Home / 現実ファンタジー / 玉封師 / Chapter 31 - Chapter 40

All Chapters of 玉封師: Chapter 31 - Chapter 40

47 Chapters

13.封じるということ⑤

 それで何か言う奴がいたら、「それがどうした?」と胸を張って言い返してやろう。 自分が瑠璃を全力で守ってやればいいだけの話じゃないか。 彼女の目を見ていたら、いつの間にかそんな風に思えるようになっていた。 結局その日、隆親は御霊屋に入ることなくそこを後にした――。「俺がもしも狂っちまったら……その時はお前の手で終わらせてくれ」 隆親二十四の夏――。 瑠璃と隆親が結婚して、四ヶ月ばかり過ぎたころ。 縁側に腰掛けて、二人して井戸から引き上げたばかりのスイカにかぶりついていた時、和真がふと真顔になってそう言った。 一瞬何のことを言っているのか理解出来なかった隆親に、ニヤリと笑って「頼んだぞ」と告げた親友の声が、数十年経った今でも時折蘇る。 その時は「そうなったら一生封じの鬼としてこき使ってやるよ」などと軽口を叩いた隆親だったが、その日がそれから遠からずして訪れてしまうなんて、思いもしなかった。 明るく気さくな性格だった和真が、締め切った薄暗い部屋から出て来なくなり、時折奇声を発するようになったのは、その年の暮れのことだった。 それは日を追う毎に顕著になり、また状態もどんどん悪くなっていく。 そうなると、周囲から和真はもう駄目だと囁き合う声が聞かれるようになり――。 せめて友であるお前の手で終わらせてやれ。 そう詰め寄られたのは、丁度今時分の季節――二月の初旬頃――だったと記憶している。 皆からそう提案された時、隆親は身を引き裂かれるような思いがしたのだ。 断れば、ならば別の者に頼むまでだと吐き捨てられた。 玉封師は鬼を消すことを生業としているわけではない。 鬼を消すというのは、その存在自体を無に帰すということ。 それは、彼らの想いを聞き届け、全てを包み込んで害のない存在へと変えていく、玉封師とは性質を異にしている。 玉封師は封じの玉を使って怨嗟に捕らわれた鬼を縛し、時間をかけてその業を玉
last updateLast Updated : 2026-05-29
Read more

13.封じるということ⑥

 ただ、和真を解放すると言うことは、隆親自身を罪の意識から逃れさせることでもあったから、その罪を償うために自分の血が必要だというのなら、それでも構わないと思ったことだけは確かだ。 しかし、眼前の鬼は怒り狂って隆親を襲うことをしなかった。それどころか五感の全てを心の中に封じて、ただそこに在った。 封じの玉が、怨恨の情を少しも吸収していない状態で、外界に投じられることは和真にとってこの上なく辛いことだったのだろう。 和真抹殺の話が隆親の許に持ち込まれた段階では、和真は完全には狂っていなかった。 そんな状態の中で、かつては仲間であった者たちの口から「用済み」だの「終わらせてやれ」だの言い交わされるのを耳にして、果たして彼は平気でいられただろうか? もしかするとそのことが彼を更なる狂気へと追いやっていたのではなかろうか。 生成りの鬼へと転じてすぐ、和真が真っ先に同族である八重垣の一族を手にかけたのも、もしかするとそのためだったのかも知れない。 それとも闇の気に呑まれ、我を失って殺戮を繰り返してしまう者が現れるのを、自分で最後にしたいという思いが絡んだゆえだろうか? いずれにせよ、八重垣の血を引く者をことごとく皆殺しにし、その両手を朱に染めて立ち尽くす和真は、確かにその双眸から涙を流していた。 少なくともその時の和真は、隆親の知る和真だったから。 だからこそ、長としても術者としてもまだまだ未熟だった自分にも封じることが出来たのだ。「わしは和真にすまないことをしたと思っている。だがな、起こってしまったことは取り消せんのだ。和真にとって辛いと分かっていても、わしはこやつを呼び出さねばならん。いっそ、封じを解いたあの日に狂ってくれていたら……。不謹慎かも知れんが、正直そんな風に思うよ……」 封じの玉から解き放たれた時、自分を喰らって逃げてくれていたならば――。 こんな苦しい思いをさせられるぐらいならと、鬼と化して暴走してくれていたならば――。 そのほうが、和真にとってはよっぽど幸
last updateLast Updated : 2026-05-30
Read more

