいたわりから、憎しみと疑念に満ちた冷たいものへと変わっていく。三浦家の空気は、一気に炸裂した。だが、夢乃はこの茶番にこれ以上つき合うつもりはなかった。礼の手を引き、そのまま大股で三浦家を後にする。その夜のうちに、茜と母親は、健太によって家から追い出された。健太自身も、長年騙されていた事実に激昂し、血を吐いて倒れたという。……茜は、ぼろぼろになった母を支えながら、みすぼらしい格好のまま街角にしゃがみ込んでいた。空腹と寒さが同時に襲いかかる中、彼女の胸の奥で燃え上がる夢乃への憎しみは、限界を超えていた。ポケットのスマホの画面がふっと明るくなった瞬間、そこには、風雅と自分が寄り添って笑っている写真が映し出された。つい昨日のことのように鮮やかな幸福。だが今は、すでに見知らぬ赤の他人。一筋の涙が頬を伝い落ちる。茜は唇を噛み、屈辱を飲み込むようにして母を連れてタクシーを拾った。向かった先は、佐藤家の本邸だった。――自分はまだ、彼と「婚約中の妻」である。お腹の中には、佐藤家の「跡継ぎ」がいる。風雅に、自分への気持ちが一片も残っていないなんて、信じない。自分の子どもを、完全に切り捨てるはずがない――タクシーが高速で走るあいだ、彼のこれまでの優しさや甘やかしが、少しずつ脳裏に浮かんでくる。それにすがるようにして、茜の胸に
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第17話

茜は恐怖で涙をぼろぼろこぼしながら、必死に風雅の腕を叩き、弁解しようとした。「風雅兄さん……何言ってるの?全然意味が分かんないよ!」「分からない、ね?」風雅は鼻で笑い、茜を見下ろした。その目元はさらに冷たく、硬くなる。「じゃあ、一つひとつ思い出させてやるよ。死ぬときに思い残しがないようにな」そう言うと、彼は彼女を力任せに振り払った。そして、秘書に調べさせた茜に関する資料と、夢乃を陥れるために彼女が仕組んだ証拠の数々を容赦なく彼女に投げつける。鋭く角張った写真の端が、ぱしりと彼女の白い肌を裂き、すぐに血がにじんだ。ようやく呼吸を取り戻した茜は、よろよろと後ずさりし、新鮮な空気をむさぼるように吸い込む。そのあと、風雅の視線を感じながら、彼女は傷ついた頬を押さえ、床に散らばった動画や写真を拾い集めた。ほんの一瞥くれただけで、茜の身体は止めどなく震え始める。指先で床をぎゅっと掻きむしりながらも、彼女はなおその事実を認めようとしなかった。代わりに、目を真っ赤にして風雅のそばへにじり寄り、しゃくり上げながら訴える。「風雅兄さん、聞いて……これは全部、嘘なのよ。誰かに改ざんされたに違いない。絶対に夢乃だ。彼女、記憶が戻ったから、私たちの仲を裂こうとしてでっち上げたの!」茜は悔しさに震えながら泣き続け、最後の言い訳にすがろうとした。だが彼女は知らない。風雅が、とっくに秘書を使って彼女のことを徹底的に洗い出していることを。夢乃に対するありとあらゆるでっち上げも、迫害も、罪をなすりつけたことも――すべて、すでに把握している。そして、彼女が必死に隠そうとしていたほかのあれこれまでも。……いまこの瞬間でさえ言い逃れしようとする茜の姿を見て、風雅はふいに陰鬱な笑みを浮かべた。ゆっくりと歩み寄り、彼は彼女の目尻にたまった涙を、そっと指で拭う。風雅がまだ自分に情けをかけてくれる――茜がそう思いかけたそのとき。彼の指が再び首に食い込み、きつく彼女の喉を拘束した。力はじわじわと強まり、あんなにも儚げだった顔は、痛みに歪み、醜くよじれていく。「まさか……まだ嘘ついてるな、お前は!」奥歯をきしませ、殺気を帯びた赤い目尻で睨みつけながら、風雅は吐き捨てる。「茜。俺のこと、そんなに簡単に騙せると思
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第18話

彼女の、肉がただれて血まみれになった傷一つ一つの上にまで、風雅は部下に命じて、容赦なくもう一度押しつけさせ、引き裂かせた。茜は、あまりの痛みに震え上がった。崩れ落ちるような絶叫が、夜の闇に響き渡った。けれど、その声でさえ、風雅から一片の温情も引き出すことはできない。全身が血だらけになり、今にも息が途切れそうになった頃になってようやく、風雅は彼女を焼けるように熱い香炉の前まで引きずっていった。そして、昼夜の時間の区別もなく、熱い香炉の灰を皮膚に押しつける拷問を続けさせた。骨の髄まで焼き抜くような痛みが、生きたまま茜の皮と肉を貫き、彼女は痛みに耐えきれず、何度も気を失いかけた。涙と血が入り混じって流れ落ちる中、今度は電撃室へと引きずられていき、骨に響き、内臓をえぐるような、最高出力の電撃を何度も浴びせられる。全身が止まることなく痙攣し続けるその中で、茜は、自分の腹の中の子どもが、少しずつ血へと変わっていくような絶望を、はっきりと味わわされた。拷問は何度も何度も繰り返され、彼女の哀号は声が枯れ果てるまで続いた。助けを乞う声も、やがては狂気じみた罵りへと変わっていく。「風雅、あんたなんか、いったい何様のつもり?毎日毎日、私の身体に溺れてたくせに。今さら夢乃を愛してるだなんて、可笑しくて笑えるんだけど?自分で一途だとか言わないでよ。あれもこれも全部欲しがる、ただのペテン師のくせに!」そう吐き捨てると、涙をこぼしながら、彼女はさらに大きな声で笑い出し、風雅を見上げて、なおも嘲る。「忘れないでよ。最初からこの身分のすり替えを決めたのは、あなただからね。夢乃の記憶を消して、ぐちゃぐちゃにしたのもあなた。自分の愛した人を失う痛みを、目をそらさせもせず味わわせたのもあなた。挙げ句の果てに、その目の前で、私といちゃついて見せたんだから。家の掟だって言って鞭打ったのも、香炉の灰で焼いたのも、電撃室で拷問したのも――一つだって、あんた抜きで行われたことなんてないでしょ!風雅。夢乃は、たとえ記憶を取り戻しても、一生あんたを許さない。もう二度と、あんたなんか愛さない!」茜は涙を浮かべたまま、狂ったように笑い続けた。だが、それを最後まで聞いた風雅の瞳には、背筋が冷たくなるような陰鬱な光が満ちてい
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第19話

