入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~ のすべてのチャプター: チャプター 281 - チャプター 290

388 チャプター

第281話

寧々は上体を起こし、首だけで絵里をちらりと見た。何も言わないまま、今度は艶めいた身体をもう一度かがめ、和也の頬へ息を吹きかける。「和也、絵里……あなたが命の恩人じゃないって、気づいちゃったみたい。どうする?」和也は意識が朦朧としていた。だがその言葉だけには、過剰なほど反応した。「ありえない……あいつが……気づくはずがない……十年だぞ。十年も気づかなかったんだ……俺が成りすましてたなんて、わかるはずが……」声は荒くなったが、意識が戻ったのはほんの数秒。すぐ薬に呑まれ、意識はまた沈んでいく。身体は焼けつくように熱く、炉の中で炙られているみたいだった。寧々の指が頬を撫でる。ひやりとした感触が、火照った胸の奥へ沁み込み、和也は堪らなくなる。彼はその手をがしっと掴んだ。「絵里……行くな。俺と…しよう……俺が命の恩人じゃなくても……俺、俺だって……ちゃんとお前に……」絵里は目を見開いた。頭から冷水をぶちまけられたみたいに、全身が一気に冷え切る。彼は、本当に。あの時、助けてくれた人じゃない。じゃあ、助けてくれたのは……いったい誰?我に返った絵里は、すぐさま詰め寄った。「どうして成りすましたの?あなたが救ったんじゃないなら、どうして私を騙したの?」絵里は昂ぶったまま、和也の襟元を掴んで揺さぶる。「私を助けたのは誰?誰なの!」和也は揺さぶられて、さらに眩暈を深くした。夢か現実かも判然としない。苦しげに眉根を寄せ、呻く。「誰……?誰が助けた……?それは……」「絵里、離してあげて。今、どれだけ苦しそうか見えないの?」寧々は、肝心な言葉を聞かれるのを恐れていた。慌てて割って入り、和也の掠れた声を強引にかき消す。絵里の目は真っ赤だった。滅多に見せない怒りが剥き出しになる。「確かめたいの。あの時、私を助けたのが誰なのか!」「もうわかったでしょ。和也は命の恩人じゃない。それで十分じゃない」寧々は立ち上がって絵里の前に立ちはだかり、苛立ちをぶつけた。「それに見なさいよ、今の状態で答えられると思うの?」「どいて」絵里はただ、答えが欲しかった。十年前、自分を救った人の名を。寧々を突き飛ばし、なおも和也へ食らいつく。「言って。助けたのは誰?答えてよ!」「……」絵里の
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第282話

「何するの?」絵里は二、三度もがき、氷みたいな目で寧々を睨みつけた。「何って?」寧々は得意げにくくくと笑うと、落ち着き払って水の入ったグラスを持ってくる。指先には白い錠剤が二つ。「取引は成立した。約束どおり、和也が本当の恩人じゃないってことも教えてあげた」彼女は絵里の目の前で薬を揺らし、口元を歪める。「で、ここからが本番。いい見せ場の始まりよ」「……騙したのね」絵里の声は冷えきっていた。寧々はさらに大きく笑う。「騙したから何?あなたがムカつくのが悪いんじゃない」そして、にたりと笑って言い切った。「和也への未練も、きれいさっぱり断ち切ってあげる。ついでに、あなたには生き地獄を味わわせてやる」寧々は絵里の頬を乱暴に掴み、目を冷たく細めた。「安心して。これを飲めばね、この二人がたっぷり可愛がってくれるから。気持ちよすぎて、頭がおかしくなるわよ。ほら、楽しみでしょ?あはははは……!」寧々が笑うと、背後の男二人も笑った。ねっとりとした、吐き気を催すような笑い声。二人の視線は、絵里の身体をねっとりと舐め回している。やがて寧々はひとしきり笑い終えると、錠剤を絵里の口へねじ込もうと手を伸ばした。その瞬間!絵里は怯えひとつ見せず、ふっと嘲るように笑った。「……何笑ってんの?」寧々の手が止まる。眼差しが冷たく尖った。「笑ってるのは、あなたが救いようもないってこと」絵里の瞳が沈み、鋭い寒気が走る。次の瞬間、ドアがバンッ!と開いた。黒い影がいくつも雪崩れ込み、寧々が状況を把握する間もなく、男二人は床に押さえつけられた。抵抗する暇すらなく、みじめに転がされる。「……は?」寧々の顔色が変わる。「はめたわね!絵里!」絵里は寧々の手から錠剤を奪い取り、部下に顎で命じた。「押さえて」腕を掴まれた寧々が暴れた瞬間、絵里は躊躇なく錠剤を口に突っ込み、水を流し込む。「んっ……!や、やめ……」寧々はむせ返り、喉を鳴らして必死に拒む。「やだ!お願い、やめて!」だが、止める権利など最初からない。絵里は無表情のまま飲ませ切ると、ベッドの上へ視線を向けた。薬で縛られたように動けず、全身を赤くして息を荒らす和也がいる。ここから何かを聞き出すのは不可能だ。「和也
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第283話

