「星野さん、あなたはもともとお体が強いほうではありません。もしこのお子さんを堕ろしてしまえば、今後、妊娠が難しくなる可能性があります。それでも手術をお受けになりますか」星野しずく(ほしの しずく)は、微塵の迷いも見せずに答えた。「はい。一週間後で、手術の予約をお願いします」通りすがりの妊婦たちは、なんて冷酷な人なのだろうと、ひそひそ声で囁き合った。しずくはただ口の端をわずかに吊り上げ、笑みともつかぬ表情を浮かべて病院を後にした。半年前、夫・椎名尚季(しいな なおき)が見知らぬ女を組み敷いている現場を目撃して以来、しずくは重度の潔癖症を患っていた――彼に少しでも触れられると、吐き気を催すほど気持ちが悪くなるのだ。広々とした新居は、それ以来、冷たい牢獄へと変わった。この半年、尚季は彼女に合わせるため、何をするにも何度も消毒を繰り返さねばならなかった。夜の営みでさえ、幾重にも予防の措置を施し、決められた時間を一秒たりとも超えてはならない。少しでも時間を過ぎれば、しずくは吐き気に全身を震わせ、なりふり構わず彼を部屋から追い出した。それでも尚季は、文句ひとつ口にしなかった。「俺が悪かった。少しずつ、埋め合わせをしていくから……」何事もないように半年が過ぎ、潔癖症の症状も和らいできたのではないかと感じ始めた頃、しずくは尚季と和解しようと考え始めていた。だがその矢先、書斎の外から、声を潜めて愚痴をこぼす尚季の声が聞こえてきた。「お前は経験してないから分からないんだ。果物を渡すのに手袋をつけさせられて、ソファに触れば消毒液で三度も拭かされる。ベッドに入る前だって、三十分もバスルームで体を洗わされる始末だ。俺に触れたら、汚い病気がうつるとでも言いたいみたいに」電話の向こうが何かを言ったのだろう。尚季は、鼻で笑うように冷たく息を吐いた。「確かに、最初は俺が馬鹿な過ちを犯した。でも謝ったし、向こうとはとっくに切れてる。それなのに、いつまでも根に持って、俺を疫病神みたいに扱うんだ。もううんざりだ、本当に。毎日が操り人形みたいで、何をするにも彼女の顔色を窺わなきゃならない。……まだ愛してる。でもその愛も、あいつのあの神経質な様子で、すっかりすり減ってしまいそうだ」世界から、すっと音が消えた。ただ、「もううんざ
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