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All Chapters of 若と忠犬と黒瀬組: Chapter 1 - Chapter 10

18 Chapters

#1 ダルい若と距離感バグ

 黒瀬律。 十七歳、高校三年生。暴力団、黒瀬組組長黒瀬竜一の一人息子。進路、未定。  相良蓮。 同じく十七歳、高校三年生。六歳の時に母が病死し、愛人であった竜一に引き取られ、黒瀬家で律と同じく息子として育てられた事実上の養子。進路、律の行くところ。 将来を決めるリミットまであと5か月。***** 春の気配を残した、湿度を含む風が開け放した窓から入ってきて律の黒髪をさらりと揺らした。 やや俯いた黒瀬律は興味なさげに机を挟んで対面で話をしている担任の声を聞いていた。進路指導。高校三年になって通常であれば最終確認段階だというのに、律の進路は白紙のままだった。「──黒瀬は成績はいいから国立だって狙えるんだがなぁ。なんかないのか。流石にこの時期に白紙はまずいぞ」 担任教師は困り果てたようにぼやいている。律の事情も多少は察しているだろうに、もちろんそのことには触れない。「じゃあ、コロンビア大」「は? 黒瀬。それは無茶だろ。それに海外の大学は試験の時期も──」「先生。進路、なんでもいいからあればいいんでしょ」 適当な、しかも行く気もない大学の名前を出して、律は「じゃあ」と言って席を立ち、進路指導室を出ていった。背中に担任が盛大な溜息をついている気配がしたが、無視した。戸を閉めて、廊下を教室まで歩く。足取りはのんびり、ゆっくりというよりも重い。二年の半ば、自然と進路の話題が出てから律の憂鬱は増すばかりだ。 開いていた教室の後ろの入り口から中に入ると、蓮だけが残っていた。蓮は机に突っ伏してぼんやりしているのか転寝しているのかどちらかだろう。変わらない足取りで律は蓮の傍まで行って、ぽんと片手を頭に乗せた。「蓮。終わったよ。帰ろう」「んー……。お疲れ、律」 蓮は律の方に顔を向けて半分眠そうな声で返事しながら笑う。いつもと変わらない。律が頭の上に乗せた手を下すと、蓮は上半身を起こして大きく伸びをした後、しなやかな動きで椅子を蹴飛ばして立ち上がった。茶色の少し長い癖っ毛が揺れてライオンのたてがみのように見えて、律は少し笑った。「律はさぁ、なんでそんなに進路決めたがらないの? 親父は好きにしていいって言ってんじゃん」 教科書もろくに入っていない軽いかばんを引っかけて蓮は首を傾げる。「そうだけど……。でも、蓮は僕が一人暮らしするようなとこに行ったら嫌でしょ?
last updateLast Updated : 2026-01-11
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#2 忠犬の当たり前と若の日常

 朝、律は六時半にセットした目覚ましで起きる。 進路の問題が表面化した頃から多少寝起きは悪くなったものの、基本的に一度のアラームで目を覚まし、寝巻のまま部屋を出て離れのキッチンでグラスに水を注ぎ、そのまま縁側で水を飲みながらしばらくぼんやりとする。そうしていくうちに体が新鮮な空気に満たされて脳みそが覚醒していく。そんな習慣を十三歳くらいから続けている。早起きをして筋トレをするわけでも朝活をするわけでもなく、ぼんやりしているだけで、父には「爺みたいだ」と言われ、蓮には首を傾げられるが、律にはこの習慣がすっかり馴染んでしまっている。唯一、修治だけが「いい習慣です」と言った意味は、律にはまだわからない。 七時を過ぎた頃に律は縁側から立って、水を飲んだグラスを片付け、蓮を起こしに行く。──蓮は律が起こしに行かないと起きない。 からりと蓮の部屋の戸を開けて、頭まで布団をかぶって眠っている蓮のベッドの端に腰かけて律は少し笑う。「れーん、朝だよ。起きて」 いつものように布団の上からぽんぽんと蓮の肩辺りを叩く律の声は柔らかだ。丸まった布団の塊がもぞもぞと動いて、寝ぐせだらけの伸ばしっぱなしの癖っ毛が半分顔を隠した蓮が顔を出すが、まだ寝ぼけているのもいつものことだ。「やだ……まだねみー……」「いいから起きて。朝ごはん、間に合わなくなるよ。朝から父さんに小言言われんの嫌でしょ?」「それは……めんどー……」 まだはっきりと覚醒しないまま、蓮は律の声に半分自動で反応するように起き上がった。大きなあくびをして、いまにも布団に逆戻りしそうだが蓮は普段から活発なだけあって起き上がりさえすれば大丈夫なことを律は知っている。 律はすんなりと蓮のベッドから立ち、部屋を出ていく。「あとでね」と言い残して。 それから律は洗面所に直行し、顔を洗い、歯磨きをし、自室に戻り制服に着替える。スマホの充電とかばんの教科書類を確認して身支度が終わるころには蓮も着替えを済ましている。玄関を通るには母屋を経由するからかばんを肩にかけ、部屋を出るとちょうどいいタイミングで制服に着替えた蓮がいた。 並んで母屋に向かい、外廊下に面した食堂──和室の大きな座卓で父と律と蓮を含めて十人以上の黒瀬家の住人が食事をする場所なので、食堂という表現の方が的確だと律は思っている──に入ると、数人の男たちが座卓に料理
last updateLast Updated : 2026-01-11
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#3 忠犬、朝から全力

