All Chapters of ブロックした恋が、抱きしめてきたー冬空の告白、秋山真琴の選択ー: Chapter 81 - Chapter 90

105 Chapters

第82話 

翌日15時。 昴は約束通りマンションの前に現れた。冬の陽光を弾く漆黒のリムジンのドアが静かに開き、白い手袋をした運転手が恭しく頭を下げる。車体の艶めいた曲線が、昨日までの真琴の陰鬱な日常を嘲笑うほど非日常へ誘っていた。 昴は微笑みながら真琴の前に立った。 成熟した余裕のある微笑みだったが、傷ついた人間を包む温度があった。 真琴は昴に腕を預け、ドレスショップへ向かった。そこで彼は言葉通り、豪華なドレスにアクセサリーを買ってくれた。深い紺と雪の白を織り込んだドレスは、真琴自身の光と影を象徴するようにドラマチックで、切なくも気高かった。鏡に映る自分は、昨日の泣き腫らした女性と同一人物とは思えないほど別人だった。 その後、美容室で髪が整えられ、香水がそっと肌に纏わされる。準備は「着飾る」行為ではなく、「武装」の儀式に近かった。失恋という戦場から出てきた女が、新たな戦場で笑うための支度だった。 そして再びリムジンへ。 最上階の会場へ向かう車窓に、宝石のような東京の夜景が流れていく。真琴は感情を押し殺していたはずなのに、ネオンが川のように走るたび、心の傷跡が別の光で上書きされていく錯覚を覚えた。 「オーロラ・エンタテインメント・ホールディングス」のクリスマスパーティーの会場は、豪華絢爛だった。 ホテル最上階に降り立った瞬間、空気は甘く、熱く、眩しかった。天井の高いホールには、無数のガラスオーナメントが照明を散らし、まるで星屑を人工的に再現したかのように輝いていた。照明はあえて光度を落とされ、濃い青の影がホール全体を覆っている。そこに金と白の光だけがスポットのように浮かび、現実よりも鮮やかな「祭り」の舞台を作り上げていた。 場所が街の一番豪華なホテルの最上階という事実が、まず幻想だった。 窓一面の夜景は、街そのものが祝祭のために光を灯しているように見える。眼下に広がるビル群の灯は、雪の代わりに降る光の粒。失恋の涙で濡れた真琴の視界に、それは優しい幻の炎となって揺れていた。 会場中央には特大のクリスマスツリー。濃緑の枝に散りばめられた光が、真琴の心の内側で微かに鳴動した。ツリーの下には、装飾用ではない存在感を放つ、プレゼントの山。中身が入っているのかどうかなど誰にもわからないはずなのに、確かな重みが感じられた。未来の可能性が「箱」という形を持ってそこにある
last updateLast Updated : 2026-02-05
Read more

第83話

 会場の端で、挨拶のタイミングを見計っていた冬真は、ワイングラスを片手に壁際に立っていた。最上階ホールの窓は夜景に向かって大きく開かれ、そこから差し込む都会の光が、濃い青の影と混ざり合って室内の床に揺らぎをつくっている。照明はあえて落とされ、ツリーの電飾とシャンデリアの反射だけがホールを照らしていた。その光は柔らかく、しかし確かな存在感を持って、訪れる人間の感情を浮き彫りにするような演出だった。 冬真の視線は、人波が落ち着く瞬間を狙って中央へ進むための算段に向けられていたはずだった。だが、心の片隅では別のざわめきが鳴っていた。入口から昇ってくる社長や会長クラスの重鎮たちの笑顔は、まるで仮面舞踏会のようにどれも完璧で、誰一人として本音を漏らさない。談笑の輪がいくつも重なり、そこから聞こえる笑い声はひときわ大きく、ホールの天井へ跳ね返っている。そこに混じるグラスのぶつかる澄んだ音が、パーティーの「豪華さ」をさらに濃くしていた。 その時だった。 冬真の向かいから、笑顔で歩いてくる男性がいた。「冬真さん!!」 ラフなスーツを着た、黒川海斗だった。 深い群青の絨毯を踏みしめながら歩いてくる海斗の姿は、この場の堅苦しい空気を軽く揺らす風のようだった。上質ではあるがカジュアルさの残るスーツは、彼の気質そのもの。ネクタイは少し緩められ、シャツの襟元も固めすぎていない。社交の場に慣れていない若者が、無理に大人の鎧を纏おうとして失敗したのではなく、「自分のままで立つ」ことを選んだ印象だった。「冬真さんも会長の代わりですか?」 海斗は笑顔で寄って来て、冬真と楓の前にやってきた。「おう、久しぶり。お前も親父さんの代わりか?」 と、冬真が聞くと、海斗は頭を掻きながら答えた。「こういうのは若いのが行った方がいいとか言って…オレ、誘えるパートナーが居ないから嫌だって言ったんですけどね」 その言葉には照れと気恥ずかしさが混じっていた。ホールの端で重鎮たちのオーラから距離を取る冬真とは違い、海斗はそのオーラに触れるたび肩をすくめてしまうタイプなのだろう。だが彼は続けて言った。「楓さん、お元気でしたか?」 楓にも丁寧にあいさつをする。丁寧だが固くない。冬真に対する距離の近さと、楓に対する敬意。その両方を自然に同居させられる人間性だった。「海斗くんも、頑張ってるって聞いて
last updateLast Updated : 2026-02-06
Read more