翌朝。夢乃が目を覚ますと、ダイニングテーブルの上には、彼女の大好物がきれいに並んでいた。こんな朝が、もう半月以上も続いている。時々、本当に礼と結婚したんじゃないかと錯覚してしまうくらいだ。礼と風雅は、同じ顔をしているのに、本当に中身がまるで違う。礼には、風雅みたいな傲慢さも、世界を全部手に入れたような尊大さもない。礼は細やかで、優しくて、控えめ。家の中で使用人にあれこれ命じることも、ほとんどなかった。仕事が忙しくない日は、三食ほとんど全部、自分で台所に立って作ってくれる。「気に入った?今日はお前の分の朝ごはん、俺が用意してみたんだ」ふいに耳のすぐ後ろで柔らかな声がして、ぼんやりしていた夢乃の耳が、思わずぽっと熱くなる。夢乃はこくりとうなずき、笑顔で答えた。「おいしい。知らない人が見たら、本気で料理学校に通ってたのかと思うよ」「ああ、誰かさんがまったく料理できないからさ。しょうがなく、ちょっとだけ勉強しに行ったんだよ」その一言に、粥をすくっていた彼女の手がぴたりと止まる。顔を上げて問い返そうとしたそのとき、彼女のスマホにニュースアプリのトップ記事が、ポップアップのように表示された。画面に映ったのは、茜の自分語りの生配信だった。「皆さんこんにちは、三浦茜です。佐藤グループ研究開発部門の佐藤礼の婚約者です。今日は、その婚約者である彼の、卑劣な行為を暴露しようと思います。彼は、佐藤家の後継者は最初からずっと本家の長男にしか渡らない、と知っていました。だから私に協力させて、飛行機事故を仕組んだんです。それからその機に乗じて、私に兄の風雅さんを誘惑させました。一年後、自分は戻ってきて、身分をすり替え、兄になりすましたんです。兄の立場も、兄の女も、全部奪うために!さらに三浦夢乃さんの記憶を消し、自分たち二人を見分けられないようにしました。もともと佐藤風雅さんは、弟の礼が何をしでかしたのか、確かめようとしただけなのに、逆に罠にはめられてしまったんです。どうか信じてください。いま佐藤グループを仕切っているのは、偽物なんです……」たちまち、この生配信での暴露動画はネット中で再生数が跳ね上がった。異常なスピードで話題になっていき、誰かが裏で手を回しているのは明らかだった
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第20話

砕けた陽の光が、薄暗い空間の中にまだらに差し込んでいた。その光が照らし出したのは、少し離れたところにいる、やつれ果てた風雅の姿だった。たった数日で、彼は一回りも二回りも痩せたように見える。頬はすっかりこけ、目は充血して真っ赤になっている。夢乃が目を覚ましたのを見ると、風雅は震える声で問いかけた。「夢乃……お前、もしかして……全部、思い出したのか?」探りを入れるような言い方だった。「いつのことを聞いてるの?最初、何の防備もなく、あなたに記憶をぐちゃぐちゃに消されたときのこと?それとも、茜と手を組んで、無理やり電撃で記憶を消そうとしたとき?」その言葉に、風雅はその場で凍りついた。「じゃあ、お前……そのあとずっと……」「そのとおりよ、風雅。がっかりした?自分が猿みたいに弄ばれてたって知った気分は、どう?」夢乃は顔を上げ、まっすぐ彼を見た。その瞳には、もはや一片の迷いもなかった。鋭い言葉は、鋭利な刃物のように、容赦なく風雅の胸に突き刺さる。心臓を握りつぶされるような痛みに、彼の心が震えた。覚悟はしていたはずなのに、その事実をはっきり突きつけられた瞬間、頭の中は真っ白になった。目を真っ赤にしたまま、風雅はふらふらと歩み寄り、問いかけた。「いつから、知ってたんだ……?」「それって、そんなに大事なこと?全部、自分で選んだことでしょ。だったら、その選択の代償は、自分で払うべきじゃない?」「違う――!違うんだ、俺はお前を愛してる。ただ茜っていうあのクズ女に騙されて……」風雅は飛びつくように近づき、夢乃の手をつかんだ。喉が詰まり、声にならない嗚咽をこらえながら、必死に言葉を絞り出す。「夢乃、信じてくれ。俺が愛してるのは、ずっとずっとお前だけなんだ。分かってる。これまでしてきたことは全部俺が悪かった。でも、この間のお前のわがままも騒ぎも全部気にしない。この期間に、お前と礼の間に何があったって、それもどうだっていい。ただ、お前が俺のところに戻ってきてくれればいい。もう一度やり直そう。な?頼むよ」まるで、とんでもない冗談を聞かされたみたいに、夢乃は一瞬きょとんとしたあと、ゆっくり立ち上がり、彼の手を振り払った。そして、冷ややかに笑う。「愛してる?それ
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