 週末の朝だけ、蓮は律が起こしに行かなくても自分で起きる。 土曜と日曜は敷地内の道場で父と修治が武道の稽古をつけてくれる。蓮にはそれが楽しいのだ。父は柔道。修治は空手やほかの武術にも長けている。更に、その稽古には黒瀬家に住み着いている若い者たちも参加するため、さながら異種格闘技場といった雰囲気だ。 週末の朝、律は普段通りに離れの縁側で水のグラスを横にぼんやりしていると廊下を走る蓮の足音がする。平日の寝起きの悪さはなんなのだろうかと疑いたくなるくらいに週末の朝の蓮は生き生きとしている。 蓮の好きなことと言えばゲーム、週末の稽古、それから時々夜に走りにも行っている。 ──体力があり余って、発散できることが楽しいのかな。 ふと律はそんな風に考えた。喧嘩っ早く短気なのは直情的な性格ゆえんだろうが、生まれ持った身体能力を活かしきれないのはフラストレーションに直結するだろう。だから、蓮にはいまの環境の方が合っているのかもしれない。*****  ふう、と息を吐いて律は台所でグラスを片付けると自室に戻って着替えてから道場に足を向けた。 自宅の敷地の母屋とも離れとも繋がらない道場は古く、時代錯誤の感さえある。からりと引き戸を開け、外履きのサンダルを脱いで上がると既に熱気に当てられそうな声が飛び交い、打撃音が聞こえる。律は中に気配を消して入ると、父と修治が座っている近くに正座した。その場所が一番とばっちりに合いにくい場所なのだ。ほかの壁側のどこかに座ると誰かが飛んで来ても文句を言えない。そもそも武道の稽古場だ。「おう、律。珍しいな。お前もやるか?」 律が入ってきたことに気付いた父はにやにやと笑いながら揶揄ってくる。「見学しに来ただけ」「お前も素質あるんやからたまにはやらんと鈍るぞ? そんな細っこくて蓮にぶん回されんか」「僕は苦手だって言ったでしょう」 父の言葉に思わず眉間に皺を寄せていると、間に修治が入ってきた。「竜一さん。若は素質があるので十分です。心配しなくても護身術なら身についてますし、放っておいても蓮が若にくっついているでしょう」「まあ、そやな。しっかし律はよう頑固に育ったもんやなぁ」「……頑固と言うより、芯が通っているのでしょう」 父と修治の会話を聞きながら、律は視線を稽古中の男たちの方へと向けた。全員白い道着で乱闘と変わりないような中でも
last updateLast Updated : 2026-01-16
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#4 優しい町とレバニラとホルモン