絵里は案の定、足を止めた。くるりと振り返り、まぶたを持ち上げて鋭く一瞥する。「誰?」寧々は勝手に身体が震えだし、体内で爆ぜかける薬の効きを必死に押さえつける。「そ、その人……わ、私、知らない……ただ、あの時……十年前、あなたを助けた人がペンダントを落として、それを和也が拾ったってことだけ」絵里は胡散臭そうに眉を寄せた。「それで?」寧々の顔色はみるみる苦悶に染まり、薬に苛まれて息も絶え絶えになる。「その後は……あ、あなたも……知ってる、でしょ……知ってることは全部言った……だから、放して……放してよ……」和也と何かしたい気持ちがあったのは事実だ。けれど、絵里に仕組まれた形で落ちれば、自分は終わる。絵里がいきなり寧々の襟首を掴み上げた。「私をバカだと思ってるの?」「ほ、本当だって……嘘じゃない……!」寧々は絵里の服を掴み返す。血の気の失せた顔は、恐怖と苦痛で歪んでいた。「……わかった」絵里の無感情な顔は、欠片も変わらない。寧々を突き放す。「じゃあ、あとは、存分に味わえばいい」そう言い捨てて、今度こそ踵を返した。背中はまっすぐで、容赦のない冷たさを纏ったまま。寧々が口を割らなくても、調べればいい。この十年、絵里は和也を疑ったことがなかった。だからこそ、今まで騙され続けた。でも、もう二度と。十年前、自分を助けたのは誰なのか。澄んだ声を持つ、恩人の少年は、いったい誰だったのか。「や、やめて!この、ビッチ……ビッチ!」寧々は喉が裂けるほど罵った。だが絵里は一切振り向かず、視界からきっぱり消えていった。やがて寧々はベッドへ放り投げられる。薬で縛られていたはずの和也は、さっきまでぐったりしていたのに、まるで水を得た魚のように、一気に生気を取り戻していた。がばっと覆いかぶさり、寧々を下に押し潰す。「ぁ……」寧々の理性は、かろうじて残っていた。「和也……や、やめて……」抵抗しようとしても、身体に力が入らない。和也は首筋に顔を埋め、キスというより貪るように噛みついた。飢えた狼みたいに、獲物を引き裂く。噛むほどに勢いは増し、反応はどんどん激しくなる。突然、信じられないほどの怪力で、寧々の服はあっという間に裂かれ、押さえ込まれたまま好き放
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第284話