第84話

「え!? 真琴さん、昨日、誕生日だったんですか!!?」 海斗の声は、落とされた照明のホールでひときわ高く跳ねた。グラスの触れ合う涼やかな音、弦楽のクリスマスアレンジがゆったりと流れる空間に、彼の驚愕は真っ直ぐな感情のまま差し込んだ光のようだった。周囲の重鎮たちの「整えられた笑い」と違い、海斗の声には衒いも計算もない。純粋な驚きと、少しの悔しさ。祝う機会を逃した若者の素直な落胆だった。「教えてくれてたら…お祝いしたのに」 彼は唇を尖らせ、肩をすくめる。その視線はまだツリーの電飾に照らされているが、意識は完全にそこにはない。冬真はそんな海斗の反応に思わず笑いそうになったが、口元に浮かんだのは苦い苦笑だった。「お前の出番じゃなかったんだよ」 そう言ってワインを揺らす。赤紫の液面にツリーの光が映る。だが冬真の視線はずっと中央の真琴に固定されたままだ。彼女は昴の隣で、企業トップや芸能人たちに囲まれ、洗練された所作で微笑んでいる。背筋は美しい。ドレスも完璧。だが――その表情だけが、まるで別人だった。 冬真は昨夜のことを思い返していた。 慎一とのデートの後、真琴は確かに幸せになったはずだ。そう感じさせる空気があった。 それなのに今、目の前で社交の中心に立つ真琴は、誕生日の余韻どころか、幸せの光すら瞳に宿していない。口角だけが動いている笑顔。 声だけが聞こえてこない歓声の中に立つ人間のように、明るいのに冷たい。そこにいるのに孤独。 その違和感は、ツリーの光より濃い影になって冬真の胸の奥で揺れていた。「もしかして『後藤弁護士』ですか?」 海斗が眉を上げて問う。 その問いは当たらずとも遠からずだが、冬真は答えない。答えたところで、この違和感の正体はそこではない気がしていた。 慎一と真琴の関係は、もっと別の重力を持っている。彼女の暗さは、恋の行き違いだけで説明できるものではない――そんな確信があった。「楓さん、遅いですね」 海斗が空気を切り替えようとした。企業トップや芸能人の輪の中央とは違う、端の若者同士の穏やかな会話へ戻そうとしたのだ。だが冬真はそこでようやく視線を入口へ動かした。楓の帰還は、その瞬間を見計らったように訪れた。 最上階ホールの自動ドアが滑るように開く。楓が入ってくる。だがその足取りは、華やぎを纏っていない。ヒールの音は抑えられ、歩き方
last updateLast Updated : 2026-02-06
Read more

