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All Chapters of 玉封師: Chapter 11 - Chapter 20

47 Chapters

5.赤い着物の女②

 本当に美紀のことが心配で仕方がなかったのだろう。 考えてみれば、昨日圭吾は会社を休んでまで美紀を探したのだ。そんな彼が、娘のことを思っていないはずがない。「美紀、ほら、先生にご挨拶して」「……」 昨日父親に嫌と言うほどどやされたので、文句こそ口にしないが、美紀にとってここで帝太郎に挨拶をすることは完全なる敗北を意味しているのだろう。 二枚貝のように口をつぐんで、かたちばかりの抵抗を試みている様子だ。「美紀!」 その態度に、圭吾が声を荒げるのを、帝太郎が片手で制した。それから小さく首を横に振って、彼女を怒らないで下さいと言外に含ませる。「美紀ちゃんのことはお任せ下さい。僕たちが責任を持ってお預かり致します」 そう言ってにっこり微笑むと、部屋の戸を開け、圭吾にやんわりと退出を促す。「……それではお願いします……」 どこか不安げな表情で、スーツ姿が『つくしんぼクラブ』を出て行く。 後には一口も口をつけられなかったコーヒーが残された。「さ、美紀ちゃん、あっちの部屋に行こ?」 圭吾が出て行ったのを確認すると、おいでおいでをしてみんなが遊ぶプレイルームへと誘う帝太郎。 その言葉が聞こえているのかいないのか、無言で机の上を見詰める美紀に「それともココア飲んでからにする?」 のほほんとした口調でそう問いかける。 途端、「あたし、別に誰かにお世話してもらわなくても平気だもん!」 吐き捨てるように美紀が叫んだ。 父親が居なくなったことで、思いのたけをぶつけられるようになったらしい。 その声に、子供たちと楽しそうに遊んでいた菜奈子と玉郎が、一瞬ぎょっとしたように動きを止める。 大丈夫だよ、というニュアンスをこめて二人に微笑むと、帝太郎は部屋の戸を再び閉めた。(この子はこう言う所も君にそっくりだね……) 自分の知る子と言動がそっくりな美紀。扱いは
last updateLast Updated : 2026-05-08
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6.鬼に傾くなかれ①

『はい、二条院です』 電話から聞こえてきた声音に、ホッと安堵の溜め息を漏らす帝太郎。「佐太郎……だよね?」『……? もしかして……兄さん?』「うん、……久しぶり」 受話器の向こうで弟が息を飲む気配が伝わってくる。 無理もない。 帝太郎のほうから実家に電話をかけるのは、実に七年ぶりなのだから。「父さんが電話に出たら切っちゃおうって思ってたんだ。佐太が出てくれてホント良かった」 何だか父親と話をするのが気まずくて、家出をしたわけでもないのに疎遠になってしまっている実家。 時折母親から他愛のない電話がかかってくるが、それも帝太郎のことを気遣ってか、父のいない時を選んでいるらしく、ここ十数年、電話で父親の声は聞いていない。 もしかすると、父は母の隣に黙して座っているのかも知れないが、表立って受話器を握ることがないので、帝太郎としては助かっている。「父さんたちは?」『ちょっと出かけてる』 佐太郎の声にホッと一息つくと、帝太郎は少しトーンを落として話し始める。「実はさ、佐太郎に内密なお願いがあるんだ」 帝太郎の話にしばらく耳を傾けていた佐太郎が、『それ、直接父さんに頼んだほうがいいんじゃない?』 こともなげにそう告げた。 それは予想していた言葉ではあったけれど、そう出来るのなら最初から佐太郎には言わないわけで――。「だからね、それが出来たら苦労しないんだって。僕、佐太みたいに良い息子してない分、後ろめたさありまくりなんだよ。それにね、この件に関しては父さんが首を縦に振らないの、分かってるんだ……」 そう。〝あの事件〟以来、帝太郎は御霊屋への立ち入りを禁止されてしまっているのだから。 まるでそこへ帝太郎たちが立ち入った事実すらなかったとでも言う風に、二条院家ではその事件自体が隠蔽されてしまってい
last updateLast Updated : 2026-05-09
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6.鬼に傾くなかれ②