だから絵里は、レストランにいるうちにすでにこっそり飲んでいたのだ。裕也が大金を積んで手に入れた解毒剤。どんな媚薬の作用も、きれいさっぱり遮断できる代物。案の定だった。寧々は絵里の「和也への未練」を断ち切らせるだけじゃない。手を組んで、和也の嘘を思い知らせようとした。それだけならまだしも、人まで呼んで、彼女の名誉を潰すつもりだった。今夜の件は、絵里が相手の手の内を逆手に取って、自分の身を守った。それだけだ。寧々については、自業自得。勝手に自滅しただけで、絵里の知ったことじゃない。「じゃあさ。ご褒美は?」裕也が顔を寄せ、額をそっと重ねてくる。「形のあるやつがいい。忘れるなよ。俺だって一枚噛んでる」確かに、出してもらった。あの薬は、裕也じゃなきゃ手に入らない。絵里は唇を寄せ、薄い唇に軽くキスを落とす。「これでいい?」「全然足りない」裕也は腰を折ると、彼女を横抱きにした。そのまま熱を孕んだキスで塞ぎ、息が詰まりそうなほど深く奪う。「絵里が欲しい」そう囁いて、また唇を重ねる。キスしたまま、エレベーターへ。健「?」俺のこと、人間扱いしないの?嫉妬くらいするんだけど?……ホテルまでの車は、だいたい一時間。絵里は裕也の膝の上に抱かれたまま、腰をしっかり押さえられ、身体ごと引き寄せられて、キスは途切れない。乱暴なくらい、剥き出しで、歯止めがない。車内の温度が、じわじわ上がっていく。空気が艶めいて、息をするのも苦しい。絵里の唇は、赤く腫れていた。「ねえ……頭の中、エッチなことばっかじゃない!」絵里はやっとのことで押し返し、拗ねたように睨む。胸が大きく上下して、息が荒い。裕也の手は、ずっと腰を離さない。背から上へ滑り、うなじを捉えて、力強く、でも痛くない程度に頭を引き寄せると、またキスで黙らせた。「今さらか?絵里が可愛すぎて、ずっと我慢してた」低い声。熱い息が絡み合う。絵里も、負けじと応える。けれど目だけは開いたまま、キスの合間に彼の整った横顔を見てしまう。ふいに、胸の奥にひとつの思いがよぎった。もし、あの時助けてくれたのが裕也だったら、どれだけよかっただろう。そしたら、和也を五年も好きにならなかった?今日まで回り道をして、ようやく裕也と夫婦
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第285話

彼が含みのある言い方をしたせいで、絵里の情けない顔にぱっと朱が差した。彼女は布団を引き上げて口元まで隠し、眠たげな目で瞬きもせずに裕也を見つめる。「疲れるって分かってるなら、どうして自制できないのよ」昨夜は、まさかの5回。もう三十手前なのに、どうしてそんな体力があるのか。しかも、その前の晩だって何回かしていたはずで……この人、どうして……こんなに?「俺は十年も我慢してきた。今はその分、ちょっと取り返してるだけだよ」裕也は愛おしげに目を細め、絵里の鼻先をつまむ。「眠いならもう少し寝てろ。あとでホテルが食事を持ってくる。俺はちょっと出てくる」柔らかく言い終えてから、ようやく身を起こして部屋を出た。絵里は、すらりとした背中がスイートの外へ消えるまで見送り、口元が勝手にゆるむ。……かっこいい。こんな夫が隣にいるだけで、食卓は豊かになるし、見ているだけで癒される。そう思うと、数日前にふっと湧いた「身を引こう」なんて考えが……いくらなんでも、短絡的すぎた。疲れてはいる。けれど、もう眠れなかった。幸い、午後の撮影チームの読み合わせは出ても出なくてもいい。身支度を終えると、案の定ルームサービスが食事を運んできた。滋養たっぷり、美容にも良さそうなスープ。絵里は苦笑しながら写真を撮り、裕也に送る。【狙いが分かりやすすぎる】【でも、好き】送って数秒で、裕也の返信が返ってきた。【絵里を大事にするのは、俺の務めだ】【妻を大切にできない男に、幸せになる資格はない】……胸が温かくなる。絵里はふざけたスタンプを返した。頬が緩んでいることに、自分では気づいていなかった。スープを飲み終えて少し経ったころ。ようやく一本、電話が入った。「奥様、映像が手に入りました。送ってよろしいですか」護衛が確認してくる。昨夜、絵里は帰り際に指示していた。寧々を「満足させて」と。動画を撮るのが好きなんでしょう?なら、望みどおりにしてあげる。「送って」絵里は立ち上がり、リビングの大きな窓へ歩いていく。高層ビル群の景色を眺めながら問うた。「……あの人たちは?」護衛の向こうが、数秒沈黙する。「和也は目を覚まして……受け入れられず、飛び出しました。それと……和也はずっと自分の
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第286話