第85話

 "Night Indigo" が閉店する時刻は、日付の切れ目よりずっと静かに訪れた。 慎一は、カウンターの一番端のさらに端、誰とも視線が交わらない席で、時計とグラスだけを見つめながら、真琴からの連絡を待っていた。 磨き上げられた黒い天板のカウンターは、開店直後には無数の期待を映し込む鏡のようだったのに、今はただ、慎一の疲れた横顔を薄く歪ませて返すだけだった。 店内の照明は少しずつ落とされ、ジャズの最後の一曲は既に終わり、スピーカーから流れているのは、曲と曲の隙間のような微かなノイズだけ。音楽すら、彼の気持ちに寄り添う力を失っていた。 やはり、真琴は来なかった。 何度確認しても、慎一のスマホには何も届いていない。 着信履歴には自分の発信だけが並び、画面の白い光は、夜の闇よりも冷たい。折り返しの電話はない。メッセージは既読にもならない。 会社にかけた電話は、業務終了のアナウンスを虚ろに繰り返すだけで、人間の声は一度も返ってこなかった。慎一はもう、真琴を探す術を持っていなかった。  たった一人の女性に届く回線だけが欲しかったのに、その回線は彼を拒絶していた。 カウンターの奥でグラスを磨いていた榊レンが、そっと慎一の前にグラスを置いた。黄色味を帯びた柔らかな照明の下、カクテルは琥珀色に近い赤紫。閉店前の店の空気を溶かし込んだような、少し重い色だった。レンは自分の分と一緒に、慎一の前にも置く。慎一の孤独を「一人分の孤独」にしないための配慮だったのかもしれない。「ラストのサービスです」 その言葉は、いつもの接客の調子ではなかった。仕事の言葉なのに、個人の温度が混じっている。慎一はようやく顔を上げた。目元は疲れ、瞳は曇り、だがそれでも微笑もうとする意思だけが残っている。「ありがとう」 慎一が返した笑みは、限界だった。これ以上は崩れてしまう、という境界線の笑顔。笑顔の形をしているのに、幸福を含んでいない。礼を言っているのに、感謝すら薄く濁っている。誕生日を祝うつもりで包んだプレゼントのバッグが、彼の足元でずっと重力を放っていた。祝福のために用意した重さが、今は罰の重さになっている。「もしかして、あの女性を送って行くのを、真琴さんが見てしまったのかもしれませんね」 榊レンの分析は、慎一の背骨をまっすぐ貫いた。慎一もそんな気がして仕方がなかった。否定
last updateLast Updated : 2026-02-06
Read more

第86話

 翌朝は、冬の光の白さだけがやけに鮮明だった。 慎一は昨夜帰宅してから、ほとんど眠れなかった。眠りに落ちても浅く、意識は常に水面近くを漂っている。枕元のスマホは、もはや目覚ましでも連絡ツールでもなく、「審判の端末」と化していた。震えれば希望、沈黙は失望。たったそれだけの装置なのに、彼の神経を根こそぎ支配している。 目を閉じても瞼の裏には真琴の姿が浮かぶ。茜を送って行ったことへの後悔、榊レンの言葉――それらが混ざり合い、眠るたびに異なる配列で彼の心を並べ替えた。スマホを確かめ、何もないことを確認し、がっかりして布団に戻る。その動作を一晩で何度繰り返したかわからない。寝返り、ため息、ロック画面点灯、暗転。希望と絶望の点滅は、夜明けを超えても続いていた。 昼頃になってようやく身体が限界を訴え、慎一は布団から起き上がった。だが心はまだベッドの上に置き去りのまま。時計の針は進んでいるのに、彼の内側の時間だけが止まっている。 真琴からの連絡はない。 事故か何かに遭ったのではと邪推もした。 だが、もし本当にそうなら楓から連絡があるはずだ。真琴と楓はいつでも繋がっている仲だ。楓は義理堅い。異変があれば必ず動く。だからこそ慎一は自分の想像を自分で否定した。想像の余地がなくなるたびに、現実の鋭さが増す。 起きてからも何も手につかない。コップに水を注ごうとしても手が止まる。コーヒーを淹れようとしてもポットの前で固まる。書類を開いても文字が滑って読めない。冷蔵庫を開けても、必要なのは食べ物ではなく答えだった。 真琴のマンションへ行こうかと何度も考えた。ドアの前まで行けば会えるかもしれない。話せるかもしれない。説明できるかもしれない。だが――答えを知るのが怖くて動けなかった。35年間で、誰かを祝うために自分の未来まで祝えると思っていた夜。その未来が、実は昨日すでに壊れていた。壊れていた瞬間を、自分は腕で支えてしまっていたのかもしれないという恐怖。慎一はその問いを、まだ抱きしめたまま離せずにいた。 今日は週末のクリスマスイブだ。 本来なら、真琴と一緒に過ごそうと考えていた。彼女の誕生日とクリスマスイブが重なる特別な週末。陽斗との誕生日の思い出が、昨夜の真琴の脳裏に巡っていたように、慎一にも巡っていたのだ。今度こそ特別を更新できるはずだった。彼女に「話したいことがある」
last updateLast Updated : 2026-02-07
Read more