 困ったなぁ……と呟きながら頭をかく帝太郎に、今まで彼の様子を遠巻きに伺っていた玉郎が、足音を轟かせながら大股で歩み寄って来た。「貸せ!」 帝太郎から半ば強引に受話器を奪い取ると、「悠長に兄弟喧嘩してる場合じゃねぇんだよ、このアホが! ったく、今更言うまでもねえだろーけど、一応お前の兄貴は玉封師なんだよ、俺の主人のな! その玉封師様がわざわざしたくもない電話まで掛けてんだ。いい加減ことの重大さを察しやがれっ!」 珍しく恐ろしい剣幕で怒鳴り散らした。 普段から言葉遣いの綺麗なほうではない玉郎だが、ここ『つくしんぼクラブ』でこんな態度をとったことは一度もない。「玉ちゃんセンセ、こわーい!」 日頃の「どうした? さあ来い、チビども!」調の玉郎とは全く違った雰囲気に、子供たちがにわかにあちらこちらで泣き始めてしまう。「わぁ~! な、泣くな! 俺が悪かった、な? そ、そーだ! 泣き止んだらお馬さんしてやるぞ~?」 途端、この変貌振りなのだから、帝太郎でなくとも吹き出してしまう。「あ! こら、テメェ、笑いやがったな!?」 子供たちの間を右往左往して走り回りながら、玉郎がクレームをつける。 その様子を見て、菜奈子が隅っこのほうでクスクス笑っているのだが、さすがにそちらにまでは気が回らないらしい。「もしもし? ごめん、佐太ちゃん。ちょっと今、トラブっちゃって」 玉郎の言葉を電話での会話で誤魔化す帝太郎に、『今のって兄さんトコの玉封じの鬼?』 きょとんとした顔が浮かんできそうな、空ろな声音で佐太郎が返す。「え? うん、そうだけど……?」『やっぱ、迫力あるね~。いいなー。俺も早く玉封じの鬼、欲しいなぁー』 佐太郎が心底うらやましそうな口調でそうつぶやいたのも無理はない。二条院家の直系でありながら二十歳を過ぎた今もなお波長の合う鬼と出会えずにいる弟は、ある意味一族の中では異端だったから。少なからずそこにコンプレッ
last updateLast Updated : 2026-05-10
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7.離れられない理由

「ねぇ、玉ちゃん。僕さ、今週末に一度、実家に帰ってみようかと思ってるんだ……」 ここは六畳一間のおんぼろアパート。 キッチンに立つ玉郎の後ろ姿をこたつに座してぼんやりと眺めながら、帝太郎が唐突にそう告げる。「実家?」「うん」 卓上には冬らしく、籠に入ったミカンが置かれている。それに手を伸ばして入れ物ごと自分の傍に引き寄せると、帝太郎はその中の一つを手に取った。「日帰りで?」「うん、そのつもり……。でも……もしかしたら泊まりになるかも……」 ミカンを頬張りながら帝太郎が返す。「こっち、留守にして平気なのか?」「この土曜は託児所お休みの日だし、何かあったとしても玉ちゃんと菜奈ちゃんが居てくれれば大丈夫かなぁ〜……なんて」 のほほんと告げられた帝太郎の台詞に、玉郎が包丁を手にしたまま、振り返る。「やっぱり不安?」 眉根を寄せ、上目遣いで玉郎を見遣る。「お前、まさか俺を置いていく気じゃ……」 不安かどうかという問いには答えず、そう尋ねた玉郎に、帝太郎が静かに頷く。 玉封師が玉封じの鬼と行動を別にする事は、断じてあってはならない。 玉封じの鬼は主人の胸前にある玉からその鼓動を感じ取り、それがそのままその鬼の人格形成へと繋がっていくからだ。 加えて玉封じの鬼は二十四時間以上己が入るべき玉との接触を断つ事は出来ない。そんな事をしようものなら存在自体が消えてしまうのだ。 以前、玉郎がそんな風に話してくれたのを思い出す。 本来ならば玉封師の長である父から教わるべき事項なのだが、ギクシャクとした関係の中で、ついに聞かず終いになってしまっていた。「僕、こう見えても玉ちゃんの事、信用してるんだ〜。ほんのちょっと離れてたくらいで変わったりしないでしょ?」 玉郎がここに残るという事
last updateLast Updated : 2026-05-11
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8.二人分の運賃