13.封じるということ⑦

 普通ならば間違いなく、開放されたと同時に鬼はその牙を剥くからだ。 この意味において言えば、やはり隆親のやったことは自殺行為以外の何ものでもない。 だが、今こうして和真の玉に浮かんできた歌を見ると、彼が自分を裏切った者たちを恨んでやりたいという気持ちと、信じたいという気持ちの狭間で葛藤していたことが分かる。 だからこそ、彼は玉から解放された時、再び鬼として狂えなかったのだ。 狂ってしまえば、また誰かを傷付けてしまうから。 しかし、尋常な精神のまま誰かと対峙することは、疲弊しきった和真には出来なかった。 その結果が、総てを閉ざして外界からの刺激を断ち切る、と言う行為となって現れたのであろう。「父さん……」 淡々と言葉を紡ぐ父に、帝太郎が思わず声を掛ける。「いいか、帝太郎。一時の情に流されるな。誤った思い込みは、皆を確実に不幸にする」 そこまで言って、ふと帝太郎を見つめると、隆親は父親の温かみを含んだ声音で「一段落したらあの鬼と一緒に顔を見せなさい。返さねばならないものもあるだろうから」 まるで独り言のようにそう告げてそれっきり口を閉ざしてしまった。 そんな隆親に、帝太郎も無言でうなずく。 父は自分が御霊屋に入ったことを知っていて、あえて何も聞かずにいてくれる。今はその厚意に甘えさせてもらおう。 父の視線を背中に感じながら、帝太郎は静かに部屋を後にした。 家から出ると、玄関脇で玉郎が待っていた。「……俺は親父さんが従えている鬼が嫌いなわけじゃねぇんだ。ただ……奴を見てると何だかすげぇ苦しくなっちまう……」 だから無意識に和真のことを避けてしまうのだと弁解する。 自分の顔を見るなり小声でそう告げた玉郎に、黙ってうなずく帝太郎。 人が人ならざるものになるということは、相当に辛い「何か」が関与してくるのだろう。 過去にそういう思いがあっ
last updateLast Updated : 2026-05-31
Read more

14.遊びをせんとや

生家を出たのは午後二時過ぎだったから、四時過ぎにはアパートに帰り着いていた。 二月の初旬だ。 人気のなかった家が冷え切った様は用意に想像できるだろう。 「玉郎……」 見慣れた六畳一間に足を踏み入れると、帝太郎はいそいそとこたつにもぐり込みながら玉の中の玉郎に呼びかける。 JRの最寄りの駅から帝太郎宅までは車でも三十分近くかかってしまう。 ペーパードライバーで通している帝太郎がマイカーなんて持っているはずもないので、当然駅からはバスを利用することとなった。 バスは言うまでもなく公共の交通機関だ。玉郎は経費削減のために電車に引き続き玉の中の住人と化した。 帝太郎が彼のことを「玉郎」と呼ぶのは、大抵の場合が玉封師としての仕事絡みであることが多い。 「何だ?」 玉郎のほうもそれを心得ているので、玉の中から出ると妙にしかつめらしい顔をして帝太郎の真正面に座した。 「ほら、これ……」 そう言って帝太郎が差し出したのは、御霊屋から失敬してきた封じの玉である。但し、その玉は真っ二つに割れている。 「ん……?」 差し出された玉を受け取ると、玉郎はそれをまじまじと見つめた。 「二つをくっつけて光に透かしてみて」 部屋の西側に面した窓から、薄紅に染まる夕日がぼんやりと差し込んでいる。それを指差して帝太郎が言う。 〝遊び せん や 生れけむ 戯れせ と 生れけん 遊ぶ 供の声 ば 我 身さへ ゆるがるれ〟 真っ二つに分かれてしまっている玉を一つに結合させると、どす黒さが薄れる。透明感を取り戻したそれを光にかざすと、今までは見えなかった文字が浮かんでくるのだ。 「バスの中で気付いたんだ」 「ふ~ん。やっぱ祭壇に祭ってあったってぇのも、まんざら無駄なことじゃなかったってわけだな」 ニヤリと微笑って玉郎が言う。 「どういうこと?」 「こいつ、九つの玉に囲まれて安置されてただろ? あれは一応考えあってのことだったってわけさ」 「周りの玉が、この玉に封じられていた鬼の念を引き出したってこと?」 「ご名答」 ぽやぽやしていても一応は玉封師。こういうことにかけて、帝太郎は飲み込みが早い。十八で家を出
last updateLast Updated : 2026-06-01
Read more