第87話

 慎一は突然、堰を切ったように話し始めた。最初の言葉が落ちた瞬間から、もう止まらなかった。声は低いのに震えていた。 昨夜のバー「Night Indigo」での出来事。自分が別の女性と一緒にいたと真琴が誤解してしまった可能性。会えると思っていた真琴の誕生日の夜が、結局どれほど虚しく終わったか。話すうちに慎一の語気は強まり、身体も前のめりになっていった。ソファに座ることも忘れて、リビングの中央で拳を握りしめている。 やがて声量は限界を超えた。「………もしも、真琴が俺とその女性を見たというなら、それは誤解なんだ!!」 その絶叫は、喉が裂ける寸前の悲鳴に近かった。部屋の壁が震えるほどの声だった。慎一の胸は上下に大きく揺れ、呼吸はさらに速い。楓は思わず息を飲んだ。慎一がこんなに取り乱す声を聞くのは初めてだった。いつも誰かの相談役で、感情を表に出すこともなく、穏やかで冷静で、頼もしい。そんな慎一の「悩み」を、楓が真正面から聞くのはこれが初めてだった。 慎一が言葉を吐き切り、息を切らして沈黙した。しばらくの間、呼吸音だけが通話を支配した。 そのとき、楓が初めて言葉を発した。「その女性って、この前、駅で会った人?」 慎一は、その問いで思考が現実へ引き戻された。楓と駅まで歩いた日、偶然出会った城里茜の姿が、脳裏に鮮明に蘇る。白いコート、微笑み、真琴とは違う甘さを含んだ空気。「ああ。あの時、偶然会った、あの彼女だ」 慎一の声はまだ震えていたが、先ほどよりも低く落ち着いていた。楓は慎一の言葉に被せるように、強く言い放った。「慎!!あれは偶然なんかじゃないわよ!!だから言ったじゃない!早く何とかしないと、真琴を失くすよって……」 慎一は言葉を失った。楓の言う通りだと思ったからこそ、反論もできない。「慎……。あの彼女は、慎のことが好きなのよ。でもそれは、慎という一人の男性として好きなのかどうか、わからない。慎のスペックが魅力なのか、真琴に張り合ってるのか……」 楓の分析は鋭かった。慎一の肩がわずかに落ちる。城里茜の行動は、好意というには出来すぎている。真琴の誕生日の夜に現れるなんて、偶然の一言で片付けられるはずがない。「そうでなけれれば、わざわざ真琴の誕生日に、待ち合わせをしていそうな、慎の前に現れるわけないじゃない………。結局、真琴とは会えてないのよね?」
last updateLast Updated : 2026-02-07
Read more

第88話

 クリスマスパーティーの会場は、冬の夜とは思えないほどの熱気に満ちていた。シャンデリアの光が天井から溢れ落ち、磨き抜かれた床には人影が絶え間なく揺れる。招待客たちは洗練されたドレスやタキシードに身を包み、笑顔の裏に商機を秘めながら、グラス片手に言葉を交わしている。 天ヶ瀬昴と真琴の周りには、挨拶の順番を待つ客で人垣ができていた。名刺ケースを握りしめた重役、会釈の角度まで計算された投資家、緊張と期待を同時にまとった新興企業の若い経営陣――皆が「天ヶ瀬社長の寵愛を受ける美女」に一言触れたいと押し寄せていた。 だが、昴がふと真琴の横顔を捉えた瞬間、その賑やかな渦とは対照的な静かな異変に気づいた。先ほどまでは、人の視線を軽やかに受け止める彼女の表情に、わずかな疲労と翳りがにじんでいたのだ。頬に貼り付いた微笑はあるのに、瞳の奥が笑っていない。 昴は挨拶の輪をそっと断ち切るように「みなさん、本日は楽しんでください」と告げた。その声は柔らかいのに、場を自然と従わせる力を持っていた。 彼は人垣を抜け、壁際の椅子が整然と並んだ落ち着いたスペースへ真琴をエスコートした。まるで騒がしさから一人の女性を救い出すような所作だった。 真琴が椅子に座ると同時に、身体の芯から抜け出たような深いため息がこぼれた。肩の力が落ち、ドレスの裾が静かに揺れる。昴はウェイターに手振りだけで指示を送り、シャンパンを頼んだ。「疲れた?」 昴の問いに、真琴は答えずに微笑んだ。その微笑は一瞬で空気の温度を変えるような柔らかさを持っていたが、どこか薄く、力がない。昴はその笑顔の脆さに気づきながらも、あえて軽い調子で彼女の隣へ腰を下ろした。「なんだか今日は、元気がないんだね。つまらなかったかな?」 真琴は困ったように笑った。唇の端は上がっているのに、声は弱い。「あまり調子が良くなくて……」 シャンパンが届く。冷えたボトルの表面に水滴が走り、細い泡が黄金の液体の中で駆け上がる。昴はグラスを真琴へ手渡した。「メリークリスマス」 昴はそっと真琴のグラスに自分のグラスを合わせた。触れた音は小さく繊細だったのに、まるでその瞬間だけは世界が二人のために存在しているかのように、周囲の喧騒が遠のいた。 そのときだった。「天ヶ瀬社長、本日はお招きありがとうございます」 聞き覚えのある声。真琴が顔を上げると
last updateLast Updated : 2026-02-07
Read more