 帝太郎が住んでいる所と、実家とは在来線を乗り継いで三十分余りという距離にある。 実のところ駅を降りてからのほうが長い道のりになったりするのだが、そのお陰で近い割に両親との間に一線を引いて生活が出来ているというのも事実だ。「寒っ!」 電車を降りると同時に冷たい風に吹き付けられて、思わずコートの前を合わせる帝太郎。 一人だけで寒い思いをするのは悔しいので、トイレに入って玉郎を玉から呼び出す。「もうちっとマトモなトコで呼び出せねぇのか」 出てきた途端、薄暗いトイレでは文句の一つも言いたくなるというもの。 例によって公共機関の乗り物は、玉の中で過ごした玉郎であったが、その上こんなところで呼び出されたのではたまったものではない。 そんな玉郎の愚痴を半分も聞かないうちに、帝太郎は駅舎に向かって歩き出す。 旅行に来たわけではないので、荷物はそんなに多くはない。せいぜい下着の替えとお金があればこと足りる。万が一何か不備があったとしても、そこはそれ、実家のよしみで何とかなるだろう。 現に、前を歩く帝太郎が提げたショルダーバッグには、着替えなどよりもお菓子のほうが多く入っているという有様である。 駅舎に入ると、達磨ストーブが焚かれていて、空気がほんわか暖かい。 辺鄙な田舎の駅だ。かろうじて駅員が一人いること自体奇跡に思えるそこには、帝太郎たちのほかに客の姿はなく閑散としていた。 駅舎に入るなりストーブの真ん前に陣取って鞄の中を物色し始めた帝太郎が、にっこり笑って甘露飴の袋を取り出す。 早速一つ頬張ってから「玉ちゃんも食べる?」 そう言って玉郎に微笑みかける。「いらねぇよ」 帝太郎の、この緊張感のなさは何なのだろうか。 託児所での遠足気分さながらなのほほんとした主人の様子に、玉郎は力ない溜め息を落とす。「玉ちゃん、疲れた時は甘い物に限るって♪ はい、甘露飴♪」 溜め息をついたのがまずかった。 如何にもしてやったりと言った表情で帝太郎が飴を差し出す。彼は
last updateLast Updated : 2026-05-12
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9.この家を出た理由①

鹿路という地名で呼ばれるその部落は、電車を降りてからは、自動車で離合出来るか出来ないかの狭い山道を延々一時間余りかけて上って行かねばならない。 普通に考えればこんなに不便な道、そこに暮らす誰かから苦情が出て、少しはマシになるはずなのだが、この部落には二条院家に縁のある者しか暮らしていないためか、誰一人不平を言う者はいなかった。いや、むしろ陸の孤島となることを望んでさえいるのかも知れない。 世帯数は部落全体で十もなく、住人自体も十数名しか暮らしていない、絶滅寸前の集落。 ここもかつては五十世帯以上が生活していたとのことで、荒れるに任せた感の漂う空き家や、石垣のみが残る民家跡が、帝太郎の生家である二条院家を中心に放射線状に広がっている。 道は一応舗装されてはいるものの、山頂に着くまで途中に民家はなく、一瞬どこにいるのか分からなくなってしまいそうになる。 所々に見られる苔むしたガードレールと、カーブに差し掛かるたびに登場する古びてくすんだカーブミラーの存在がなかったら、文明から取り残された気分に陥り兼ねない。 山の中腹辺りから、道の脇にちらほらと雪の積もった部分が増え始め、鹿路に着く頃には辺り一面薄っすらと銀世界に包まれていた。 同じ市内でも、山を登るということはこれほどまでに違うものなのかと帝太郎は今更ながら実感した。 「変わらないね〜。この家も」 家に着いてすぐ、帝太郎の第一声はこれだった。 たかだか数ヶ月で変われ、と言うほうが無理なのだが、面倒なので誰も追及しない。 「ところで父さんたちは?」 田舎の家らしく、屋根は|茅葺(かやぶき)。大層なことに土間なんて物も存在している。使わなくなって久しい埃まみれのかまどだって、手入れをすればまだまだ現役で活躍可能だ。 「今、ちょっと出てる」 「ふ〜ん」 佐太郎の返答を聞いてもまだ不安なのか、キョロキョロと辺りを見回していた帝太郎の目が、ある一点でふと
last updateLast Updated : 2026-05-13
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9.この家を出た理由②