15.守るべき子

 相沢圭吾が再び『つくしんぼクラブ』を訪れたのは、月曜日の昼過ぎのことだった。 美紀は隣のプレイルームで玉郎たちと遊んでいる。「節分の時の残りで恐縮なんですけど……」 いつかみたいに、圭吾を奥の一室に通すと、帝太郎は湯気のくゆる日本茶とカラフルな豆菓子を勧めた。後者は豆まきの日に、オーソドックスな煎り大豆だけでは寂しいという発想から帝太郎が買って来たものだ。 中でも帝太郎のお気に入りは、煎り大豆を抹茶の砂糖でコーティングした、するが茶豆。当然、無意識のうちにそれをよって食べていたらしく、菓子鉢の中には緑の粒が少なめだ。それを気にしてのセリフに、果たして圭吾が気付いたかどうか。 昼の休憩時間を利用しての来訪らしく、そわそわと時計を気にしている。 当然、出されたお茶にも――ましてや豆菓子になんて――目を向ける余裕はないようだ。 唐突に用件を切り出した圭吾に、頭の切り替わっていない帝太郎は一瞬きょとんとする。「やはり駄目ですよね……」 それで圭吾は縮こまってしまったのだ。「あ、いえ、駄目とかってわけじゃあ……」 心底落ち込んだ面持ちで自分を見つめてくる圭吾に、帝太郎が慌てて首を横に振る。「じゃあ、お受け頂けるんですね!?」 それとこれとは話が別である。 言葉の綾とは厄介なものだ。思わず口走ってしまった自分の言葉に首を絞められるとは。 あまりにもにこやかにそう問い掛けてくる圭吾に、帝太郎は今更「でも」という言葉を継げなくなる。「明日から一週間、美紀のことをお願いします! こんなこと、本来ならば親類縁者に頼むべきだと言うことは重々承知しております。でも……あいにく近隣にそういう伝手がないものですから……」 申し訳なさそうに頭を下げる圭吾。 彼の頼み事とは、彼が出張に出ている間、娘の美紀を一週間昼夜を問わずに預かってくれというものだった。 いくら託児所だとは
last updateLast Updated : 2026-06-02
Read more

16.小さなお手伝いさん①

「美紀ちゃん、一週間ほど所長のお宅でお手伝いさんするんですってね~?」 冗談交じりにそう告げたのは菜奈子だ。 まだ七時半過ぎ、と子供たちが集まってくる時間には早いので、例によって時折雑談を交えながら、託児所内を清掃している。 今日は水曜日だ。 美紀の父親の出張は明日からなのだが、夜も明けやらぬ暗いうちから出掛けるため、実質美紀は今晩から帝太郎宅に預けられることになっている。 しかし、何と言っても預かる相手があの美紀だ。 お父さんがいない間、心配だから先生の家にいようね、なんて言ったって突っぱねるのは分かりきっていた。だからこそ、大人たちのほうでそれなりに口裏を合わせたのだ。「でも所長の家だったら美紀ちゃんが『お手伝いさん』でも全然問題ないかも知れませんね♪」 菜奈子は明らかに楽しんでいる。「だって玉郎さんが居なかったら所長、一日だって生きていられそうにないんですもの」 そのセリフに、叩きを掛けていた手をしばし休めると、玉郎がニヤリと笑って帝太郎を見遣る。「俺の存在価値の高さがうかがえるな」 確かにその通り。 家事全般を玉郎に任せっきりの帝太郎は、事実なので一瞬反論に窮する。「玉ちゃんがいなくたって菜奈ちゃんに来てもらうからいいよーだ!」 悔しまぎれにそう吐き捨てたら、いつもはあっけらかんとしている菜奈子がにわかに赤面してしまって驚く。(……お前、それ、菜奈ちゃんに嫁に来てくれって意味か?) ぼそりと耳打ちされた玉郎の言葉に、帝太郎も顔から火が出そうになる。 そんなつもりはなかった……と否定するのも彼女に対して失礼だし、その通りです……と肯定してしまうのも何だかくすぐったい。 実際菜奈子が台所に立つ姿を想像するとそれはそれで素敵な気もする。……というより彼女以外が自分の家の台所に立つところは正直想像しにくい。
last updateLast Updated : 2026-06-03
Read more