 八時半。週末の遅い朝食の時間。 ──もしかしたら、一般的な家よりもよっぽど健康的な生活習慣なんじゃないだろうかと時々律は自分の家ながら不安になる。よその家がどのような習慣であるかは知らないが、黒瀬家は律でも家業を疑いたくなるくらいには“そこ”に目を向けなければ健全に思えてしまう。食事の時間に遅れても、なにかしら誰かが食べる物を用意することが当然になっている。律には当たり前すぎるのだが、それが当たり前ではないと知ったのは小学校高学年に差し掛かった頃だったろうか。*****「あああああああああ!」 午前中、もうすぐ昼に差し掛かる頃。ゲームをしていたはずの蓮が突然大声を上げてコントローラーを放り出したかと思うとベッドに背中をもたれて、頭を抱えた。蓮に寄りかかりながら部屋に積み上げられているストリート系のファッション雑誌を適当にめくっていた律は連鎖的に体勢が崩れ、雑誌のページが破れそうになる。「なに? どうしたの」 テレビの画面を見てもゲームの戦闘で負けた訳でもない。律は体勢を直しながら怪訝な顔をした。蓮の行動はいまだに律でも読みきれない。──思い立ったら吉日系で、唐突過ぎるのだ。「ハラヘリ。めっちゃレバニラ食いたい。あとホルモン焼き」「は? さっき朝ごはん食べたばっかじゃない? マジで言ってんの」「朝稽古したから足んない。朝メシもう消えた」 健康優良児みたいなことを言うな、と律は少し笑う。「りつー。メシ食いに行こー? 大勝軒のおっちゃんのレバニラとホルモン。めっちゃ呼ばれてる。いま食わないと絶対後悔する」「大袈裟だなあ。あと、僕はレバニラもホルモン焼きも苦手」「おっちゃんのチャーハン好きな癖に。あと野菜炒め」 頭を抱えた手の指の隙間からちらりと律を見る蓮の目はどこか鋭い。一緒にいる時間が長い分、互いの好き嫌いも知り尽くしている。確かに蓮が突然叫ぶくらいには、ここしばらく商店街の大勝軒──昔ながらの町中華──には行っていない。律もそこのチャーハンと野菜炒めは好きだ。「……僕、いまだと全部食べ切れる自信ないんだけど」 朝食が八時半から。普段よりも遅めで、まだ時間は正午前。もっと正確に言えば十一時を少し過ぎたところ。朝稽古をしていない分、律は蓮よりも空腹を感じていない。「俺が食うから大丈夫じゃん?」 けろっとした顔で蓮は返事する。「あー
last updateLast Updated : 2026-01-17
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#5 喧嘩すんなバカ

 あーあ……タイミング悪っ……。 律が眉間を指先で押さえたのと、うっかり絡んできた大学生かフリーターか年上らしい男が蓮の蹴りで吹っ飛んだのは同時だった。 恐らく、大した悪気もなく多少めんどくさい絡まれ方をしただけで、ありがちなことだ。前方不注意ですれ違いざまに肩がぶつかる、かばんが当たってしまうなどの日常的なトラブルで普通であれば互いに無視するか精々謝罪し合って済むものだったが、相手が柄悪く絡んできた。 それもきっと蓮本人が絡まれていたなら、大した問題ではなかったが、絡まれたのは律の方だった。律はテンプレ通りに謝って切り抜けようとしたが、相手はその態度が気に入らなかったらしい。そうなると手が付けられなくなるのは、蓮の方だ。「てめぇっ! 勝手にぶつかってきといてなに律に絡んでんだよ。あぁ? 死ぬか?」 一人目を予備動作なしの蹴りで地面に沈めて、見下ろしながら腹の底から低い声で言い放つ。一緒にいたもう一人の男は怯えながら数歩後ずさっている。 ……だからライオンなんだよなぁ……。 困ったものだな、と思いながら律は蓮の肩を叩いた。「蓮。いいよ。帰ろう。僕たち制服だし目立ったらめんどくさいよ」 それでも蓮の苛立ちは収まらなかったらしく、舌打ちが聞こえた。「通報でもされたらめんどくさいよ、蓮」 蓮の肩に手を置いたまま律がゆっくり言うと、蓮は短く「わかった」と返事して放り投げたかばんを拾い上げた。内心ではまだ納得もしていないし、怒りが収まったわけでもないだろう。それでも蓮は律の言葉をきく。 喧嘩沙汰になって警察が駆け付ければ、名前や保護者を訊かれることくらいは簡単に想像つく。そうなると厄介だと律は理解している。いくら町内で偏見なく温かな扱いをされていても、警察側から見れば律は言い逃れできない黒瀬組の長男で、蓮の保護者はやはり父なのだ。 駅の改札を無言でくぐると、蓮がぽつりと呟いた。「クッソ……。なんだよあいつらウザ絡みしてイキってんだけじゃん」「そうだね。蓮は強いから。でも、あそこで警察が来てたら僕らが高校生でもたぶん、分が悪い」「ああー……っ! 腹立つっ」 蓮は苛立ち紛れに階段の壁を思いっきり殴る。短気で直情的。普段であれば、よく笑いよく拗ねる程度で普通の高校生となんら変わらないが、逆鱗に触れた途端、制御する間もなく考えるより行動してしまうの
last updateLast Updated : 2026-01-19
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#6 黒瀬組の年中行事