「……いや、久し振りだったから何となく懐かしくって」(掘りごたつの中が!?) 一瞬そんな風に思ってしまった佐太郎であったが、ついさっき玉郎に言われたことを思い出して、深くは考えまいと自分に言い聞かせる。「佐太はしなかった?」「え?」「隠れん坊」 いきなり何を言い出すのやら。 きょとんとした顔つきで兄を見詰める佐太郎の眼差しに、帝太郎が慌てて付け加えをする。「佐太は小さい頃この中に隠れたりしなかったのかなぁ〜?って」 帝太郎の言わんとしていることがやっと理解出来た。「……やろうにも、相手がいなかったし……」 何の気なしに発したつもりだったが、帝太郎には自分の声が寂しげに聞こえたらしい。 申し訳なさそうな表情をすると「ごめんね、佐太。僕がもっと遊んであげれば良かったね」 そう告げてうつむいた。 正直なところ、兄は自分ともっと遊びたかったんだろうと思う。 しかし、兄の心の中には自分の知らないトラウマが存在していて、それが無意識のうちに佐太郎を遠ざけている。 それが何なのかは分からないけれど――。「ところでさ、例のやつ、うまくいった?」「……うん、一応。でもさ、兄さん、あんなトコに入るなんて……本気なの?」 先日電話越しに帝太郎に頼まれたこと。 それは家の離れに位置する、ある建物の合鍵を作っておくことだった。「もちろん! そのために来たんだもの」 ことの重大さを分かっているのかいないのか。春風駘蕩たる声音で告げる帝太郎の様子からは、緊張感なんて微塵も感じ取れない。(平常心、平常心……) そう自己暗示を掛ける佐太郎を、土間のほうから玉郎が笑いを必死に堪えながら見守る。「はい、これ」 佐太郎から手渡された鍵をそそくさとポケットに仕舞い込むと、「玉ちゃん、行くよ〜」 帝太郎がにっこり笑ってそう告げる。「あ。俺も……!」「佐太は駄目」 口調は極めて穏やかなのだが、その声は絶対の拒絶を含んでいる。 こう言うところが
last updateLast Updated : 2026-05-14
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10.彩音が消えた日①

「瑠璃、子供たちの姿が見当たらんようだが」  薄暗い部屋の中から、逞しい体躯の男が姿を現す。落ち着いた声音に見合う、厳格な面持ちの美丈夫だった。  声が発せられるまで彼の気配が感じられなかったのは、何も勝色の単姿のためばかりではないだろう。  三十代そこそことは思えない重厚な雰囲気を帯びた彼の胸元には、首からさげた小さな巾着袋。着物との色合を考えてか、黒の生地で作られたそれは、違和感なく単に馴染んでいる。  この男こそが現二条院家の長、隆親である。  縁側に佇む女性に近付きながらそう告げると、雨に煙る庭の一角を見つめていた視線がゆっくりと振り返った。  海老茶色の小紋姿のよく似合うその人は、艶やかな黒髪を日本髪に結い上げていた。それが少しほつれたようにうなじを流れる様も、どことなく彼女を色めかせている。年の頃は二十代半ばといったところ。 「あら、そういえば……」  今気付いたというようにおっとりと微笑む。 「……気付いていなかったのか?」 「……ええ。もう半時ばかりぼんやりと紫陽花を眺めていたものですから」  のほほんとした口調に、いつものことながらいささか脱力してしまった隆親である。 「帝太郎ももう六つですし、妹の面倒くらい一人で見られますわ」 「そうだな」  穏やかに告げられた言葉に、思わずうなずいてしまう。  いつも自分のほうがしっかりしているつもりで、瑠璃ののんびりとした雰囲気に支えられている気がする。 「……だがな、それにしたって彩音は女の子だ。いつまでもあの調子では困りものだろう?」  雨のせいでか、縁側の天井でさえ薄暗い。それを仰ぎ見るようにして、隆親が溜め息混じりに呟く。 「あの子のお転婆は私譲りですもの。もう二、三年もすれば自然と落ち着きます」  柔和な笑みを浮かべる瑠璃に、隆親が眉根を寄せて呟く。 「お前似だから二、三年では落ち着かんのでは?と心配しているんだ……」  好きな異性でも出来て、その男に女性らしく見られたいと思わない限りは。  幼い頃の妻によく似た娘の性格を思うと、先が思い遣られてならない隆親である。  梅雨の長雨に煽られて、気分が一層滅入ってしまう。  庭の片隅で咲き誇る紫陽花
last updateLast Updated : 2026-05-15
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10.彩音が消えた日②