16.小さなお手伝いさん②

「何だかいつもの所長らしくないですよ? ほら、笑って笑って♪」 気を遣ったのか、菜奈子が帝太郎の前でにっこり笑ってみせた。「あ、うん。そうだね」 周りに心配をかけるのは良くない。菜奈子の気遣いに、いつものように笑い返して見せると、帝太郎は雑巾を持つ手にぎゅっと力を込めた。「玉ちゃん、叩き済んだら掃除機もよろしくね?」 次の瞬間には、満面の笑みでそう告げていた。 そんな帝太郎の様子に、安堵した面持ちで力を抜いた玉郎であったが、直後、彼が放った言葉の意味を理解したらしくげんなりとした顔をする。「俺一人過剰労働じゃねぇか……」 菜奈子はちょっとした書類整理。帝太郎はちんたらと雑巾がけ。 ――で、俺は叩きの後にさらに掃除機もかぃ!?……と言った心境なのだろう。 掃除機をかけるのは一番清掃範囲が広いので不公平に思えてしまうのも無理はない。「大丈夫♪ だって玉ちゃんタフだもん」 ガックリと肩を落とす玉郎に、そう軽口を叩くと、にっこり笑ってみせる帝太郎。 玉郎をいじめるのは楽しい。 嫌そうな顔をして反論したりもするけれど、自分が頼んだことは大概何だかんだ言いながらも片してくれる。 そんな玉郎に、帝太郎は肉体的にも精神的にも救われている。「さぁさ、おしゃべりは程々にしてお掃除、ちゃっちゃと済ませちゃいましょうね」 時計の針は八時を回っていた。 今日はお泊りグッズ持ち込みの都合上、美紀は十分過ぎには来ることになっている。 実質、下準備はあと十分ぐらいしか出来ないのだ。「美紀ちゃん以外の子はみんな九時からでよかったよね?」 帝太郎の記憶しているところによれば、今日は飛び入りの子はいなかったはず。 出窓を拭きながら、振り返り様に菜奈子に尋ねる。「ええ。後の子は、みんないつも通り九時からです」 単純に保育士と言うより、菜奈子は秘書という位置にいるように思われる。
last updateLast Updated : 2026-06-04
Read more

17.見つけた宝物①

「それじゃあ二条院先生、美紀を宜しくお願いします」 相沢圭吾が『つくしんぼクラブ』の扉をくぐったのは、八時十五分過ぎだった。 みんなで精を出した――と言うと少々語弊がありそうだが――だけあって、掃除は完璧に終了していた。 少し小ぶりな旅行鞄を抱えた圭吾に、帝太郎がにっこり笑って「お任せ下さい」と告げる。 その言葉に安心したように、圭吾は荷物を美紀の横へ置いた。その振動で手提げのところにぶら下げられた可愛らしいマスコット人形が揺れる。「じゃあな、美紀。先生にご迷惑をお掛けするんじゃないぞ?」 娘の前にしゃがみ込んで頭を撫でる。「心配しないで。パパもお仕事頑張ってね」 そんな父親に、大人びた笑みを返す美紀。 その様を見ていて、帝太郎は少ししんみりした気持ちになる。 前から感じていたけれど、美紀の、年の割にしっかりしたところが妹の彩音に重なってしまうのだ。 そう言えば彩音が消息を絶ってしまったのも、確か彼女くらいの年の頃だった。「それでは――」 名残惜しそうに立ち上がると、圭吾は深々とお辞儀をする。「お気をつけて」 あんまりにも圭吾が寂しそうな顔をするものだから、帝太郎たち『つくしんぼクラブ』の面々も、やや緊張した面持ちで見送りの言葉を放つ。(ある種の強制旅行だよな) 去っていく圭吾の後ろ姿を見遣りながら、玉郎が小声でつぶやく。(そうだね……) 静かにそれに応じると、帝太郎は美紀の荷物を屋内に運ぼうと手を伸ばし、「いいの! 自分で運べるから!」 美紀に怒られてしまった。(何でも自分でやりたい年頃なんですよ) 特に美紀の場合はそうだろう。 きょとんとして立ち尽くす帝太郎に、菜奈子が苦笑しながらそう耳打ちをする。(大変そうだな、こりゃあ……) ボソッと呟いたのは玉郎だ。 これから一週間も彼女と寝食をと
last updateLast Updated : 2026-06-05
Read more

