Masuk黒瀬組の家で育った律と蓮は、血は繋がらなくても互いの生活の一部だった。 学校でも家でも、律が行けば蓮がついてくる。それが当然で、疑う余地もなかった。 しかし夏の事件で、蓮が見せた激しすぎる感情に律は初めて足を止める。 あれは“家族”の怒りなのか、それとも――。 境界線を知らないまま育った二人が、自分でも気づかなかった想いに触れた時、日常は静かに形を変えていく。
Lihat lebih banyak黒瀬律。 十七歳、高校三年生。暴力団、黒瀬組組長黒瀬竜一の一人息子。進路、未定。
相良蓮。 同じく十七歳、高校三年生。六歳の時に母が病死し、愛人であった竜一に引き取られ、黒瀬家で律と同じく息子として育てられた事実上の養子。進路、律の行くところ。将来を決めるリミットまであと5か月。
*****
春の気配を残した、湿度を含む風が開け放した窓から入ってきて律の黒髪をさらりと揺らした。
やや俯いた黒瀬律は興味なさげに机を挟んで対面で話をしている担任の声を聞いていた。進路指導。高校三年になって通常であれば最終確認段階だというのに、律の進路は白紙のままだった。
「──黒瀬は成績はいいから国立だって狙えるんだがなぁ。なんかないのか。流石にこの時期に白紙はまずいぞ」
担任教師は困り果てたようにぼやいている。律の事情も多少は察しているだろうに、もちろんそのことには触れない。
「じゃあ、コロンビア大」
「は? 黒瀬。それは無茶だろ。それに海外の大学は試験の時期も──」
「先生。進路、なんでもいいからあればいいんでしょ」
適当な、しかも行く気もない大学の名前を出して、律は「じゃあ」と言って席を立ち、進路指導室を出ていった。背中に担任が盛大な溜息をついている気配がしたが、無視した。戸を閉めて、廊下を教室まで歩く。足取りはのんびり、ゆっくりというよりも重い。二年の半ば、自然と進路の話題が出てから律の憂鬱は増すばかりだ。
開いていた教室の後ろの入り口から中に入ると、蓮だけが残っていた。蓮は机に突っ伏してぼんやりしているのか転寝しているのかどちらかだろう。変わらない足取りで律は蓮の傍まで行って、ぽんと片手を頭に乗せた。
「蓮。終わったよ。帰ろう」
「んー……。お疲れ、律」
蓮は律の方に顔を向けて半分眠そうな声で返事しながら笑う。いつもと変わらない。律が頭の上に乗せた手を下すと、蓮は上半身を起こして大きく伸びをした後、しなやかな動きで椅子を蹴飛ばして立ち上がった。茶色の少し長い癖っ毛が揺れてライオンのたてがみのように見えて、律は少し笑った。
「律はさぁ、なんでそんなに進路決めたがらないの? 親父は好きにしていいって言ってんじゃん」
教科書もろくに入っていない軽いかばんを引っかけて蓮は首を傾げる。
「そうだけど……。でも、蓮は僕が一人暮らしするようなとこに行ったら嫌でしょ?」
律がかばんを肩にかけて訊ねると、蓮は表情も変えず、迷うことなく返してきた。
「律がどっか行くなら俺も一緒に行くだけだけど? 大学なんて行く気ないから、律が学校行ってる間、バイトかなんかする。現場系とか? そういうの」
「──蓮……。あのさ」
「親父は怒んないと思う」
すんなりと迷うことなく言い切る蓮に、律は続きの言葉を飲み込んだ。蓮はいつだって迷わない。律の隣が当然だと思っている。それが嫌なのではない。律はほんのり苦笑して「帰ろう」と言った。
*****
学校から徒歩十分。電車で三駅。そこからまた徒歩十分。律と蓮の通学路は近くて便利とも、遠くて不便とも言い難い微妙な距離だ。
夕方のまだすいている電車。隣り合って座ると、律はかばんを膝に抱えて溜息をついた。
「あのさぁ。律って親父のこと嫌い?」
ふと隣から訊いてきた蓮に、律はやや顔を俯けたまま考えた。
「嫌いでは……ないと思うよ。時々、ウザいけど」
「でもさー、律、高校入った頃からめっちゃ親父避けてるじゃん。あんま笑わんくなったしー。律がそうなるの、たぶん、なんとなくわかるけど」
「蓮は、いまの僕が嫌?」
「なんで?」
規則的に揺れる電車に差し込む柔らかい日差しを受けて、蓮は素直に聞き返してくる。
「ううん。気にしないで」
どうしてかほっとして律は俯けていた顔を上げた。ちょうど次の駅のアナウンスが流れて、最寄り駅がもうすぐだ。