第89話

 パーティーも中盤に差し掛かったころ、天ヶ瀬昴はそれまで控えめに添えていた真琴の手を、今度は迷いなく引き寄せた。細く白い指先が、一瞬だけ躊躇を帯びて震えたのを、昴は見逃さなかった。だが何も問わず、真琴の腕を取り、自分の腕に絡ませると、会場の出口の方へ歩いて行った。 その歩みは強引ではなかったが、引き返す余地も与えない確信に満ちていた。冬の夜景を背に、会場はまるで雪の結晶の内部のように輝いていた。シャンデリアの光は柔らかく揺れ、壁面に映し出されたプロジェクションマッピングが白銀の粒子となって降り注ぐ。ツリーを中心に星座のように広がる照明が、人々の笑顔を照らし、ドレスや宝石、グラスに反射して小さな光の爆発を繰り返していた。 それなのに真琴の瞳だけは光を跳ね返さない。濡れた膜を張ったように揺れ、背景のきらめきをぼんやり滲ませていた。 会場の招待客も、会場スタッフも、オーロラ社の社員たちも、誰も引き留められない。誰も声を掛けられないのではなく、掛ける隙がなかったのだ。昴という男が纏う空気には、他者が踏み込めない結界のようなものがある。皆の視線を背中に痛いほど感じながら、真琴は昴に促され、会場を後にした。 その背中は夜風の中に晒される寸前の弱さと、それでも折れまいとする矜持の両方を宿していた。誰かに見られることが怖いのではない。見られる自分が“惨めに戻る”のが怖いのだ。 エレベーターの扉が閉まると同時に、外界のざわめきが分厚い金属の板で遮断された。箱の中は静寂と香水の余韻だけ。真琴の肩がようやく落ちた。照明は温度を持たない白。慎一と茜が抱き合っていた光景が、そこにまた映り込みそうで、真琴はそっと目を閉じた。 昇降の微かな振動。ホテル最上階から降りる数十秒が、やけに長い。 扉が開くと同時に、真琴は息を吐きながら目を開けた。「帰っちゃっていいんですか?」 昴は目元だけで笑った。声は低く、余裕がある。「疲れたんで……真琴さんも疲れたでしょう」 真琴は驚いたように眉を下げ、すぐに自分の表情を整えた。「気を使っていただいてすみません。慣れない場所で、正直疲れました」 視線が絡み合う。二人は同時に笑った。その笑いは小さくても確かに音を持っていた。真琴の胸の奥で凍っていた何かが、ひび割れて落ちたような気がした。 だがロビーに出れば、静寂は長く続かない。 赤い
last updateLast Updated : 2026-02-08
Read more