 七月に入ったある日の晩。  律と蓮は珍しく母屋で夕食後、くつろいでいた。どうでもいい些細な雑談をしながら、食後の茶を啜っていた。大きな座卓の端に、自然と何人かの若い衆が集まっており、年齢もそう大きく離れておらずどうということのない会話に花が咲く。 そんなことをしていて離れに引き上げる時間がいつもより遅くなったタイミングで玄関がバァン! と勢いのいい音を立てて開けられたかと思うと、ほぼ同時に大声が黒瀬家の食堂まで届いてきた。「おーう! いま帰ったぞー!」 そんな玄関の開け方をする人間も、大声を上げる人間もこの家には一人しかいない。律は思わず溜息をついた。確か今日は会合があるとかで父も修治も夕食にはいなかった。大方、酒を飲んでいるに違いない。「……酔っ払い親父め……」 珍しく律が悪態をつくと、周りから堪え切れない笑いが零れた。「まあまあ。親父が酒飲んでしんみりしてる方が辛気臭くて嫌っすよ」「それはそれで想像できねーなー」 若い男と蓮が口々に好き勝手言って、律は更に眉間を押さえた。追い打ちのように廊下をどすどすと歩いてくる足音と共に、外廊下側から障子が勢いよく開く。「いやぁ! お前ら、今年も気合入れんぞ。神社の神主さんと商店街と町会の会長と盛り上がってなぁ!」 酔っ払って上機嫌になっている父の後ろで修治も溜息をついている。「竜一さん。声が大きいです」「うるせぇっ! 景気付けだ、景気付け! おい、誰か酒もってこい!」 その会話を聞いて律は顔を上げた。「ああ。もうお祭りの準備の時期か」「えー? もうそんな時期? 早っ!」 ふと呟いた律の言葉を拾った蓮が思い出したように言いながらも、表情が楽しそうに変化していく。食堂に残っていた男たちの数人が台所へ酒を取りに走った。 この町内の氏神の神社の例祭には毎年、黒瀬組が屋台を出し、神輿を担ぎ──果ては警備まがいのことまで担当する。要は年に一度の正に祭りなのだ。実務はほとんど修治が取り仕切り、父は神輿を担ぎに行く。屋台は食べ物と祭りらしい射的や型抜き、ボールすくいなどで食べ物の屋台の方が割り合いが多く、価格設定が一般的な祭りより低いらしい上に、父の「子どもら腹いっぱいにさせたれ!」という方針で毎年赤字ぎりぎりで修治が胃を痛めている。 ──年一のイベントだけど、ある意味修羅場なんだよな……。 律は
last updateLast Updated : 2026-01-21
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#7 前夜、静かな熱

 屋台の大盛禁止。任意の追加料金をいただくこと。不明点は榊修治まで。 妙な威圧感のある張り紙が台所と食堂に張り出された。  祭りの前日は毎年とても忙しい。数日前から屋台で使う粉や景品の類が普段は使っていない倉庫を埋めはじめ、テント設営の準備のために経年劣化のチェックから始まり、前日の夜は食品屋台用の仕込みが夜まで続く。台所だけでは狭く、黒瀬家の食堂まではみ出した仕込み隊が焼きそば用、お好み焼き用などに分けて大量のキャベツを刻んで袋に分類し、朝までは冷蔵庫で保管し、当日は大量のクーラーボックスに詰められる。その他にも、食べ物ごとに分類された食材。卵や紅生姜、天かす、青のりなど。フランクフルトやホットドッグなどはまだ手がかからないらしい。今年はフルーツ飴を新しくやるので、八百屋から大量に仕入れたパインをカットする作業も増えた。 律が店番をする型抜きはまだやることが格段に少なく、前日でも大きな作業はない。型抜き自体は事前に昨年より三割ほど多い量を発注して数の確認は済んでいる。使うブラシや押しピンなどの道具は毎年使い回しで不足分がないかチェックするだけでいい。型抜き成功者には“賞金”が与えられるので、景品の管理も必要ない。 神輿担ぎに駆り出される蓮は毎年、前日には若い衆に混ざってキャベツ切りを手伝っている。 自分の担当する準備が終わると、律は台所からまな板と包丁を持ってきて食堂でキャベツを刻んでいる蓮の隣に腰を下ろした。「蓮、僕も手伝うから半分ちょうだい」「律の準備、終わたん?」「うん。だから、手伝いに来た」 そんな言葉を交わしていると、座卓の向かいから「若」と声を掛けられた。「若、手伝ってくれんなら、こっちの焼きそばのキャベツ切ってくんねっすか? 蓮のやつ、高速千切りしてっから危ねっすよ」「うん?」 高速千切りとは、と思いながら律が蓮のまな板に目を向けると、さっき普段と同じ喋り方をしていたのに手元だけは物凄い速さでキャベツの千切りを刻んでいる。しかも、雑ではなく一定間隔のきれいな千切り。普段、蓮が台所に立つところなどないのに。「ねえ。蓮、それってどうやったらできるようになったの?」「えー? なんとなく? タイムアタック系っぽいの楽しいじゃん」 なにも理屈がわからない、と律は追及を諦めて座卓の向かい側に顔を戻した。「うん。そっちやる。焼きそ
last updateLast Updated : 2026-01-28
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#8 祭りと黒瀬組