並んで改札を出ると、律と蓮の住んでいる町はすぐに大きな道路が開けていてその割にはまだ開発が進みきっていない下町だ。車通りの多い道を曲がると商店街が拓けていて、夕方時ともなれば人も多い。昔花街だった名残か、奥まると繁華街が広がっている。商店街を途中で曲がり、住宅地の方へと向かった先、白壁の塀に覆われた純日本邸宅が律と蓮の住む家だ。
「ただいま」
「ただいまー」
律と蓮が異口同音に言って玄関で靴を脱いでいると、あちこちから「おかえりなさい!」と声がかかる。若い声から年輩の声まで全て男の声で、多少柄が悪い。それも律と蓮にとっては日常だ。ローファーを玄関に揃えるのは律。スニーカーを脱ぎっぱなしで揃えもしないのは蓮。
母屋と離れを繋ぐ廊下に向かう外廊下を歩いていると、開けっ放しの障子の向こうから低い声がかかった。
「おう、律、蓮。ちょっとそこ座れや」
障子の中は仏壇が二つ並んだ律の父の居間。律はこっそりと溜息をついて「はい」と返事した。
どっしりとした座卓の真ん中にはクリスタルガラスの灰皿に吸い殻がいっぱいになっている。律が父の対面に腰を下ろすと、蓮も隣に座り込んだ。
「律、お前は進路決めたんか? 今日、進路指導やったんやろ?」
恐らく暇つぶしに眺めていたのだろう新聞を置いて、座卓に肘をついた父に訊かれると、律は返事に困った。特に父が怖いわけではなく、単純についさっき、学校で担任とのやり取りを思い出して同じようにはぐらかすことはできないと知っているからだ。
「お前はなぁ、好きにせえって言っとんのになにそんな迷っとんだ」
「……迷ってるわけじゃないよ。単純にまだどうしたいか決まってないだけ」
揶揄い半分に笑う父に、律は反抗期の子どもの様な返事しかできない。正座した膝の上で両手を強く握って、顔が勝手に俯き加減になってしまう。隣の蓮が律をちらりと見た気配がした。
「まあ、ええわ。好きなだけ悩めや青春小僧。迷っとんなら修治にでも相談せえ。俺よりそういうのぁ修治の方が向いてんだろ。んで、蓮。お前は……どうせ聞くまでもねぇんだがよ。なぁ? 律の金魚のフンだもんなぁ」
「親父、わかってんならいいじゃんよー。なに? 反抗期の息子構いたかっただけじゃん?」
「うるせぇわっ! お前も律も同じ俺の子じゃ! 息子の進路の心配して何が悪い!」
だん!と頬杖をついていた手で座卓の表面を叩き割りそうな勢いで叩き、父は激昂する。元々、興奮しやすい質なのだ。しかし、律も蓮もだからと言って今更驚きもしない。その代わり──
障子と逆側の襖がすっと開いて、父と同年代の男──榊修治が姿を現した。
「竜一さん、声が大きすぎます。親子の時間も大事ですが、少しは若い者の手前……」
「あー? んなもんええんよ。今の若い者は放任主義だなんだっつて親の責任ってえもんが」
「いえ。そうではなく。うちの若い衆は心配には及びませんが……竜一さんの親馬鹿が過ぎると、締まりませんので」
タイミングよく入ってきた修治に父の感情の矛先が変わったな、と胸を撫でおろしていた律の制服の袖を蓮が引っ張った。顔を向けると蓮が悪戯そうな顔で外廊下の方を指さしている。要は「いまのうちに逃げよう」ということだ。律は蓮の要領の良さに笑って一緒に立ち上がり父の注意を引かないように部屋を出ようとした。が、
「律! 蓮! 晩メシはちゃんとこっちに食いに来るんやで!」
それだけ怒鳴り散らして、父は修治との言い合いに戻っていった。
*****
母屋と離れを繋ぐ廊下を辿って、律と蓮の部屋は離れにある。元々は母屋に部屋があったが高校入学と同時に律が父と大いに揉めて離れに部屋を確保した。当然のように蓮の部屋も離れに一緒に移った。古い日本邸宅で敷地も広く、年季は入っているが手入れはされている屋敷と、元来人の出入りが多いせいもあり、離れの作りも母屋をコンパクトにしたようなもので生活に関する不便は全くないが、父は朝晩の食事は全員そろってすることを条件とした。
律と蓮は離れのぞれぞれに部屋に戻って、制服から着替える。その後は──
「蓮」
元は襖であったが木戸に変えた戸を挟んで律は短く呼びかけただけで、返事も待たずに部屋に入りベッドを背にゲームで遊んでいる蓮の隣に足を崩して座り、ぐったりと上半身を預けた。蓮は律のことを気にした様子もなく遊んでいるままだ。