第90話

冬真からのメッセージが届いた瞬間、慎一はコートも羽織りきらないまま玄関を飛び出した。靴紐を結ぶ余裕すら惜しい。冷え込んだ夜気が肺に刺さるのに、息は熱い。画面にあった一文――『オーロラ社のクリスマスパーティーに、真琴さんが来ています。話がしたければ、すぐにここへ来てください』添付された地図の赤いピンが、慎一の鼓動と同じ速さで点滅しているように見えた。駅の改札を抜けると、時計は20時58分。ホームに滑り込む電車のブレーキ音すら、彼を引き留めない。スマホで道順を最終確認すると、ホテルまで直線距離で約900メートル。普段なら数分で着く距離なのに、今夜は永遠に遠く感じる。人混みを縫い、ネオンの滲む舗道を蹴るように走る。昨夜の誤解を解かなければならない。昨日渡すはずだった誕生日プレゼント――小さな箱に込めた想いも、まだ慎一の胸ポケットで温もりを失っていない。ビル風が吹き荒れる大通りに出たとき、街全体が息を止めた。巨大スクリーンが低く唸り、21時の鐘の映像と共に金色の鐘楼が映し出される。ゴーン、と重厚な音が鳴り、続けて映像が切り替わった。白銀の空を背景に光の粒が舞い、壮麗な音楽が流れ出す。『AURORA FES 2026 -冬空に響く光の歌声-』の予告動画。――アークライト・コミュニケーションズが作成した、第一弾の広告。慎一の足は自然と止まった。映像は完璧だった。ドラマチックで、切なく、緊迫感と希望が同居している。光と音が重なり合う構成は、明らかに真琴の感性だ。最後に浮かび上がる社名のロゴが、まるで彼女の署名のように誇らしく輝いた。「……真琴の仕事だ」慎一は小さく呟き、冷たい指先で胸ポケットの箱を握りしめた。広告の余韻がまだ網膜に焼き付いているのに、心は逆方向へ引き裂かれていく。立ち止まった数十秒が、彼と真琴の距離をさらに広げたことに、慎一自身はまだ気づかない。ただ、今は走るしかないと再び踵を返した。同じ時刻。真琴も同じ画面を見ていた。リムジンの窓は厚い防音ガラスで隔てられているのに、鐘の映像が視界を叩く。スクリーンに映る光の粒は、外の雪と見分けがつかないほど自然だ。出来は上々。仕事としては満点。しかし、真琴の胸の奥は無音だった。誕生日の余韻も、昨夜の感情の波も、今は何も残っていないかのように沈んでいる。「出来栄えはどうですか、秋山
last updateLast Updated : 2026-02-08
Read more

第91話

 クリスマスの朝。慎一がスマホの通知画面を開いた瞬間、世界はすでに騒ぎの色に染まっていた。ニュースサイトのトップを飾っていたのは、見出しだけで鼓動を速めるような一文だった。『オーロラ・エンタテインメント・ホールディングス社長、天ケ瀬社長、美女とお忍びのクリスマスデート!!』 続くサブタイトルはさらに刺激的で、品のある企業イメージを意図的に引き裂くような語調だった。『オーロラ社が行った、クリスマスパーティーから、堂々と美女をお持ち帰り!!』 記事の下には一枚の写真。そこには、天ヶ瀬昴が女性の顔を隠すように抱きかかえ、黒塗りのリムジンへ乗り込む瞬間が、逃げ場なく鮮明に切り取られていた。ストロボの光に照らされた昴の腕の強さ、外套の裾の揺れ、女性の細い脚の角度まで、妙に生々しい。肝心の顔だけが伏せられているのが逆に想像を煽り、記事の真偽よりも「誰なのか」という好奇が先に立つ構図だった。 慎一は画面を見つめたまま、呼吸を止めた。 顔は分からなかった。 だが、胸の底に泥のような嫌な予感が沈んでいく。説明できない直感――それは弁護士として培った洞察でも、男としての勘でもあった。「……まさか」 呟きは音にならない。彼は反射のように、もう一度真琴へ電話をかけた。指が震えることはなかったが、画面をタップする速度だけが焦りを語っていた。 コール音。短く冷たい電子音の反復。だがまた辿り着くのは、無機質な留守電の声だけだった。『ピー…』 慎一は目を閉じる。昨夜は結局、楓にも、真琴にも会えなかった。オーロラ社のクリスマスパーティーは著名人ばかりが招待された場で、ホテル入口の警備は鉄壁。慎一は招待客リストに名前があったにもかかわらず、本人確認後も「一般フロアまで」と線を引かれ、パーティー会場の階層には足を踏み入れることすら許されなかったのだ。ドア一枚隔てた場所に真琴がいたとしても、彼はそこへ辿り着けなかった。 立ち上がり、慎一はコーヒーを淹れた。豆を挽く香り、熱湯が落ちる音、漂う湯気。だが五感が拾う温度とは裏腹に、心は冷えている。カップを手にキッチンから戻ると、タイミングを見計らったように着信音が鳴った。 見知らぬ番号。「はい」 慎一が出ると、相手はひどく遠慮がちな声で名乗った。「後藤先生、私……城里茜です」 慎一は何も答えずに黙っていた。無言は怒りでも困惑
last updateLast Updated : 2026-02-08
Read more
PREV
1
...
67891011
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status