私は白石日和(しらいし ひより)。来月には結婚するはずだった恋人・神崎玲央(かんざき れお)が、記念日の夜に初恋の相手・橘美月(たちばな みつき)を連れてバーでラブソングを歌っていた。その場でキスして抱き合うところまで友だちに撮られて、動画はインスタのプロフィールにピン留め。コメント欄は「付き合っちゃえ」で溢れ返る。面白がり屋の一人が、わざわざ私の前で言った。「あの二人、もうくっつくぞ」私は冷たく一瞥して返す。「誰とくっつこうが、あんたに関係ないでしょ?」適当に返事したものの、胸中はざわついて落ち着かなかった。「君を愛してる、その何割……」動画の歌声が途切れず流れてきて、言葉の一つ一つが刃みたいに胸へ刺さる。今日は玲央と付き合って五年の記念日だ。今夜は全部断って私と過ごすって言ったから、いちばん好きな店を予約して朝からずっと待っていたのに、夕方になって「会議で残業」と電話してきた……ただ、時計ばかり見ながら、ひたすら待つしかなかった。そして届いたのは、美月とバーで寄り添いながら、ラブソングを口ずさむ彼の姿だった。歌など歌わないはずの玲央が、美月を見つめるその目は、私の知らないほど、やさしかった。忘れたのかな。恋人は、私のほうなのに。でも私は、そんなふうに扱われたことが一度もない。友だちが囃し立てて「日和のために一曲!」なんて言っても、「音痴だから」で全部かわして、最後には「お前が気を回さないから、俺の立場が悪くなるんだ」とまで言う。音痴じゃない。ただ、歌いたくないだけ。薄く笑って、赤ワインをもう一口含む。いつもなら好きなはずの舌触りが、今夜は甘苦い渋みだけを残して、苦さばかりが濃くなる。胸の奥で燻っていた苛立ちが、どろりとした火になって、理性を焼き尽くした。私はスマホを掴み、そのまま発信する。「……何?」受話器の向こうの玲央は、かすれていて、どこか面倒そうだった。その奥に、美月の笑い声と、周りの「飲めよ!」がはっきり混じる。私は口の中の苦みを飲み下した。息を整えて、二秒だけ間を置いてから聞く。「……今晩は、帰ってくるの?」「忙しいって言っただろ。なんでまた聞くんだよ」声が跳ね上がる。私のほうが悪いみたいな言い方だった。胸がきゅっと縮んで、急にどうでもよくなった。「じゃあ、仕事
続きを読む