裕也だ……!あのとき、彼も現場にいた。もしかしたら、何か知っているのかもしれない。けれど、ふと思う。もし裕也が、和也が命の恩人じゃないと知っていたなら、どうして今まで一度も口にしなかった?絵里はその考えを、すっと胸の奥にしまった。助け上げられたとき、そばにいたのは和也だけだった。あのあと、自分はそのまま病院へ運ばれている。仮に本当に裕也が助けたのなら、あとから見舞いに来たとき、何も言わないなんて不自然すぎる。……やめよう。絵里は意識を和也と寿樹へ戻す。まずは調査結果を待てばいい。午後、覚から心配する電話が入った。台本の読み合わせに来なかったことを気にしていて、何かあったのかと。それから、明日はいよいよ初日の撮影で、第一シーンから入るから来てほしい、とも。「大丈夫です」絵里はそう返し、そのまま了承した。覚は丁寧に言う。「それならよかった。じゃあ、休んでるところに悪いし、これ以上は」「監督こそ、ご丁寧に」絵里は薄く笑った。内心は、よく分かっている。覚の態度は作品の話題性だけじゃない。もっと大きく言えば、裕也の存在が影響している。別に気にしない。後ろ盾がある、守ってくれる人がいる。別に恥ずかしいことでもない。それに、彼女は結果で黙らせられる。ほどなくして、また着信。見慣れた、でも登録していない番号。和也以外、あり得ない。絵里は無表情のままマナーモードにして、スマホを脇へ置いた。ノートパソコンを開き、ドキュメントを表示し、淡々と脚本のチェックを続ける。画面なんて、二度と見ない。一度だけじゃ終わらない。立て続けに鳴る着信。焦りと怒りが、音に滲んでいる。やがて諦めたのか、電話は止んだ。その直後……ドン!ドン!ドン!扉が叩かれる、鈍く大きな音。絵里はびくりと肩を震わせた。眉を寄せる。外にいるのは、和也だ。叩くばかりで、最初は何も言わない。だが、すぐに堪えきれなくなったらしい。怒号が扉越しに響く。「絵里!中にいるのは分かってる、出てこい!恨むのは勝手だが、こんな卑怯な手を使うな!絵里、お前……俺を殺す気か!」……怒りに任せた声を聞きながら、絵里の瞳に嘲りが浮かぶ。殺す?薬を仕込むよう仕向けたのは、誰?無理
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第287話

絵里は鼻で笑った。「そんなことしたがってたの、あなたでしょ?私はただ、やられた分をやり返して、望みどおりにしてあげただけ。いまさら被害者ぶって何が不満なの?あなたにここで暴れる資格なんてないわ」和也には、昨夜、そのあと何が起きたのか、記憶がまるでない。寧々に言われたのだ。絵里が二人に薬を盛ったのだと。だからこそ、取り返しのつかないことをしてしまった。自分が、義理の妹と。あんな、あり得ないほどの愚行を。すべて、絵里のせいだ。「俺は……お前が好きすぎて、復縁したかっただけだ!それのどこが悪い!」和也は顔を真っ赤にし、額の血管を浮かせて怒鳴る。「たとえお前が嫌だとしても、あんな外道みたいな真似、するべきじゃなかっただろ!俺はこれから、寧々にどう顔向けすればいいんだ!絵里、お前は恩を仇で返す最低の……」義憤に駆られたような顔。その滑稽さに、絵里の瞳の嘲りは濃くなるばかりだった。言わなければまだよかった。口を開いたせいで、絵里の堪忍袋の緒が切れた。「私を愛してるって言いながら、人間以下のことをする。それが、『愛』?」絵里は奥歯を噛み、冷えた瞳を刃のように尖らせる。「じゃあ聞くわ。十年間、私の命の恩人を名乗って騙してた。その落とし前、どうつけるつもり?」和也は息を呑み、目が大きく開いた。なぜ、絵里がそれを知っている。考えた瞬間、答えに辿り着く。昨夜、絵里があっさり山へ行くことを了承した理由……策を仕掛けたつもりだったのは、自分のはずだった。だが、最初から罠に嵌っていたのは、自分のほうだったのだ。だが、昨夜のことは何ひとつ覚えていない。水原家の力もまだ必要だ。ここで認めるわけにはいかない。「何を言ってるんだ?俺にはさっぱりわからない!」和也は逆ギレするように叫ぶ。「俺が助けたんじゃなきゃ、誰が助けたって言うんだよ!結局お前は、恩返ししたくないだけだろ!」絵里はこれ以上、言葉を交わす気などなかった。スマホを取り出し、録音を再生する。次の瞬間、昨夜の和也と寧々の会話が、廊下に生々しく響いた。「和也、絵里……あなたが命の恩人じゃないって、気づいちゃったみたい。どうする?」「ありえない……あいつが……気づくはずがない……十年だぞ。十年も気づかなかったんだ……
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第288話