蓮の部屋は性格がそのまま表れたように、十七歳らしい雑多感がある。洗濯が終わった服はかごに取り込んだまま、雑誌は詰み上がっていて、部屋を離れに移したと同時に勉強机は捨ててしまった。代わりにテレビにいくつかのゲーム機が繋がれている。律の無駄なものが少ないシンプルで片付いた部屋とは違う。けれど、律は蓮の部屋にいる時間の方が多い。一人でいるよりも落ち着くのだ。
「律、疲れてる?」
「んー……ダルい。先生も父さんも進路、進路ってうるさい」
「まぁ三年だしさー」
蓮に寄りかかりながら片手で目元を隠す律に、蓮は視線を動かさないまま軽く笑う。声がゲーム音に重なるのもいつものことで、気にするようなことではない。
「俺はさぁ、律が好きな進路選べばいいと思うけど? だって、俺、変わんねぇし。律が選んだとこに行くだけだし」
「……なんで?」
何気なく訊いた律の方が内心動揺した。一瞬、ゲーム音が遠くに聞こえる錯覚に陥った。蓮とはいつも一緒にいて離れている時間の方が少ない。蓮といない日常を想像できないのは律の方だ。
「なんでって、律といるのが当然だから?」
蓮はコントローラーを置いて、律の方へと首を傾げてやや疑問形で返事をしてきた。そうやって一緒にいるのが当たり前になりすぎていて、蓮の中に律と離れるという選択肢がない。その分、律より蓮の方は迷いが少ない。環境もなにもかも優先順位が律が上で、その先のことも当たり前だと思っているのだろう。思考がシンプルで、律は蓮が羨ましい。
「蓮だって、好きにしていいって父さんも言ってるのに」
「好きにしてんよ? 親父だってわかってっから、俺のことはほっといてんじゃん」
「だって、そしたら蓮も……」
「別に俺は気にしてないよ」
蓮に寄りかかり、話の矛先を蓮に無理矢理すり替えてから、律はそれがただの責任逃れだと気付いて最後まで言うのを辞めたが、蓮は変わらずきっぱりと返事する。子供が駄々をこねている様な幼稚さと、優柔不断に自己嫌悪して律は背を向けて蓮のベッドに突っ伏した。
「律はさー、真面目過ぎんだよ。マジで親父の子? 全然似てねえじゃん」
「んなこと言われても、そうだもん」
「んはっ。母ちゃんに似たんかー? 俺知らないけどさ」
のしっ、と背中に連の重みがのしかかってきて、突っ伏した律の後頭部に連の顎が乗っているのを感じる。くぐもった声で返事をしていると、あっけらかんとした笑いと無邪気な揶揄い声が降ってきた。
「僕も知らない。蓮の方が父さんに似てるかも」
「そりゃさー、もう何年一緒に暮らしてると思ってんの。律といんのと同じだけ、親父ともいるんだからさぁ」
そうやって随分と大きな家族とずっと暮らしてきた。律は突っ伏したまま笑って「蓮、重い」と抗議する。蓮は律の声に素直にのしかかった体を引いて、それでもまだベッドに突っ伏したままの律にくっついたままでいる。ぴこん、と蓮のスマホの着信音が鳴った。
「律。今日の晩メシ、とんかつと唐揚げとコロッケ。野菜何食いたいって健兄が訊いてる」
律のスマホにも同じメッセージが送られてるのだろう。人数が多い分、家の中の連絡事もグループチャットを使うのは早いうちから修治が取り入れた効率的なシステムだ。
「んー……お浸しか酢の物。できるやつでいいって言っといて」
簡単にできて失敗しようのないものを律は適当に呟いた。
「おっけ」
蓮はスマホを弄ってメッセージの返信をした。日常的な、いつものやり取りだ。それでも律は時々、考える。
男ばかりの大所帯で夕食のメインが肉と揚げ物になりがちなのは女手がいないから仕方がない。血の気の多い者や蓮の様な食べ盛りが揃っていては女手がいてもバランスのいい食事は難しいだろう。
そもそも、台所仕事まで買って出てしまう男たちを、律は不思議に思っている。好きでやっているのかどうかも不明だ。女手を雇う金がない訳ではないが、そうしないのは父なりの距離の取り方なのだろうとは理解できる。
ただ、どうしたことかこの家は律が生まれた時から人が絶えなく、賑やかだ。蓮が来てからはもっと賑やかになった。その雰囲気を律は嫌いだと言い切れない。
抜け出したいのか、変わりたいのか、なにかが怖いのか漠然としたままの十七歳。高校三年生。それが律。
