絵里は全身から力が抜け、膝が崩れそうになった。だが次の瞬間、逞しい腕にひょいと抱き上げられる。相手は彼女のスマホを取り上げると、すぐそばの曲がり角を回り、風を裂く勢いでその場を離れた。テラスの外にいた裕也は物音に気づき、数歩でテラスへ寄って中を覗いたが、そこには誰の姿もない。次の瞬間。郁江が背後から彼を抱きしめ、顔を彼の背中に押しつけた。「裕也……本当に結婚してようが、形だけだろうが、私はあなたと一緒にいたい。お願い……私を突き放さないで……」つう、と冷たいものが目尻を伝い、裕也のスーツを濡らした。さっきまでの横柄さも強気も消え失せ、そこにあったのは、ただみじめな懇願だけ。絵里は三階の休憩室へ運ばれ、階下の喧騒から完全に切り離された。ぬるめの水を半分ほど飲んで、ようやく氷のようだった体に少し温度が戻ってくる。気持ちもいくらか落ち着いたところで、絵里は眉を上げ、向かいにいる修司を見た。「さっきの、聞こえてたの?」テラスで耳に入ったあれは、彼にも届いていたはずだ。でなければ、あんなタイミングで彼女を抱えて連れ出すはずがない。運び出されるとき、驚きで頭は真っ白だった。それでも曲がり角を回った瞬間、裕也がテラスへ来て中を覗く姿だけははっきり見えた。誰かに聞かれたくなかったのか。それとも、自分に気づいたのか。考えた途端、胸の奥がちくちくと痺れるように痛んで、これ以上は思考が進まない。感情のない結婚なんて、ただの形式だ。要らないなら、捨てればいい。私は水原絵里。水原家の令嬢で、唯一の継承者。祖父母にも両親にも、目に入れても痛くないほどに大切にされてきた。どうして自分が、男のために、何度も何度も惨めにならなきゃいけないの?もう疲れた。要らない。「重要か?」修司は脚を組んだまま絵里を見やり、長い体を背もたれに預ける。鋭さを宿した気配に、どこか投げやりな緩さが混じっていた。絵里はまぶたを伏せる。「……そういうこと、あなたは前から知ってたの?」修司は鼻で笑い、骨ばった指で顎を軽く撫でた。「それが重要か?」二度目だ。まったく同じ言葉。絵里は自嘲気味に口元を歪めた。そうだ。重要なわけがない。それは彼らの過去で、私には関係ない、頭ではわかっている。それでも心
Read more