17.見つけた宝物②

 エプロンを付けてはいるが、玉郎の場合和装なのでどうしても袂が邪魔になる。 家では割烹着を愛用しているので、袂もすっぽりその中に押し込んでしまえるのだが、ここにいる時はエプロンが仕事着のようなものなのでそういうわけにはいかない。 キリン柄の可愛いエプロンも、着物にはお手上げなのだ。 帝太郎のデスクの引き出しから紐を一本取り出すと、玉郎はそれを素早く身体に結びつけた。いわゆるたすき掛けというやつだ。「玉ちゃん気合入ってるぅ~♪」 その様を見て帝太郎が笑う。「先生、あたしも何か手伝いたい!」 案の定、美紀も乗り気だ。 二十二時を過ぎているというのに目がパッチリなところを見ると、日頃から夜更かしをしているのだろう。美紀のことだから父親が仕事から戻るまでの間、寝ずに待っているのではなかろうか。「よ~し! じゃあ美紀ちゃんにはごみ拾いを頼もうかな。みんなで協力して早くお家に帰ろうね」 美紀が手伝いを申し出ることは予測がついていた。 にっこり笑って美紀にそう告げると、帝太郎も彼女と一緒に至る所に散らかっているごみの撤去作業に取り掛かった。 菜奈子は言うまでもなく、書類整理のまとめだ。 おもちゃの片付けなどという力仕事は玉郎の役目。 四人はてきぱきと自分の役割をこなしていった。 その甲斐あってか、閉めの作業はいつもよりも心持ち早く終わった。「お疲れ様でしたぁ~!」 帝太郎のこの声と同時に仕事は終了する。「菜奈ちゃん、バス停まで一緒に行こ」 菜奈子と帝太郎たちの住んでいるアパートは二つばかり町を隔てたところにあって、バスの路線もちょっと行った先で別れてしまう。 しかし最寄りのバス停は一緒なので、帝太郎は彼女がバスに乗り込むところまでは見送るように心掛けている。 もしも自分が乗るバスが先に来てしまったとしても一本やり過ごして菜奈子を見送るぐらいの気は遣っているつもりだ。 本当なら家の前まで送って行くべきなんだろうが、そうすると却って菜奈子に気を遣わせてしま
last updateLast Updated : 2026-06-06
Read more

17.見つけた宝物③

 いつも暑さ、寒さについてあまり触れないところを見ると、割と気温の変化に疎いらしい。 普段は帝太郎の希望で長着姿だが、玉郎自身は平安貴族然とした束帯姿のほうが落ち着くようだ。 休日などは好んでそういう格好をしているところからもそれが窺える。 帝太郎としてはTシャツにジーンズなんていう今時の着こなしを身に着けて欲しいのだが、それはまだまだ先の話になりそうだ。 菜奈子はというと、ふわっとした印象の緩めに編まれたセーターに身を包み、その下にジーンズをはいて白のハーフコートを羽織っている。 先程美紀に爆弾発言をされて以来、吐く息は白いが寒さを忘れてしまったようにぼぉっと突っ立ったまんまだ。 どことなく潤んでいるような印象を受ける瞳と、両頬が熱を帯びたように桜色に染まっている様は、何となく艶めいた印象を与える。耳が赤くなっているのは、何も寒さのせいばかりではあるまい。(帝太郎、今日は菜奈ちゃん送って行け。こっちのレディにゃ俺がついてるから) 菜奈子の様子に気付いた玉郎が、帝太郎に小声でそう耳打ちすると、菜奈子が「そんな申し訳ないですっ」と眉根を寄せる。(……でもそうしなきゃ美紀ちゃん納得してくれそうにないよ?) こちらは彼女の様子に気付いていないからこそ言えたのかも知れない帝太郎のセリフである。鈍感もここまでくるといっそ快い。 菜奈子の口の前に人差し指をあてがう仕草をしてそれ以上の言葉を制すると、帝太郎は玉郎にうなずいて見せた。「じゃ、玉ちゃん、これ」 美紀がいるので今日は玉郎もそのままの姿でバスに乗ってもらうつもりだった。コートのポケットから財布を取り出すと、帝太郎はいつも愛用しているバスカードを抜き取って残りを玉郎に手渡す。「お前、金、一銭も持ってなくて平気なのか?」「僕はこれがあれば大丈夫だから」 バスカードの残度数はまだまだ余裕がある。途中で買い物する予定もないし、とりあえずは平気。「……それにね、夕飯の材料とかで足りないものが
last updateLast Updated : 2026-06-07
Read more
PREV
12345
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status