身体に重く張り付いた衣服に、気分まで滅入ってしまう。 「そろそろ帰ろっか?」 大事な妹に、風邪でもひかせてしまってはことだ。 帝太郎がそう思って優しく問いかけると、間髪入れずに抗議の声が上がる。 「イヤ! このまま帰ったらぜったいにおこられちゃうもん!」 確かにその通り。 いつも温和な母はともかく、厳格な父と口うるさいお手伝いさんはそう簡単に許してはくれないだろう。 「少しだけどこかで乾かしてから帰ったほうがいいかな……」 絶え間なく雨粒を降り注がせる天空を仰ぎ見ながら呟く。 「彩音、いい場所おもいついた!」 「どこ?」 帝太郎の言葉に、彩音が瞳を輝かせながら提案する。 「お家のはなれにあるお堂!」 そこは帝太郎もよく知っている。時々一人でこっそり忍び込んでいるからだ。 「でもあそこは……」 入ると首にさげた巾着の玉が、何だか妙な感じになる。それが気になってつい何度も出入りしてしまっているのだが、実のところ入ってはいけない、と両親から止められているのだ。 「彩音、おにぃちゃんがあそこにはいるの、みたことあるもん! ホントははいっちゃダメなんでしょ?」 「うっ……」 彩音には年の割におしゃまなところがある。当然口のほうもかなり達者なわけで――。帝太郎が言葉に詰まったのを見て取って、更なる追い討ちをかけてきた。 「今日、彩音をあそこにつれていってくれたら、パパたちにはナイショにしといてあげる」 その言葉が、言外に含む意味を汲み取れない帝太郎ではない。 これ見よがしにはぁ~っと大きく溜め息をつくと、渋々うなずく。 「やったぁ! おにぃちゃん、大スキ!」 満面の笑みを浮かべて飛びついてくる妹に、ただただ苦笑の帝太郎であった。 「わぁ、すごぉーい!」
last updateLast Updated : 2026-05-16
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10.彩音が消えた日③

 一人でここに入った時は、その振動の秘密が知りたくて、ついつい長居をしてしまう。でも、今日は別。彩音が一緒なのだ。 何だか嫌な予感がする。模糊とした胸騒ぎが広がって、帝太郎は一刻も早くここを出たいという衝動が抑えられなくなった。「……今はいったばっかりじゃん! それに彩音の服、まだびしょびしょだよ?」 言いながら彩音が水を含んで重く貼り付いたスカートの裾を摘み上げて見せる。そうしてもらうまでもなく、床に出来た水滴の染みを見ればそんなこと、一目瞭然なのだ。「いいから! 怒られそうになったらお兄ちゃんがかばってあげる! だから出よう!」 この吐き気をもよおす居心地の悪さに比べれば、びしょ濡れで帰って怒られるのなんて、大した問題じゃない。 普段、帝太郎がこんなに声を荒げることは滅多にない。彩音がどんなに我侭を言っても大抵のことは通してやるのだ。「……おにぃちゃん?」 相当険しい顔つきをしていたのだろう。恐る恐るそう呼び掛けながら、彩音が伺うように顔を覗き込んでくる。「……ごめん、大声出して。でも……何だか嫌な感じがするんだ。だから――」 今までも、この直感のお陰でかなり助けられてきた。 帝太郎自身は気付いていなかったが、これこそが彼の類稀なる霊力の片鱗、玉封師としての資質に富んでいる証拠なのだ。裏を返せば、それに従わなければ何か良くないことが起こるのは必至ということで――。「……やくそくだよ?」「?」「彩音が怒られそうになったらかばってくれるってやつ! パパってば彩音にばっかりうるさくするんだもん!」 それは、お転婆な彩音に、女の子らしくなって欲しいと願う隆親の親心だったりするのだが、彩音にとっては鬱陶しいだけのようだ。「うん、約束する」 ふんっ!と鼻息も荒く言い捨てる彩音に、帝太郎が優しく微笑みかける。「じゃ、行こうか」 そうと決まれば長居は無用。言うが早いか、妹に背を向けると帝太郎は出口に向かって歩き出した。 先刻、ここに侵入する際用いた入口は、実は【御霊屋】の扁額のすぐ下のあの扉ではない。 家の敷地内にある建物である
last updateLast Updated : 2026-05-17
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