夏の匂いがした。 気がつくと独りで、糸の切れた人形のように教室の隅に転がっていた。子どもに好き勝手に遊ばれた人形みたいに制服が乱れていた。鼻につく夏の匂いから逃げるように、乱れた制服もそのままに|外套《がいとう》だけをひっかぶって炎天下の外に出た。 どれだけ走っても、どこに隠れても、夏の匂いは、おいかけっこの、かくれんぼの鬼みたいに追いかけてくる。わたくしは“影を失った男”のように太陽から逃げていた。“醜いよだか”のように夜を求めていた。街を歩く人がみんなわたくしを|嗤《わら》っている気がする。わたくしをみている気がする。あわてて女性体に変身しようとしても、なぜだかうまくいかない。はるひに男性体につけられた|汚《けが》れがそれを妨げているようだ。 街を歩く人の目から逃げて、家々の間の忘れられた|小路《こみち》へ隠れて、照りつける太陽の光に怯えて。気がついたら|白い森《ヴァイス・ヴァルト》に追いやられていた。白い木々が、純白の草花が仲間外れはどこかに行けと、黒いわたくしに叫ぶ。草木の|擦《こす》れる音でさえ、わたくしを|嗤《わら》う声のように聞こえた。 自分の脚が草を分けるのを、自分の手が木々の枝をかき分けるのを、他人事のように見ながら走った。そうして全身で|背高草《せいたかそう》を分けたときに、それは現れた。それは|其処《そこ》にあった。記憶のいちばん底に。 打ち捨てられ白い|蔦《つた》に|侵《おか》された小屋だった。それは教室の隅で春の|日《ひ》に犯されたわたくしのようだった。 どこか遠い他人のようにわたくしを見ていた。自分の少し後ろから自分自身をみているような感覚だった。わたくしは叫ぶ白い木々に追いやられて、純白に侵されたその黒い小屋に逃げ込んだ。 どうやらわたくしは、右手を壁に当て、左手をつき出して手探りで不格好に進んでいるようだ。|後《うしろ》からそれを見ていたわたくしの眼には、|奇《く》しくもそれは、糸に吊るされた人形のような格好に映った。 |其処《そこ》には黒く光る真実ではなく、|白い嘘《ホワイ
Última actualización : 2026-03-05 Leer más