今ほど恐ろしいと思った瞬間は、これまで一度もなかった。命より大切な何かを、今にも失ってしまいそうで。その感覚に呑まれ、和也は狼狽しながら扉を叩きつけた。「絵里、開けろ。話を聞け!五年も愛し合ってきたのに、なんでこんな些細なことで俺にこんな仕打ちをするんだ?どうしてだよ!」……和也は悔しさをぶつけるように、扉を叩き続けて怒鳴った。見かねた警備員がすぐに駆け寄り、制止するや否や、半ば強引に連れていく。和也の叫び声は次第に遠ざかり、やがて、完全に消えた。ようやく、世界が静かになる。絵里は部屋へ戻り、ソファに腰を下ろした。胸の奥は、今までにないほど軽い。揺るがない確かさがある。けれど同時に、怒りも込み上げた。命の恩人を名乗って十年。それを、あの男は軽く「些細なこと」で済ませるのか。もし、和也が恩人だと勘違いしていなければ、彼女はそもそも和也に目を向けることすらなかった。十年。たった一言の「ありがとう」さえ、本当の恩人に伝えられないまま、時間だけが過ぎた。奪われた十年を、いったい何で償うつもりなのか。何があっても、必ず探し出す。本当の人を。……夜、裕也が帰ってきたのは遅かった。絵里は待っているうちに眠気に負け、深く眠ってしまっていた。裕也は寝顔を見て、起こさないようにそっと近づく。背中を向けている絵里を抱き寄せた。間もなく、スマホのLINEがぶるりと震えた。画面を見た裕也の眉が、深く寄る。漆黒の瞳の奥に、冷たい光が跳ねた。翌日、絵里は撮影現場まで、裕也に車で送ってもらった。道中、裕也がふいに柔らかな声を落とす。「昨日、和也が来て絡んだんだろ。なんで俺に言わなかった」絵里は彼の横顔を見て、得意げに笑った。「私だって問題を処理できるようにならないと。いつまでもあなたに頼ってばかりじゃだめでしょ」裕也は、昨日の対処が見事だったことを知っている。目に賞賛の色が浮かんだ。「どんどん強くなるな」絵里は、命の恩人の件を話すのはやめておこうと思った。余計な心配をかけたくない。それに、男は基本的に器が小さい。自分が他の男のことを気にしていると知ったら、面倒なことになるに決まっている。自分で探そう。それでいい。撮影が始まると、綾子はずっと絵里を避けた
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第289話