朝、律は六時半にセットした目覚ましで起きる。 進路の問題が表面化した頃から多少寝起きは悪くなったものの、基本的に一度のアラームで目を覚まし、寝巻のまま部屋を出て離れのキッチンでグラスに水を注ぎ、そのまま縁側で水を飲みながらしばらくぼんやりとする。そうしていくうちに体が新鮮な空気に満たされて脳みそが覚醒していく。そんな習慣を十三歳くらいから続けている。早起きをして筋トレをするわけでも朝活をするわけでもなく、ぼんやりしているだけで、父には「爺みたいだ」と言われ、蓮には首を傾げられるが、律にはこの習慣がすっかり馴染んでしまっている。唯一、修治だけが「いい習慣です」と言った意味は、律にはまだわからない。 七時を過ぎた頃に律は縁側から立って、水を飲んだグラスを片付け、蓮を起こしに行く。──蓮は律が起こしに行かないと起きない。 からりと蓮の部屋の戸を開けて、頭まで布団をかぶって眠っている蓮のベッドの端に腰かけて律は少し笑う。「れーん、朝だよ。起きて」 いつものように布団の上からぽんぽんと蓮の肩辺りを叩く律の声は柔らかだ。丸まった布団の塊がもぞもぞと動いて、寝ぐせだらけの伸ばしっぱなしの癖っ毛が半分顔を隠した蓮が顔を出すが、まだ寝ぼけているのもいつものことだ。「やだ……まだねみー……」「いいから起きて。朝ごはん、間に合わなくなるよ。朝から父さんに小言言われんの嫌でしょ?」「それは……めんどー……」 まだはっきりと覚醒しないまま、蓮は律の声に半分自動で反応するように起き上がった。大きなあくびをして、いまにも布団に逆戻りしそうだが蓮は普段から活発なだけあって起き上がりさえすれば大丈夫なことを律は知っている。 律はすんなりと蓮のベッドから立ち、部屋を出ていく。「あとでね」と言い残して。 それから律は洗面所に直行し、顔を洗い、歯磨きをし、自室に戻り制服に着替える。スマホの充電とかばんの教科書類を確認して身支度が終わるころには蓮も着替えを済ましている。玄関を通るには母屋を経由するからかばんを肩にかけ、部屋を出るとちょうどいいタイミングで制服に着替えた蓮がいた。 並んで母屋に向かい、外廊下に面した食堂──和室の大きな座卓で父と律と蓮を含めて十人以上の黒瀬家の住人が食事をする場所なので、食堂という表現の方が的確だと律は思っている──に入ると、数人の男たちが座卓に料理
黒瀬律。 十七歳、高校三年生。暴力団、黒瀬組組長黒瀬竜一の一人息子。進路、未定。 相良蓮。 同じく十七歳、高校三年生。六歳の時に母が病死し、愛人であった竜一に引き取られ、黒瀬家で律と同じく息子として育てられた事実上の養子。進路、律の行くところ。 将来を決めるリミットまであと5か月。***** 春の気配を残した、湿度を含む風が開け放した窓から入ってきて律の黒髪をさらりと揺らした。 やや俯いた黒瀬律は興味なさげに机を挟んで対面で話をしている担任の声を聞いていた。進路指導。高校三年になって通常であれば最終確認段階だというのに、律の進路は白紙のままだった。「──黒瀬は成績はいいから国立だって狙えるんだがなぁ。なんかないのか。流石にこの時期に白紙はまずいぞ」 担任教師は困り果てたようにぼやいている。律の事情も多少は察しているだろうに、もちろんそのことには触れない。「じゃあ、コロンビア大」「は? 黒瀬。それは無茶だろ。それに海外の大学は試験の時期も──」「先生。進路、なんでもいいからあればいいんでしょ」 適当な、しかも行く気もない大学の名前を出して、律は「じゃあ」と言って席を立ち、進路指導室を出ていった。背中に担任が盛大な溜息をついている気配がしたが、無視した。戸を閉めて、廊下を教室まで歩く。足取りはのんびり、ゆっくりというよりも重い。二年の半ば、自然と進路の話題が出てから律の憂鬱は増すばかりだ。 開いていた教室の後ろの入り口から中に入ると、蓮だけが残っていた。蓮は机に突っ伏してぼんやりしているのか転寝しているのかどちらかだろう。変わらない足取りで律は蓮の傍まで行って、ぽんと片手を頭に乗せた。「蓮。終わったよ。帰ろう」「んー……。お疲れ、律」 蓮は律の方に顔を向けて半分眠そうな声で返事しながら笑う。いつもと変わらない。律が頭の上に乗せた手を下すと、蓮は上半身を起こして大きく伸びをした後、しなやかな動きで椅子を蹴飛ばして立ち上がった。茶色の少し長い癖っ毛が揺れてライオンのたてがみのように見えて、律は少し笑った。「律はさぁ、なんでそんなに進路決めたがらないの? 親父は好きにしていいって言ってんじゃん」 教科書もろくに入っていない軽いかばんを引っかけて蓮は首を傾げる。「そうだけど……。でも、蓮は僕が一人暮らしするようなとこに行ったら嫌でしょ?