 宵宮の朝から明日の本宮が終わるまでは黒瀬家の食卓は通常運転をやめる。 普段は朝夕の食事は全員が揃ってするが、祭りの二日間だけは話が変わってくる。宵宮の日は朝早くから屋台のテントを設営し、昼前から屋台を開き交代で夜まで店番と警備を担当し、翌日の本宮にはその中から更に神輿を担ぐ者と給水テントに控える者の分担がある。本宮が終わると屋台のテントの撤収作業は翌朝までに。 怒涛のスケジュールでいつも通りにゆっくり食事する暇さえないのだ。朝は大量のおにぎりと簡単な総菜、麦茶が用意されてて、各自好きに食べる。 まだ高校生の律と蓮は手伝いの名目で屋台の店番や神輿を担ぐが、慌ただしさは家の他の者たちに比べたら半分以下だ。宵宮の朝、普段より静かな食堂で二人で簡単な食事を済ませると、律は使った食器を台所に下げに立った。「蓮。僕、このまま父さんのとこ行ってくるね」「おー! べっぴんにしてもらえー」「だからなんでそういう言い方なの」 くす、と笑って律は台所で食器を洗った後、父の部屋に向かった。 普段、あまり律が踏み入れることのない部屋。父の居間ではなく、私室。律はこの部屋に入る時、少し緊張する。襖をいきなり開けられない。廊下に膝をついて、襖の外から声をかける。「父さん。僕だけど」「おう、律。入れ」 いつも通りの父の声のはずなのに、なにか威圧感を感じてしまう。律が膝をついたまま襖をあけて中に入ると、父は張り出し窓に腰かけ窓を開けてふかしていた煙草を灰皿に消した。雑多なのか片付いているのか判別つかない部屋に、桐箪笥の引き出しがひと棹出されていた。真新しいたとう紙。帯と腰ひも。「浴衣、作ったの? いつの間に?」「あほか。浴衣でも仕立てるんは時間かかんねや。これは直しただけじゃ」「ふうん」 新しいたとう紙に包まれた浴衣に律が納得しきらない空返事をすると、「ええから着替える準備せえ」と言われた。どうせ浴衣を着せられるからと部屋着のままだった律は言われるがまま、身に付けていたものを脱いで簡単に畳む。その間に父はたとう紙に包まれた浴衣を出し、帯と腰ひもを着付けやすいように解いている。「ほれ、律。袖通してみいや」 背中から浴衣を掛けられ、律は細い腕を浴衣に通す。その後は父が淡々と慣れた手つきで着付けをする。 きれいな紺藍色に細い棒縞。「この浴衣さ、直したって言ってたよ
last updateLast Updated : 2026-01-30
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#9 忠犬、牙をむく