「……本当?まだディスクが残ってる可能性があるの?」絵里はスマホを握る指先が、わずかに白くなるのを感じた。「当時、観光地で使ってた設備なら、そりゃ記録用のメモリーディスクくらいはある。ただ、それが今も残ってるかどうかは……何とも言えないな」寿樹が続ける。「この数日はこっちも立て込んでて、すぐには調べられないかもしれない。でも、あそこは管理がずっと水原家の管轄だろ」言葉を区切って、軽く笑う気配。「水原家のお嬢様のお前がその気になれば、そんなの一瞬だ」それは、間違っていない。絵里は胸の高鳴りを隠しきれず、「ありがとう」とだけ返した。あの観光地は、かつて水原家と藤原家の共同事業だった。けれど、運営と管理の実権は一貫して水原家が握っている。水原グループが手を伸ばす分野は幅広い。観光開発など、その中では小さな一部にすぎない。通話を切った絵里は、間髪入れずに治夫へ電話をかけた。「じいちゃん、聞きたいことがあるの」「この子は……わしが恋しくなって電話してきたのかと思えば、用事かいな」治夫の声は、渋くて太い。どこか楽しそうでもある。「違うよ。いつだって会いたいもん。じいちゃんが一番で、一番大事なの」絵里は甘えるように言って、治夫がわざとからかっているのもわかっていた。治夫は「ははは」と機嫌よく笑った。その隙を逃さず、絵里は寿樹から聞いた話を踏まえ、観光地の管理と監視設備の保存について尋ねた。十年前の件には触れず、あくまで監視室の記録媒体についてだけ。「あそこは基本、お前の叔父さんが見ておるが……当時の監視技術は今ほどじゃないからな。たしか、メモリーディスクに落として保管してたはずだ」治夫は少し考えてから言った。「細かいことは、聞いてみんとわからん」それでも治夫は不思議そうに付け足す。「お前がこんなことを聞くとはな。どうした、会社に興味でも出たか?」「違う違う、ちょっとしたこと」絵里は即座に誤魔化した。会社を継ぐ気は、今もない。電話を切る前に「体、無理しないでね」と念を押す。村上が頻繁に治夫の様子を報告してくれているし、体調は悪くなさそうだ。けれど、叔父に直接は聞けない。これは、自分で調べたい。十年だ。十年も取り逃がした真実を、もう一度、余計な騒ぎで
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第290話

残念ながら、結局それは渡せないまま終わった。そして、彼女の手に渡った。「裕也。この腕時計、私のとペア……なの?」絵里は胸のざわめきを押し込み、いかにも何気ないふうを装って尋ねた。裕也は彼女の目を見つめる。瞳に浮かぶ笑みは、いつも包み込むように優しい。「和也から離れて、少しは賢くなったみたいだな」口元を軽くつり上げて、言う。「ペアだよ」絵里の胸が、ひくりと震えた。あまりにもあっさり、迷いもなく。でも、そうか、とも思う。前にも彼は言っていた。五年前、渡せなかった一本だと。裕也の視線が、絵里の手首へ落ちる。そこにあるのは某ラグジュアリーブランドのバングルだけ。メタルの艶の中で、埋め込まれた小さなダイヤがきらりと光った。今日の彼女が着ている、素白のロングドレス、控えめな地紋の入ったそれによく映える。清潔で凛としていて、どこか柔らかく、明るい。「腕時計はしないのか?好きじゃない?」そう聞かれて、絵里の視線がわずかに泳いだ。とっさに、適当な理由を口にする。「普段、脚本いじってると邪魔で……腕時計って、ちょっと落ち着かないの」本当は、ただ、元々自分のものじゃないそれを身につけたくなかっただけ。けれど裕也は、彼女の目の揺れに気づかない。伸ばした手で絵里の手を包み込み、指を絡めてぎゅっと握った。甘やかすように、許すように。「じゃあ次は、ブレスレットとか……バングルとか、買ってやる」絵里は、彼のことをいい人だと思う。忍耐強くて、優しくて。何より、格好よくて、責任感もある。夫婦としての夜も、うまくいっている。余計なことは考えるな、と自分に言い聞かせて、絵里は唇だけで笑った。「うん。お願い」でもそれは、自分では見えない、無理をして作った笑みだった。裕也の手のひらが、絵里の手をさらに強く包み込む。親指が手の甲をなぞる仕草は、丁寧で、いとおしむみたいで。まるで、彼女を、狂おしいほど愛しているみたいに。その考えが浮かんだ瞬間、絵里はぞくりとした。私、どうかしてる。裕也が私を愛してるなんて。絵里が連れて行かれたのは、地元の名物料理を出すレストランだった。聞けば、かなりの人気店らしい。予約なしでは当日まず入れない、と。実際に食べてみると美味しい。けれど、
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