 神社の例祭が終わるとあっという間に七月が駆け足で終わりそうになる。高校生最後の夏休みが目前だ。 いくら成績が良かろうと、大学受験を視野に入れているならば本来は講習や模試の準備をするのが当然だが、律はなにもしない。進路決定という問題を先送りにしているのか、諦めかけているのか、律にもわからない。いまだ、なんの決断を下すきっかけもない。 夏の本格的な暑さが思考を鈍くする。進路を最終決定する三者面談が近い。「りーつ」 夕食後、蓮の部屋で蓮に寄りかかりながらゲームをしている画面を眺めていたら、ふと呼ばれた。ぼんやり眺めていた画面はログイン画面に切り替わっていた。「うん?」 片膝を抱えたままぼんやりとした返事を律は返した。なにも決めていない焦燥感だけが増して、律は多少上の空だった。「律さ、祭りん時まで楽しそうだったのに、またどんよりモード入ってね?」 首を傾けて隣から蓮が覗き込んできて軽い口調で言うけれど、茶色っぽい色素の薄い目が心配そうにしている。ずっと一緒にいる分、蓮には律の些細な変化も隠し切れない。「……ねえ、蓮さ。一緒に家出しよって言ったらうんって言ってくれる?」「うん。行くよ? 律はどっかに行っちゃいてーの」「冗談だよ。本当に家出なんかしない。……でも、なんも決められなくて……疲れた」 家出など大胆なことをする度胸もないのに、ただそんなことをするとしても蓮はついてくるというのかという試すようなことを言ってしまった後に、律は後悔する。蓮は迷いもなく頷くと知っていて、安心したいだけなのだ。そしてそれは、律自身の焦燥感が原因で蓮を巻き込んでいる。 蓮に寄りかかっていた側の肩に蓮の重みが増し高と思うと、頭がくっついた。「りーつ。俺は律がどこに行っても一緒に行くよ? 地球の裏側でも宇宙でもさー。律はどこ行きたいん?」 冗談のように蓮は言うけれど、本気だ。「地球の裏側でも宇宙でもないかな。たださ、漠然とどっか行きたいなってだけ」 蓮の例えがあまりにも壮大すぎて律はくすりと笑った。くったりと蓮に寄りかかって、まだどこに行くにも蓮と一緒にいたいと思っていることだけ子どもみたいだなと思う。 けれど、地球の裏側──律も蓮も知らない国で、誰も知っている人がいない場所でのんびりと暮らすのも、少しだけ心惹かれる。現実化できない夢のような魅力がある。「な
last updateLast Updated : 2026-02-02
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#10 黒瀬組、動く夜

 蓮の手を握ったまま律は商店街を向けて繁華街へと向かう。手を握っているはずなのに実体がないような不安が胸に広がっていくが、いまはそれどころではない。──こんな厄介ごとは嫌いだし、巻き込まれたくもない。そして、最短で問題が片付くと判断した先が父であることにも腹が立つ。 繁華街のなかの父の経営する店の一つ、ラウンジ・クリスタルにつくと入口の前に見知った顔の男が立っていた。大方、修治が人払いのために配置したのだろう。「若。蓮、どうしたんすか」「……僕のせい」 中に入るすれ違いざまに訊かれた言葉に、律は短く呟いた。律が怒鳴り散らしてから、蓮は一言も口を開かない。それどころか律に引きずられて歩いているかのようにさえ感じる。律は怖くて蓮を振り返らないままここまで来た。 店内に入ると派手派手しいインテリアが照明の明るさで多少緩和されていた。奥のソファに父が座っており、横に修治が控えている。「ガキはもうクソして寝る時間だぞ」 普段と変わらない口調で父から声をかけられた。酔っ払っているだろうと修治は言っていたが、律が知っている酔っ払っている時の父の様子ではなかった。「どうした? 言ってみい。あほみたいな喧嘩で蓮、そんなならんやろ」 父からは蓮の様子が見えるのだ、とその時律は気付いた。そんなとは、と訊き返したかったが、先に状況説明を求められている。「さっき、駅前のカラオケ屋の近くで……たぶん、合法ドラッグ売りつけられそうになった」「は!? いまなんつった!?」「合法ドラッグ。たぶん、間違いないと思う」 声を荒げる父に、律はもう一度繰り返した。握っていた蓮の手が父の声に震えるのが伝ってくる。「若。特徴を。それから、蓮はそいつらになにかしましたか?」 間に修治が割って入ってきて、律の緊張はさらに高まる。「ドラッグストアで買える感じの小さいパウチ袋に入ってた。原色系のいろんな色で、大粒のラムネみたいな感じ。ちょっとテンション上がるクスリとか言ってた。……蓮は、僕がそいつらの片方に絡まれて肩組まれてんの見て……でも、突き飛ばしただけ。それ以上は駄目だと思って無理矢理引っ張って、それで修治に連絡した」「蓮!! お前、まだガキの癖になにやとんじゃ! 律にちょっかい出されてキレんなぁしょうがねえが、てめえまだガキやろ! んな下っ端の一人や二人お前がどうにかできても
last updateLast Updated : 2026-02-04
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